第三話-いつまでもなれない普通の世界
鍵を起動し、僕が転移した先は日本の、東京の中央部にある一軒家の一室。ここが僕の部屋である。時計を見ると11:12をさしている。土曜日であることを差し引いても、そろそろ起きたってことにしないと親に不審がられるか…
二階にある僕の部屋から出て、階段を下り、リビングへ向かう。
当然の如く、天界では天界語が、日本では日本語が使われている。僕の能力柄、天界語も魔界語も、どころか人類の話す言語のほとんどを習得してはいるが、とっさに別の言語が出ることがままある。
だから、ここは日本で、話すのは日本語だ、と言い聞かせるのも、いつものことだ。
「おはようございます。」
「おはよう、って言ってもこんな時間だけど。」
そんな僕に返答するのは僕の母親、神崎かおるだ。土曜日であろうと、週休二日?何それおいしいの?と言わんばかりに、父親である神崎修造は職場にいる。そのため母親しかいない場合がほとんどである。ちなみに、近頃は普段から体面を気にして親子の仲が悪くないように振る舞っているが、両親も、僕もお互いにあまりよく思っていない。両親は二人とも魔術などとは何のかかわりもない一般人であるため、幼少期から、心を正確に読み取る僕のことが気持ち悪かったのだろう。僕は僕で、たまに殴られたり、蹴られたり、口をガムテープでふさがれてごみ袋に入れられたり、そんなことがあって、仲良くする気なんて一切ない。そんな歪な仲の良い家族は親戚の間でもごまかせている。
まあ、親の気持ちもわからんではないし、いいんだけどね?ただもうちょっと目につきやすい場所に痣を作ってくれていればなあ…社会的に始末できたのに…。
「今日、友達と勉強するから。図書館行ってくる。夜ご飯も食べてきちゃうから。」
「はいよ。行ってらっしゃい。」
だから、起きて(おはようと言って)すぐに家を出るのもいつものことである。
さて、中学三年になろうというところであの街に招待された僕は、逆にそれまで魔術を一切制御できない状態で過ごしてきたのだ。つまり、小学校、中学校は人の悪意に晒され続けながら生きてきた。そんなこんなで心を病み、不登校にだったのも今は昔の話。現在、高校二年生となった神崎コトハはしっかりと…二時間ほどの遅刻はよくあるが、登校するようになっていた。...自分で言っててどうかとも思うが、普通の男子高校生、である。少なくともこっちの世界では。
こうもすぐに家を出て、一時間、何をするかと言えば…迷惑電話の処理である。休日はほぼ毎日かかってくる電話、何度着信拒否の設定をしても番号を変えてかかってくるそれは、警察からのものだった。と言っても、実際に会ったのがないため、そいつが本当に警察なのかも怪しいが。
案の定、家を出て数歩歩いたところで僕の携帯が鳴る。
「はい、神崎です。」
「コート―ハー君。一週間ぶりだねー。警察のムロサキですー。」
「一週間ごとに番号変えるとか、暇なんすね。」
「いやいやー、忙しい時はー、部下の携帯を借りてるからねー。私もーそれなりにー忙しいんだよー。」
相手に不快感を与える間延びした声は、おそらく狙ってやっているのだろう。魔術には精神状況が大きくかかわる。それを理解し、相手の精神状態を崩すことを日常的にやっているところから見ても、それなりの異常者なのだろう。
「で、何の用?」
「んーつれないなー。私と君の仲じゃないかー。」
「僕、嫌いな奴と長話できない質なんで。」
「じゃあー本題に入らせてもらうけれどー…。そろそろ心変わりはしたのかなー?」
そして、こいつが僕に電話をかけてくる理由はいつも変わらない。僕に警察に入るように言ってくるのだ。僕の能力が、異常性がほしいと言っているが、確かに警察が犯人の心を読むことができれば手っ取り早く逮捕し、冤罪もなくすことができるだろう。だから、その点を見れば警察になってもいいと思う。
ただし…
