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目覚める竜  作者: 半導体
29/62

25話 『その日』 二人きり

 部屋に入るなり、紅茶の香りがいつもより強く流れてきた。椅子に座っているユリスと、その横でティーポットを持って立っているリメール。どんな状況か、それだけでおおよその見当はついた。

 ポットを持ったままユリスに微笑みかけていたリメールがふと顔を上げ、フィストに気づいた。

「フィストさん、あなたもどうですか?」

 満面の笑みでポットをフィストに意識させてきた。ユリスも持っていたカップを置いて同じようにフィストを見ている。

「…いや…僕はいいや…」

 焦ったように目をそらし、そそくさと二人の死角へと逃げた。どうしてもユリスの笑顔が、フィストの心を潰してしまうように映る。フィストの体が無性に震えていた。声をかける勇気は、とてもではないが彼には持ちきれなかった。

「…フィスト」

 肩をたたかれた。アーミルだった。

「…うん」

 それで勇気を得たようで、フィストは逃げかけていた自分の足を止めて後ろに向き直った。

 フィストは今一度自分に言い聞かせていた。ユリスを守ると誓ったことを。

 それは敵からも、不安からも。


 その視線は、まだフィストを見ていた。精一杯のままもう一度その前に立つ。

「…はい、わかりました」

 何も言っていないが、リメールがなにか了承したようにそう笑った。

 注がれる紅茶。湯気が盛んに上っているが、それを口元に運ぶ心の余裕がない。理由も分からず心拍数が増える。

「…フィスト、外に行こうか」

 見かねたらしいユリスの方からそう持ちかけた。

「何か話したいみたいだし…」

「うん、まあ…」

 あいまいな返答しかできなかったが、話をするにはここよりは良い状況だろう。

 カップを置き、ユリスが立ち上がる。一度フィストに笑顔を見せ、それから扉をくぐって先に行ってしまった。一瞬見えたそれは、フィストの目にも泣いているように見えて仕方がなかった。

 どんな言葉をかけていいのか分からないまま、フィストも追って扉を開けた。

「…アーミルさん、あの二人に何か言いました?」

 ポットを置き、二人の様子を不審に思ったリメールが聞いた。答える前にアーミルはフィストに注がれていたはずのカップを手に取る。

「大したことは言ってないさ。あとはフィスト次第、かな」

「そうですか…」

 それを聞いてもリメールはさっぱり分かっていない様子だ。

「あとは俺らの入れる問題じゃない。辛いかもしれないけど、自分たちで越えないといけないんだよ」

 そう言って紅茶を一気に飲み干した。



 ついさっきまでアーミル、ティリアと一緒にいた屋上。扉を開くと、先刻よりも更にはっきりと星が自己主張をしている。タイルも手すりもシルエットでしか存在を確認できず、その暗夜には小さな光の屑と月しかないようだ。

 安全を確かめるようにゆっくり足を進めて手すりに寄っていくフィストに、ユリスも続く。

「月がきれいだね」

 手すりに寄りかかり、フィストはそう切り出した。

「うん。なんだかちょっと赤いけど」

 そっけない返答だった。話が続かず、次に何を言い出したらいいのか分からずにいる。言いたい事も、言うべき事も、たくさんあることはフィストも分かっているのだがそれらが口から出ない。

 フィストの視線はどうしても上に上がらない。月を見ているユリスの足元しか映らないでいる。

「あ…あのさ、ユリス」

 残っていた最後の勇気を使ってフィストが声をかけた。この話が途切れてしまうと、もうフィストには次の話を切り出す勇気が残っていない。

「大丈夫だよ。誰もユリスのことは悪く思ってない。気にすることないよ」

 唐突な切り出しだったが、すぐに用件を言わなければ言い出すタイミングがなくなる気がした。それだけでも、ユリスにはフィストが何を言おうとしているのかは伝わっているだろう。

