07 待遇改善を求めて
祈りを捧げ終えた三人は、台所へ戻ってきた。
「では、アイノは食事の支度をしてくれ。といっても、生まれて初めて行う料理だ。時間もかかるだろう。私とアルヴェナはその間、適当な空き地で身体の習熟を行おう」
「かしこまりました、ナツキ様」
アイノは恭しくおじぎする。
普通の食材なら、それほど時間がかかることはありません、と彼女は言いたかった。
でも、言えなかった。
まずはあの肉をどう調理すべきか、分析しなければならないのだ。
毒見役、もとい味見役が欲しかった。
しかし、現実にはそんな奴はいない。
◇ ◇
ナツキはコアの部屋へ戻って、ごく普通の品質の革鎧、服一式と鋼の剣を五個ずつ作成した。
今着ているようなひらひらで装飾が施された服では、外に出たら悪目立ちするだろう。
また、鍛錬用にも必要だ。
貴重な神力を一も消費してしまうが、ナツキは必要経費としてあきらめた。
(人間の街で買えば、神力を消費しなくてすむんだがな。今はやむを得ないか)
渋い顔をしながらも、ナツキは空間魔術を用いて、革鎧と剣を異空間に収納していく。
ナツキはアルヴェナに鎧と剣を渡して、それぞれの部屋で着替えることにする。
◇ ◇
アルヴェナは自分用にといわれた部屋に入って、着替え始める。
その部屋には何もない。
がらんどうだ。
壁で仕切られただけの空間にすぎない。
脱いだ服を置くタンス、クローゼットみたいなものはおろか、台すらもない。
仕方ないので、アルヴェナは誕生した時から着けている服を床においた。
レナーツァ様からいただいた貴重な服だ。
防御力も耐久力もこの鎧よりはるかに高い。
床に置きたくはなかったが、仕方なかった。
裸になった自分の胸や体型を見る。
ここに鏡はないが、魅力的な容姿のはずだ。
レナーツァ様が造形してくださったのだから、と彼女は思う。
実際に彼女は美貌だった。
街で歩いていたら、すれ違う男の数多くが彼女を見つめるだろう。
(誘ってみたが、全く興味をひけなかった。あの男はレナーツァ様に忠実のようだが、少し危険な気がする。身体で結びついてしまえば、早いのだがな。そうすれば、多少はあの男の手綱をとれると思ったのだが。まぁいい、機会はいつでもあるだろう。今は忠実に振舞うとしよう。全てはレナーツァ様のためだ)
彼女は着替え終わって、部屋を出た。
◇ ◇
ナツキとアルヴェナは何も配置されてなくて、自動的に広場となっている場所まで歩いた。
到着後、身体能力を確かめるべく、二人は運動する。
長距離を走ってみたり、剣の素振りをしたり。
やがて、二人は離れて、魔術を放ってみる。
炎、氷、電撃。
様々な魔術が放たれるたびに、激しい音が響く。
壁が業火で熱され、氷結する。
しかし、レナーツァの神力で強化された壁は、傷一つついてなかった。
壁が傷ついてないのを確認したナツキは一先ず安堵する。
自分やアルヴェナの魔術程度で傷ついてもらっては困るからだ。
魔術のチェックが一通りすむと、二人は模擬戦を始める。
素手で、剣を用いて、魔術を使って。
二人は頭の中にインプットされていた剣技や体術を試していく。
最初はぎこちない動きであったが、徐々に洗練されていった。
◇ ◇
アイノは貯蔵庫から当面必要な食材を持ち出し、台所へと運んでいく。
肉を後回しにして。
他を全て運び終えたアイノは包丁を持って、合成肉の前で立ち尽くしていた。
(包丁を刺し入れたら、肉が叫んだりなんてないですよね?)
