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目覚める竜  作者: 半導体
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16話 決意表明

 背の低いテーブルの上には絶え間なく湯気を発生させているティーカップが置かれていた。茶色に近い半透明の飲み物が申し訳なさそうに注がれている。

 椅子にアーミルが座り、それと同じ柄のカップを手に取っている。その落ち着いた様子からは先刻の話し合いを殆ど感じさせない。その横ではアーミルと同じ顔をしているリメールが、ティーポットを手にしてフィストと視線を合わせてきた。入ってきたフィストに屈託のない笑顔を見せ、それから「外は寒かったでしょう。紅茶を淹れましたから飲みませんか?」と勧めてくれた。体の芯まで凍りきっていたフィストには有難い熱源と言える。その熱が心を解凍してくれることは無いと思われるが。

「じゃあ、いただこうかな」

 リメールに笑顔で返事をしてから、一息つく意味でフィストは傍の椅子を引こうとした。が、思いのほかその椅子は重くフィストが引いても動かない。

 見ると、背もたれの裏に隠れるようにユリスがいた。今だに夢の中にいるようだ。

「だいぶ疲れてるみたいだし、そのまま寝かせといてあげなよ」

 机で何かしていたティリアがやってきた。そう言った後、リメールに紅茶を催促した。

「そう、だね…起こしたらかわいそうだからね…」

 やや困惑しながらも答えると、その寝顔を見つめた。

 物静かで、まだ幼い。ゆったりとしたリズムで小さな寝息を立てているのが聞こえる。

 何の変化もないが、フィストはユリスを見続けた。

 この小さな体のどこにそんな大それた不幸を背負っているのだろう。聞いた当初はユリスに対して恐怖こそ覚えたが、この寝顔に対しては何の恐ろしさもなかった。

 彼の中でぐらついていた自信が、今再びしっかりと立ち上がる。

「…どうした?何か言いたそうな顔だな」

 アーミルだった。茶化しているような笑みをこぼしている。一瞬はどきりとしたのだが、強い意志が彼の中に生まれていた。

 気持ちが表れているかのように、フィストの口は堂々と言葉を紡いだ。

「僕…決めたよ。相手がどんな奴らだろうと、ユリスを守る。守ってみせる」

 アーミルが何を考えているかは表情からは汲み取れない。だが少し間をおき、その決意に対してしっかりと頷いた。

 たとえユリスがどんな宿命を背負っていたとしても、どんな存在だったとしても、自分はユリスを見捨てない。

 フィストの瞳、そして心。そこには特別な色の輝きがあった。

 ―――強くなりたい。




 純白の世界はどこまでも続いていて果ては見えない。不思議な霧の中に、ユリスは立っていた。ただその霧は、心の氷すら溶かしそうな温かみがあった。

 音は一つも耳に届かない。自分が一歩足を踏み出しても、その踏み出した音、自分の息使い、そんな音も響かない。声も出そうとしてみたが同様の結果だった。それに対する不安は全く無いのだが、何もないそこでは誰かを欲してしまう。

 誰かいないものかと、ユリスは辺りを見回した。

 一面にミルクをこぼしたような白。空間と思えないほど透明感のない視界の曇りにより、自分の存在以外は何一つ確認を取ることが出来ない。音もなく、視界も封じられ、死の世界と混同してもおかしくは無い空間だ。

 ユリスはその空間に見覚えがあった。どこで見たのかユリスは思い出せない。

 遠くから小さな声が聞こえた。無音の世界に、それは確実にエコーして聞こえる。だんだん大きくなっていき、次第に耳を澄ます必要も無くなってきた。それにつれ、その声の正体がだんだんと伝わってくる。それは会話のようなはっきりとした言葉ではなく、もっと感情的な単なる『音』に等しい声だ。

 後ろだった。

(赤ちゃんの泣き声…?)

