26 侯爵の暗躍
「……この世界では、奴隷を苗床や肥料にする農法などないだろう?」
ナツキは渋い顔をしながら、レナーツァにインプットされた知識を元にそう述べた。
「おっしゃる通りです。しかし、私はナツキ様のお陰で魔力も土魔術も並みのドリュアスより優れています。ナツキ様のご期待にこたえるべく、私は少しでも食料の収穫高を上げなければなりません。その為には土魔術を組み合わせて、そういった研究が必要ではないかと思いまして」
ユスティナは優しげな微笑をたやさない。
「私は身請けした奴隷を酷使するつもりはない。エルフや獣人などに限らず、味方にできるのであれば人間も戦力として用いる必要がある。食料の生産高を上げるのはそういった人材を養っていくためだ。苗床や肥料として用いる研究などする必要はない」
「まぁ、そうでしたか。ならば、そういった奴隷は農場で働かせたいということですか?」
「そうだ。そもそも身請けした奴隷から隷属の首輪を取り除くつもりだ。戦うには適さない解放奴隷を農場で働かせることで、戦力となる解放奴隷が食べるものを生産していく」
「よくわかりました。ならば、農場で働かせる解放奴隷には私の魔力を強制的に流して、土魔術を会得させてから働かせましょう」
会心の笑みを浮かべるユスティナ。
それとは裏腹に、ナツキはますます顔を渋くする。
「お前の魔力を無理やり注ぎ込んだら、土魔術を会得する前に死んでしまわないか?」
「三割くらいは死んでしまうかもしれませんね。もう三割は廃人になるかもしれませんが、残り四割が土魔術を会得すれば、収穫高が大きく上がります。それにデータを蓄積していけば、土魔術の会得率は向上していくでしょう」
「六割も殺したら、士気が壊滅的になる。それも却下だ」
「あらあら、それは残念ですね」
あごに右手の人差し指をあてて、首をかしげるユスティナ。
そんな姿にも優美さを感じさせるが、ナツキはだまされなかった。
ユスティナは両手をあわせて、ぽんとたたく。
「ならば、こういたしましょう。私の魔力を流し込んだ農作物を食べさせることで、解放奴隷達の魔力を高めていくのです。それから、土魔術を指導すれば立派な助手となるでしょう」
「そんな物を食べさせて大丈夫なのか?」
「それは実験データを見ていけば、わかることですわ」
「……人体実験は禁止する。命令だ」
「えー、ナツキ様は私の魔力を有効に使うおつもりがないと?」
「その魔力は純粋に農業のために使え」
ナツキの声は冷たかった。
「ならば、志願者のみで実験するというのはいかがでしょう」
ユスティナは笑顔を崩さない。
「……そこまで実験をしたいのか?」
「全ては私を生んで下さったナツキ様のためです」
笑みを浮かべたまま、ユスティナの眼差しが鋭くなる。
ナツキはその眼差しを受け止めてから話し出す。
「何を食べるかで発育が異なるのは、私も知っている。そこまで言うのであれば、実験の許可を出そう。ただし、当面の間は私が用意した実験体のみで実験を行え。次にその食物は私がダンジョンにいる間、私も食べることにする。それで結果が良好であれば、志願者にもその食べ物を提供する。よいな?」
ユスティナは不意をつかれたような表情を示した後、再度微笑みを浮かべる。
「かしこまりました。種子の調達をお願いします」
「わかった。アルヴェナとセナドゥスにドノソで買い付けるよう命じておこう」
「ナツキ様のほっぺが落ちるような食べ物を作ってみせますね」
ユスティナは両手をあわせて、魅惑的なアルカイックスマイルをナツキに見せる。
「……普通でいい、普通で」
ナツキはユスティナを供だって、他の眷族へ紹介しに行く。
◇ ◇
キトリニア王都はナジーダよりも北東にある。
十一月でありながら、すでに厚手の上着がなければ外出は厳しい。
王宮はキトリニアで豊富に産出される大理石によって建てられている。
ところどころ、鮮やかな色の輝石がはめこまれ、絢爛豪華さを演出していた。
白鴎宮というのが王宮の名前だ。
内装もまた華麗な外見にふさわしく、一流の職人、画家が作成した調度、絵画が揃えられている。
この世界における絵画はいわゆるバロック様式のような絵画が中心だった。
レンブラント、ルーベンス、フェルメールらが描いたかのような絵が多い。
その王宮の一室、謁見の間にてデラフェンテ侯爵、バンデラス辺境伯が国王アナクレト二世に拝謁していた。
謁見の間には国王、宰相、侯爵、辺境伯、そして侍従がずらりと並んでいる。
謁見の間には、キトリニア歴代国王の肖像がずらりと飾られ、荘厳さをかもし出していた。
さすがに王宮はしっかりと暖房がなされていたが、なぜか謁見の間の空気は冷たい。
玉座に座るアナクレト二世がその原因の一つかもしれなかった。
四五才の割にはそれほど顔は老けていない。
