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目覚める竜  作者: 半導体
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20話 『その日』 桃

 太陽がかなり高い位置まで昇っている。目的地に着くまでの人の数もかなり多い。本屋でのこともあったのでフィストは常にあたりに気を配っていたが、明らかな殺気は感じられなかった。もう大丈夫だろうということにして、ダルタはフィスト達とは逆の方向へと歩いて行ってしまった。

 人の数が頂点に達したと思えるほどになると、ほどなくして露店の商店街が見えてきた。簡素な白い布を骨組みの上にかぶせて屋根にしただけの簡素な店ばかりだったが、並んでいる品物はどれもなかなかのもののようだ。探索も兼ねて、フィストはのんびり歩きながら目当ての物を探すことにした。




「フィスト、何かいっぱい並んでる」

 ユリスが斜め前方を指さした。

 鮮魚が並んでいた。葉っぱの上に何尾かまとめて並んでいるが、発泡スチロールの箱に大きな魚―――特に旬のマグロやブリがその大半を占めている―――も多く顔を並べている。小魚が量り売りされている様子も見受けられ、杓のようなもので小魚の海を掻き回して袋に詰めている女性の姿が見えた。やや生臭い匂いがするが、それが逆に魚の誘惑を引き立たせている。

「フィスト…ここ何?」

 ユリスがフィストの後ろから魚を見つめている。

「魚屋だよ。ユリスは魚知らない?」

「あんまり」

 返答は早く、何の迷いもない。本当に知らないんだと心の内で驚きながら、フィストは魚についての説明をある程度施した。

 基本事項しか教えなかったのだが、ユリスはそれで納得したようで、うんうんと頷いてから再び歩き出した。

 漁夫らしい店主の威勢のいい声が響いていたが、通り過ぎるとそれが次第に後方に流れていく。


 反対側に目を移した。

「…あそこは肉屋かな」

 肉の塊がじっくりと焼かれている。その香ばしい香りが辺りに漂う。生の肉から加工肉まで、種類ごとに分けられて山積みにされて並んでいる。牛、鶏、豚、山羊、羊、馬…見た目では判断がつかないが、札を見る限りでもこれだけの種類が揃えてあるようだ。フィストはあまり肉が好きではないので、焼いている香ばしさにもあまり誘われずに通り抜けていく。


「…うわっ」

 横を山羊が通り抜けた。首につけられた首輪の鈴がカラコロと鳴る。おそらく食肉用ではなく、酪農用だろう。あとからミルク用の缶を二つ抱えた少年が慌てて追っていった。

 後を追えばミルクを売っている店にはすぐつけるだろう。だがフィストは、それほど焦ってミルクを買いに走る必要はないと判断した。もしミルクを最初に買って茶葉がなかなか見つからなかった場合、ミルクが悪くなってしまう恐れがある。

 それに、フィストも自身の所持金はあるのだ。興味をそそるものがあるかもしれないと考えると、フィストはすぐに買い物を済ませることが勿体なく思えてしまった。


 次に目に飛び込んできたのは、樽に積まれたリンゴ。果物の専門らしく、その横にはリンゴの赤ばかりではなく、黄色、青、ピンク、黄緑、そんな色がそれぞれ樽に詰め込まれて道行く人を誘っている。

 そこに集まる人には子供も多い。少ない小遣いでも果物は買うことができるし、何よりおいしい。

 確かに魅力的ではあったが、この人だかりの中に割り込んでまで何かを買う気力はフィストには無く、早々に先に行くことにした、のだが。

 ユリスの足が止まっている。はぐれないようにずっと手をつないでいたのだが、その握っている手が急に止まった。振り返ると、積まれている果物をその瞳でじっと見つめていた。

「…ユリス?」

「…うん」

 口では一応の反応をしたが、その視線は陳列する商品の方に向けられたまま動かない。

「どうかした?」

「…いい匂い…」

「…」

 フィストはこの反応に覚えがあった。

 自分がもっと幼いころ、母と買い物に行った時。

 欲しいものがあった時に、その前で足を止める自分。

 苦笑いをしてこちらを見る母。

 それは、全くと言っていいほど同じ反応だった。

 ユリスの視線の先を目で追ってみる。リンゴ、オレンジの先の小さめの樽。そこにその匂いのもとが積まれているようだ。

「…あ」

 思わず声が出てしまった。


 それは、桃だった。

 桃はフィストの大好物だった。長い間食べていなかったのだが、久しぶりにその姿を見た途端フィストの脳裏に透き通った甘味がよぎる。

 本来、この季節には桃はあまり出回らない。だが、この周辺の国境付近では特殊な温室を利用して季節外の作物を作っている。そのため、この街では常にあらゆる季節の作物が手に入るようになっていた。フィストもそのことは知っていたのだが、桃が並んでいることは予期せぬことだったらしい。

