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目覚める竜  作者: 半導体
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21話 『その日』 茶葉

 隣の店は、視界に入るなり妙に光を放ってきた。それが品物である宝石、アクセサリーの類によるものだと分かるには暫くの時間を要した。集まっている人間も富裕層ばかりであるのは見ただけで分かる。

 まさかこれも、と思いフィストは気づかれないように横のユリスを見たが、彼女はそれらには何の興味も持っていないようで夢中になって桃を口に押し付けている。少しホッとしたフィストは、ユリスが桃を人にぶつけないように注意だけして足早に通り過ぎることにした。


「…ねえ、フィスト」

 歩きながらユリスがフィストの袖を引っ張ってくる。

「あのキラキラした石、みんな羨ましそうに見てるね」

 確かに通りを行く人は、多かれ少なかれそれらを見て切なそうな表情になっている。欲しくても手が出ない、という悔しそうな顔をそろってしていた。

「ユリスはああいうの好きじゃないの?」

 どこか他人事に聞こえたので、フィストは思わず尋ねた。

「…『きれい』ってよく分からないの」

「…そっか」

 安心したような悲しくなったような、複雑な気持ちを紛らわすかのようにフィストは足を速めて店の前を離れた。


 宝石類の端が見えると、一層茶葉の香りが増してきた。更に、コーヒーと思われる苦味のある香りも感じられるようになってきた。鼻でじっくり味わうと、疲労が抜け落ちてフィストに落ち着いた気分を与えた。意識せずに足取りが軽くなる。

 織物、だろうか。紺や藍といった色の布の生地が丁寧に巻かれて、束になってそこに並んでいる。樽に差し込み、もしくは台に積み重ねられ、良い物はその上に広げて色や模様を人々に見せつけている。

 ディスプレイと言うべきだろうか、店員は店の生地を使用したような丈の長い服を着ている。他ではあまり見ない装飾品も付けていて、異国からの売り込みと見受けられる。すぐ近くに貿易港があるので、それもあまり珍しいことではない。

 店員は通行人に呼び込みをしているが、子供は商売対象ではないようで、すぐ前を通り過ぎた二人に声をかけることはなかった。

「あ、そうだ」

 フィストが足を止めた。

「僕らってこれ以外服持ってないよね。ここで新しい服でも買おうか」

 あまり安い服は売っていない印象だが、いつまでも同じ服で過ごさせるのはフィストもあまり気が進んでいない。

 ユリスも女の子なのだ。服装にも気を遣ってあげなければならない。

「…服…」

 ユリスは少し俯き、自らの着ている服をまじまじと見つめた。

 ベージュのチュニックと、ブラウンのTシャツ。ずっと着ているため汚れが目立っているが、今のその服はユリスにだいぶ馴染んでいて、ユリスの服と言って疑う者はいないだろう。

「…ううん、いい」

 ユリスは首を横に振った。

「…でも、そんなぼろぼろの古着じゃ…」

「私、この服がいい」

 胸を張ってそう言うと、フィストは頬を赤らめて黙った。

「…ユリス…その服気に入ってくれたんだね」

「…」

 ユリスは何も言わない。恥ずかしそうにしているユリスと嬉しそうに目を合わせると、フィストは笑顔で歩きだした。


 まず目に飛び込んできたのは、小さめの樽一杯に詰まったコーヒー豆たちだった。

 産地ごとに別商品として扱われていて値段も全く違う。それを真剣に見つめる客は、どれも少し歳を重ねたような男ばかりだ。一部は煙草を吸い、もしくは髭をたくわえ、威圧感を持ってそこに立っている。二人とも煙草の匂いは苦手だったので近寄ることを躊躇っていたのだが、この店に茶葉が売っているのは確かなので避けることはできないようだ。わざとらしく咳きこみながらその人たちの間をぬけて店の奥へ入った。

 お茶とコーヒーの混ざった匂い。入り口は狭いこの店も、奥には小休止が可能な椅子とテーブルのセットがいくつか並んでいる。ここの商品をすぐ飲めるようにしているようで、何人かそこでかぐわしい香りとともに穏やかな時を過ごしている。

 その手前に見えるカウンターではコーヒー豆の焙煎を行っているらしく、どこよりも強く苦い香りがそこから流れてきていた。それが商売戦術なのだろう、この香りは通りのかなり遠くまで届いて人を掻き寄せている。

 探している紅茶葉がどの銘柄なのか、二人は聞かされていない。アーミルは「俺の使いで来たと言えば伝わる」とだけ言った。よほど顔が知れているのか、とにかくそのカウンターでそう言わなければ探しようもない。

 今カウンターには若そうなタキシードの男が一人。本当に伝わるのかという不安があったが、まずは聞いてみなければ始まらない。

「あの」

 おそるおそる声をかけた。男は今まさに豆を煎っている最中で、まだ色が変わっていない豆を何度も転がしながらその色を変えていっている。それでもフィスト達に気づくと、接客用の明るい笑顔をすぐに作った。

