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目覚める竜  作者: 半導体
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2話 脱出

 彼女は、喜ばない。



 彼女は、怒らない。



 彼女は、哀しまない。



 彼女は、楽しまない。



 彼女は、感情がないのだから。



 だがそれは、いずれ過去の話になる。



 あくまでゆっくりと、しかし確実に。






 暗い廊下は相変わらず不気味なまでに静まり返っていた。

 その静寂の中に、足音が響く。

 一歩一歩、ゆっくりと。そして、水の跳ねる音を含んで。

 部屋を出た彼女の目に入ったのは、部屋よりも暗く寂しい廊下だった。今出てきた扉以外には何もなく、ただの廊下が、わずかな蛍光灯の光を映しながら遥か先まで続いている。

 だが、廊下に視線を沿わせていくと、黄色い集合体が見えた。廊下を塞ぐように阻んでいるそれは、よく見るとその材質はそれほど厄介な代物などではなく、通り抜けるのは容易そうだ。

 ゆっくりだが、近づいて行くたび、その確信は心に湧いて溢れた。

 だいぶ近くに寄ると、それが細長いテープの集合体で、かつ何かが書かれているのが分かったが、彼女にとってそれはどうでもいいことである。

 頭に残ったわずかなノイズに導かれるように右手で払う仕草をした。そしてそれに呼応するようにテープに亀裂が走り、めくれるように穴があいた。生まれて十年ほどの人間なら簡単に通れそうな、やや小さめの穴だ。

 まるで気にすることなくゆっくりと通り抜けるとようやく、さらに延びた廊下の果てに上から入る光を確認できた。

 何があるのかは知る由もないが、恐怖は無い。そもそも彼女は、それを知らない。

 いま彼女を動かしているのは、ノイズの中で聞いた「会うべき人」、その存在だった。

 掻き立つ好奇心と使命感。そして、彼女をのし上げる階段と照る光。



 道は幾多にも分かれ、何の目印もなかったが、進むべき道のイメージがはっきりと頭にあり、明るくなった廊下を相変わらずで歩いていた。

 光は歩けば歩くほど増していき、暗い中でしか生活してこなかった眼にはなかなか辛い。

 その明るさにも目が慣れると、ちょうど出口のような扉が見えた。

 誰にも遭遇しなかったのは幸いだった。歩幅が広がる。

「どこへ行く気だ?」

 低い声…それも聞き慣れた声。特にあのガラス管の中で聞いたのは、その声意外に記憶にない。

 振り返ると、やはり、研究服を着た「あの男」がいた。壁に寄りかかり、眼鏡を中指で掛けなおす癖もそのままに、しかし冷たい視線を彼女に向けていた。

「まさかお前にそんな感情が芽生えていたとはな…研究は失敗だったのか?」

 男は頭をかきむしっている。このまま出口に走り出しても、すぐに追いつかれてしまうのは目に見えている。

「お前も、あれか?自由が欲しいとか、そんな事を言い出すのか?」

 小馬鹿にするような笑いを見せつけてきた。彼女は理屈でない苛立ちを覚え、ぐっと拳を握った。

「ユリス、お前は外へ出てはいけないんだ。外でお前は幸せになれない」

「ユリス…?それ、私の…?」

 聞き慣れない単語を聞き返すと、男はハッとした表情の後、今度は声に出して笑い出した。

「…ああ、そうか、ハッハッハ…お前は自分の名前も知らなかったんだったな。教えてないんだから当たり前か。ハッハッハ…」

 苛立ちが増していく。ユリスの拳はわなわなと震えている。

「ほら、ユリス。自分の名前すら知らなかったお前が、何で外で生きていける?すぐに戻るんだ」

「…私、行くよ。戻らない」

「…」

 男は黙った。表情は険しくなり、今まで見せていた狂った優しさも消えた。

「私はお前を思って言っているんだ!」

「……」

「さあ、早くこっちに来るんだ」

 追い詰めるように、覆いかぶさるように。鬼気迫る男の顔など、ユリスは見たことがない。 顔を見ていられなくなり、下を見たまま眼の奥の熱を感じた。

 しかし、ユリスの決心は変わらない。

「ち、違う…」

 声も震え始めていた。

「なに?」

「私のためじゃない…自分のためでしょ!」

 それは、あきらかな怒り。声が奮い立ち、全身の力がそこに込められているかのようだった。

「…ほう」

 そこで男の様子にまた変化があった。

 激昂から冷蔑。

 先ほどと一転して冷ややかな表情になり、じっとユリスを見た。

「…そう、か。やり直しが利くかと思ったが、もう駄目だな。実験体にすらならない役立たずだよ、おまえは」

「そんなことっ…!」

「だが、おまえのことを外部に知られては困る。早々に処分しなくては」

「!」

 男は、すでにユリスの言葉を聞いていない。それはすでに会話ではなく、一方的な通達に成り下がっていた。

 男がユリスに近づく。

 何のためらいもなく、処分しようと迫ってくる。

「……いやだ……いやだ…!」

 先刻とは異なる震え。


 恐怖。ユリスは分からない。


「……来ないで!」

 一瞬ノイズが走るが、気にする前に右手を袈裟がけに振り下ろした。腕が空を切る。

 するとそれに従うように、両側の壁が何かに引っ張られるような形で崩れてきた。

 男とユリスの間に、越えるには暫くかかりそうな瓦礫の山が現れる。立ち上がった粉塵でユリスの視界から男が消えた。

「しまった!」

 最後にそれだけがユリスの耳に届いた。なにも考えずにすぐに出口へ走り出し、外へ飛び出した。

 細い裸足が大地を蹴る。頭に残るノイズを頼りに。




 平原に、風が吹いた。

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