第五話-予定調和の破滅
もしも、敵が攻めてきたら、その時点でほぼ全滅が確定する。
かといって、今から森の中へ避難すれば、魔獣たちから住民全員を守るのは困難だ。
だからこそ、世界でも通用する異常性を誇る三人が監視し、異変を察知し次第非難行動に移るという案は最善の手だ。
しかし、それが最善だとは思えない僕がいる。これは僕のエゴなのだろう。
フェルを守るという目標を掲げながら、守られ続けている僕のエゴ。フェルに害が及びそうなのにもかかわらず、足手まといでしかない現状への憤り。こういった個人の感情で場をかき乱すわけにはいかないと思いつつも、何か手はないか、考え続けている、考え続けることしかできない僕の弱さ。
そういったものに苛まれつつも、僕はフェルに言われた通り、東京へと戻り、母親に告げた通り、図書館の一角に陣取っている。辺りを見渡せば、勉強にいそしむ高校生らしき集団が視界に入る。まだ受験の時期ではないのに、よくやるもんだ。
きっと彼らには目的があり、目標のために行動しているのだろう。
危険から逃げ、東京に戻り、親から逃げ図書館にこもっている僕とはあまりにも違う。逃避のための行動ではなく、躍進のための行動。どれだけ異常性を持っていても、結局、普通の高校生よりも弱弱しいという事実を突きつけられているようで、居心地は最悪だ。
災厄から逃げ、最悪に留まり続ける。理由を探して現状を肯定する。どちらも強さとはかけ離れている。
結局、何も思い浮かばないまま、今日という日の終わりは近づき、家に戻る。夜だというのに、あたりはとても明るく感じられた。僕だけを取り残して。
そのまま、飯も食べずに家に帰り、風呂だけを済ませ、自室に戻る。眠りにつけるわけもなく、自室にこもり、支配術式を起動させ、適当な疲労感を得る為に飛ばし続ける。が、やはり、まったくと言っていいほどに疲労しない。今日という日は長かった。朝一番で熊を狩り、支配術式の適正に気が付き、レートAの魔獣をこの目で見て、街の危機の可能性を聞かされた。濃密な一日、しかし、そのすべてが天界での出来事だ。僕の暮らす場所は人界であるべきだと思うが、それでもあの場所は僕にとってかけがえのない場所であると再確認させられる。
だから、能がなくても、足手まといになっても、僕は街に戻りたいと思う。
たとえ足手まといになっても、あるいは何事もなくとも、あの街と共に生きていたい。
鍵の起動。もし何かあれば、僕はこの鍵から家に戻ればいい。さすがに転移の座標を読み、そこまで追って来れるだけの異常性を兼ね備えたやつはいないだろう。そんなこと、序列二桁台、いや一桁台でも困難なことなのだから。ちなみに、鍵には合鍵が作れる。僕の鍵の合鍵は作っていないが、森の逃げ小屋の合鍵は街の人間ならば誰でも持っている。異なる鍵を同じ座標に設定することはできない上に、鍵一つでは登録を済ませた人間一人の転移しかできない。だから、一つ20万円相当の合鍵を用い、誰もが街から逃げられるように配慮されている。やはりあの街はいい街だ。そんな鍵の費用的負担を爺さんがすべて負っているのだから。
鍵を開けて、クローゼットの扉をくぐる。いつも通り、鍵が起動したことに安堵感を覚え、だがその安堵はすぐにかき消されることになった。
熱い、眩しい、煩い、息苦しい。
転移した先は、すべての五感に訴えかける不快感に満ちていた。
いったい何があった?転移した先の自室は、原形を保っている。だが、窓の外には明らかに異常な光景が広がっていた。
崩壊し、燃え上がる家屋。崩れ、まともに走ることすら適わないであろう道路。そして何よりも…その中にひっそりと姿をのぞかせる人の手足。
なるほど、大方、敵襲があり、何らかの手段で転移を阻害されたか、あるいは敵の手が早すぎて逃げ遅れた人が大勢いたということだろう。この家は僕の意向で強度だけを通常の倍以上に作られている。そんなこの家ですら、よく見ると崩れかけている個所も見られる。広範囲攻撃術式による攻撃を受けたという証拠だろう。ということは、敵の人数はそう多くないはずだ。広範囲の術式は効率が悪い。つまりそんなものを使うくらいなら大人数で殲滅したほうが早い。単に面白いから、という理由でやっているのであれば話は別だが、それならば序列保持者のいないコミュニティーを狙うだろう。つまり、相手は少ないはずだ。
外に出るとより不快感を増す。空の雲が赤く映るほど、どうやらこの街は全体的に燃え上がっているようだ。そして、道に出たからこそ分かることだが、多くの人間の死体が転がっている。
