第一話-僕の暮らす街
「君には、特別な力がある。だから我々とともに来てみないか?」
いい男にこんなことを言われてホイホイついていくのはせいぜい夢見がちな中学生とちょっと男に興味がある奴だけだろう。
「君の苦しみもわかってあげられる。我々の大多数は君ような異常性を持っているのだから。」
まるでメンヘラが喜びそうな言葉だ。
「ほらこちらで、我々と生きようじゃないか。」
だけれど、その言葉の一つ一つが心に刺さる。
こうして、夢見がちなメンヘラ男子中学生、神崎 言葉は目の前の男の手を取った。
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「コトハ?何でそんなに元気がないのさ。」
「いや、それをお前が言いますかね…」
目の前の女は、気分が悪そうな僕に手を差し伸べる。確かに、こんな場面を他人に見られたら、「なに男のくせに女に慰められてんだよ(笑)」とか、そんなことを言われるんだろう。だが、言い訳はさせていただきたい。
早朝に「デートだよー!」って起こされて、なんかでっかいクマが冬眠してるところまで連れてこられ、いきなりそれの首を刎ねるのを目撃させられれば気分も悪くなるだろう。この女、腕を一回振るっただけで熊の頭部を綺麗に切断しやがったんだぞ?しかもその場で血まみれになりながら血抜きと解体まで完了させやがった。なんなの?猟師なの?
「…怖かった…」
「んー?コトハは熊が怖かったのかい?」
「お前が、怖かったんだよ!」
「かわいい年上彼女にその言い分はどうなのかなー?」
目の前の女、名前はフェル=フルーン、名前からしてわかるように日本人ではない。どころか「人類」ではない。見た目は黒髪の東洋人ではあるが、その背中、肩甲骨があるであろう場所から生えている黄色の翼を見ればその種族は一目瞭然だ。「天使」、それが彼女の種族である。僕ら日本人が暮らす世界、通称「人界」に隣接し、だが一般に干渉しえない世界、「天界」に生まれた存在だ。特徴は、その背中から生える一対の翼。そして人類とは比べものにならない膨大な精霊保有量。
精霊、それは万物の根源と言っても差し支えない物体であり、生き物が生きる為に必要なものである。そして、生き物は自分の生命を保つのに必要な精霊の余剰分を「魔術」として世界に放出することができる。
「ほら、今夜は熊鍋だから、元気だしなって。」
彼女が熊の首を、一刎にできたのも魔術の影響だ。僕にはよくわからないが、おそらく精霊で剣でも作り出したのだろう。いや、目には見えなかったのでそれが正解なのかどうかは分からないが…
なんにせよ、僕らの暮らすコミュニティの生活は魔術によって支えられている。
「はいはい、かわいい年上彼女の手料理が楽しみですよ。」
そして、僕とフェルは付き合っている。男女交際というやつだ。年上、と言っても一つしか違わないのだが、年上のフェルの包容力に魔術の関わる世界に入ったばかりの僕は助けられ続けてきた。まあ、結構助けられたわけだし、今更いろいろ言う気はないが、顔色一つ変えずに熊を殺すのは勘弁していただきたい。
そして僕らは帰っていく。僕らの街「ピグミランド」へと。
街の入り口には大きな門がある。この街は周囲を大きな壁に囲まれているつくりになっており、出入りには設置されている四つの門を通る必要がある。それぞれの門には四メートルほどのゴーレムが存在しており、外敵から街を守る役目を果たしている。これも魔術により作られ、ある一人の手によって機能しているのだが…
「おいおい、デート中になんかあったのか?コトハ、女の子に恥かかせるんじゃねーぞ?お前ち〇こついてんだろ?」
「僕は素手で熊を殺せるようなやつを女の子だとは思ってないんで。」
唯一、門番として存在している人間、グラキールはそう言って僕らを迎え入れる。こいつがゴーレムを作り、そしてすべてを管理している中年のおっさんだ。そして、背中から見える黒い羽が悪魔であることを証明している。これも天界と同じく、人界に隣接し存在する「魔界」の出身だ。