「……」

 ユリスが黙りこんだ。月を見上げたままで表情は分からない。だが、少なくともこの話が終わってしまった訳ではなさそうだと判断したフィストは返答を待つことにした。


「私…」

 あまりに小さく、二人きりでなければ聞き逃しそうだった。

「私、やっぱり…人間じゃないのかな」

「……やっぱり…?」

 一瞬言葉を失った。

 今回のことで実験のことに気づいたのだろうか。気づいていなかったとしても、あんなことがあればそう言いたくなるのも仕方がない。だがユリスは以前からその違和感を感じ取っていたらしく、その悩みも今日に始まったような軽いものではないようだ。

「…ユリスがよく分からない実験をさせられていたのは知ってる。けど、だからって…」

「分かったようなこと言わないで!」

 言葉がフィストの体を勢いよく貫いた。突き放すような一言に、自分の持っていた気持ちが崩れるのを感じずにはいられなかった。

 フィストは、ユリスを守るなどと軽々しく考えていた自分がひどく虚しく思えた。暗くてよく見えないが、強がりの笑顔はもうそこには無い。

「…分かるわけないよ……自分が何なのか、分からないんだよ…?」

 ユリスはフィストのようにいつまでも声を荒げることはしなかった。だがその気持ちは先刻のフィストと変わらず、答えを見つけられずに彷徨っている。

「フィストは…人間だよ…そう分かってるんだから、いいよね…」

「…」

 フィストは何も言わずにいる。次の言葉を考えているわけではなく、ただユリスの本当の気持ちを聞いて反省しようとしているだけなのだが、結局自分を責めることしかできない。

 手すりにかかっていたユリスの影がそこから離れた。

 横を向いていたその体がフィストを向いたと思うと、次の瞬間にはフィストの胸に飛び込んできた。フィストの服をしっかりと掴み、そこに顔を埋めながら泣いているのが分かる。

