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目覚める竜  作者: 半導体
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36話 ある盾の古傷

 ひと際大きな溜息の後、フィストは荒々しくソファに座り込んだ。弾性力で体が多少上下するがすぐにおさまり、部屋の変化が急激に減少した。

 午後の訓練は、午前に見つかった問題点を重点的に克服するような内容だった。銃を構えずに待ち、三百六十度どこから来るか分からない相手を処理していく。どうしても攻撃が相手より遅れてしまうので、必然的に発砲は銃弾をかわしながらになってしまうのだ。構えてから撃つまでの時間はごくわずかになり、午前よりも全身に鈍痛を残す結果となっていた。続けていくうちにだんだんと感覚を掴むようにはなっていたのだが、それでもフィストの弾の当たる場面はわずかだった。思い通りにならない苛立ちが、今更になってフィストにのしかかる。

「…まあ、ずいぶんと良くはなっていたと思うぞ」

 隣にガルバートが座っている。フィストのそれとなく彼との間に若干の距離を置いているが、それは気休めにもならない程度のものだ。

「まあ…銃を手にしてからそんなに経ってるわけでもないんで…」

「好きで手にしたわけじゃない、ということか」

 反応をしない。誰のせいなのかな、という言葉は発せられることなくフィストの内に消えた。事の発端は自分にあるのだが、銃を持ちたくてそんなことをしたわけでもないのだ。

 ふう、とついた溜息が二人分重なる。神経を苛立たせる時計の音が二人の耳に流れ続ける。


「…あの」

 時計の音に耐えられなかったのか、フィストはガルバートに顔を向けていた。

「もう一度、聞いておきたいんですけど…」

「…」

 フィストの方を向くことはなく、しかしフィストの言葉に耳を傾けている。

「あなたは、どうして僕に協力してくれてるんですか」

 協力…それは偽りのないものだった。少なくとも今日の特訓の中での彼は、間違いなく本心からフィストに協力していた。『自分に興味がある』、『邪魔する権利はない』…フィストには、それは子供が無理に考えた言い訳のようにしか聞こえなかったのだ。

「昨日言ったままだが」

 淡白な返事だ。それもまた大人の言い訳としては不十分だ。

「一研究所の所長ともあろう人が、個人の意思でそういうことをしていいとは思えないんですけど…」

 言っていて気が変わられるのは恐ろしいが、納得がいく説明をされなければこのままずっと彼を信用することが出来ないでいてしまう。それはさまざまな意味で避けておくべきだろうと考えたのだ。

「人の上に立つ者は、それだけ自分を犠牲にする必要がある、そう思います。…僕がそんなこと言うのも変な話ですが」

「…」

 考え込んでいる、といったところだろうか。頑強な表情は相変わらずだが、今の発言を否定しなかったのはやはり図星だからなのだろう。全く変化のない顔の皮の内側で、さまざまな思考が交錯する様子が見て取れる。

「…確かに、その意味では私は、人の上に立つべきではないのかもしれない。だがそうである以前に、私は一人の人間だ。間違いと思ったことを正そうとする…人として、それは当然のことだろう」

「…?」

 ガルバートの真意が分からず、それは彼も自覚していたようですぐに立ち上がった。

「…喉が渇いたな。紅茶を淹れよう」



 紅茶が湯気を上げる。二人ともカップを手に取っているが、それを口に運ぼうとはしない。 掌にほんのりと熱が伝わり、フィストの神経が若干和らぐ。

「君がレポートを盗んだのは、セントヘイムの研究所。そこの所長が、今も君と被験体を追っている―――ヴェクス・ラムフィールドという男だ」

 ヴェクス…もはや逃げることのできないであろうその名を頭の中で復唱する。

「私は、彼と古くからの知り合いだった。共に同じ道を歩み、同じ立場まで上り詰めた。そんな彼の考えることは何でも分かると、思っていたのだが…」

「……」

「…いつだったか、彼は豹変した。危険な人体実験に手を出すようになり、まるで御伽話のような『錬成品』を生み出すようになった。それは人工生命体然り、兵器然り」

「…はい」

 無意識に返事をする。かつてアーミルから聞いた情報と噛み合わせ、隙間を無くしていく。

「彼はそんな人間ではなかった…研究熱心ではあったが、決して人の不幸を望むようなことはなかった。他人の手助けをして、自分は裏方に回る…そういう人間のはずだった。何があったのか聞いたこともあったが、結局教えてはくれなかったな…」

 そこで一度、ガルバートはカップを口元に運ぶ。その小休止はフィストにも必要で、合わせるようにして紅茶を口に含ませた。その透き通った香りも、やや酸味のある味も、じっくり楽しむ余裕はどちらも持っていない。

「今も私と『彼』は良い友人という関係を保っているが、もう私には『彼』を理解することが出来ない。そして出来るのなら、昔の彼に戻ってほしいと願っている。…そのせいだろうな、君を『彼』に差し出すことがどうしても躊躇われた」