魔術が使える人間のことをこちらでは異常者というが、このおっさんはそういった意味では相当の異常者である。ゴーレムは使役魔術という区分に分けられるのだが、別にそれ自体の難易度は高くない。というよりむしろ低い。初心者が初めにならう魔術の一つだ。ただし、四メートルのゴーレムを作るだとか、それを四体別々に動かすだとか、それらと自分の視覚を共有させるだとか、そういうことをしなければの話だ。僕は10センチ程度の人型の紙切れ三枚をかろうじて別々に動かせる程度、しかもその魔術を使っている途中はそれにだけ集中していなければいけないので、こんな会話をしたりはできない。彼はよく「慣れれば何とかなる」というが、やはり、常軌を逸しているようにしか思えない。
まあ、魔術だなんだと言っている時点で常軌は逸しているのだろうが。
「っと、それは熊か?」
「まあね、冬眠中の大爪熊が見つかったから、狩ってきちゃった。」
「何ほしいもの買ってきちゃったみたいに言ってんの?」
「いや、大爪熊といやぁレートBクラスだろ?おいおい、コトハと二人とはいえ、いや、コトハじゃあ戦力にならんか。ってことは一人で?」
「寝てたからね、シュパッと。」
レートというのは、この世界の人以外の動物に付けられる危険度の事であり、上はSSから、下はFまで設定されている。レートBと言えば、普通はしっかりと訓練を積んだ人間が四人程度、役割分担をしながら狩るものである。決して一人で、デート気分で狩るようなものでは無い。
「いやぁフェル嬢は本当に強くなってるなー。それに引き換え、コトハ、お前はほんと、自分のち〇こがちゃんとついてるのか確認しておけ。そのうち無くなっちまうかもしれんぞ?」
「無くなりようがねーよ。毎朝元気だよ…え?無くならないよね?」
「男っつーもんは心に一本のでかい棒が、いや、ち〇こがなきゃ生きてけねー生き物なんだよ。女の子に守られてる間は男じゃねーの。」
「ああ、まあそれは、わかってる。」
「またいつでも使役術式なら教えてやるから、その気になったら来いよ。」
基本はち〇こ連発しまくってるおっさんなんだが、たまにかっこいいから困る。それに使役術式は応用の幅も広い。例えば、使役した紙切れに別の術式を描いておけばいつでもどの場所からでもどのタイミングでも魔術を行使できる。まあそういう小細工はしないで強いこのおっさんは本当に異常なのだが。
「まあ気が向いたら…っていうか今日でもいい?」
「おう、二時間ぐらいすれば俺は暇になるからその後な?じゃあフェル嬢も、気ぃ付けて帰れよ。」
「あはは、大丈夫ー。」
そういって僕らは帰路につく。というか、あのおっさんもわかっているだろう。フェルに手を出す輩なんていないんだから気を付けるも何もないことに。
この世界には強い人間から順に序列が与えられている。上位三千人に限っての話だが。そしてこの街には序列保持者が三人もいる。街を統治している天使の爺さん、序列2024位ウェンダー=ピグミリア。門番のおっさん、序列2615位グラキール=クラフト。そしてかわいい年上彼女、序列1882位フェル=フルーン。こんな天界の辺境にあるごく小さな町で三人も序列保持者がいることは稀だろう。この街で序列保持者に手を出すことは死と同義である。特にフェルに手を出せば、一秒とかからずに熊と同じ運命をたどることになる。僕が、守る隙も無いのだ。
「コトハー難しい顔して何考えてるのさ。」
「いや、別に。」
「…私は強いよ?でもコトハがいればもっと強くなれる。」
「心を読むのは僕の専売特許だったと思うけど。…ありがと。」
序列保持者は、確かに皆特徴のある魔術を使うが、別にそれだけしか使えないということではない。高序列者になればなるほど、多種多様な魔術を並行して用いる。おっさんも、ゴーレム制作という錬成術式、それを操る使役術式を並行して使っている。フェルのものは少々特殊ではあるが、それでも基本攻撃術式に分類される魔術はほぼすべて使えるはずだ。
