13話 困惑の再会
ずいぶん走り、外の景色が都会でなくなってきた。視界を高度のある建築物が遮ることは無くなったし、空も開放感を感じられるほどに広がっていた。
しかし、フィストはそれらを満喫することはできなかった。
調子が悪くなっていた。列車は平気でも車は駄目だったようだ。少し下を向き、青ざめた表情をして微動だにしない。時折悲痛なうめき声が漏れてくるのをユリスは心配そうに見ているが、ティリアは運転したまま苦笑いをしていた。
「大丈夫?もうすぐ着くからしっかりしなよ」
ティリアの励ましが飛んで来る。が、街の中心街からはずいぶん外れてしまったらしく、外の景色の広まった代わりに横揺れがかなり激しい。今のフィストにはこの上なく酷なことだった。車体が揺れる度にどんどん顔色が悪くなっていく。ユリスは黙ってその背中をさすった。
ふと外を見たユリスが、あっと声をあげた。
「海だ」
立ち並ぶ家と家の間から、少しずつではあるが日の光を受ける青い水面が見え始めた。現われてはすぐ隠れてを暫く繰り返したが、道が下り坂になると眼下に一気に海が広がった。道の延長線上の海と陸の境界線には巨大な船舶が停泊していて、大勢の人間を抱える港の存在を確認できる。
「いまからあそこにいくんだ。ほら、あとちょっとだから頑張って!」
ティリアがアクセルを深く踏み込んだ。車はそれに呼応し、坂道を転がるように下っていった。
「おいおい、大丈夫?乱暴に運転しすぎたね、ごめんごめん」
ユリスと一緒にティリアも背中をさすった。膝に手をつき、道の隅の方を向いて動かない。幸いまだ最悪の結果は迎えていないようだが、いつその時が来るとも分からない。
「……だ…大丈夫……」
その声はちっとも大丈夫そうではなかったが、一度大きく深呼吸した後、体を起こした。
体に響くような重く低い汽笛が耳いっぱいに入ってきた。雑踏の先に、豪華客船なる代物が見える。名前は知らないが、今もその通路にはおびただしい数の人間が行き来している。それらは皆ゴマ粒程の大きさしかなく、そう見せている「豪華客船」がいかに大きいかが分かる。そこから降りる人、乗る人、見送る人、出迎える人で、港はこの上ない混雑に見舞われていた。ティリアが辺りを見回す。
「えーっと、この船で帰ってきてるはずなんだけど…」
独り言としてそう呟き、人の間をかき分けて船に近づいていく。二人も後を追おうとしたが、その間に瞬時に人が入り込んで姿が隠された。 その人をどかして視界を広げたが、もうティリアの姿はそこには無い。
見失ったようだ。
「…フィスト、どうしよう。頑張って探す?」
うーん、とフィストは唸った。少しは気分も良くなってきているが、まだこの人混みの中を動き回るほどの体力は回復していない。
「ここでティリアを待とう。下手に動き回るとかえって迷子になるかもしれない」
「それもそうだね。待とうか」
「……」
返答も忘れ、フィストははっとさせられていた。
今もそうだった。ユリスの感情が格段に豊かになっている。初めて会った時より笑顔の数がまるで違う。ただでさえあの列車で耐え難い経験をしているはずなのに、今はむしろ楽しそうに見える。
それに気づいたフィストは、列車で見せたあの涙は嘘だったのか、と一瞬疑ってしまった自分を責めた。墓の前で見せたあの姿を思えば絶対にそれは無いと言い切れる。
彼女は絶対に、その時に心に深い傷を負っているはずなのだ。何が彼女に笑顔を与えたのか、気分のすぐれないフィストにもすぐに分かった。
ティリアだ。ティリアと話した直後からユリスは変わった。
あの時一体何を話したのかはどうでもよかった。フィストからすれば、ユリスをここまで元気にできたティリアは―――今ちょうど姿を見失っていることも重なって―――ずいぶんと上に立つ人間に思えた。
それと比較して、自分はまだ子供なのだ、そんな考えが浮かび、フィストの心は串刺しになっていた。
フィストは、何もできなかった自身が憎かった。
辛そうなユリスを見ているのは自分も辛いと感じていたのに。
いきなり後ろから肩をたたかれる。
「おう、久しぶり!」
急に声をかけられ、驚いたユリスはフィストの後ろに隠れてしまった。
フィストの五、六歳ほど上に見える、若々しい男だ。丈の長い革のマントをはおり、小さな箱をその背中に抱えている。久しぶりと言われたが、フィストはその顔をどうにも思い出せないでいる。
「あれ、人違いかな?」
男は首をかしげ、二人に顔を近づけてきた。被っていたマントのフードを脱ぎ、その短い茶色の髪を出しながら。十センチほどまで顔を近くしてきたが、その首を引っ込ませると一人納得したように笑った。
「やっぱりそうだ、フィストじゃないか!っていっても、お前まだまともに喋れてなかったし覚えてないか」
「僕のこと知ってるんだ?」
「ああ、よく遊んだもんさ!最初は俺の顔見て泣いてばっかで、クレアさんに笑われてたなあ…」
フィストには妙な話だった。確かに彼の母の名はクレアだ。彼がフィストのことを知っているのも事実と分かった。しかし、その言い草から察するに彼は自分よりもずっと年上のはずだ。なのに、彼の見た目はせいぜい高校生ほどしかない。間違っても大人には見えない。
