20 不死者の砦
ナツキはオドレイ達三人と別れてから、ボルイェ街道沿いの森や山を南下していった。
百を超える魔物の命と身体を奪いながら、途中で新たな冒険者パーティ二つと出会う。
一つは人間四人のパーティ。
全員がナツキに生命を吸われ、死体を献上した。
もう一つは人間一人と奴隷の獣人四人のパーティ。
人間は殺されて死体がナツキに収納され、奴隷の獣人四人は首輪をナツキにはずされて解放された。
四人は闇の神に仕える神官ヴァレンスに感謝して、去っていった。
(人間相手でも問題なく戦えるな。あの迷いはあの時だけのものと思って間違いない)
ナツキは妹の顔、いやギードレの顔を思い浮かべ、かき消した。
それからなおも進んで日が暮れて間もない頃、ナツキはシャンタリ河に至る。
かつてはキトリニア王国とグラナドス大公国の国境であった。
その際は両国の砦がいくつかあり、哨戒兵も配備されていた。
しかし現在では、ナツキがいる一帯はキトリニア領だ。
砦の多くは廃棄されて、哨戒兵もいない。
ここから二〇kmほど南に下れば、今の国境線がある。
両国とも砦を造り、哨戒兵はそちらに配備している。
従って、ナツキがいる近くに軍隊はいない。
河沿いに開かれた村に人は住まうも、闇夜の中で多くの村人は寝ているであろう。
ナツキはアルヴェナからもらった情報どおり、河岸沿いの森を西に行く。
シャンタリ河はかつて、水棲の魔物が数多くすむ危険な河であった。
しかし、多くの魔物が人間達によって狩られ、今となっては危険な魔物はほとんどいない。
今のシャンタリ河は食料となる魚、農業用水、水上通商の利益をもたらす人間のための河であった。
時折、河からちゃぽんと魚がたてる水音が聞こえる。
キーキーといった虫の鳴き声、ゲロゲロといった蛙の鳴き声との合唱で騒々しかった。
ナツキはそれらの音に惑わされず、気配や魔力、熱源を察知して、隙なく進んでいた。
微弱な反応ばかりで強力な魔物は存在しない。
目標の廃棄された砦が近づくに連れて、ナツキは濃密なアンデッドの気配を感じる。
気配を追うだけで地図がなくても迷わないだろう。
ゾンビやスケルトンなど実体がある魔物だけなら、朝や昼に戦うのが望ましかった。
しかし、デスナイトとなると事情が異なる。
実体はすでになく、幽体と化している。
ゴーストやレイスなどと同じで、太陽の輝きがある場所では実体化できない。
つまり、夜に戦うしかなかった。
もっとも、説得だけで眷族になれば戦う必要はないが、どちらにしても夜にいく必要がある。
ナツキはかつての道を歩いて、砦へ向かう。
今となっては草が生えて、道とはわからないほどであった。
砦は高台の上に立っており、木々の隙間から砦の土壁がうかがえる。
闇夜の中でも暗視能力を持ったナツキの目にくっきりと映る。
高台に通じるぼろぼろの階段をナツキは上がっていく。
不死の魔物達がもたらす闇の気配がまとわりついてくる。
(これほどの気配とは。思ったよりも大物が手に入るかもしれんな。何としても成功させないと)
常人ならばすでに退散しているであろうが、ナツキは臆せず階段を上りきった。
ナツキが砦を見ると高さ四mほどの土壁で囲まれ、さらにその外は深さ四m幅五mほどの空堀で囲まれている。
土塁の上には木の柵があるが、多くの箇所で倒されていたり、欠けていたりする。
焼け焦げた部分もあることから、火によって焼かれて欠けたのだろう。
同じように木製の見張り台らしきものが土壁の上にいくつかあるが、いずれも焼かれて黒い骨組みしかない。
土壁の中には何も見えない。
つまり、砦の建物はそれほど高くないということだ。
ナツキは思案する。
飛翔魔術で土壁を飛び越えるべきか、それとも入り口に回るか。
前者は手早いが、目立ちやすく敵の種類によっては狙い撃ちにされるだろう。
大して悩むことなく、ナツキは入り口から入ることにする。
自分を圧倒するような気配、魔力は感じないが、リスクはできる限り減らすべきだろう。
特に急いでいるわけではないのだから。
ナツキが空堀の外を時計回りにぐるっと回っていくと、高さ、幅三mほどの門が視界に入る。
門の前に橋はなく、破壊された扉が横倒しになって、中が見えていた。
堀の向こうからでも歩く腐乱死体が見える。
つまり、ゾンビ。
本来であれば、三〇年の月日が肉体を完全に溶かしているだろう。
しかし、死体にとりつきし闇の魔力が腐敗をとどめて死体をゾンビにした。
