14話 採用事情
結局あまりの荷物の多さに、荷物とティリアだけが先に走り去ってしまった。あの中心街にある事務所まで持って行かなければならないらしく、乗ることのできなかった三人はほかの交通手段で戻らなければならない。暫くは固まったように佇んでいた。
「ホントにごめん、おかげで助かったよ、じゃっ!」
フィストの頭には、去り際のティリアのその一言がいつまでもエコーしていた。
「あー…去年もこんな感じだったなあ…」
頭を掻きながら恥ずかしそうにアーミルが言った。更に「二人ともありがとな。おかげでいつもより早く済んだ」と笑って見せた。ヘトヘトの二人の耳に入ったかどうかは別として。
「俺はバスで帰ろうと思うんだが…どこか行くところがあるなら送って行くぞ」
それは手伝ってもらったものとしては然るべき一言だが、二人にはそんな物は無い。フィストはユリスのことが気になって、この後のことは全く考えていないのだ。
更に遠くへ逃げられるのならば逃げるべき。だが無計画に逃げると逆に追い詰められてしまうかもしれない。それなら、この周辺で暫く身を隠す方が利口と言うものだ。
勿論フィストはこの親切な人たちを巻き込むことは避けたかったのだが、彼の中の幼い部分がどうしても離別を拒んで抑えきれなかった。
「…実は、どこも行くあてがなくて…」
「なんだそれ?行くあてもないのにこんなところまできたのか」
「…それで、出来ればもう少し一緒にいたいんだけど…」
小さく言ったが、アーミルは喜んだように「ああ、勿論いいよ」と言った。
「もう少しってどのくらいだ?」
「うーん…分かんない」
「……ま、お前にもいろいろあるだろうから詳しくは聞かないが。なら、暫くでいいから俺んトコで働かないか?俺は歓迎するぞ」
豪快に笑い飛ばすアーミル。つまり二人は、就職する―――居場所を得ることになるらしい。
実感のわかないまま、フィストは恐る恐る頷いた。ユリスもそれに反応して頭を下げる。アーミルがそれを可笑しそうにして見ていた。
「じゃあ、行こうか」
風が潮の匂いを含んでいる。吹き抜ける風に、海鳥の影が乗って走り抜けた。
さほど大きくもないビルの二階。観葉植物の鉢植えが幾つかあるが、どれもあまり元気がなく、そこにある本来の意味をあまりなさないでいる。蛍光灯はしっかりとついているが雰囲気はやや暗い。
長く歩き回れるほどの廊下ではなく、スモークガラスをはめ込んだ扉がすぐに見つかった。その横には、大量の箱が。
机が五つ。四つは向かい合うように置いてあり、少し間をおいて奥に一つが置いてある。手前の机のうち二つには電気スタンドが一つずつ置いてあり、本がその横に並べられていて、余ったスペースには文字ばかりの紙が散乱している。
先に入ったアーミルがいちばん奥の机の前で止まった。机の上の紙を乱暴にかき回し、一枚の紙を引っ張り出す。
「あれ、なんでこの二人がここに?」
二人の後ろから声がした。振り返ると、扉からティリアが入ってきて二人の真後ろに立っていた。奥のアーミルがすかさず返事をする。
「いやあ、行くあてがないって言うからさ。ここで働かないかって聞いてOKもらったから」
ティリアはクスッと笑って「へえ、後輩か」と言い、入口の前で立ち止まっていた二人の間を通り目の前の机に座った。
ティリアも乱雑な机の上をあさり始める。それと同時に一枚の紙をつかんだアーミルが立ち上がって二人を見ていた。
「じゃ、改めて。よろしく、フィストにユリス。俺はアーミル・ローアン。この商業事務所の所長だ」
鋭い眼をして笑った。机に片手を置き立ちあがっていたティリアも二人に向き直る。
「私はティリア・ローアン。この事務所の所員ってトコだね」
二人の笑顔はフィストとユリスを確かに迎えていた。
懐かしい暖かみ、隠したままの自分たちの現状。全てが重なり、嬉しさと申し訳なさでフィストは今にも泣き出してしまいそうになっていた。
「うん…よろしく」
震える声を出すフィストを二人はしっかりと受け止めていた。フィストとユリスを受け入れている笑顔。必死に涙を見せまいとするフィストの横でユリスも嬉しそうににっこり微笑んだ。
「…兄妹で同じ仕事してるの?」
ユリスが口を開いた。ティリアがそれにこたえる。
「うん、そう。まあアーミルは卸し作業ばっかりだし、私は年中ここで雑務だけどね」
兄妹で一緒の仕事をする…そんな概念を知らないユリスには分かり得ないことだが、二人の様子を見る限りではユリスはそれほど悪いものとは感じなかった。二人に見とれるユリスは、その心に浮かんでくる感情が「羨ましい」であるのには気づいていない。
ひとまず二人は、勧められるまま背の低いソファについた。いきなり来てしまったのだから彼らの邪魔をしてはいけないと思い、まだ仕事もないと言われたので二人ともじっとしていた。
座ったところから見えるのは、何かとにらめっこをするティリアに、外と中を何度も往復するアーミル。往復するたびに部屋の隅に大きな箱が増えていく。が、何故だかそれは仕事をしているというよりも遊んでいる印象に近い。
質問をぶつけるのにフィストの気持ちに弊害は無かった。
「…気になったんだけど」
「?」
アーミルが扉の前で立ち止まった。
「もう一つ机使ってるみたいだけど、誰の?」
「ああ、それは―――ぐわっ!」
扉が勢い良く開いてアーミルの口を塞ぎつつ弾き飛ばした。机の影にアーミルの姿が隠れる。
「ご、ごめんなさい!慌てていて、気付かなくて…!」
扉の裏から銀色のポニーテールが覗いた。重々しく立ち上がったアーミルの肩ほどまでの高さだ。
「…この人だよ、机の主。リメールだ。リメール・シュルト」
頭をさすりながらアーミルがポニーテール―――リメールの頭を撫でた。撫でられた彼女は一瞬不思議そうな表情をし、それから二人に気づいた。
「アーミルさん、あの方たちは?」
「あー、いろいろあってここで働くことになった子たちだ。男の子がフィストで、女の子がユリス」
アーミルの解説を受け、へえ、とリメールは頷いた。二人より年上のようだが、赤くくりくりした瞳はどうしても幼い印象を与える。そして子供のような笑顔で一言、
「よろしくお願いしますね!」
と言った。返事をするでもなく、フィストはただ唖然としていた。
リメールが参加しても彼らの様子に何ら変わりはなかった。リメールもティリアと同じく何かとにらめっこをしている。もしかしたら、という気持ちを捨てきれないので二人とも声をかけられない。
何もない時間が二人に重くのしかかりながら流れていた。そのうちにじわじわと、意識が遠いものとなっていった。
「…あれ、二人とも寝ちゃったのか?」
ソファで寝息を立てている二人の姿を確認すると、アーミルは一息つくように自分の机に座った。
「まあ、何もしていなかったわけだし…あの荷物も運んでもらったし…」
ティリアが笑う。自分たちでさえ苦労する荷物を懸命に運ぶ少年少女の姿を思い出しているようだ。
「…そういえば、ダルタは来てないのか?」
アーミルがリメールに尋ねる。
「ダルタさんですか?来てませんけど、来るって言ってたんですか?」
「ああ。今朝着く予定だったブルーイーグルに乗ってるはずだったんだが、まだ来てないのはさすがに変だな」
有名急行が大惨事になっているというニュースは、まだ街には知らされていなかった。