「いらっしゃいませ。何かお探しですか?」

 店番の決まり文句のようなセリフが第一声だった。

「あ、えっと、僕ら、アーミルの使いの者です」

 とりあえずは言った。あとは、伝わるかどうか。

 一瞬訳の分からないような顔をされたので、フィストの心臓は破裂しそうなほどにまでなった。だが男は数秒考え込んだのち、

「ああ、そうですか。分かりました、少々お待ちください」

 そう言ってカウンターの奥の棚に並ぶ袋を見比べ始めた。安心して溜息が洩れた。

 それほど待たないうちに、男が一つの袋を持ってきた。生まれたばかりの赤ちゃんくらいの大きさで、表には商品名と産出国、そして内容量が記されていた。フィストの知らない言語で、内容量以外はまるで分からないことばかりだった。

「こちらですね。銀貨三枚になります」

「…銀貨三枚、ですか…?」

 男はにこやかに言ったが、フィストは全く笑えていない。

 銀貨三枚とは、それこそフィストが完全に埋まってしまうほどの量の桃が買える金額だ。それを、この僅かな茶葉一つで使い果たしてしまう。渡された金できちんと買うことは出来るのだが、やはりフィストはすぐに信じることはできなかった。

 銀貨を渡すと、男はフィストにしっかりとその袋を渡した。見た目以上に重く感じたのは言うまでもない。

 あとは、ミルク。通りの人の数もどんどん増えてきているので、早いうちに済ませたほうがいいのは二人ともよく分かっている。

「あの、ミルクはどこで売っているか分かりますか?」

 果物屋の時のように、豆の焙煎に戻ろうとした男にフィストが尋ねた。

「ミルクですか?ここの向かいの店で売っていますよ。山羊がたくさんいるのですぐ分かると思うのですが」

 外から絶え間なく聞こえる山羊の鳴き声に気づいたのは、そう言われてからだった。






「…ふう、買えてよかった」

 帰り道で、ユリスが感嘆に近い呟きを発した。

「ま、初仕事としては上出来だよね」

 フィストはちゃんと相槌を打とうとしたのだが、少し棒読みになっていた。

「でも、私…知らないものがたくさんあったな」

「そう」

 それはフィストもうすうす感づいていた。

 店に陳列している商品。ユリスはその殆どを名前で呼ばなかった。名前を知らず、呼ぶことができなかったと考えるのが妥当な線だ。

 事実、ユリスはなにか興味を引かれるものがあるたびにフィストにその名を尋ねていた。

「今度来るときは、もっといろいろ教えて」

「うん」

 フィストには、そう返すしか出来なかった。


 横に並んで歩くユリスの顔をちらりと見た。複雑な感情が交錯する。

 彼女は『翼竜』になるはずだった人間だ。なぜ研究所から出てきたのかは知らないが、今まで希薄だった感情、偏った知識、それらはそれが原因だと思われる。今こそ一般人の感情にかなり近づいてきてはいるが、感情に限らずまだ欠けている部分も多い。

 彼女はまだ『翼竜』になる条件を満たしているかもしれない。彼女が狙われている理由もそこにあるのだろうとフィストは考えていた。

「どうかした?」

 ユリスがフィストの顔を覗き込んで不思議そうな顔をしていた。

「え?あ、いや別に…」

 自分がどんな研究に関わっていたか知っているとは思っていないのだが、フィストは焦って目をそらした。

 まだ彼女にこのことは話してはいけないと、フィストは心に決めていた。はっきりした確証はないが、何も知らないまま幸せになってほしいと自身が望んでいるのは自覚していた。


「ねえ、フィスト」

 ユリスから話しかけてきていた。前方の石畳の方を見たまま、恥ずかしそうに笑っている。

「なに?」

「あのね……ありがとう」

「……」

 フィストの人生の中でも、その言葉は幾度となく言ってもらっていたし、言ってきていた。だがその『ありがとう』は、そのどれよりも重い意味をもった『ありがとう』だった。

 まずはどう返していいのか分からなくなり、黙る。ユリスは今の一言にかなり勇気を使ったらしく、恥ずかしそうにしたまま何も言わない。何か反応した方がいいとフィストは思ったが、辺りに人がいないか気になっていた。見まわしたが人影は無い。

「…急にどうしたの?」

 とりあえず出た一言。フィストは、何故感謝されているのか分からないでいる自分に気づいた。それに気づくのさえ多大な時間を要するほど、彼の頭は真っ白になっていた。

「……なんだか…言っておきたくて。いろいろお世話にもなったし」

 そう言ったユリスの横顔は、照れくさそうに微笑んでいた。

「これからも、ずっと一緒にいてね」

「…うん、勿論」

 ユリスの顔を見ていられなくなったフィストは、視線を前に戻した。くらくらするほど顔が火照り、赤くなっているのを自身でも分かっている。そして、それとは対照的な冷たく暗い石畳がずっと奥まで続いていた。

 お互いにそれ以上の会話をする余力は無く、何も言葉を交わすことなくその道をたどっていく。殆ど回転しなくなったフィストの頭でも、その道はずっと長く感じた。

(どこにもいかないで…ずっと一緒に、かぁ…)

 朝のことも同時に思い出し、フィストは喜びか憂いか分からない溜息をついた。








 いやに静かだった。



 その銃声も、よく聞こえた。

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