才能。それは確かに存在する。こちらの世界で言えば、精霊保有量、術式構築能力、属性区分といった要素が大きい。精霊保有量は多いほうがいい。術式構築能力はどれだけ早く術式が展開できるかというものだ。もちろん早ければ早いほうがいい。属性区分は魔術の区分けであり、土、火、水、風の属性に無属性が加えられたものである。無属性であれば鍛錬次第で理論上誰でも使用できるが、他のものはそれに合った才能が必要不可欠である。
おっさんと爺さんは、確か土の魔術に長けていたはずだ。土というのは物質の構築やらなにやら、結合を弄る属性だったと思う。フェルは風の属性に、確か空間の流れを利用するだとかなんとか…ほかにも水と火の属性がある。
何故僕がこんなにも属性区分に理解がないかと言えば、簡単だ。僕は属性が関わる魔術を一切扱うことができない。使えないんだから理解なんてもってのほかだ。盲目の人間に色彩の話はできないだろう?それと同じ。僕が扱うことができるのは、無属性魔術だけで、特殊性が強いものが多いことだけが特徴として挙げられる。僕が実践レベルで行使できるのはその中でも一つだけ、しかも不完全なテレパスだ。受信にしか使えないそれは、単純に言えば心を読む魔術である。それだけ。熊を殺すこともできなければ、女の子を救うこともできない。
別に無能というわけではないのだ。こと対人戦であれば目の前の人間の考えがわかればそれだけ有利に動けるのだから。ただし、人間以外の連中は、当然だが、人の言葉以外を用いて考え事をしているので心を読んだとしても何を考えているのかわからない。それにデメリットはもう一つある。あまりにも深く相手の心を読むというのは相手の感情をダイレクトに僕が受け付けてしまうということだ。戦闘に使うとなれば相手の恐怖心や絶望感などが僕の感情として処理されるそれは、僕の心に多大な負担をかけてしまう。
何人もの絶望を一手に引き受けてまともで居られる訳が無いのだから。
それゆえの無力感。そんなものに苛まれながら歩き続ける。
と、僕の前を歩くフェルは急に進路を変える。
「いや、大爪熊の大きさは三メートル近くあるんだから私たちだけじゃ食べられないでしょ?」
僕の抱いた疑問にフェルはすぐに答えてくれる。いや、心を読めるのが僕だけじゃないんなら、僕の存在価値って…まあとりあえず、方角的に向かうのは肉屋「ダミアミートショップ」だろう。この小さな町に肉を売るところと言えばそこか酒場しかない。
「はいよーいらっしゃい。…っとフェルちゃんとコトハ君か。…その背中にしょった大量の肉は何だい?」
「おばさん、おはよー。肉をとってきたから売りに来たよ。」
「朝っぱらから、よく働くねえ。」
そういって僕らを迎え入れてくれたのは三十路のおばさん、ダミアさんだ。この街でも異常の世界でも珍しい人類。翼など生えていないただの人間だ。…異常の世界、と言っても彼女は戦わない。魔術は使えるのだが、せいぜい生活に役立つ程度のものである。
この街には何も強い人だけではなく、こういったほぼ一般人のような人も多く存在している。この街は、戦えるものと戦えないものが互いに支えあいながら暮らしている。おばさんも、僕も、魔術により人界で排除された人間だ。おばさんの近くにいると傷が治らないから、僕の近くにいると心が読まれてしまい気分を害するからといった理由で。だからそれらに価値を見出すために僕らはこの街にいる。まあ僕の場合は未成年であり、両親ともに健在なのでこの街に訪れているといった方が的確なのだが。
それにしても、おばさんの異常性は精肉店にマッチしているといえる。「現状を維持する魔術」、それは水属性に分類されるらしいが、物質の構造に変化をもたらさないためのものである。生傷も治らないが、肉の質も落ちない。適材適所だろう。