 合点のいく説明ではないが、それ以上に信じられるものもまたない。ひとまず了解した意思を持ってフィストは頷いた。

「君を見逃すことで…君が強くなることで『彼』が変わってくれるなどと期待はしていない。だが、『彼』の被害者は少しでも減らしたかった。私のできる、ささやかな『彼』への裏切りだ。…これなら、君に協力する理由としては十分だろう」

「……ガルバートさんは、本当にその人の事を大切に思っているんですね」

 不思議とフィストの緊張は和らいでいた。目の前の男の持つ人間らしさを見つけたせいだろうか。

「以前よりは、信じられるようになった気がします」

「…そうか」

 二人の間に空いていた僅かな隙間も、いつの間にか姿を消していた。あれほどフィストの耳に刺さっていた時計の音も、今は棘がなくなってただ無機質に部屋を漂っている。



「さて、私はそろそろ」

 ガルバートが立ち上がると、フィストはその影にすっかり隠れてしまう。それに恐怖することはないにしても、どうしても圧迫感は覚える。

「…あの、もう一つだけ、いいですか」

「…ん?」

 何事かといった顔で立ち止まった。彼の考える『話せること』は全て話し終わったらしく、答えられる自信がないようなしぐさをしている。

 フィストも一度は聞くことを躊躇した。彼に聞いたところで知っているとも限らないのだから、ここで時間を取る必要性があるのかは疑問だった。それでも聞くべきだと、彼は判断した。

「ユリスは…被験体の女の子は、人間なんですか?それとも、人ではない何か…?」

 愚直な質問ではあった。その時ガルバートの見せた渋るような表情も仕方のないことだろう。そうと分かっていても、フィストから溢れる疑問符は尽きない。

「あの子のことか…。私も、事実は分からない。ヴェクスが単独でどこからか連れてきていたから、それを知っているのはヴェクスだけだな」

「…そうですか」

 あからさまにフィストが落胆する。やはり知らないのかと、半ば分かっていたはずの事がひどくショックだった。それを見かねたのか、ガルバートが更に続きを発した。

「…だが、人として大切なのはその出生などではないだろう。その存在、それの在りようが人かどうかを決めるのではないのか?」

「在りよう?」

「人の定義がその姿形だけなら、彼女は間違いなく人間だ。しかし、彼女が人としてあるべきものを持っているか、あるべきものをなくしていないか。彼女を人とするのなら、重要なのはそこにあるだろう」

「……そうですね」

 フィストの心情を気遣ったのか、ガルバートはやや足早になって部屋を出ていった。

 そこまで救われたわけでもない。おそらくユリスは、それにはすでに気づいていた上であれほど思い悩んでいたのだろう。

 それでも、フィストが改めて気を引き締めるのには充分な助言だった。




「…お、これはいい感じだな。握りやすいし、重すぎず軽すぎず。前のナイフと似てるし」

 テーブルの上にはディスプレイのようにナイフが並べられている。それらから一つを持ち上げたダルタが、刀身を見つめて嬉々とした様子で笑った。その横には、それを上回るほど喜んでいるファルが付いている。

 新しいナイフを求めたダルタにファルが持ちだした選択肢―――それが、今目の前に広がっている整然とした刃の鍵盤である。もっとも、ダルタにとってもそれは喜ばしい光景であるのだが。

「『Blue-Blood』かぁ…このブランドは確かに…でも…」

「お高いですよ?それだけの価値はあると私は思いますけど」

 ファルが小悪魔のように笑いかける。無理に買わせようとしているのではなく、ただ単純にそのナイフの魅力を伝達しようとしているようだ。

 Blue-Blood―――ナイフは勿論、家庭用の包丁から戦闘向きの長剣まで、刃物全般を取り扱うブランド名だ。製品の強度や軽さなどが評価されている有名な大企業だが、その高品質故どれもべらぼうに高い。ダルタが握っているナイフもまた、(なまくら)ナイフを十数本ほど買えるだろう価格を誇っている。

 ダルタが顎を撫でる。その仕草には上下する天秤の揺らぎがありありと浮かんでいて、ファルをより一層喜ばせている。…ガルバートがそこに来た時の二人は、おおよそそういった状況だった。

「…ファル」

 声をかけると、夢を見ているかの如く虚ろ気だった金色の瞳が即座に彼の方を向く。

「…あら、ガルバート」

「楽しそうだな」

「ええ、すごく。ガルバートもどうかしら?」

「遠慮させてもらう」

 皮肉のようなそれに全く動じない様子で笑う。そもそも、それを皮肉とも受け取っていないのかもしれないが。

「明日は仕事で出かける。遅くなるだろうから夕食は用意しなくていい」

 付き合いきれないと考えたのか、ガルバートは用件だけを伝え、ファルの返事を待たずに部屋を出て行ってしまった。

「ガルバートも見ていけばいいのに…」

「…ファルって、実は鈍感なのか?」

 ダルタが苦笑する。ファルはよく分かっていないらしく、腑に落ちない様子で首をかしげていた。


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