22話 『その日』 目覚め
とっさに身をひるがえす。それと同時に、フィストの左肩がえぐられた。鋭い痛みに一瞬顔をしかめ、肩を手で押さえてそのまま敵の姿を確認した。
中折れ帽をかぶったコートが、一丁の拳銃をこちらに向けて立っている。
本屋のものと全く同一と言っていいほど、それは変化のない姿で立ちふさがっていた。
血がたれた。体から溢れたそれは地面に流れ落ち、石畳の溝に吸い込まれていく。妙に静かな空気は、その存在をはっきりと押し出している。二十メートルほどの間も、二人まで届く硝煙の香りが短くしていた。
「…!」
「…離れてて」
悲鳴を押し殺したユリスに、フィストは離れるように促した。戸惑った様子を隠そうとしないユリスだったが、フィストから二、三歩離れてフィストとそれの様子を震えながら窺い始めた。
すでに拳銃を構えた相手と、まだ抜いてもいない自分。どちらが劣勢かは一目瞭然だが、フィストは勿論コートの方もそのまま動こうとしない。
静止。
時間が硬直する。
瞬時に懐に手を入れ、拳銃を掴んだ。だが、フィストに照準を合わせた銃口がそこから銃を抜き出すことを許さない。
はっきりとした銃声。それを横に飛び出してかわし、同時に懐から銃を抜き取って反撃を試みる。
飛び出しながらの発砲だったため、それはコートの右脇をかすめただけだった。
倒れかかったその瞬間は無防備だ。今、次の一撃が来るとかわすことは出来ない。ユリスが思わず手で視界を塞いだ。
フィストもその一撃が来ることを予想したのだが、いつまでもそれがこない。
コートはそこに出来た小さなかすり傷を必死に抑えている。構えられていた銃もガシャンと音を立てて下に落ちた。何をしているのか分からず、フィストは倒れたままの姿勢でその成り行きを窺っている。
暫くもがいたあと、その手が不意に傷口から離れた。そしてその傷から水蒸気のような空気が噴き出し、コートは中身を失ったように崩れ落ちた。
それは二人にとっても訳の分からない結果だった。
立ち上がったフィストがユリスを連れて駆け寄り、それの状態を確認した。そこにあるのは、脱ぎ捨てたように乱れて落ちているコートと中折れ帽だけだ。ユリスが袖をつまんで持ち上げたが、中身はやはり消え去っていた。
それは、本屋での一件と何ら変わりない結果だった。
「どこかに逃げたのかな?」
「でも、僕が撃った後に逃げた様子は無かったよ。あれは、なんて言うか…」
まるで、蒸発したみたいだった。あまりに非現実的で、言葉にはしなかった。フィストの頭の中だけで予想は次々と発展していく。
―――蒸発した、ということは奴らは人間じゃないのか?
人間じゃないとしたら、列車にいた怪鳥みたいな化け物の類?
もしそうなら、その正体が何となく見えてくる。
……まさか、もう敵の罠に…。
「……っ!」
通りを吹き抜ける冷たい風。フィストはその中に、強烈な殺気を感じた。すぐにでも自分たちを殺しかねないような恐ろしさがある。
ユリスは不思議そうな顔をしているが、フィストはすぐに身構えた。自分を取り囲むあらゆる物へ、方向へ、あるだけの神経を張り巡らせた。そして、まだこちらに殺気を放つ存在に気づいた。二人、三人…もっと多い。
「…フィスト、どうしたの?」
ユリスが問いかけるが答えず、フィストは動かない。いつ相手が動くのか、そこに全ての力を注いでいる。フィストから放たれる殺気で何か感じ取ったのか、ユリスも黙って警戒心をあらわにした。
振り返り一発を放つ。今度はしっかりと中心を貫通した。今度は傷口を抑える暇もなく、コートは着用者を失いその場に崩れた。
それを皮切りに、わだかまっていた殺気が一斉に形を成して姿を現した。何倍もの銃声が凝縮されてフィストに帰還する。
二人は身を低くし、脇の小さな路地に滑り込んでそれをかわした。
入ってようやく気づけた事なのだが、その路地はほんの十数メートルで行き止まりになっていた。その事実は逃げ道がなくなった事を意味するのだが、それは逆にそこの入り口だけを集中して守れるという事にもなる。
少し奥まで入るとユリスはそのまましっかりと地面に伏せ、その手前でフィストが銃を構える。通りから足音がいくつも近づいてくるのにつれて鼓動がはっきりと大きくなる。
二つのコートが見えた。すぐに標準を合わせて一つを貫通する。それはすぐに崩れたが、もう一方から銃弾が襲い掛かりフィストの頬を掠めていった。一瞬表情を歪ませ、すぐに撃ち返して貫通する。それが崩れて間もなく、更にコートが姿を見せた。頬から血を流して銃を構えなおすが、すでにコートが三、四体は出現していた。
