27話 少女は俯いて
ダルタが手提げ鞄に荷物を詰めている。その表情は彼が上機嫌であるのをありありと示していた。周囲の人間にまで聞こえてくる鼻歌の理由を知っているのは、アーミルの他にはフィストしかいない。
「…」
ユリスが何も言わずに荷物の詰められていく様子を見つめている。
タオルや地図のほか、丁寧に磨かれたような銃や銀の輝きを持つナイフなど、なかなか物騒なものも荷物の山の中に納められていく。
「…お、ユリスか。どうした?」
荷物に向けられている視線に流石に気づいたのか、ダルタが手を休めていた。気さくな様子なのだが、ユリスは話しかけられるとまず一歩後ずさりした。
「…どこか行くの?」
「どうでもいいけど、ユリスってまだ俺のこと警戒してる?」
ユリスはダルタの性格とどうにもウマが合わないらしく、一定以上の距離に近寄ろうとしない。敵と思っているわけでもないのだが、どこかで気の許せない部分があるらしい。今もまた、いつでも逃げ出せる態勢でダルタに話しかけている。
「これからちょっと、な。もっと南の…フォルクコートのあたりかな?その辺に俺の知り合いがいてな、買い物がてら顔を出しておこうと思って」
「フォルクコート…」
彼らの今いるテッドフォースから南に行くと、都会の風景が消えて深い森が急に姿を現す。空気もがらりとその様子を変えて、同じ国の中にいることを忘れてしまうほど特異な雰囲気を醸し出している。
その辺りが、フォルクコートと呼ばれている街だ。
他のような開発の手はそこに限ってあまり及ばず、その自然に魅せられた富裕層の人間がそこに住居を多く構えている。森の中に豪邸が建ち並んでいる街、といった印象が世間にはあるようだ。
いわば『一般人に無縁の区域』といった場所。ユリスも被験体の頃に教えられていてその名を知ってはいるが、どんな場所かはまるで知らない。
「俺はこの事務所の所員じゃないしな、あんまりここに留まるのも悪い気がするし。ま、フォルクコートから戻ってきたらまた少しお世話になるが…長居はしないさ」
明らかに自分を怖がっているユリスに気を遣っての一言なのだが、ユリスはそんなダルタの気遣いをくみ取ることができず、それとなく聞き流してしまった。
知りたいことは聞けたので、ユリスはそれ以上何も言わず逃げるようにダルタから離れていく。ダルタは僅かに残念そうな素振りを見せたが、すぐに嬉々とした表情に戻り荷造りを再開した。
「おう、ダルタ。ずいぶん嬉しそうだな」
アーミルがユリスと入れ替わりにダルタの荷物の前に立っていた。
「当たり前だろ?二年ぶりだしな」
「それもそうだな」
二人は子供のようにふざけ合う。どれだけ長い付き合いなのか、仲の良さはそのやり取りがなによりよく表している。
「ああ、そうだ。水差すようでなんだが、ちょっと相談があるんだ」
「ん?」
アーミルはそれほど真剣な様子でもなかったが、ダルタは荷造りを休止してその相談へと耳を傾けた。ダルタの方もあまり固くなった様子はなく、右手で鞄の持ち手をいじくって遊んでいる。
「たしか、あの人って銃の扱いが上手かったよな?」
「ああ。俺もあの人に教わったようなモンだしな」
「そこでだが、実はフィストを連れて行ってその人に少しばかり鍛えてもらいたいんだ。あいつ起っての希望だ、お願いできないか?」
突然出た名前にダルタは勿論、ダルタから離れて二人の様子を窺っていたユリスも驚いていた。遊んでいた右手も静止する。
「フィストを?なんでまた?」
「まあ、詳しい理由は本人から聞いた方がいいだろうが…強くなりたいんだそうだ、大切なものを守るために」
「…大切なもの、か。…それはまた」
ダルタが面白いものでも見つけたように笑い、そして一瞬ユリスに目を合わせた。今度は更に強く驚いたようで、ユリスは机の影に隠れてしまった。
「いいよなぁ、それ。実に美しい人間の姿じゃないか。…俺にはあんまり慣れてくれないけど」
「そういう話好きだよな、お前」
アーミルが茶化すように笑い飛ばす。
「ユリスのこといじめてやるなよ」
「はは、努力する」
その時のダルタの笑顔はユリスにはあまりに恐ろしく映った。印象があまり良くないことも手伝っているのだろうが。
しかしユリスは、その恐怖をなんとか抑え込むと、隠れていた机から出て二人に近づき始めた。
フィストがダルタとともに行ってしまうのか。その確認だけは、どうしてもユリスは取っておきたかったのだ。行ってしまうのだとしたら、ユリスは心の支えを一つ無くしてしまう。
期間の長さなど彼女には関係ない。別々になるのは、たとえ数日でもユリスの不安を強く煽る。
「で、連れてってもらえるのか?」
「俺はいいが、一人で行くってもう言っちまってるぞ?」
「なら、俺からも連絡を入れておくよ―――ん?」
アーミルの服の裾が引っ張られる。見ると、ユリスがダルタから隠れる位置でアーミルの服を掴んだまま見上げていた。
「…フィストも、行くの?」
「あ?ああ、そのつもりだが」
「どのくらい?」
「二、三日か…長くて一週間くらいだな」
ユリスが何を気にしているのか、二人ともすでに分かっていた。次に彼女が何というのかは考えずとも見当がつくというものだ。
「…私も一緒に…」
「ダメ」
二人の声が揃う。
「男ってのはな、強くなる過程は女に見られたくな―――ぐはっ」
軽口を叩くダルタに拳が落ちた。