僕が冷静でいられるのは、この可能性をあらかじめ聞き入れていたことと、普段からテレパスによる痛みで精神がマヒしているせいだろう。こんな自分が嫌にもなるが、今はそんなことを考えている暇もないか。
支配術式でこの街の状況を確かめる手もあるが、それを敵に悟られると僕の位置もすぐにばれるだろう。足で探すとしよう。もちろん、フェルを。
テレパスの起動、範囲のみを最大化、人の思考が残っている、つまり生きている人間が範囲内にいるのであれば、人の心は僕の中に流れ込んでくる。範囲の最大化と言っても、半径5メートルほどのものでしかないが、敵に悟られないようにするためにも都合がいいだろう。
フェルのいそうな場所はどこだ?視覚で敵襲を判断するフェルだ。どこか高い場所か、あるいは敵にすぐ手が出せる外周の壁か門の付近ということもある。で、あれば、正門から周り、グラキールが生きていれば、そこから情報を聞き出せばいい。目的地は決まった、できるだけ急ぐとしよう。
しかし、道を走りながらわかることが一つ。テレパスに情報が全く引っかからないのだ。この街の、生存者の数が明らかに少ないということなのだが、なるほど、金目のものには手を出していないのだろう。で、あれば、敵の目的は、おそらくスポーツとしてのハンティング。何人かで街を襲い、どれだけの人間を狩れるか競ってでもいるような街の荒れ具合。オーバーキルで遊んでいる風もない。最速を意識した殺し方。
で、あればだ。街の燃え盛る音以外が聞こえないのが気になる。悲鳴も、笑い声も、魔術が構築される感覚も、まったく感じない。もう敵は引き返したのだろうか?
フェルの生存はより絶望的な状況だ。僕も、そろそろなりふり構っていられない。支配術式を展開。すべてに受信テレパス術式を構築、起動、展開。敵に見つかったらそれまでってことで。
街中に支配した紙を行きわたらせ、捜索に当たる。僕自身はもちろん門に向かいながらだ。
走り続けて門まで、結局、支配術式で生存者を見つけることはできなかった。が、門に近づくと、他の場所とは異なる状況を目にする。なんだこれ?原形を保っていないにもほどがある。平地だったはずの場所に、小さな山やら谷やらが存在している。その山の一つに近づくと、声が、脳に響く。
それは叫びにすらなっていない、ただのうめき声だが、まだ生きている証拠だ。山を、単純な攻撃魔術で崩す。かなり頑丈にできているようで、少し手間取ったが、それでも壊すことはできた。山の中には中年のおっさんが一人、見間違うわけもない、グラキールだ。
『コトハ?』
脳内に響く声、どうやら目は見えているようだ。
「テレパスをつかってる。声に出す必要はない。」
『そうか…来ちまったか。わりーな、このざまだ。』
容体を看る…までもなく、こいつはもう長くはもたないようだ。右腕がなく、下半身が押しつぶされている。服の損傷から見て、風属性切断術式と無属性術式での圧迫といったところか。出血も多い。異常者でなければとっくに死んでいるであろう傷。生命力と同義である精霊を多く保有している異常者は、ありていに言えば死ににくい。だが、それももってあと五分、といったところか。
「敵は?」
『序列三桁台っぽい悪魔が三人。俺たちじゃあ傷一つつけられなかった。』
序列三桁が三人、か。なるほど、手も足も出なかったのだろう。だから、表情は穏やかなものだ。悔しさなど、感じることすら許されなかったのだろう。だが、まあそれはいい。グラキールが生きているのだ。フェルだって生存している可能性はある。
「そうか、フェルは?」
『まったく、フェル嬢にしか興味はねぇってか…生きてるかはわかんねぇが…山の中の一つに入ってるはずだ。俺がとどめを刺されてねぇのも爺さんが錬金で山ぁ作って壊れねぇように封印してたからなんだが、お前に壊されるってことは爺さんは死んでるな…』
序列保持者が三人集まって対抗し、そして手も足も出なかったということか。まったく、悪い冗談にしか思えない。
「そうか…悪いが、助けられそうにない。」
『んなことわかってんよ。俺も、もう声も出せねぇからな。そろそろ死ぬな…まったく、お前には治療術式でも教え込んどくんだったぜ…』
「後悔先にたたずってな。」
『あぁ?あれか?いつもの、人界の格言か何かか?』
「似たようなもんだ、すんだことはしょうがねぇって意味だ。覚えとけ。」
『ははっ…覚えてても使いどころがねぇっつの。』
「地獄の沙汰も金次第って言葉もあるな。」
『夢がねぇなぁ、人界は。金は夜の蝶たちにバラまいてきちまってるからなぁ、彼女たちの沙汰がよくなることを祈るとするわ。』