しかし、若さも感じられなかった。
身にまとう雰囲気は虚無そのものであり、王権が低下しているキトリニアをいかにも象徴していた。
デラフェンテ侯爵、バンデラス辺境伯が片膝をついて、玉座にある国王を見上げる。
宰相は国王の左前にあった。
白髪の痩身だが、背筋を伸ばして謹厳さを感じさせる。
「グラナドス大公の崩御に伴い、大公国内部は混乱しております。今こそ、千載一遇の好機。何とぞ、グラナドスへの出兵に勅許を賜りたく」
デスナイトと化したブラウリオの仇敵であるデラフェンテ侯爵の朗々たる声が謁見の間に響いた。
黒髪、黒い瞳だが、いわゆる三白眼だ。
侯爵はがっしりとした身体つきで、肥え太ることなく均整さはとれている。
ブラウリオを死に追いやった残忍さは奥底に隠されており、外見には微塵も感じさせなかった。
「宰相、確か今年の収穫に余裕はなかったな」
アナクレト二世の声は枯れていた。
「御意。王軍の出兵は難しいかと」
宰相の声量は乏しかったが、なぜか声が通って聞こえづらくはない。
「ご心配には及びませぬ。私をはじめ、南西部の諸侯有志で軍を編成し、グラナドスを討ちます。陛下のお手をわずらわせることはありませぬ。また、バンデラス辺境伯も同心いたしております」
「デラフェンテ侯の仰るとおりです。私もまたキトリニアの武威を大いに輝かすべく、一心不乱に戦う所存であります」
侯爵の言葉に呼応したのはバンデラス辺境伯。
三三才であり、その声にはまだはつらつさを感じさせる。
蜂蜜色の髪に軽くウェーブがかかっており、女官が騒ぐほどの整った顔立ちであった。
「そうであるか。ならば、よきにはからえ」
「ははっ。必ずや勝利して参ります」
「ありがたき幸せ」
熱量を全く感じさせない国王の声とは対照的に、侯爵や辺境伯の声からは熱意があふれ出る。
そんな侯爵と辺境伯を国王は無感動に眺め、宰相の目つきは冷ややかなものとなった
◇ ◇
侯爵と辺境伯の謁見が終わった後、宰相が人払いをしてアナクレト二世と二人きりになる。
国王の側に歩み寄り、宰相は小声で話しかける。
「デラフェンテ侯とバンデラス辺境伯が手を組んで大功をあげたとなれば、後々やっかいなことになるやもしれませぬぞ」
宰相の声には毒がひそんでいた。
「だからといって、余には止める力もあるまい。それにエルネストは余よりも二つ年上よ。人生における残りの年月を考えれば、安穏としてはおられないのであろう。ならば、好きにさせてやればよい」
アナクレト二世は宰相を見ず、エルネストが先ほどまでいた場所のあたりに視線を漂わせた。
「遠征軍には手の者を潜ませ、監視させます。勅令をたまわりたく」
宰相もまた、顔を伏せて国王の顔を見ていない。
「余はアトリエに戻って絵の続きを描く。後はよきにはからえ」
「御意」
アナクレト二世は玉座から立ち上がり、謁見の間から退室する。
宰相もまた、配下に指示を出すべく下がっていった。
◇ ◇
侯爵以上の爵位を持つ貴族は、王宮で部屋をいくつか与えられている。
デラフェンテ侯爵は自家に与えられている一室に、バンデラス辺境伯を招く。
細緻な彫刻が施されたテーブルを中央にして、豪奢なソファーに座った侯爵と辺境伯は向かいあっていた。
「勅許が得られたのは辺境伯が協力してくれたお陰だ。まずは礼を申そう」
「何をおっしゃいます。侯の主導あってこそです」
侯爵と辺境伯は制御された微笑をかわして、互いの様子を観察していた。
「これから出兵となるわけだが、私と辺境伯の軍が主力となろう。頼りにしている」
「全力を尽くしましょう。それにアドルノ伯やカンディロ伯も期待できるのでは?」
アドルノ伯はダンジョン最寄のカイマトリを支配する領主であり、カンディロ伯はカイマトリの北にあるドノソを支配している。
両家はキトリニア南西部において、デラフェンテ侯、バンデラス辺境伯に続く貴族であった。
「フフッ、カンディロ伯はともかくアドルノ伯はな。先代ならともかく当代はどうにもならぬ」
侯爵は揶揄するように目尻、口元にしわを作った。
「確かに、鎧が着れるかどうかわからぬほどの肥満体ではありますな」
辺境伯は失笑する。
「出兵の内諾は得たが、嫡男に出征させるとのことだ。飛び地はいらぬが成功の暁には財貨で報いてくれとな」
「ほう、確かにグラナドスで領地を得ても、境を接しておらぬアドルノ伯からすれば旨みは少ないかもしれませぬが」
「財貨で納得するのであれば、たやすいことだ」
侯爵の表情は揶揄から侮蔑へと変化する。
「閣下のおっしゃる通りですな」
「嫡男も無能だが、アドルノ伯の兵力はバカにできん。利用させてもらうとしよう。辺境伯も損害は少しでも減らしたいであろう」
「まさに」
辺境伯は目を細める。
「辺境伯がいれば頼もしい限りよ」