一体を貫通したが、その途端に銃がはじかれた。はじけ飛んだ銃はユリスよりもさらに奥に滑っていく。そして何を言う間もなく、腹部を鉛の弾が貫通していった。
「ぅぐっ!」
痛みが小さな声になり、膝が地に着く。その声が耳に入り、伏せていたユリスがこの状況で初めて顔をあげた。
「フィスト…血が…!」
「……っ」
大丈夫。その一言は痛みにかき消された。フィストの腹部から流出した血が足を伝い、地面を這って広がる。それ以後のフィストの言葉は無く、ただ下を向いて呼吸を荒くしていた。
ユリスはすぐに起き上がり、フィストの体を支えた。奇しくもルフィーネの時と同じ姿勢で。
その向こう側に、今回は何体ものコートが銃を構えて並んでいた。その銃口はあまりに無慈悲で、その瞬間にもフィストにとどめを刺しかねない。
フィストと、記憶の中のルフィーネの姿が重なる。
また大切な人が目の前で死にかけている。なのに自分にはどうすることもできない。
ユリスの心は、強い悲しみとコートへの怒りで満たされていた。
「……う…」
涙の溢れ返る瞳でコートたちを睨みつける。コートたちは瀕死のフィストに標準を合わせたまま、だんだんと距離を詰めてくる。
一歩。腕が震え始めた。
一歩。何も考える余裕がなくなった。
一歩。目に映るものすべて、怨恨の対象に見えた。
いっぽ。体が熱くなる。
いっぽ。フィストをそっと下に寝かせる。
いっぽ。体中に力がこもった。
「うあああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
大きく叫んだあと、ユリスの姿が一瞬でそこから消えた。
現われたのは一番手前のコートのすぐ前、飛びかかった態勢で足をふりかぶっている。
その浮いた姿勢で回し蹴りを喰らわす。コートは瞬時に通りの向こうまで吹き飛んで向かいの壁に激突した。回し蹴りから一回転したユリスは、その空中での不安定な姿勢から何事もなかったように着地する。そしてしっかりと立ち上がり直すと、残りのコートたちを睨みつけた。
「………」
その視線、烈火の如く。
ユリスの体からは、今までは全く無かった闘いの威圧が暴風として溢れ出ていた。
「…ユリ、ス…?」
激痛で薄れゆく意識の中で、フィストはユリスを見た。
圧倒的な力を見せつけるその背中には、うっすらと巨大な翼が確認できた。
コートたちがユリスに向けて発砲を開始した。幾多もの銃弾が正確にユリスに向かっていったが、ユリスが右腕を突きだすと傘の形を描くように八方に飛び散った。
残像を残しユリスの姿が消える。現れたのは、コートの遥か上方、十メートルほどの所。
真下のコートを目で確認すると、その小さな拳を握り締めて振り下ろす。その途端にユリスは砲台から発射されたように急降下し、振り下ろされた拳がコートもろとも地面を叩き割った。石畳の破片がその余波で飛散する。大きく浮かび上がり、その力の強さが表わされていた。
流石に残りのコートたちは少しひるんだらしく、数歩あとずさった。だが、ゆっくりと立ち上がって拳を引いたユリスの放つ瘴気は、一人のコートも残さず捉えていた。その鋭い視線が全てのコートに等しく死を与えている。
「………」
ユリスの手が大きく払われると、まるで首が刎ねられたように帽子が一斉に飛んだ。いくつもの中折れ帽が、力なくひらひらと舞い降りていった。
激痛に耐えてフィストが立ち上がった時には、残っていたコートがすべて崩れ落ちていた。
その手前に、肩で息をするユリスを残して。
「っ…ユリス…」
人の心配をするべき状態ではないが、フィストはユリスの様子が気になっていた。背中を向けたまま振り返らず、その背中には力の具現であった翼がなくなっている。そこにいるのは、今までずっと一緒にいた弱々しい女の子の背中。
背中がゆっくりと倒れ込んだ。ユリスがうつ伏せに倒れていた。
フィストはすぐに近寄って助け起こそうとしたのだが、急にぼやけた視界のせいで歩くことすら困難になっていた。体が軸を失い、不安定にふらつく。
「ユリス!フィスト!大丈夫か!」
通りから一人、誰かが入ってきてそう叫んだ。それがアーミルの声だと分かると、安堵感を覚えてフィストの意識が遠のいていった。
読んでくださっている方、ありがとうございます。
読者数が伸び悩んでいるのはなぜでしょうか?
宣伝活動を全くしていないから?それとも…作品がつまらないから?
うう、精進します。