もともとおばさんの魔術も、僕の魔術も、コントロールができる類のものではなかった。魔術式を用いない魔術の施行、原理不明のそれは稀な事象なので、おばさんと僕以外では見たことがない。そのため僕はそういった意味でも先人である彼女によく相談にのってもらったものだ。感謝してます。
そんなことを考えていると、おばさんは肉の鑑定を終わらせていたようだ。鑑定って肉相手に使う言葉じゃねーか。
「はい、ぜんぶで16,000リアで買い取るけど、どうだい?」
1リアは約11円に換算される天界の通貨単位である。天界も魔界も、人界とは異なり国ごとの通貨が流通しているわけではないため覚えやすい。176,000円か…なんでデートがてら金稼ぎをしているんだろう?やっぱあれはデートじゃねーよ。
「ん、それでいいよ。」
「お前はもう猟師になれよ…」
「あらあら、コトハ君は将来ヒモになるのかい?素質があると思うよ?」
「ならないっすよ…現状はそんな感じですけど。…その素質、碌なもんじゃねーな。」
「コトハは私を守ってくれるんだもんねー。期待しとくよ。」
将来、フェルを守れるようになる…それはいつになるかわからないが今の僕の指針である。グラキールの言葉にならうのは癪だが、男たるもの女の子は守れるようになりたいものだ。
「じゃあ、またいつでも来なさいよ。お客でも大歓迎だから。」
「お邪魔しましたー。」
「ありがとうございました、また来ます。」
用が済んだ僕らはこれで家に戻れるわけだ。
さて、家、と言ったが、これを借りているのは僕であり、フェルがそこに住み着いたという形である。僕は人界に、というか日本に実家があり、普段はそちらで暮らしている。魔術が制御できるようになってからは人界での暮らしも穏やかなものになってきた。だからそちらに帰るのは嫌なことではない。ただフェルといたいというだけである。両親が勤務でいない間、また寝静まった夜中はこちらにいる。ではこちらで何をしているかというと…
「フェル、おっさんのとこまで行くのにはまだ早いから…調整させてくれない?」
「ん、いいよ。さあ、私の心を読んでみなさい。」
大体がこんな感じで、魔術制御の訓練をさせてもらっている。フェルは心を読まれないように二重の防御魔術を張る。これを搔い潜ってフェルの心をどれだけ深く読み取れるか、といった訓練だ。精神を集中させ、魔術を練る。
目の前に座るフェルも、どうやら防壁の魔術を組んでいるようだ。光り輝く魔法陣的なものが二重に組み合わさって作られたそれは、それなりの才能があって初めてできる芸当。いや、いきなり才能の差を見せつけられると…ちょっと悲しいよ?
ともかく、魔術を発動させると、頭に響くのは音。金属同士をすり合わせたような不快な音はフェルの魔術によるものだろう。さらに集中を増し、邪魔になっている音を排除する。聞くべきフェルの心を探す。
『…き。コト…だ…。』
なんとなく声と認識できそうな音が頭に響く。たぶんこれがフェルの心だろう。…こいつ、脳内に直接!?とか考えて遊ぶのもいいが今は自重するとしよう。集中…
『コトハ大好き!コトハ大好き!もうほんとに、大好き!大好き大好き大好き大好き大好き』
「怖いわ!」
『お?もう抜けてきたか。おぬし腕を上げたな?』
「いや、魔術展開中になんでこんなにも無駄な考えができるのかにも興味はあるけど、恐怖が興味を上回ってるわ!」
『無駄なこととは酷いなー。偽ることない、私の本心だよ?』
「そんな本心はオブラートに包んでそのまま飲み込んじまえ。」
『その後私の体内でオブラートが解けて溢れ出す本心。』
「…ラップでくるんで飲み込んでください。」
『なんで麻薬の密輸チックなのさ…』
「危険物であることに変わりはないからな。」
第三者がこの場を見ればやけに喜怒哀楽を繰り返しながら話す僕と、無言のにやけ面で僕を見ているフェルといった構図なのだが…というか喜と楽が見当たらないので怒哀を繰り返す僕、が正しいのだろう。それなんて鬱展開?