「私…わたし……自分が怖い…」

 服を掴む手も、体に当たる顔も、震えていた。フィストの目には、いつにも増してユリスが小さく見えた。


 今フィストにすがりついているのは、一人の彷徨う少女。


 決して、竜などではなかった。


「…でも」

 考えることはなく、フィストの口からは自然と言葉が溢れてくる。

「ユリスは、何があってもユリスだよ」

 笑顔で言い切った。顔を埋めたままのユリスには見えていないのだろうが、おそらく伝わっただろう。案の定、すぐにユリスの顔がフィストを見上げて見つめていた。

 うるんだ瞳。赤い顔。それは何か気付かされたようにハッとしている様子だ。

「自分が何であったとしても、人間じゃ…なかったとしても、ユリスがユリスであることに変わりはないよ。僕たちは皆、それは分かってる」

 ユリスを優しく撫でる。髪に沿って、何度も、なだめるように。

「……」

「ユリス…」

「…そう、だよ、ね…」

 その一言の後、ユリスはようやくフィストから離れた。それにより、フィストは自分の鼓動がいつもの倍ほどにまで早くなっているのに気づいた。顔の火照りも実感する。

 それ以降の言葉は無く、完全に会話が途絶えた。

「…もう寒いし、中に入ろうか」

 フィストがそう言ったことで、二人は屋上を離れた。

 見ていたのは、月のみ。




「…で、これからどうすんだ?」

 けだるそうに、アーミルがフィストに聞いた。

「まあ、アーミルの思っている通りのことを」

 淡々と答えたフィストは、横になったまま目を開いている。他の四人はすでに眠ってしまったらしい。

「…フィスト、おまえはあいつらが憎いのか?」

 フィストの言葉が感情的になっているのに気づき、アーミルはやや不機嫌そうな顔をした。

 その質問に、フィストは答えなかった。無言の時間が流れていくが、それはすなわち肯定を示している。

「ユリスと何を話したんだ?」

 質問を変えた。再び黙り込んだが、無視したわけではなさそうだ。

「僕は…」

「ん?」

「僕、ユリスが可哀想で仕方ないんだ。僕より小さい女の子が、あの研究所でどんな目に遭っていたのか…ユリスは何も言わないけど、辛かったと思う」

「…」

 アーミルは返事をしない。フィストはユリスとの話で感じた事をすべて打ち明けるように続けて口を動かす。

「ユリスは、自分が怖いって言ったよ。励まそうと思ったんだけど、分かったようなこと言わないで、だって…そうだよね、一番辛いのは、ユリスなのに」

 まだアーミルは何も言わない。フィストが本当に言いたい事をまだ聞いていないからだ。

「僕、強くならなきゃね…ユリスを守る意味でも、奴らと決別するためにも」

「…つまり?」

「…奴らが許せない。償いをさせたい」

「焦るな」

 ぴしゃり、と一蹴した。フィストも少し唖然とした。

「別に焦ってるわけじゃ…いや、焦っていたかもしれない」

 フィストはアーミルの言いたい事をくみ取り、すぐに発言を撤回する。

「そうだな、まずは一呼吸置いた方がいい」

 それから時間が空いた。アーミルがフィストに落ち着くための時間をくれていた。


 再び切り出したのも、アーミルだった。

「俺は、今はそれを止めておこう。とりあえず、復讐は何も生まない。それだけは言っておく」

「でも、何もしないのも…」

「ああ、勿論。列車の怪鳥といい、そのコートといい、待っているだけじゃやられるのを待っているようなものだからな」

「…出来るだけ早く…時間はかけたくない」

「そう思うのも分かる。確かに、奴らは許されざる罪を犯した。お前が起こるのも当然。だがな、今発生しているその感情だけで行動するのはあまりに危険だと思わないか?敵を打つ必要があるのなら、勢いだけで突っ込むよりしっかりとした準備をしないといけない」

「…うん、確かに。今の僕だとまだダメな気がするよ」

 自分が今は『弱い』のだと再認識し、フィストは焦っていた自分を落ち着かせた。

「まずは、お前が納得のいくまで強くなって見せな。ダルタが明日から暫く、古い知り合いのところに行くんだ。で、その知り合いってのが銃なんかの扱いに長けているんだそうだ。俺から連れて行ってもらえるよう頼んでおくよ」

「…ホントに?」

 フィストが起き上がって喜びを表す。

「協力するって言ったろ。ダルタもそいつも断りはしないさ」

 フィストを苦笑しながら寝かせると、アーミルは声のトーンを一気に落とした。

「さ、今日はもう休もう。いろいろあって疲れたろ」

 何故だか可笑しくなり、二人して小さく笑った。心境はかなり落ち着いていた。言葉では言い表せない安堵感の中で、フィストはようやく目を閉じた。

「あ、フィスト。もう一つだけいいか?」

 アーミルだ。目を閉じたままその質問を待った。

「お前って、ユリスのことどう思ってるんだ?」

「どうって?」

 半ばあきれたようにフィストが尋ね返す。いきなり振られたその質問だが、フィストはあまり動揺していない。

「二人は兄妹じゃないって言ってたよな」

「…道端で助けた人を兄妹って呼ぶ?」

 眠ろうとした矢先の質問だったためか、フィストは若干不機嫌な様子だ。

「…兄妹じゃないんなら、お前にとってユリスはどんな存在なのか。それが気になっただけさ」

「…突拍子もない質問だね…確かに、妹みたいに思ってるよ。年の差もそんな感じだし、まあ、その…可愛いとも…思って…」

 言いにくそうにしているのを、アーミルは隠さずに笑った。

「…そうか。いや、いいんだ。確証はないし」

「え?」

「なんでもない。忘れてくれ」

(自分から言い出したんじゃないか…)

 文句も言おうとすれば出たが、それよりフィストはさっさと寝てしまいたかった。それ以上何かを言うことはせず、布に深く潜り込む。

「お休み、フィスト」

 その一言が、フィストが夢に沈むまで彼の耳に張り付いて響き続けた。

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