ぼろぼろの革鎧には斜めに斬られた傷があり、ナツキがよく見ると左肩にまでその傷が走っていた。
あの傷で死んだな、とナツキは推測する。
また、ナツキは他にも気づいていた。
ゾンビやゴーストといったアンデッドモンスターが多数徘徊しているのを。
砦全体を調べていくと、アンデッドモンスターの反応がおよそ八〇もある。
やや強力な者もいるが、基本的にはナツキからすると有象無象だった。
(濃密な魔力は感じるが、細かな場所はつかめないな。デスナイトは影に潜んでいるんだろう)
デスナイトは影に潜むことによって、影の中で移動することも気配を絶つこともできる魔物だった。
ナツキは念のため砦の外を探るも、不審な反応はない。
(砦全てを結界で囲むのは無理。デスナイトとの戦闘が始まるまで結界をはれないとなると、地味に戦うとするか。外で誰かが様子をうかがってるようなことはないだろうが念の為にな)
ナツキは魔力で身を覆うシールドを作り、右手に持つ杖に魔力をまとわせる。
すでに死んでいるアンデッドモンスターには生命力吸収の魔術は使えず、別の方法で戦う必要があった。
橋がないため、幅五mほどの堀をナツキは飛翔魔術ですーっと渡った。
まるで透明な橋があるかのように。
ナツキは音もなく門前に着地する。
その瞬間、門の近くにいた先ほどのゾンビがナツキに襲い掛かってくる。
他のゾンビも同様にナツキへ向かう。
知性などない。
生きる者を感知すれば、それに対して襲い掛かってくるのだ。
ナツキに迫ったゾンビがいびつに右腕を振り上げ、ナツキ目がけて振り下ろそうとする。
生きている人間にはまず不可能な動きだった。
普通の人間ならば、関節を無視できないから。
単調だが強力なゾンビの攻撃に対して、ナツキは無造作に杖を左から右へとはらっただけだ。
旋風のような一撃がゾンビの横っ腹に決まると、腐った肉が杖で潰れる音がする。
その瞬間、右腕を振り下ろす前に、ゾンビはふっとんで地面へと倒れる。
それと共に飛び散る腐肉と腐った肉汁。
それらがナツキにかかろうとするが、シールドで防がれた。
ナツキのシールドは防御を高めるという理由もあるが、腐肉や肉汁と腐臭を避けるのが最大の目的だ。
その様を見れば、知性ある者なら勝ち目がないとみて怯むだろう。
しかし、当然のことだがゾンビに怯む心など存在しない。
勝負にもならず吹き飛んだゾンビを無視して、新たなゾンビがナツキへ向かっていく。
ナツキは歩きながら、今度はそのゾンビを杖で逆に右から左へ払っていき吹き飛ばす。
三体目のゾンビは杖を両手に持ったナツキによって、頭から真っ二つに切断された。
つまるところ、ナツキはインプットされた知識と鍛錬で得られた杖術の鍛錬相手にしていたのだ。
ナツキが砦の建物を見ると、全て木製でまともな建物はなかった。
焼かれていたり、半分崩れ落ちていたり。
それでナツキは全て野外の戦いになると計算する。
ゾンビだけではなく、頭上からゴーストがナツキに襲いかかる。
ゴーストの外見は、黒い煙に人間の憎しみに満ちた表情が浮かび上がっているかのようだ。
実体がなく、触れたところから熱を奪い取っていく。
攻撃力は大したことないのだが、駆け出しの冒険者にとっては鬼門だった。
何しろ実体がないため、魔術か特別な武具がないと攻撃できないのだ。
対抗手段がなければ、逃げるしかなかった。
しかし、ナツキからしたら、ただのザコにすぎない。
魔力がこもった杖で一振りすると、ゴーストは形容しがたい悲鳴をあげて消えていった。
(ゴーストだけは再利用できないようだな。もったいない。ダンジョンに持って帰る方法があればいいのだが)
ナツキはゴーストについて考えながらも、ゾンビを杖で右へと吹き飛ばした。
ナツキのワンマンショーが続いていく。
総計六〇をこえるゾンビやゴーストが吹き飛ばされたり、消失していった。
他にもアンデッドモンスターが砦の中に存在する。
ゾンビの上位種というべきゾンビウォリアー、食人鬼たるグール、ゴーストの上位種であるレイス。
これらはナツキに近づかなかった。
この三種類の魔物には、高低あるがそれなりの知性がある。
その知性がナツキに対する恐怖を抱かせ、近づかせなかったのだ。
それどころか、砦から脱出し始めていた。
これまで、この砦は怨念や死の気配がこもったアンデッドモンスターにとって居心地がよい場所であった。