『さて、じゃあどこまで深く踏み込めるかな?』
「いや、これ以上覗くのが怖すぎるんですが…」
『やっぱりコトハはその魔術が怖いんだね…わかるよ?今まで大変な思いをしてきたもんね?』
「この魔術の怖さをお前の怖さが上回ってるんだよ!恐怖通り越してもはや狂気だよ!」
まあ、せっかく僕の心の「調整」に付き合ってくれているんだし…やるけどさ…
僕の中の精霊が蠢きを増す。精霊が不足し始めたということだろう。時間もないし早く終わらせるとしよう。集中…
直後、僕の脳内に言葉にもなっていない音が溢れ出す。心の深部というのは無数の感情で常にごちゃごちゃしているものだ。それらが同時に僕の脳に流れ込んでくる。かの有名な聖徳太子さんでさえ聞き取れないであろう数の声が僕の脳を揺らす。…この気分を味わいたければ、動き回れないほど狭い密室の中にテレビを100台置いて、すべて別のチャンネルを最大音量で垂れ流せばいい。目隠しまですれば、よりこの状況に近づくだろう。もう僕の目は見えていない。視覚に割く容量が僕の脳にはもうないのだ。
だが、どんな人間でも心の最深部は静かに一つのことしか考えていないものだ。そこにたどり着けたことは今までないが、いい加減この地獄から抜け出したい…
と、思ったところで僕の魔術が強制的に停止する。…精霊不足だ。この魔術には僕からすれば大量の精霊を用いる。戦闘中などは心の上辺だけを汲み取ればいいのでもっと長い時間使っていられるのだが…まだまだ訓練が足りていないということだろう。
「んー?終った?」
「…ああ…もう…無理…」
「おいおい、大丈夫?顔色とか呼吸とか目つきとか相当ひどいよ?」
「…目つきは…元からだ…」
「突っ込み入れられる元気はあるのかー。ほら、身体、寝かせて?」
フェルのなすがままに、僕の体は横たえられる。もう体も動かせないほどに、疲れている。
…だから、別に膝枕は僕が望んでやっていることではない。いや、うれしいんだけどね?
するとそこから体はみるみる元気になっていく。決して膝枕でバイタルが上昇したわけではなく、フェルが僕に精霊を分け与えてくれているのだ。断じて膝枕の影響ではない。
精霊の譲渡、それは常人…いや、たいていの異常者にできることではない。これはフェルの専売特許、「精霊を視覚的に視る魔術」が可能としていることだ。別にこれがなくてもできる奴にはできるらしいがそれは超高序列の保持者の話であり、2000前後の序列保持者ができることではない。しかも、僕の「心を読む」とは違い、フェルの魔術はそのままの意味で専売特許なのだ。異常者はたいてい精霊の動きをなんとなく感じ取ることはできるが、それを視覚的に把握することなど未だ誰も成功していない。序列第一位であっても、だ。
だからその魔術式を、彼女は決して口外しない。口外すればその新技術によって戦争が起きてもおかしくない。魔術式だけでなく、魔術自体も僕以外には明言していないほどの徹底ぶり。
その魔術があるからこそ、僕の体に最大効率で精霊を送り込むことができるのだろう。ありがたい。
「お、身体が動くようになってるねー?膝枕がそんなに効いたのかな?」
「いや、違…もうそれでいいや。膝枕最高ですよ。ほんと、切り取って枕にしたいくらい。」
「コトハのそれも十分怖いからね?で、身体はともかく…心の方は?」
今までの冗談のような空気は一切なく、真剣な様子で彼女は問いかける。今までの一連の、いつも通りの訓練には二つの意味がある。一つは先ほど述べたとおりに、魔術の練度を上げること。そして二つ目は「僕の心の調整」…要するに精神に多大な負荷がかかる魔術を使用することで、この魔術に合った心を作り上げることを目的としたものだ。前者も後者も、両方とも成果は上がっているといっていい。初めはフェルの作り出す防壁を突破することができなかったし、心の深部に入り込んだ時点で倒れてしまっていた。一年かけて、ここまで作り上げたのだ。だが、前者も後者も、とくに後者の方は発展途上もいいところだろう。フェルが心配するのも無理はない。
「まあ、ちょっときついくらい。今はいたってクリーンだ。」
だから僕も、冗談抜きで答える。
「…あんまり無理しなくてもいいんだよ?コトハは今のままでも十分に私の為になってるしさ。だから、これ以上…」
「そこから先は言わないで。僕の目標はフェルを守れる男になることなんだからさ。」
「うん…そうだね!コトハはそのために頑張ってるんだもんね!だから今は…ゆっくり休んで?」
そういって彼女は、今にも泣き出しそうな笑顔で僕を抱きしめる。フェルよりも強い男になるには一分一秒たりとも無駄にはできない。
だが、今は、このぬくもりに身を任せるとしよう。こういう生活も、僕の求めることなのだから。