「ユリスはあまり外を出歩かない方がいい。昨日のことも忘れたわけじゃないだろ?」
「…フィストと一緒にいたい」
フィストにだけは相当なついているようで、アーミルも一瞬は了承してしまいそうになった。が、その考えをすぐさま自身で否定する。
「ユリス、気持ちは分かるが…それでまた昨日みたいになったら、今度こそ助けられないかもしれない」
「……」
まだ諦めきれていない様子だ。何とか断念させようとアーミルの頭が回転する。
「…フィストは外を出歩いても大丈夫なの?」
「ダルタがついてるからな。けど、いくらダルタでも二人同時に守るのは難しい」
「ああ?俺は別に―――いでっ!」
拳が落ちる。
「…この事務所の所長として所員のユリスに伝える。今は忙しい時期でこれ以上人手がなくなるのは避けたい。ユリスのその休暇願は受理できない」
「……」
「…分かったか?」
「……うん、分かった」
所長の所員への命令、それがいかに強制力が強いか分かっているらしい。ユリスはぼそりと答えると、ひどく落胆した様子でとぼとぼと歩いて行ってしまった。
「…少しかわいそうだったかな」
ユリスに聞こえないようにアーミルが呟く。
「…この時期ってそんなに忙しかったか?」
「そんな訳ないだろ、この上なく暇だ」
直後、ダルタの拳がアーミルに落ちた。
二人揃って頭を押さえながら笑いあったのはその直後のことだ。
ユリスがその姿を見つけた時、フィストもまた荷造りを進めていた。ダルタほど大きな鞄ではないが、しばらくここに戻らなくても問題なさそうな装備は整っている。ダルタと共に出発するという話はフィストも既に承知しているようだ。
本当に、しばらく会えなくなる。可能ならばそれは、ユリスは避けたかった。
無理だとどこかで分かっていても気持ちでは否定をしたい。しかしその願いは、アーミルに却下されている。つまり、すでに不可能と確定している。それはどこかで分かっているのだ。
複雑に悩んだまま立ち止まっていると、ユリスはフィストと目が合ってしまった。
慌てる。まだ彼女の考えは全くまとまっていない。
「…フィスト」
名前を呼ぶと、フィストは今一度しっかりとユリスと顔も向かい合わせた。ダルタのように浮かれたものではなく、何か決意を秘めたような表情をしている。
「ユリス、どうしたの?」
疑問符なのだが、聞いていない。ユリスが何を言いたいのか分かっていて確認を取っているようだ。
「フィスト、ダルタと行っちゃうんだね」
「…うん」
ユリスはフィストに何かを言おうとしていた。しかし、本人を前にした途端にそれらがすべて言葉として口に出せなくなってしまった。まるで本能的に、言ってはいけないと悟っているように。
自分も連れて行ってほしい。
そんなお願いが。
「…気をつけてね」
代わりに出た一言が、それ。ユリスが今の自身に出来ると思った、最良の行動だった。
「うん。ありがとう、ユリス」
フィストが笑顔を見せると、ユリスはわがままを言わなくて良かったと安心していた。自分がフィストの足を引っ張ってはいけない、そう考えて。
「おーい、フィスト」
ダルタが鞄を持って立ちあがっていた。そろそろ出発すると目で伝達する。
それを受け取ると、フィストも自分の鞄を掴んで立ち上がった。
「じゃあ、行ってくるね」
「…うん…」
フィストが背を向けて歩き出すと、ユリスはやはり自分が我慢しているのを実感していた。二人が離ればなれになるのは出会ってからこれが初めてだ。それで不安を感じるのも至極当然のことと言える。
「…フィスト、待って」
ユリスは思わず呼び止めていた。
「…フィストは…なんで一緒に行くの?」
「…なんでって?」
「フィストが行っちゃうのは、私はホントは嫌…一緒にいたい」
フィストは黙る。
何を言おうとしているのか、フィスト自身の表情も曇りがちだ。
「…ずっと一緒にいるって約束したのにね…ごめん」
「……」
「でも僕、強くなりたいんだ。強くなって、ユリスも、みんなも、大切な人を守れるようになりたいんだ」
「……」
「僕、弱い自分が嫌いなんだ。誰も守れないし、誰も救えないから。…僕、自分勝手だね」
「……そんなことないよ」
フィストが強い意志を持ってそれに臨もうとしていることを、ユリスは感じ取った。約束を破る結果になっていることもあまり気にならなくなっている。
「…これ、さ。預かっててもらえるかな」
フィストが胸ポケットから何かを取り出し、ユリスの掌に握らせた。
「…?」
「僕の代わり、なんて大したものじゃないけど」
そっと掌を開いて確認してみる。彼が家を出る時に持ち出していた、花の彫られたペンダントがそこにあった。
「……ううん、分かった。預かっとくね」
ユリスは首を振り、そのペンダントを服のポケットに納めた。それを確認すると、フィストは安心したように再び歩き出した。
「ダルタさん、フィストさん、いってらっしゃい」
「気をつけてねー」
「よろしく伝えといてくれ」
各々が送り出す言葉を重ねると、二人はそれぞれに返事をしながら扉に向かっていく。
「…僕、絶対強くなって帰ってくるよ」
扉の閉まる直前、フィストはそんなことを言った。
「……フィスト…」
二人の姿が見えなくなると、ユリスは言いようのない孤独感に苛まれた。
フィストの必要性。それは、一度離れなければユリスには気づくことのできないものだったようだ。