彼の弾む言葉がフィストの思考回路にそれ以上考える暇を与えない。
「こんなところで会えるなんて奇遇だな!そっちの子は妹?」
急に呼ばれたユリスは一瞬体をびくつかせた後、怯えるように彼の顔を見上げた。
「違うよ。ちょっといろいろあって一緒にいる、ユリスって子なんだ」
「え?ユリス?」
殆ど分からなかったが、その一瞬彼の表情が驚いた様子を見せた。
「どうかした?」
「いや、なんでもない。それより、何しにここに来たんだ?確かお前、クレアさんとセントヘイムに暮らしてたんじゃなかったか?」
「…それもいろいろあって、ね」
ここに至るまでのあらゆる出来事を話す気はフィストには無く、すぐに話題をそらした。
「そういえば、女の人に何か手伝ってほしいって頼まれてここに来たんだけど…」
わざとらしく辺りを見回す動作をする。彼はそれを暫く見ていたが、一度小さく溜息をついた。
「……なんだ、はぐれたのか」
「…」
何も言わずに頷いた。その後彼が小さく笑ったのは言うまでもない。
「仕方ない、俺も探してみるよ。それってどんな人?」
「えーっと・・・」
ティリアの特徴を頭で思い浮かべたフィストは、まずその服装から述べることにした。この人混みの中でも、灰色の作業着を着た女性はほぼいないに等しい。
「えっと、茶色くて長い髪で、灰色のつなぎを着てる人」
「……ん?それ、ひょっとして…」
そこで唐突に横の人混みが分かれた。見失っていた茶色い髪がそこからひょっこりと顔を出した。
「ああ、こんなところにいた」
「…あ」
男が間の抜けた声を出した。ティリアもそれに反応した。
「…あ、アーミル」
「…なんだ、一緒に来た人ってティリアのことだったのか」
「え?二人とも知り合い?」
「まあね。こいつはアーミルっていって私の兄なんだ。ここに連れて来たのもアーミルの荷物を運ぶのを手伝ってもらおうと思ったからなんだけど…しかし、何も言ってないのによく見つかったね?」
ティリアが首をかしげた。
「向こうから話しかけてきたんだよ。僕が昔あったことがあるらしくてね、その…アーミルと」
自身の口から出してみて、フィストもアーミルと言う名前を記憶の中で見つけた。ずっと昔に聞いて以来忘れたままだった名前だ。
「それで…手伝ってほしいことって?」
やっと警戒を解いたのか、ようやくフィストの後ろから前に出てきたユリスが思い出したように言った。ティリアがそうだったと承知した顔をし、それからアーミルに何か目配せをした。アーミルもうんうんと頷き、それからひらひらと手を動かして三人を呼んだ。
その笑顔は、むしろ不安を煽る。フィストがちらと横を見ると、ティリアは妙な苦笑いを浮かべ、ユリスは何も疑っていないように「ティリアの」笑顔を見ていた。
船の足元、とでも言うべきだろうか。泊まっている船の後方までアーミルは呼び寄せた。この船はすでに次の出航準備を進めているらしく、乗り込む人の数もかなり多い。それでもその周辺は船の搭乗口から離れていて人数はまばらだ。
ただそこには、船から下ろしたのであろう大量の荷物が山積みにされている。どれも厳重に包装されていて中身は分からないが、今も船員らしいごつい男が数人、船内の荷物を運び出す作業に追われていた。
アーミルが先に立ち、手を振って三人を呼ぶ。後ろには、まさしく山のような荷物の箱が積まれている。箱に書かれている言語はまちまちで、あらゆる地域から集められたのが分かる。それを見たとき、ティリアが「やっぱり…」と失笑を漏らした。
「…何?これ」
見上げるように箱の山を眺め、無邪気にユリスが聞いた。本当に分かっていないらしいが、すでにフィストはまたがっくりと俯いている。
「俺の荷物だよ。これからこれを車に運ぶから、それを手伝ってほしいんだ」
「…それって全部?こんなにあるのに?」
明らかに気落ちしたフィストが聞いた。アーミルは何も言わず、ただ笑顔でこくんと首を上下に動かした。ティリアの様子からすると、どうやらいつもこんな調子らしい。
折角よくなっていた気分がまた悪くなったように、フィストはだるそうな溜息をついた。
ユリスだけが、なんでもなさそうにじっと箱の山を見ていた。
「…俺は犯人じゃねえよ。いや、この鳥みたいなのを片づけたのは俺だが…」
明らかな『使用済み』ナイフを持った男がまるで説得力の無い弁解をしている。それを聞いている警官はあまりにも落ち着いていた。
「それは分かってますよ、羽根が致命傷になっているのは見れば分かりますからね」
「あ、じゃあ俺もういいかな?今日人と会う約束してるんで」
線路に沿って走りだそうとした男を、その警官が腕を掴んで止めた。
「待ってください。ここから街まで歩いて行くと結構かかりますよ?私たちが街まで連れて行きますよ」
「おお、そりゃあ助かる!」
「ただし」
警官の張り付いた笑顔に、男の歓喜は一瞬にして消え去った。
「何が起こったのか署で私たちに説明してもらってからです。もちろん犯人ではなく目撃者としてですが」
腕を掴む力は強く、男はそれを振りほどくことはできなかった。
「大丈夫、三日ほどしか掛かりません」
「…泊まりがけかよ!」
約束に大幅に遅れるのが決定した瞬間だった。