「警察になれってんなら、それは別にいいっすよ?だから、高校の前まで、あなた自身が来てくれないっすかね?細かい話はそっからです。」
「んー、そうしたいのは山々なんだけれどねー?それはもうエベレストの如くー。ただ私も忙しいんだよねー?だから、うちの部下を送るから勘弁してくれないかなー?」
そう、ムロサキは僕との接触を異様に避けているのだ。それは、僕の魔術を知ってのことだろう。
だから、一貫して他の人間をよこす。僕の連絡先を仕入れたのも、ムロサキの部下だった。そして、そういった手順を踏む、というのはムロサキ自身の考えが僕に伝わると困るということではないか?と勝手に考えている。もちろん、警察の機密を一般人に知らせるわけにはいかない、といういたってシンプルな理由かもしれないが。
「じゃあ、この話は無しってことで。」
「んー、僕としては最近携帯の会社の人から嫌われてるからねー…。なるべく早めがいいんだけれど。」
「そりゃ、番号を変える手続きを週一でやらされれば嫌われるわな。それが嫌ならお前が来い。どうせ、今も僕の近くにいるんだろ?」
まあ、近くで監視はしているだろう。毎回毎回タイミングが良すぎる。
「はっはー。そんなことはないんだけどねー。でもーもし仮にー自分の家まで割れているのにー…異常者に強気に出られるってのは、いい度胸じゃないか。」
「褒めてくれてありがとう。そういう脅迫じみたこと、僕が嫌いだってのもわかっててやってるのかな?」
お互いに、口調が敵意にまみれる。もし顔をつき合わせていたら、攻撃術式の準備をしているところだった。
「いやいやー、そんなつもりじゃないってー。そういう度胸がー好きだっていう意味だったんだけどー。」
「そ、どっちでもいいけど。じゃ、もうかけてこないでね?」
急に冗談口調になる。裏があるのは昔から知っていたことだったので、特に何とも思わない。それに、一応僕は対人戦闘に特化している。心が読めるだけで相当のアドバンテージになるからだ。そんな僕の、全力が測れるまでは手も出してこないだろう。
今はまだ安全だ。だから一方的に電話を切る。
散歩がてら、少し考えるとしよう。
警察が、僕の異常性を欲する理由はなんだ?犯人の逮捕が第一ではないことを前提に考えると、それはもうまっとうな理由ではないだろう。警察には殺しの仕事もある。異常犯罪に限ってのことだが、異常者が一般人に手を出した場合、問答無用で死刑が確定する。裁判所を通すこともなく、その場ですぐに殺害するらしい。その要員に僕を加えたいということだろうか?
いや、それは違う。そんなことであれば僕に隠す必要もない。異常者が即死刑だということは、もはや誰もが知っていることなのだから。
もっと非情に、非常識に考えなければ。僕を利用するのではなく、使用すると考えればどうだ?僕の特徴と言えば、心が読めるだけだ。支配術式に長けているらしいということが分かったのは、ほんの数時間前のことであるから、そちらは無視していいだろう。心が読める…精神汚染に強い?精神を汚染される事…。
まあ、何度か辿った思考である。だから結局、一つの考えに収束することになる。
グリモワールの解析。
グリモワールとは、数百年以上前の異常者たちが、自分の魔術を後世に残すために作り出した、いわば魔術の教科書とでもいうべきものだ。教科書、では表現にいささかズレがある。例えば一般に出回っている教科書は、魔術の成り立ち、基礎理念、魔術式がまとめられたものであるが、これを読めば魔術が使えるかと言えばそうではない。その術式に合った才能を持ち合わせている必要がある。音楽の教科書を読んでも、練習無しでピアノを習得できないように、体操の指南書を呼んでも、それだけで体操選手になることができないように。
しかし、グリモワールにそういう制限はない。読めば、いや、触れればそれだけで記された魔術に関する知識、才能が手に入る。精霊保有量が少ない奴でも大規模殲滅術式が組めるようになり、火の属性しかもっていなかった奴でも、風の術式を使用できるようになる。
