32話 気まぐれ
「…君は何故、それ程強い眼をしている」
ガルバートはフィストの顔を覗き込んできた。フィストの眼をじっと睨みつけ、フィストもそれから目を放そうとせずに睨み返している。
「何故だ、何故自身を犠牲にしてまで仲間を守ろうとする」
ガルバートは困惑しているのか、やや早口になっている。フィストは手を突き出してそんなガルバートを制止し、自信に満ちた眼でその顔を見つめた。
「…命を捨てても惜しくない、そんな人たちだからです」
フィストの眼には一片の迷いもなかった。
沈黙が続いた。奥の扉から楽しげな会話が聞こえてくるが、廊下はそんな雰囲気とは隔離されている。お互いの息がかかりそうな距離で、ただ睨み合っている。
「…興味が湧いてきた」
「え?」
「最初は、連れて行くつもりだった…だが、君は何か大切なものを見つけようとしているらしい。私にそれを邪魔する権利はない」
先に視線を外したのはガルバートの方だ。フィストがはっとした時には、背を向けて扉に向かって歩き始めていた。
ガルバートが背中で話を続ける。
「私が探すよう命じられているのは、レポートを盗んだフィストという少年。そしてここにいるのは、ファルの客人であり、仲間を守る決意を抱いた少年、フィストだ」
「……」
「君の決意がどの程度のものか、私自身興味がある。君が強さを望むのなら、私も協力しよう」
ガルバートはそれ以上何も言わず、黙って目の前の扉に入っていった。
フィストが一人、そこに残された。
廊下は果てしなく、世界の果てまで続いているかのように長かった。目の前にあるはずの扉も、フィストの手の届かない遥か先にあるような錯覚に囚われる。フィストの足はそこから一歩も動き出さない。
危機が去ったのか、その判別が出来ない。彼の言葉をそのまま信じることができず、その部屋に入る勇気が持てない。
彼がフィストに手を下さなかったのは事実だ。だが、それで安心して背中を任せるのはあまりに危険だ。すぐにそこから逃げ出すことも考えたが、それではダルタやアーミル達がどうなってしまうのかが分からないのだ。
そこに入るべきなのか、フィストには決断できなかった。
「フィスト?そんなところで何やってんだ?」
「…ダルタ?」
ダルタが部屋から顔だけを出してフィストを見ていた。表情が緩み気味になっているのはついさっきまで笑っていたかのようだ。
「フィストも来いよ。また紅茶淹れてもらったし」
「あ…うわっ」
部屋から飛び出したダルタは、そのままフィストの腕をしっかりとつかんで引っ張り始めた。呆けていたフィストは逆らうこともできず、引きずられる形で部屋に飛び込む。
フィストの意志ではなかったが、逃げるという選択肢はもう存在しないらしい。
最初に印象に残ったのは、鼻を抜ける紅茶の香りだった。
テーブルに向き合って並んでいるソファにはファルとガルバートが並んで座り、紅茶のカップを手にしている。ファルは満面の笑みで、ガルバートは無表情に部屋に飛び込んだフィストに視線をやっている。赤にまとめられた部屋の中では、二人の存在は飾られた絵のように見事に浮かび上がっていた。
「ああ、フィストさん。遅かったですね」
カップを置き、ファルがフィストに微笑みかける。フィストも恥ずかしそうに笑って返した。隣にいるガルバートのせいだろうか、その視線はどうしてもファルを真っ直ぐに見ることができずにふらつく。
部屋の明かりが先刻よりもだいぶ明るく映った。不思議に思い窓の外を見ると、すでに外は暗闇に包まれている。実感しがたかったファルの重火器演説の長さが目に見えて表れていた。
「フィストさんの銃の腕は、明日見せていただきますわ。今日は長く歩いて疲れたでしょうし」
ファルのその一言は、フィストにはたまらなくありがたいものだった。
「どのくらい…僕たちはここにいるんでしょうか」
「ダルタさんからは一週間滞在する予定と聞いています」
「よかったな、いろいろ見てもらえるだろ」
フィストの横でダルタが笑いかける。一週間という長さは、どうやらフィストのために撮ったらしい。
笑顔で話すファルの横で、ガルバートが僅かに笑った。
それは嘲笑のようなものではなく、何か喜んでいるような印象のものだ。
「ファル」
ガルバートが口を開いていた。
「彼の銃の腕を見るのか?」
「ええ、そうです。ガルバートも手伝ってもらえますか?」
ガルバートは黙って頷いた。フィストには喜んでいいのか分からない事態だが、ファルは何も知らない様子でそれを喜んでいる。
二人がどのような訓練をさせてくるのか、当然フィストは知らない。言うまでもなく厳しいことが続くだろうが、フィストはすでに決意を固めているのだ。
絶対に強くなる、と。
夕食は豪華だったが、フィストの記憶にはあまり残っていない。気持ちが改まってしまって味に集中できなかった、といったところだ。ダルタが見兼ねて積極的に話しかけてはきたが、全て曖昧に返事して受け流してしまった。変に疲れを感じ、フィストは寝室に通されるなりベッドに倒れ込んだ。
「ハァ…一週間、持つのかなぁ…」
ダルタは別の寝室を使うことになっていた。この部屋はフィスト一人が使うことになっているらしい。
余分に広いことはない、青を基調とした部屋だ。やや大きめのベッドが一つ、その横にはキノコのような形のランプが置いてある。小さな椅子が恥ずかしそうに部屋の隅に置かれ、それ以外に物は置いていない。
寝る以外に何かできるわけでもなく、フィストは溜息をついた。
窓の外は暗闇に覆われ、何があるのか確認することは不可能だ。青いカーテンが両側にまとめられているが、それは黒い絵が飾られていると表現できるほどに窓らしくない。
半分目を閉じ、天井を見つめる。部屋の明かりを消し忘れたが、フィストはそのまま眠りについてしまいそうだ。
「…フィスト」
声が聞こえる。
「まだ、私のことを信用出来ていないようだな」
ぼやけた意識の中で、その言葉の意味を拾い上げていく。
誰が話しているのか、考える余裕がない。気持ちとは裏腹に、フィストはみるみる意識の中に沈んでいく。
「私はそれで構わないが…」
部屋の電気が消される。
「…頑張ることだ」
その一言だけは、薄い意識の中にもはっきりと響き渡った。
自分を呼ぶ声。
視界の記憶はない。
彼の名前を呼んでいる。
優しく、抱きしめるような声。
何も見えない。
また、名前が呼ばれた。
その声は、彼に何かを伝えようとしていた。
…えーっと。
乱文失礼しました。次から、もっと頑張ります。