しかし、ナツキの到来により、二度目の死を迎える場所になってしまう。
そこで二度目の死を避けるべく、逃げ出したのだ。
この中でも特にレイスは強力といっていい魔物だ。
レイスはゴーストよりもタフでなおかつ、熱ではなく生命力そのものをすすってくる。
場合によって、退治依頼はBクラスの冒険者にだすほどだ。
後日、この周辺に逃げ出したアンデッドモンスターの退治依頼が冒険者ギルドに殺到する。
ナツキは知らず知らずに、冒険者に仕事を村人に危険をプレゼントすることになる。
当然、ナツキもそれらの存在に気づいていたが無視している。
目的はデスナイトだけだ。
四方八方に逃げ落ちる有象無象の相手をするつもりはなかった。
ナツキは最後のゾンビを杖で両断する。
すでに、影に潜んでいるデスナイトの魔力はつかんでいた。
さすがにこれだけ近づけば、ナツキなら影に潜まれても捕捉するのは可能だ。
デスナイトがいるのは五〇mほど先にある影だ。
といっても、今は夜で地面全てが闇に包まれていたが。
(奇襲してくるかと思ったが、何もしてこなかったな。こちらから行くか)
ナツキはデスナイトの様子を探りながら、邪魔なゾンビやゴーストを掃討していたのだ。
デスナイトにナツキが近づこうとしたところ、デスナイトが影から身を起こしてくる。
身長はナツキよりやや高いくらい。
黒のプレートメイルを全身にまとい、その周りは黒いオーラで薄く包まれていた。
顔の左半面は青黒くも整った少年の顔立ちだったが、右半面は骨のみで右の眼窩に青い炎がゆらめく。
左目の瞳にその青い炎と同じ輝きを宿し、デスナイトはナツキに話しかける。
「また来ましたか、エルネストの犬が。これまでで一番強いようですが、僕の手で殺してゾンビにしてやりましょう。あなたも僕達と同じように死後も安息を得られず苦しむといい」
「エルネスト……デラフェンテ侯爵だな?」
「白々しい口ぶりにもほどがあります。他にエルネストがいますかっ!」
口調が激越なものになると共に、デスナイトの身体を包むオーラがゆらめく。
「その口ぶりからして、侯爵に恨みがあるのだな?」
「侯爵など、どうでもいいです。エルネストこそ殺しても殺したりない僕の仇敵!」
「……今の侯爵はエルネスト=ドナト=アンソラ=デラフェンテだ。四七才になる。恐らく、お前が死んでから三〇年はたっている。気づいていないのか?」
デスナイトの左目が見開かれる。
「何だって!? まさか、そんな……」
「デスナイトに変貌するほどの怨念に囚われて、殺されたこの地から動けず、時の流れすらもわからなくなっていたのか」
「うるさいなっ! エルネストの犬が本当のことを話すはずがない。僕を動揺させるための罠ですね!」
そう話すデスナイトの瞳は狂気で彩られていた。
デスナイトは静かに長剣を右手で抜く。
長剣の刃もまた漆黒であった。
「まずは力で屈服させないと、話にならないようだな」
「僕はお前ごときに負けやしない!」
「そうか、その可能性もゼロではないな。私を奇襲しなかった高潔な騎士よ。お名前をお聞かせ願いたい。私を殺すことになる者の名前を知っておきたいのだ」
ナツキは右手の杖を後ろに下げて、頭を下げる。
「……気づいていましたか。僕はどんな身に成り果てたとしても騎士なのです。卑怯な振る舞いをするつもりはありません。たとえ、エルネストの犬が相手であっても。そして僕の名は騎士ブラウリオ。一七才にして、エルネストに殺されたブラウリオです」
幾分かブラウリオがまとうオーラの揺らめきが穏やかになる。
「ブラウリオか、いい名前だ」
「一応、僕も聞かせてもらいます。あなたのお名前は?」
「ここまで来た意味があった。その気配なら、戦闘力だけで考えたらアルヴェナと互角かもしれん。なんとしても、私の眷族にしなければな」
「何です? 僕が聞いたのはあなたのお名前です」
左の眉をひそめるブラウリオ。
「これからの戦いで私に不足する実戦経験を補わせてくれ。それと、お前がどれだけ戦えるか教えてくれ」
「ですから、あなたは何を言ってるんですっ!」
ナツキを薄気味悪く思いながらも激高するブラウリオ。
「その意味は後でわかる。さぁ、戦おう。騎士ブラウリオよ。そうか、私の名前を教えてなかったな。私は……」
次の言葉が出るまで、わずかだが間があった。
「偉大なる闇の神レナーツァ様に仕えるナツキ=カレクサという」
その言葉が発せられる前に、二人を包む結界がナツキによってはられていた。