19話 『その日』 初見の男
フィストが振り返って見たのは、銀色のポニーテールとブラウンのトレンチコート。そのポニーテールが赤い瞳を持っているのは二人にとっても既知の事実だった。
フィストと同じように気持ちが落ち着いたらしく、何とか体重を足に戻したユリスが二人の方へ歩いてくる。
「…リメール…」
その姿をはっきりと確認し、ユリスが感嘆の声を上げた。
「リメール、なんでここに?…いや、まずはお礼を言うべきかな。ありがとう」
フィストが頭を下げると、リメールは恥ずかしそうに視線をそらした。
「いえ、そんな…お礼ならこちらの方に言ってください」
自身の姿を隠すように、リメールはその男の横に下がった。代わりにその男が一歩前に出る。ユリスはそれに驚いたのか、怯えたようにフィストの後ろに隠れてしまった。
巨大な体。アーミルよりも頭一つは抜けているだろう。体つきは決してごつくは無いのだが、かといって細いわけでもない。フィストが見上げると、男は不敵に微笑んだ。
「…えっと、この人は…?」
「お?自己紹介がまだだったな」
リメールに聞いたのだが、男の方が反応してきた。見た目に合わない軽い雰囲気の声だ。
「俺はダルタ。リメールの働いてるトコと親しくさせてもらってる商人だ」
「…はあ…」
見た目とのギャップにフィストははっきりとした返事ができなかったが、そんなフィストの頭を男―――ダルタは豪快に笑いながらかき回した。
「ははは、見た目通りの性格してんなー、おまえ」
掻きまわす力はやはり強く、フィストは逆らうこともできなかった。ただ、その手はずいぶんと優しさが込められていた。やはり悪人ではないようだ。
「ダルタさん、こちらの二人が先ほど話したフィストさんとユリスさんですよ」
リメールが嬉しそうに三人の間に入った。フィストとユリスをダルタに見せるようにして名前を教えている。
「ほー、この二人が?まさかこんなにすぐ会えるとはなぁ」
ダルタが驚いたように頷く。どうやらリメールがここに来る前に二人のことを話していたらしい。
「とにかく、ありがとう。ちょっと危なかったかもしれない」
フィストが胸をなでおろすと、リメールは嬉しそうに笑った。だがユリスは二人の方を向かず、吹き飛んだコートで破壊されたカウンターの方をフィストの後ろから不安そうに見つめている。
「…死んだかな?」
カウンターからは煙が上がっている。一点を中心に放射状に亀裂が広がり、その中心になにかが強烈な勢いで飛び込んだのが分かる。それが人間だとしたらまず生きてはいないだろう。
人間だとしたら。
「…そうか、まだ敵の生死を確認したわけじゃねえしな」
ダルタがつぶやくと、大股でカウンターに近づいていった。カウンターだった瓦礫をまたいで、その奥を覗き込んでいる。
「危なくない?」
思わずフィストが声をかける。
「大丈夫、大丈夫…あ?」
ダルタが声をあげる。ユリスがびくついた。
「おいフィスト、ちょっと来な」
「僕?」
フィストは自分が呼ばれたことに気づき、しぶしぶダルタの後を追った。ユリスをリメールに渡し、ダルタよりも慎重に、いつでも逃げられる姿勢で近づく。
自身の思う限界まで来ると、瓦礫の中のそれが目に入った。コートと、中折れ帽。できるだけ距離を保って帽子のつばをつまむ。少しずつ、覗くようにあげ、中を覗いた。
帽子の下には、何もなかった。
驚いてコートの中も確認したが同様になにもない。
確かに二人との会話で暫くの間は空いた。その間に逃げることも可能だったかもしれない。だとしても、帽子とコートをそこに置いていく理由がない。
「…どういうことだろう」
「…おい」
「?」
落ち着いた声だった。全員が驚いて振り返ると、店主である老人が一冊の本を持って本棚の影から現れていた。それによりフィストは自分が本を買いに来ていた事を思い出し、はっとして辺りを見回した。
正確に並んでいた本棚たち。だがその一部、特に出入り口からカウンターにかけての直線上の物が大破し、その棚の本のページが無残な姿となって足元に飛散していた。
絶句、などと言う言葉では済まされない。ユリスだけは「ひどい壊れ様」としか受け取っていないようだが、事の重大さの分かっている三人は顔を真っ青にして沈黙の中に沈んでいる。
「…あの、えっと…」
フィストがなんとか言葉を紡ごうとする。
「代金」
「え?」
「本の代金だ。銅貨七枚」
老人の差し出した腕には、妙に古ぼけた分厚く赤い本が一冊握られていた。凍りついた頭がようやくその意味を飲み込んだフィストは、慌てて渡されていたお金を引っ張り出した。
髭の長い大昔の国王の横顔を携えた銅貨が十数枚。それから七枚をつまみだし、そっと渡した。
「ほれ、これがその本だ。用が済んだのなら早く帰れ」
簡素な売買が済むと、もう老人は二人に興味がないかのようにカウンターの方へ戻っていく。カウンターはほぼ原型を留めていないが、そこに落ちている本を一冊拾いあげてそれについている埃をはたいた。周りの様子が見えていないはずがないのだが、それに関してはまるで何も言ってこない。
