34話 「会いに来たよ」
ユリスが要求した場所は、テッドフォース駅の近くにある小さな丘だった。目の前が砂漠であるにもかかわらずそこは緑色に包まれていて、どこからか水の流れ出る音もしている。リメールはまだ分かっていないようだがティリアは何のためにそこに来たのか気づいたようで、途中からずっとユリスのことを心配そうに見ている。
二人から何かを聞いたわけでもないのだが、その丘に入ると同時にリメールはそこがどんな場所なのかを感じ取っていた。
丘全体を、やや冷たいような、しかし穏やかな雰囲気が包んでいる。そして三人のうち、ユリスを取り囲むように空気がざわめいているのだ。それは、丘がユリスを歓迎していると表現したくなるほどだ。しかし、それの影には常に悲しみに似た様子がちらつく。
「……これは…なんなのでしょうか…」
「何が?」
ティリアはその雰囲気を感じ取っていないらしく、リメールが困惑しているのを不思議そうにしている。
「丘に…悲しみと喜びが渦巻いているんです。それも、ユリスさんを中心にして」
「……だろうね」
表情を若干曇らせたティリアが丘の上に視線をやった。
小さな石が、三人を出迎えていた。
「ルフィーネ…会いに来たよ」
ユリスが石に向かって笑いかけた。遠慮しているのか、二人は遠巻きにその様子をうかがっている。ティリアは初めて会った時にある程度の話を聞いていたのだが、それでも部外者であることは否めない。リメールに至っては、その場にいることすら躊躇っている。
「…私ね…たくさん友達ができたんだよ」
返事のないユリスの会話。小さな声だが、その声は丘全体にまで響いて二人の耳にも入ってくる。返事はないが、代わりに温かな風が丘を吹き抜けた。
「…今はもう、寂しくない。きっとそれも、ルフィーネのおかげだと思う」
後ろ向きで、二人にユリスの表情は分からない。しかし、笑顔で会話をしていることは確かだ。
「それから…直接は来れなかったけど」
そこまで言うとユリスは、ポケットから小さなペンダントを取り出した。そしてそれを見せるように石の前にゆっくり差し出す。
「フィスト…ルフィーネだよ」
石とペンダントを見比べ、ユリスは静かに目を閉じた。
風でペンダントが揺れる。見えない手がペンダントを包み込んでいるかのようだ。暫く風に任せた後、ユリスはペンダントをポケットに戻した。
「…ねえ、二人も」
「…え、私ら?」
ユリスが振り向き、ティリアとリメールを呼んだ。居心地の悪そうにしていた二人は呆気にとられていたが、ユリスが手招きしたので恐る恐る石に近づいていく。
吹いている風が、二人を包む。ゆっくりと大きな手に引き寄せられるようにして歩み寄り、ユリスの横で止まった。
「ルフィーネ、まだ全員じゃないけど…」
ユリスが二人に目配せする。困惑していた二人も、笑顔を含めて頷いた。
「ティリアと、リメール。私の友達だよ」
「…はじめましてだな、ルフィーネ」
「はじめまして」
恭しく二人は頭を下げた。目の前に、お辞儀をする少女の姿が一瞬過ぎていった。
「ルフィーネ…もっとたくさん…たくさん大切な人が増えたんだよ。また今度、連れてくるね」
ユリスが石を優しく撫でると、再び風が吹いた。ユリスに同調するかのように、ひと際強く吹き抜けていった。
ユリスはしばらく、ルフィーネと会話を続けた。ティリアやリメールも混ぜて、他愛もないような世間話をしていた。リメールがふと見たとき、ユリスは今まで見せたことのないような笑顔だった。
「…あのね、二人とも」
ユリスが振り返っていた。何か言いたそうな様子で、まごついた顔をしている。踏み切れないような表情はいつものユリスのようだが、その中にどこか決意をもったような雰囲気を窺わせている。
「聞いてほしいことがあって…」
「…悩み事?」
「…うん…フィストにはもう話したんだけど」
ユリスは胸の前で指を絡ませつつ視線を遠くへやったが、やがて三人に向かって、はっきりと大きな声で話し始めた。
「私は…多分、人間じゃないの」
思いつめた声ではない。なので、聞いている二人はそれを聞いても動揺は見せなかった。
ユリスがその結論に至った理由も、二人には目星がついている。本人がそれをどう受け止めているのかを見極める意味でも、二人ともあえて何も言わずにユリスを待った。
「襲われたあの日に…私の中の何かが目を覚ましたの。フィストが殺されそうになって、いっぱい敵が来て、どうしようもなくなったと思ったんだけど…」
言葉が切れた。続けるのは何かしらの苦痛が伴うのか、ユリスは唇をかみしめている。
「…はっきりと、覚えてる。…自分が何をしたのか。体の中から力が湧き上がってきて、夢中でコートたちをやっつけてた。身長よりずっと高くまで跳べたし、叩いたら石畳も壊せた」
シンプルで分かりやすい説明。詳しい内容を二人が聞くのはこれが初めてだったので、その説明でリメールは僅かに反応してしまう。
「…今はそんなこと出来ないよ。私の中の力は眠ってる…でも、いつまた目を覚ますか、分からない…それが、私は怖い」
「……その気持ち分かる、とは言わないけど」
ティリアがユリスの肩に手を置いた。そのまま背中を摩ると、ユリスは恥ずかしそうに頬を掻いた。
「無意識とかそういうの関係なくてさ、自分が持ってる力ならそんなに怖がることないんじゃない?きっと今はまだコントロールできてないだけで、すぐに制御できるようになるんだよ。…まあ、分かったようなこと言うのもなんだけど」
「そうですよ、ユリスさん」