「私など侯に比べれば、まだまだ」
「そんな事はあるまい。卿の若さ共々うらやましい限りだ」
侯爵の目にねっとりとした光がちらつく。
辺境伯は侯爵の視線を避けて、
「侯の指導あってこその私です」
と、返した。
「フフッ、王軍なしでグラナドスを征服できれば、グラナドス領の差配は思いのまま。勝利の美酒を酌み交わすとしましょうぞ」
「その日を楽しみにしております」
話を終えた辺境伯は辞去し、控え室で待っていた執事のラモンが入室する。
四七才の侯爵に対して、三つ年上で五〇才のラモンは地味な印象を与える男だ。
ラモンは腹心として、エルネストがデラフェンテ侯となる前から三〇年以上仕えてきた。
「兵の手はずは?」
「ナジーダにご帰還なさった時には、すでに準備万端整っております」
「グラナドスの状況は?」
「大公は何も気づかず、手はずどおりに進んでおります」
主君の問いに対して、ラモンは即答する。
侯爵の顔には満足げな表情が広がっていく。
「グラナドスに手を広げるのに三年もかかったが、ようやくここまでたどり着けたな。お前の手腕あってこそだ。感謝しているぞ」
「ご主人様のご命令どおりにしたまでです」
「父上が長生きしすぎたお陰で、実権を握るまで私もお前も年をとったな。待ちくたびれすぎて……」
侯爵は視線を遠くにやった。
「ご主人様、それ以上はお口に……」
ラモンの声が少し大きくなる。
「そうだな。私としたことが口が軽くなっていたようだ。このまま一侯爵として生を終わりにするつもりはない。大業を果たすまで、お前の力使わせてもらうぞ」
「ご主人様のために働くのが私の使命でございます。大望をかなえるまで、ご存分にお使い下さい」
侯爵はラモンと視線を交わし、
「頼むぞ」
と、述べた。
二人は実務について話を詰めていく。
◇ ◇
白い神官衣を着たナツキはブラウリオを連れて、ダンジョンの外へ出る。
樹木のいくつかは紅葉が終わり、葉がすっかり落ちてしまっていた。
そのため、夏であった七月よりも視界が良好であった。
空を見ると、雲が一面を覆っている。
日本人であったナツキからすると、すでに冬とも思える気候であったが、魔族となった今ではその寒さもこたえない。
デスナイトであるブラウリオも同様だ。
ナツキがブラウリオに話しかける。
「今後について説明しておく。私達は陸路でカイマトリ-エローラ-グラナドス領と南下する。海路を使わないのは転移魔術の転移先を確保していくためだ。それと、察知能力で盗賊や山賊の根城を探って殲滅していく」
「それは良いことだと思いますけど、民のためではないですよね……?」
ナツキとのつきあいも長くなり、ある程度考え方がわかってきたブラウリオは、恐らく違うだろう、と思いつつも質問する。
「ユスティナが食料を使った人体実験をしたいというのでな。実験体を確保するためだ。それに賊どもが資産を持っていたら、奴隷を身請けするための資金にあてればいい。ついでに神官ヴァレンスの評判が高まれば上出来だな。実験体が手に入れば、いったんはダンジョンへと引き返す。その際は転移魔術を使えばいいから、さほど移動時間はかかるまい」
「……やはり、そんなところでしたか」
自分はもうすでにデスナイトなので、そんな物を食べさせられる心配がないことにブラウリオは感謝する。
「お前にとって本番はグラナドス領内に入ってからだな」
「はい、強くなる機会は逃しません」
ブラウリオは気持ちを入れ替えて気合を入れる。
「もう一つ、気合が入るかもしれない推測を話してやろう」
「なんでしょうか?」
「現状についてだ。たまたま、グラナドスの出来がいい大公子が亡くなった後で、偶然に大公が病死した。それで暗愚な弟が後を継ぎ、なぜかそれに伴って魔物の活動が活発化する。それらの隙をついて、お前の仇敵である侯爵主導でグラナドスへ出兵。お前はこれら全て、偶然だと思うか?」
「……それは!?」
ブラウリオは、はっとして考え込む。
ナツキに指摘されてみると、あまりにも偶然が重なりすぎていた。
「推測にすぎないが、全部が全部、偶然というには事が重なりすぎている。お前を暗殺したデラフェンテ侯だ。他の人間を謀殺していても不思議はあるまい。それに魔物の手引きも侯爵の手引きかもしれん。なら、我々が魔物を退治すれば、侯爵の手はずが少しは狂わないか?」
ナツキはにやりとする。
「それは、そうですね。エルネストの邪魔になると思うと俄然、燃えてきました!」
「あくまでも推測だがな。我々には物事を主導するだけの力はまだない。しかし、訪れた好機を利用するのは可能だ。気合が入ったようだし、行くとするか」
「はい、ナツキ様」
ブラウリオが力強くうなずいて、二人は南へと旅立った。
獲得神力:
滞在分合計:220
残り神力:
64,770