 それがそうだとはっきり分かったところでユリスは人の気配を感じた。泣き声と同じ方向だ。すぐに振り向こうとしたが、その動きが止まった。

 人がいるのならすぐに会いに行きたかったのだが、あっさりとその人を目で見るのがもったいないような気もしていた。

 ゆっくりと振り返る。

 女性が立っていた。発音源である赤ちゃんを一人抱いている。

 ユリスはその顔にも見覚えがあった。いつどこで見たのか覚えていないのだが、それはひどく懐かしく感じられた。

「……?」

 声が出ないことも忘れ、その女性を呼ぼうとする。勿論音にはならず、二人の間につながっている者は目で確認できるその存在だけだ。しかし、女性には何かが伝わったようで優しそうな笑顔をユリスに与えた。

 そして、霧の中に消えた。





「…?」

 椅子に座って休んでいたフィストが目を覚ますと、その視界は闇に包まれていた。どうやら全員が寝静まった深夜に目を覚ましてしまったようだ。

 物の形は判断できるが、歩き回るには多少の危険が伴う。別段動き回る必要もないのだが、なんにせよフィストは下手に動き回ることを早々に諦めて再び瞼を閉じることを選択した。

「むーん…」

 目を閉じかけたフィストの耳に、曖昧な寝言が入り込んできた。

 思わず目を開くと、テーブルを挟んだフィストの向かいの椅子で複雑な表情をして眠っているユリスが映った。暗闇の中に、窓からの光の当たるユリスが浮かび上がっている。

 その姿は優雅であり、妖艶であり。

 ユリスの顔は見慣れたはずのフィストでさえ、それには思わず見とれてしまった。


 その口から寝言が洩れる。

「…泣き声が…」

 喝舌が悪い。寝言だからそれは仕方がないだろう。悪いと思いながらも、フィストはそれに聞き耳を立て続けた。

「…だれ…?」

 不安そうな顔をして言葉を紡ぎだしている。暗闇の中でそれは実際以上に目立つ。

(…あれ?そう言えば…)

 以前にも似たようなことがあったな。ふとフィストは、出発の朝のことを思い出していた。

 思わず返事をしたこと。自分の名前が出たこと。くだらないことがフィストの頭によみがえっていた。

「また同じ夢でも見てるの?」

 問いかけるが、その返答は当然無い。フィストの質問は空しく闇に吸いこまれて消えた。フィストもそれは予想していたことなので別段気にはしていない。

「…フィスト……フィスト…!」

「えっ…ちょっと、ユリス?」

 ユリスが突然フィストを呼び始めた。切羽詰まった表情で名を呼ぶ様子に、フィストはたじろいでしまった。

「フィスト…助けて…!」

「…!」

 助けて、の一語がフィストを立ちあがらせた。暗闇のなか足元もろくに確認せず、フィストはユリスの傍に近寄る。何が夢の中であったのかは不明だが、ユリスは泣きそうな顔になって助けを求めていた。

「ちょっと、ユリス…!」

 フィストがユリスを揺すって起こそうと試みる。

 刹那。



「う……え?」

 ユリスが、揺すっていたフィストの左腕をしっかりと抱き寄せていた。

 思わず離れようとするフィストだったが、腕を抱きかかえるユリスの力は思いのほか強い。暫く奮闘したが、結局彼の腕が解放されることは無かった。

「は、離してよ」

 懇願するが、ユリスから返答は無い。芝居などではなく、本当に眠っているらしい。

「フィスト…」

 またもフィストを呼んでいる。しかしそれは、しっかりとその手で掴んでいることに対する喜びのようにも聞き取れる。ユリスの表情はいつの間にか安らぎに満ち溢れていた。

「…フィスト…待ってよ…」

「まったく…なんなのさ…」

 繰り返される自分の名前にフィストは顔を赤くする。恥ずかしさからユリスと距離を置こうとするが、腕を抱え込まれているので叶うはずもない。

「……どこにも…行かないで…」

「…っ!」

 フィストの動きが固まる。ユリスはそれきり黙っているが、その沈黙はフィストを余計に困窮させた。

「…もう…」

 呆れたような顔になりながらも、フィストは彼女を引きはがそうとするのをやめた。ユリスの望むまま腕を抱かせる。

「どこにもいかないよ、だって僕は―――」

 聞こえている筈はない。しかし、フィストは言った。

「ユリスを守るって、決めたんだから」

 腕につかまっているユリスの頭を優しくなでると、椅子の横に体重を任せて瞼を閉じた。

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