ホラーのようなことを考えるアイノ。
アイノと肉の間で静かな時が流れていく。
いよいよ覚悟を決めて、アイノは合成肉に包丁を入れた。
ぶすっ、すぶずぶ。
(あれ、軽い)
生まれたときからの知識として知る動物の肉を切り裂くよりも、あっさりと包丁が通っていく。
この包丁が高品質なのかと思うアイノ。
しかし、こんな食材を用意したナツキが、いい包丁を用意したとは思えない。
つまり、この肉は普通よりも切れやすいということだ。
肉の構造が気になったアイノは、切り裂かれた肉の断面をのぞいてみる。
同じだった。
表面と同じく、ピンクと蝋色でまだらに染まっていた。
全てが均質なのだ。
「…………」
アイノは考えるのをやめて無心で肉を切り裂き、台所へと持っていった。
彼女はパン、シチューを作ることにする。
この世界では約四百年前から、酵母で製造されたパンが主流となっていた。
召喚された勇者が広めた製法だった。
なので、現代日本とそう変わらないふわふわとしたパンが食べられている。
アイノは小麦を製粉機に入れて、小麦粉を作る。
作成された小麦粉に水と塩を加えて、アイノは一生懸命こねていく。
できたパン生地に酵母を加えて、魔力を加えて発酵を促進させる。
発酵を待つ間に、アイノはシチューに入れる野菜などを切り刻んでいった。
アイノは楽しそうにそれらの作業をこなしていく。
一通り作業がすむと、これまでの様相を一変させ、アイノはどんよりとした表情になる。
シチューに入れる肉のチェックをしなければならない。
前もって味を確認し、どれだけ調味料を入れたらいいのかなどを知る必要がある。
この食材だけは知識として入っていないのだ。
何も知らずにシチューへぶちこめばいいというものではなかった。
まずは、鍋に水をはって塩を少し入れて、肉の小片を放り込んで煮てみる。
生で試食する覚悟など、アイノにはなかった。
(変色するのが早すぎるんじゃ……)
肉を煮込んでいくと、赤やピンクから白色へと変わっていくものだ。
しかし、この肉は普通の肉よりもはるかに早く、濁ったクリーム色となった。
アイノにとって気持ち悪すぎた。
しかし、試食しなければいけないのだ。
彼女はぎこちなくレンジの火を止めた。
これ以上は煮込みすぎになるだろうから。
アイノはフォークを取り出して、鍋の中の肉にぷすりと刺しこむ。
フォークを持ち上げ、肉を顔の前に持ってきて、アイノはまじまじと見つめる。
一見、普通の肉だった。
しかし、鼻を近づけるとやや脂くさい。
ごくり、アイノの喉がなる。
アイノと肉の面接が続く。
(時間がなくなります。ううっ……)
えいやっと、アイノはフォークで刺した肉を口へ放り込んだ。
噛んでいくと舌の上へ肉がさらりとほぐれていく。
熟成が足りていない赤身の味と、とろっとこってりとして少し生臭い脂の味がした。
二つの味が不協和音を奏でて、アイノの脳に信号を送り込む。
(食えないというほどひどい味ではないです。でも、美味しくもありません)
微妙な表情を浮かべて、味を確認できたアイノは水をあおって、無理やり飲み込んだ。
(一応、食べられます。他の肉があれば絶対に食べないですけど。この肉の正体がわかれば、薄気味悪さが減るのに)
アイノは調理方針を決定する。
塩と様々な香辛料を、多めにぶちこむことにした。
素材の味を引き出すのではなく、覆い隠してしまうわけだ。
特に脂臭さを消す必要があった。
(スパイシーシチューと名づけましょう)
アイノは鍋でシチューを作り、パンをオーブンで焼いて、いつでも食事を食べられるようにした。
◇ ◇
ナツキとアルヴェナが台所に戻り、テーブルに座る。
アイノが丸いパンと茶色いシチューを木の食器に入れて、並べていった。
陶磁器だと割れる可能性があるので、ナツキはわざわざ木の食器を指定して作成している。
レナーツァ様の神力で作成した器を無駄にすまい、ということだ。
ナツキは妙なところで細かい男であった。
用意が整い、アイノも座る。
人数が増えれば、新たに食堂を作る必要があるが、今のところ必要なかった。
「糧を下さったレナーツァ様に感謝を、いただきます」
ナツキの声に二人が唱和する。
ナツキはおもむろにパンをかじって咀嚼する。
「これは美味しいな。アイノを召喚してよかった」
コンビニで売ってるパンより美味いんじゃないか、とナツキは思う。
「どうもありがとうございます。ナツキ様」
「そうだな、これは悪くない」
パンを手でつまんでちぎって食べたアルヴェナもナツキに同意する。
「よかったです、アルヴェナ様」
アイノはまるで花が咲いたかのような笑みを浮かべる。
「で、こちらはシチューか、どれどれ」
ナツキはスプーンですくってシチューを口に入れる。
その様をアイノだけではなく、アルヴェナまでじっと見つめていた。
ナツキはスープを味わった後、肉や野菜を咀嚼してのみこんだ。
「美味しいな、これ。味は少し濃いけど、美味い美味い。食材の味が活かされてるんじゃないか?」
ナツキからしたら、ビーフシチューであった。
ファミレスで出てきてもおかしくないくらいの味だ。