「…でも、片付けぐらいは…」
「静かにしてくれ。本を読んでいるんだ」
老人の言葉は短いが威圧感があり、フィストの背中を思い切り強く押した。誰もそれ以上何も言うこともなく、追い出されるように店を出ることとなった。
「…なんだったんだ、あの爺さんは」
「さあ…」
リメールとダルタが店を出るなり首をかしげた。それとは無関係に、フィストは扉の前から辺りを見回す。
「……」
まるで置き去りにされたような感覚。ほんの数十分の間に外の様子がずいぶん様変わりして見えた。一瞬どうしていいか分からなくなったフィストは、ただ唖然として空を仰いだ。
「そういえばリメール」
空気の色の悪さを変えようとフィストが振り返った。
「なんでしょう?」
「あのコートだけど、一瞬であんなに吹き飛ばすなんてどうやったのか気になってね」
「あ…それは」
リメールが何か言おうとしたのを、ダルタが止めた。
「それは、俺がこいつを貸してやったんだよ。で、ドーンとね」
「…って」
フィストは何を言っていいか分からなくなった。どこから突っ込むべきか、と言ったほうが正しいだろうか。
ロケットランチャー。
大げさな表現ではない。事実、そこにあるのはそのものなのだから。
フィストも実物を見るのは初めてだった。せいぜい軍機の類の読み物に載っている写真くらいだ。少し小さいので威力はそれなりに減っていそうだが、本物に間違いない。
強大な破壊力を誇る、一発限りの兵器。
「……これって…」
「ん?ロケラン。ま、たまたま持ってたからな、使ってみた」
「みた、って…」
「あうう、フィストさん」
呆けるフィストに、リメールが慌てて補足説明をした。
「すみません。ダルタさんはアーミルさんと古いお友達なんですが…武器とかがすごく好きで、いろんな種類のものを持っているんですよ」
「…そう…」
やすやすと肯定出来ない話だった。
多少武器が好きで集めている程度ならまだしも、こんな物騒なものを平気で持ち歩くのは流石に常人の出来る業ではない。目の前にいるこの男が、フィストの目にはどうにも危なっかしく見えて仕方がなかった。
「どうした?何か問題でも?」
「ありすぎるよ」
これで無いと言う方がおかしい。まずフィストはそれ自体の攻撃範囲の広さから攻めた。
「ほう?」
「なによりも、これつかったら僕らまで巻き込まれてたかもしれないじゃ…」
「えぇぇぇ!そ、そんな!」
その一言にリメールが過剰反応した。ユリスが再び反応してびくつく。
「…リメール?」
「す、す、すみません!私、こういうものの扱いには慣れてなくて…あの、ごめんなさい!」
「…いや、慣れとかそういう問題じゃないと思うんだが…」
「すみません!本当にすみません!私の力不足でした!」
ダルタが冷静に突っ込むがリメールの耳にはまるで入っていない。二人に対してひたすらに頭を下げている。下げたまま決してあげようとしない。石畳に滴る雫も確認できた。
必死に頭を下げて本気で許しを乞うリメールへの対応はフィストもだいぶ困ったようだが、とりあえず落ち着かせて涙を拭いた。
「まあ、大丈夫だったんだからさ。リメールももう気にしないで」
それ以上の言葉が出てこない語彙の無さがフィストにとっては何とも情けなかったが、リメールはとりあえず謝るのをやめた。
「……」
黙っているリメールにユリスが近づく。明らかにしょげているリメールの顔を見ると、ユリスは何も言わずにその頭を撫でた。
年の差からすれば奇妙な光景だが、それはまるで姉妹のようで見ていて安心感があった。
「…ユリスさん?」
「こうしてると…落ち着くよ」
暫くユリスが撫でていると、リメールに元の笑顔が戻り始めた。それを確認してから、ユリスはようやく撫でるのをやめた。
「…すみません、もう大丈夫です」
「よかった。じゃあ僕らはもう問題無いから、リメールは先に戻ってて」
「はい、でも…何があったんですか?急に襲われるなんて」
「…うーんと」
リメールがもっともな疑問を口にする。フィストには明らかな『心当たり』があって正直に答えようか困ったのだが、その前にダルタが口をはさんできた。
「まあまあ、倒したんだからいいじゃねえか。他の奴がいた形跡もないし、もう心配する必要もないだろ」
楽天的なそれはあまり良いようには聞こえなかったが、リメールはそれで納得したようでそれ以上の追及をしてくることは無かった。
「ダルタさんは、すぐにうちに来るんですか?」
リメールが尋ねる。
「いや、市場で少し買い物してから行かせてもらうよ」
「じゃあフィストさんたちと同じところに行くんですね。だったら、途中までで良いのでお二人をお願いできますか?」
リメールが聞くと、ダルタは気前の良さそうな笑顔で承諾した。それで安心したのか、リメールは「本当にすみませんでした」ともう一度お辞儀をしてから事務所へと帰っていった。
「…さて、お二人さん。そろそろ行こうか」
リメールの姿が見えなくなると、ダルタが再び大きな声で笑った。ユリスはまだ怯えているようで、フィストの後ろから顔を覗かせてそんなダルタの様子をうかがっていた。