こんな時になっても、彼はいつも通り、他愛ない冗談で笑う。
『それよか、早くフェル嬢のとこに行ってやれ。俺は男に看取られるなんて御免だからなぁ。』
「ああ。今までありがとう、ゆっくり休め、おっさん。」
だから、彼に感謝を伝え、フェルを探しに向かう。いつも通りの顔で、いつも通りの口調で、いつも通りの呼び方で。
おっさんに背を向け、フェルを探す。テレパスが通用するのは爺さんが死んで、封印の術式が解けたからだろう。案の定、フェルを探す半ばで、胸を貫かれたとみられる爺さんの死体を見つける。表情は苦悶に満ち、大きく開いた目と、かみしめられている口が悔しさを物語っているようだ。だから、目を閉じさせ、顔の筋肉をマッサージしてやる。幸いと言っては何だが、まだ死後硬直は来ていないようで、簡単にいった。
「爺さん、感謝してるよ。この街に呼んでくれてありがとう。ゆっくり、せめて向こうでも楽しくやってくれ。」
そう声に出して言うが、もちろん返答はかえってこない。
そう思ったところで、テレパスに一つの声が引っかかる。
『…んー…だめだ、出られん!』
聞き違えるはずもない、フェルの声。しかし、生きていたことに安堵はしつつも、やはり、死にかけているようだ。この程度の、僕でも崩せる山が崩せないとなると、相当重症だろう。
声の場所を特定し、先ほどと同じプロセスで山を崩す。と、そこには変わり果てた姿のフェルが横たわっていた。
『あれ?コトハ?幻覚?』
「ここにいるよ。」
『アンド幻聴?』
「いるっつってんだろ…」
彼女もまた、いつもと変わらない。右目は焼かれたのか、炭化していて何の機能も持たないだろう。体も、左半分がおっさんと同じように、押しつぶされている。声を出そうとしているようだが、肺が片方つぶれているのだ。声は出ない。もう、長く持たないだろう。
「声は出さなくていいよ。テレパス。」
『もう、死にかけの人間とテレパスをつなぐなんてー自傷行為だろうにー。』
確かに、考えてみれば、テレパスで繋がってるにしては痛みを感じない。いや、痛み自体は感じるのだが、それが大したものに思えない、というべきか。そんなはずはないのに。
『はぁ。まったく、考えてみれば当たり前かー…テレパスで死ぬ痛みまで感じてるんだから、脳がそれを拒絶し始めたってことかな?』
「ああ、それ分かりやすい。」
『もう!何素直に頷いてんのさー…まあいいや…来るなって言ったのにー。』
フェルは苦しそうに、それでも表情を動かし、口をとがらせる。
「はいはい、かわいいかわいい。」
『むー…絶対そんなこと思ってないだろうにー。』
そういってほほ笑む。やっぱり苦しそうな顔だ。それにつられて僕の顔もゆがんだのだろう。
『ああ、ごめんごめん…だから笑って?』
「仰せのままに。」
お姫様はいつも通りの僕を望んでいる。僕も、いつも通りの関わり方が好きなのだし、断るはずもない。
すると、彼女も一瞬ほほえみ、だが、申し訳なさそうな顔に変わる。
『まったくもう…ねぇコトハ、ごめんね?守られてあげられなくて。』
「こっちもごめん、守るどころか襲撃に間に合いすらしなかった。」
『それは私の言うことを聞いたからでしょ。だから…コトハはたぶん気にやんじゃうのかな?』
「それはまあ、気に病むなって方が無理でしょ…」
『それな!』
「いや、それな!じゃねーよ…」
彼女は僕の今後を気にしているのだろう。復讐の為に、悪魔に挑み、そして死ぬのではないか、と。もちろん、フェルをこんな目に合わせた悪魔を殺したい。しかし、フェル、爺さん、おっさんの三人がかなわなかった相手だ。僕が今すぐにどうこうできる相手ではない。
だからこそ続いた問いであったのだろう。
『うん、だからコトハに最後のお願いをしたいの。私の「目」、受け取ってくれないかな?もちろん、受け取るってことにはそれなりの苦痛が伴うわけだから…』
「受け取る。」
『ちゃんと最後まで聞いてよー…』
「受け取るよ、何があってもね。」
僕が、簡単には死なないように、彼女なりに考えだした答えだ。だから、僕も真剣に回答する。
すると、彼女はいたずらっぽい顔になり、
『じゃあ、私の目をのぞき込んでくれないかな?こう…キスするみたいに。』
「その例えがないほうがやりやすかったんだけどな…」
まったく、シリアスの持続を許してはくれないか…ついでにキスしてやろうか…
『じゃあ、やるよ?』
フェルの眼球、虹彩の部分が輝きだす。よく見ると、とても細い線で、魔術式が幾重にも重なっていることが見られる。光が重なり、どす黒い赤のような色をしているが、火属性魔術というわけではなく、無属性の光の重ね合わせらしい。なぜ白の重ね合わせで赤くなるのだろうか…