リメールがユリスの手を取っていた。
「もっと自分に自信を持ってください。その力がどんなものなのかは分かりませんけど、きっとユリスさんならそんな怖さに打ち勝てると思います。あなたに秘められた力なら、絶対に使いこなすことが出来ますよ」
唖然とした様子でユリスは聞き入っている。彼女の不安を残さず摘み取るために、二人は出来る限りの笑顔をユリスに向けていた。
「…私…今度は無意識のうちに、この力でみんなに襲いかかるかもしれない…」
「大丈夫だって。その時は、ユリスの中にいる化け物だけやっつけてユリスを助けてやるからさ」
「…その化け物が、私だったら…?」
「多分、そういうのは関係ないんですよ。例えばユリスさんが……えー、例えば…竜とかだったりしても、その竜であるってことも含めて、全部がユリスさんですから。そしたらそれを全部まとめて助けます。ユリスさんがユリスさんでいられない原因を取り除く、それだけです」
「だからさ、ユリス」
「これからも一緒にいてくださいね」
この二人は僅かな嘘もついていない。今言ったことは何もかも本当のことだ。―――自身を見つめる目を見れば、ユリスも簡単にそれに気づくことができた。
「…ありがとう」
その時のユリスは、すっかり元の調子に戻っていた。やや不安そうな表情をして、二人を交互に見まわしている。もう用事は済んだと言いたいらしく、どちらかの出発の合図を待っているようだ。
「次に来るときは、花を買って持って来ましょうね」
「…そうだね」
「よっし、じゃあ街に行ってショッピングだ!」
ティリアが勢い良く叫び、先頭に立って歩き始めた。苦笑いをしたリメールと呆けた様子のユリスも、それに続く。
「……ルフィーネさん、ですよね。あそこにいたのは…」
「…うん」
リメールは列車のことについてまだ何の話も聞いていない。何があったのかが気になっていたが、それ以上の質問は控えることにした。触れてはいけないものに触れてしまうのは、ユリスもリメールも望んではいない。
「フィストさんも連れてきたかったんじゃないですか?」
「…うん、まあ…」
ユリスがやや俯いている。どうやら直接聞かずとも、次第にその時の記憶がよみがえってきてしまったらしい。リメールは慌てた様子で話題を変えた。
「あ、あの、えーっと、ユリスさんって、フィストさんのことどう思ってるんですか?」
言いながらリメールは、以前にも似たようなことを聞いたのを思い出していた。その時は疑問詞を使わず、もっと直接的に聞いたのだが。
「…どうって?」
「ユリスさんにとっての、フィストさんの位置づけですよ」
「…位置づけ…」
ユリスは考え込んでしまった。真剣に考えているのだろうが、出てくる答えはすでに定まっている。
「…これって、前にリメールに言われたような…」
「…そうでしたっけ?私はよく覚えてませんが」
多少いじめてみる。ユリスはその言葉をそのまま信じこむと再び考え込み、歩くペースが落ちてしまった。なかなか言葉にせず、複雑な表情をしている。
「…うーん…位置づけ…」
考えながら、そんなことを呟いている。もしかして、とリメールはユリスを見つめた。
その胸中では、ひょっとしたらとっくに答えが出ているかもしれないのだ。それに自分から目を背けていて、そのことにも気づいていないのかもしれない。
「ユリスさん?」
「…?」
「もしかして…自分の本当の気持ちに気づいてないんじゃないですか?」
「…本当の気持ち…?」
ユリスは驚いた様子だ。リメールは真剣な顔になっていて、しかしそれ以降は何も言わずに黙って歩いている。
「…それってどういう…」
「それは…自分が一番よく分かってると思いますよ」
それだけ言うと、リメールは前を行くティリアに走り寄って行ってしまった。少し立ち止まったユリスは、思わず溜息が出た。
「…また、言うだけ言って逃げちゃうんだから…」
気がつくと、ユリスの前を行っていた二人は立ち止まっていた。丘のふもとに停めていた車が目の前までやってきていたのだ。ティリアが鍵を開けている間に、ユリスはリメールに追いついて横に並ぶ。
「ああ、ユリスさん。分かりましたか?」
「…うーんとね」
まだはっきりしないユリスを見て、リメールは残念そうに苦笑した。鍵の開く音がしたのはその直後のことだ。
扉が開いたのを確認すると、ティリアは二人に向きなおった。
「じゃあ、行こうか。今度は私が運転するからリメールは後ろに座ってて」
「あ、はい」
ティリアがせかすので、二人は背中を押される形で後ろに入り込んだ。席に座ると、間をおかずにティリアが運転席に入り込む。
「…リメール」
ユリスだ。
「はい?」
「…私の本当の気持ち…何となく分かったような…」
「…言ってみてもらえますか?」
「フィストは、私の大切な人。それ以上は、よく言い表せない」
「…そうですか。気付けたのならそれでいいのですけど」
リメールがユリスの頭を撫でたが、ユリスはまだしっくりこない様子で眉をひそめている。
「…なんかこれ…前にリメールが言ってたのとは違う気がする…」
「…?」
「もう少し、考えてみるね。すぐには分からない気がするから…」
「そうですか。その方がいいでしょうね、ふふっ」
リメールが嬉しそうに笑いかけると、ユリスは安心したように頷いた。
ふと、小さくなりつつある丘に視線をやった。
斜面に生えている木が風に揺られ、手を振っているかのようだ。
「…また来るね、ルフィーネ」
車が勢いよく丘を離れていった。
見送るような風が、最後に優しく吹いた。