「…」

 ユリスは未だにそれを見つめている。食べたい、という感情が全身から染み出している。声が出たことには気づかれなかったらしい、フィストは鼻で溜息をついた。

「ユリス、あれが好きなの?」

「…私、食べたことない。けど、すごくいい匂いがする…」

 返答に気がこもっていない。心ここにあらずといった様子だ。

「…いい匂い…」

 繰り返し発せられる匂いの感想。言いたいことがあるが悪い気がして言えない、そんな心境まで手に取るようにフィストに伝わってくる。待っていても自分からは絶対に言わないのは目に見えているので、フィストから言ってやらなければならない。

「それが欲しいの?」

「…うん」

 恥ずかしいのか、ずいぶん小声だった。それでも欲しいという思いは半端ではないようだ。こうなると、買ってやらなければいつまでもそれを惜しんでしつこく言ってくる。

 食べ物の恨みは何よりも恐ろしい…つまりはそういうことだ。

 フィストは自分の所持金を確認した。

 銀貨が六枚、銅貨が十二枚。桃を二つならば銅貨だけでもおつりがくる。無駄遣いは控えるべきだとフィストも分かっているのだが、ユリスに買ってやらなければ後が恐ろしいし、フィスト自身も食べたくなっていた。

 気がつくと、二つの桃を手にとって店主へと渡していた。

「…フィストはこれが好きなの?」

 二つの桃を買う様子を見てか、ユリスが尋ねてきた。

「…うん、大好きでね。傷みやすいから保存もできないし、最近は食べてなかったから無性に欲しくなっちゃってさ。はい、どうぞ」

「あ…ありがとう」

 フィストから桃を受け取ると、ユリスは恥ずかしそうに、しかし嬉しそうに笑った。

 ユリスと自分は何だか似ているな。そんな思いがフィストの中に湧いていた。

「お嬢ちゃん、ここで食べるのかい?」

 店主が話しかけてきたことにユリスは一瞬驚いたようだが、よほどすぐに食べたいのか素直に頷いた。心得たように店主はその桃を受け取り、慣れた手さばきで桃の皮を剥いて行く。

「フィスト、これなんていうの?」

 ユリスが今まさに向かれている桃を指さす。

「桃って言うんだよ。この香りは確かにいい匂いだよね」

「モモ…」

 ユリスがうっとりとそれを見つめていると、気を利かせた店主が剥き終わった桃を布でくるんで食べやすくして渡してくれた。皮が無くなったことで遠慮がちだった桃の香りが一気に周囲に広がり、歩行者の何人かが誘われるように振り返った。フィストはその視線が気になったので自分の桃は剥かないでもらったのだが、ユリスはそんなことお構いなしと言ったように早速それにかぶりつく。いくらか時間をおき、フィストに満面の笑みを見せた。

「…おいしい?」

 返答がどうかは聞かなくとも分かった。だが、その無邪気な様子を見ているとフィストはどうしても聞きたくなったのだ。

「…うん。私、これ好きかも」

 案の定、喜びに満ちた顔がフィストに向けられた。

 そのままフィストはしばらく、ユリスが桃を食べるのを嬉しそうに見つめていた。


「…フィスト」

 笑ったままだが、ユリスが少し真面目に戻った顔でフィストを見ている。

「どうかした?」

「えっと…ちょっと待って」

 何かを言いたいらしいのだが、桃を食べる手を休める気もないらしい。ちょっと待ってと言うまでに桃は半分ほどまで減ってしまっている。

「…ふう、ごめんフィスト。えーっと、気がついた?」

「え?」

 フィストの目には、ユリスは桃に夢中でそれ以外見えていないように映っていた。いったい何に気づいたと言うのか、フィストにはさっぱりわからない。フィストも常にあたりに意識を張り巡らせているが、特に気になることはない。

「何だろう?僕は気づいてないよ」

 その一言に、ユリスは意外そうな顔をした。フィストなら当然気づいているとでも思っていたのだろうか。

「近くからお茶の葉の匂いがするの」

「…あっ」

 指摘されたことで、フィストもようやく気づいた。

 ずっと桃の香りがフィストも鼻を占めていたが、嗅覚に意識を集めると、確かにどこからかお茶らしい香りが漂ってきた。だがそれもほんのわずかで、かなり集中しないと果物に隠されてしまってその存在が希薄になってしまう。

 ユリスは明らかに殆どの意識を桃にやっていたのだが、それでもその匂いに気づくことができたのにはフィストもただ驚くだけだった。

「…ユリスって、鼻がいいんだね。桃の匂いで全然分からなかった」

「そうかな?…うん、ありがとう」

 すると、話の一部始終を聞いていたのか、先ほどの店主がこちらに寄ってきた。

「茶葉を探しているのかい」

「あ、はい。どこか分かりますか?」

「ああ。この通りを真っ直ぐ行った三つ目の露店で買えるはずだ」

 一つ一つの店が思いのほか広く長い。三つ先と言ってもそれなりの距離がある。

 茶葉の香りは一般的に強めで、三つ先の露店まで届くのは変なことではない。ただ、桃を目の前で食べているのに嗅ぎつけることは普通の人間にはまず無理だ。ユリスの鼻にはかなわないなとぼやきながら、フィストは店主にお礼を言って歩き出した。

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