と考えたところで、僕の目に激痛が走る。
人が死ぬ痛みを経験し、痛覚がマヒしているにもかかわらず、思わず顔をしかめてしまうような痛みだ。
どちらも口を開かない。僕は痛みに耐えて、フェルは魔術式の書き込みに集中している。そのまま時間が流れた。
と、急激に痛みが引いていく。おそらく術式の書き込みが終わったのだろう。彼女も相当の精霊を使ったのか、書き込み前より衰弱しているように見える。だが、なおも気丈に振る舞う。
『終わった…よ?使ってみる?』
「フェルが生きている間は、これはフェルの魔術だ。今使うのは気が引けるな。」
『そっか。精霊を流せば発動できるから、練習とかもそんなに必要ないよ。それより、書き込んだら死ぬって思ってたけど生きてるねぇ…えい!』
彼女は言うが早いか、身体を動かすのもままならないだろうに、書き込みの時と体制を変えていない僕にキスをしてきた。僕もそれに応えるべく、目を閉じる。
幸せを感じる、と同時に、この温もりを感じるのも最後だと思うと物悲しい。
『生命力があるってのも難儀だねぇ。回復はどんな魔術を使っても困難なのに死ねないとか。』
「まあ僕としてはキスまでできたし、ラッキーだけどね。」
『まだもうちょっと生きてそうだし…なんだったら最後に調整でもしとく?』
フェルの提案は、最後にいつも通りの行動をとっておきたいというものだと思う。死ぬ直前に、普段の行動をとりたいというのは分からないでもない。
『私の最深部には、多分「目」の術式の構築理論があると思う。私が誰にも話していない構築理論。発表すれば序列入りもできるんじゃないかな?』
「掛け金としては申し分ないな。」
『そゆこと。あいにく妨害術式も組めそうにないしね。』
そういうことなら、と言っても、別に構築理論が知りたいわけではない。そもそも、術式を僕の脳回路に組み込んだ時点で、解析など二日あれば可能だ。わざわざそんな掛け金を用意して、おそらくただ単にやりたいだけなんだろう。こんな状況でそんなことを言われたら、やるしかない。
テレパスをいつも通りに、組む。いつも通りに、表層を突破し、フェルの思考の奥深くへと、自分の精霊を潜り込ませて行く。
すると到達する深部、しかしいつものような不快感はない。今はフェルのものであれば、どんな感情だって、理解したいと思える。だから、そのすべてに意識を傾ける。
フェルの痛みはもちろん、昔の記憶まで、余すところなく理解する。一つ一つの感情が心地いいわけではないが、それでもフェルのことを理解できることにうれしさを感じる。
そうして記憶と感情のほとんどを理解したところで、心の中で一番輝くものを見つけた。おそらくあれが最深部。どうやっても僕が到達できなかった領域に、このタイミングでたどり着ける、そのことに若干の皮肉を感じながらも、躊躇なく、その中に飛び込んでいく。
その中には…
『ふふ…たどり着いたかな?』
「まあな、つーかこれ詐欺だろ…」
そこに本来の掛け金である理論など存在しなかった。
『あれあれ?マジで?』
「理論の理の字も出てこねぇよ…」
『そういえば理論とか組んだ時、何にも考えないでやってたからねぇ…その時のことって別に印象深くもないんだよね…』
「あの術式を組んでそれですか…」
現代の魔術史に名を残すことも可能であろう術式を組んで、心の片隅にも止めていないとは…度量がでかいというべきか、馬鹿だというべきか…
『まあ、私天才だし!』
「はいはい…何とかと天才は紙一重だな…」
疑問の余地もないほどに天才なのだが、それにしたって、心の最深部があんなものだとは。
『てゆーか…そろそろもたないね…』
そんなやり取りをしているうちに、フェルの呼吸がどんどん浅くなる。もう持たない、ということだ。
「じゃあ、これで最後になるか…フェル、最後に一個だけ、言っとくわ。」
『ん、何でも言うがいい。あ、でも、膝枕用に足を切り取るのは無しね?』
「そんなこと考えてもねーよ…」
冗談を挟まなきゃ話もできないのかこいつは…
これで、最後。だから、僕も自分の中の感情の一番大きいものを伝えるべきだろう。
「フェル、愛してる。」
『私も、コトハを愛してるよ。』
間髪入れずに、フェルからの回答が返ってくる。もう体を動かすことができないフェルに、最後に僕からキスをした。
死ぬまで。
「ありがと」
どこからともなくそんな言葉が聞こえた気がした。
この瞬間、僕は街の唯一の生き残りとなったのだ。