そんな便利アイテムを何故みんなが使わないのか。それはもちろん、グリモワールの恐ろしさにある。強大な力を得る代償は、強大な精神汚染だ。あるものは、グリモワールに触れた瞬間、持っていたナイフで自身の体を何十等分にも切り刻んだという。またある者は自分の体に火をつけ笑いながら死んでいったとも。グリモワールに耐えうる人間は、この世に十人といない。使って成功している奴もいるようだが、僕の耳の届かない天上人であるため、その情報は知らない。
だからこそ、どこの異常者も自分に弟子ができた時には始めに教える。
「グリモワールには絶対に関わるな」と。
ところで、グリモワールまでとは言わないが、それでも異常者に忌避されている魔術があることをご存じだろうか。
そう、それこそが「心を読む」術式である。
対人戦において大きなアドバンテージを持つそれは、だが、多くの人間が習得していることではない。術式自体は簡単なのに、だれも手を出そうとはしない。その理由も、グリモワールと同じく、精神汚染の問題である。戦闘で使えば相手の絶望が、普段使いをすれば相手の悪意がダイレクトに伝わってしまうことから、人によっては、「瞬間的苦痛のグリモワールと永続的苦痛の受信系テレパス」と同列に語る者までいる。
そんなことから、俗説では「受信テレパスが何の苦も無く発動できるものが存在すれば、何種ものグリモワールを支配し、世界の頂点に君臨するだろう。」と言われている。まあ、土台人間には無理なことだろう。異常王に、俺はなる!が目標の僕ではあるが、この方法をとろうとは思えない。
そして、これも常識のようなものだが、 残念ながら人類は、天使や悪魔といった他の人種に大きく劣っている。それはもちろん、魔術を使うものが少ない、いや、知るものですら少ないという現状に原因がある。つまり、他種族がその気になれば、人類は100年もあれば滅ぶだろう。人類の武器は魔術が使えないゆえの科学力の高さと、個体差の少なさによる集団力である。確かに、科学的に作られた兵器により、それなりの抵抗はできるだろう。数の暴力に打って出れば悪魔の一人ぐらい、30人で殺せるかもしれない(全員のサブマシンガン装備が前提だが)。だが、序列上位者からすればそんなものは何でもない。蟻がいくら集まったところで戦車には勝てないように。原爆など、防壁で防いでしまえばいい。悪魔が一人で行動するのが危険なら三人で行動させればいい。それだけで人類は詰む。
であれば、悪魔、天使の庇護下に入るか、それらに対抗できる人類を作り出すしかない。
現に、アメリカ、中国など国土の大きな国にはバックに、悪魔やら天使の団体が付いている。大きな国は国土全体を守ることが難しいからだ。小さな国は、その大きな国の庇護下に入れば問題ない。アメリカに守ってもらっている日本のように。
そこで日本の異常者には現状を変えたいという思考が働く。日本には、何故か異常者が多い。多神教、無宗教の状態(絶対神に捧げる精霊を自身が独占しているといえるらしい)が生み出したといわれているが、世界的にみても頭一つ抜けた異常者の数だ。
つまり、僕の勝手な考えからすれば、そういった異常者たちにグリモワールを使用させ、軍事的に運用することで日本の立場を上げることを目的とし、その足掛かり、安定的なグリモワールの運用の為に僕を利用しようとしているのではないか、と思っている。
確かに、妄想も甚だしい。それは自分でもわかっている。しかし、これが事実であれば、許されることではない。
何人もの犠牲が出るであろうことは分かっているはずなのだから。
そのために、僕は迷惑な電話にも対応しているのだ。言葉の端から、グリモワールを匂わせるものがないか確認するために。
さて、日課も終えたことだし、フェルのところへ戻ろう。