「それはよかったです。ほっとしました」
アイノは笑みを浮かべるが、先ほどの笑みが満開なら、今は三分咲きくらいだろうか。
アルヴェナは二人のやり取りを聞きながらも、まだスプーンを手に取っていた。
パンを食べ、水を飲む。
シチューは眺めるだけだった。
アイノは黙々とパンとシチューを食べていた。
シチューを食べると、すぐに水をのむ。
「どうした、アルヴェナ。せっかくのおいしいシチューが冷めてしまうぞ」
「……はい。パンがおいしかったものですから」
「それはわかるが、冷めるとまずくなるぞ」
ナツキには特に悪意はない。
アルヴェナはスプーンを手に取った。
で、アイノを見やって、一言つぶやいた。
「問題ないんだな?」
「はい、食べられます」
何が問題なのか、二人は目の動きだけで通じあった。
念話をこえたコミュニケーションだ。
アルヴェナは不承不承、スプーンでシチューをすくって口の中へ入れた。
「……味は悪くないだろう」
「よかったです」
「いい仕事をしたな、アイノ」
アルヴェナとアイノは互いをなぐさめあうような表情を浮かべる。
「本当にいい仕事だ。おかわり」
「はい、ナツキ様」
シチューのおかわりをしたのはナツキだけだった。
食事が終わった後、ナツキは二人に話しかける。
「一応、もう時間的には夜になる。数時間寝て、また訓練をするとしよう。アイノは他の料理も試してくれ」
居住区だと台所には唯一、置時計があり、時計の針は二二時を指していた。
魔力を充填して動かすタイプだ。
神殿にも設置されていて、細緻な装飾が施されており、より大きく立派な時計だ。
「ナツキ様、一つ質問があります」
アイノがおずおずと問いかけた。
「なんだ?」
「台所やトイレ、神殿は内装も整って、きれいなものです。でも、いただいたお部屋に限らず、ナツキ様の部屋すら何も置いてありません。内装や寝具はこれから作成されるのでしょうか?」
「いや、作成しない。床で寝たらいいだろう。野営の訓練だと思えばいい」
ナツキの返答を聞いて、アルヴェナとアイノは互いを見やった。
「アルヴェナの身体チェックが終われば、冒険者として外へ出てもらう。人間の街で内装や服などを買って、空間魔術で持ち帰ればいいだろう。金で買えるものを神力で消費して作成する必要はない」
「……それまで、何もない部屋で過ごすのでしょうか」
アイノの声も表情も暗い。
「ああ、魔族は頑丈だからな。大丈夫だ」
ナツキは淡々と返事する。
魔族は一日に四時間も寝れば、十分であった。
さらに、ある程度寝だめができて、徹夜にも強い。
そのことを知ったナツキにしたら、何も問題なかった。
アルヴェナの表情はまるで苦い薬でも飲んだかのようだ。
(ここは牢獄というものと、そう変わらないのではないか?)
アルヴェナの心中に疑念が浮かぶ。
「アルヴェナが外部で手に入れた金は最初、内装などに使ってもらう。しかし、それらの購入が終われば、半分は好きに使っていい。仕事以外は自由にすごしてもかまわん」
「本当にそれでよろしいのでしょうか?」
アルヴェナが思ったよりも、自由な境遇だった。
もっと過酷なことを言われるかと思っていたのだ。
「ああ、成果をあげれば、それに対する報酬を与えるべきだと私は思っている。かつて成果報酬という名前の賃下げをされた私にとって、それは譲れない線だ。好きなものが食べたければ、欲しければ、収入を増やせばいい。ただし、仕事をした上での話だがな」
「寛大なナツキ様のお言葉、しかと拝聴いたしました。アイノもナツキ様のお言葉を聞いたな」
「はい、この耳で」
アルヴェナがアイノに話をふったのは、さっきの言葉を言質にしたかったからだ。
アイノもその思惑に気づいていた。
二人は視線をかわして、少しうなずく。
ナツキの眷族である二人は深い絆で結ばれた。
連帯感が二人を覆っていた。
もしかしたら、ナツキに対する忠誠心より強いかもしれない。
◇ ◇
翌日、目が覚めたナツキとアルヴェナは広場に行き、訓練を行う。
午前三時からの訓練だ。
アルヴェナの動きは昨日と全く異なっていた。
いうなれば、キレがあるのだ。
ナツキはアルヴェナを見やって、口元をほころばせた。
アルヴェナは気迫を身にまとい、連発で炎を繰り出す。
「はぁぁぁっっ!!」
爆炎と共に、裂帛の気合に満ちた彼女の声がとどろいた。
「アルヴェナ様、その意気です!」
特にやることがなくなっていたアイノは、二人の鍛錬を見物していた。
「まともなお肉とベッド……ではなくて、ご主人様にふさわしい内装や食材を確保するためにがんばって下さい!」
アイノのアルヴェナに対する激励は、おざなりなものではない。
発する言葉も本音から多少ずれているが、嘘ではなかった。
本心から、アイノはアルヴェナを応援しているのだ。
アルヴェナが放った電撃の轟音が鳴り響く。
(一日でも早く、ここから脱出してくれる!)
アルヴェナの強い想いは、あるいはレナーツァにまで届いたかもしれない。
獲得神力:
ナツキ一日滞在:200
アルヴェナ、アイノ一日滞在:15
消費神力:
鎧と剣の作成:1
収支:
+214
残り神力:
94,914