18 静かなる激情
少し残酷かもしれません、もしかしたら。
オドレイは煮えたぎるような屈辱感で、身も心も焼かれている。
奴隷におとされたあの時から。
可憐な翠瞳の奥底には、憤怒の炎が常に揺らめいていた。
かつてはキトリニア南東部のとある森深くにあるエルフの集落で、穏やかな日々を過ごしていた。
妖精と戯れ、精霊となじみ、村の仲間と共に働き、優しい家族と一緒に暮らしていたのだ。
人間が非力だった大昔、エルフを敬い尊んでいた。
それもあって、三代魔王タロウが来襲した際、エルフの助力が得られたのだ。
しかし、魔族の勢力が衰退し、人間の勢力が勃興してくると事情が異なってくる。
おごり高ぶった人間は徐々にエルフを見下すようになる。
個体としてのエルフは優秀だ。
エルフは非力で銀以外の金属でアレルギーを起こすが、容姿に優れ、魔力が高く、不老で寿命が長い。
ハイエルフに至っては、世界開闢の頃から生きながらえているのだ。
しかし、繁殖力が極めて低かった。
それゆえに個体数は少ない。
魔族のように自己中心的でもなく結束力が弱いわけでもないのに、人間の後塵を拝した最大の理由であった。
今となっては、人間はエルフを高価な奴隷として売買するまでになっていた。
むろん、全ての国ではないが、大半がそうであったのだ。
かつての盟友、危機を救ってくれた恩人だというのに。
オドレイは妹のリージェともども、人間五人にさらわれた。
エルフの集落を正面から攻撃して打ち負かすのは極めて困難だ。
優れた魔術使いと精霊使いが迎撃してくるがゆえに。
しかし、集落の中にずっと閉じこもるわけにはいかない。
生活に必要な森の恵みを採取すべく、集落の外へでる必要があった。
オドレイとリージェは外へ出た際に、捕獲されたのだ。
オドレイ達をさらった五人はマスクで顔を隠していた。
しかし、オドレイは全員の目と魔力パターンを記憶している。
この境遇から脱すれば、いつか復讐をするために。
(皆殺しにしてやるから!)
と、オドレイは強く誓う。
その五人はエルフ捕獲を仕事にしていた。
他にもそのような輩は何人もいる。
エルフは高く売れるのだ。
さらうのに失敗して、最悪は死ぬことになるというリスクを背負うが、ハイリターンを望めた。
集落のエルフから奪い返されないよう、オドレイとリージェはナジーダまで運ばれた。
キトリニアでは人間であれば、奴隷売買の際、売却、捕虜、犯罪などの各種証明書が必要となる。
しかし、異種族だとそういう書類は必要なかった。
オドレイとリージェは奴隷市で競売にかけられ、今の主人であるコルンバノに買われる。
それから一ヶ月、恥辱の日々を過ごした。
首につけられている隷属の首輪がその象徴だ。
隷属の首輪を取ろうとすると、首輪が締まっていく。
首輪に登録された主人に危害を加えるような行動をとろうとしただけでも、首輪が締まる。
主人が念じるだけで首輪を締めることができる。
この非人道的な道具は、千年以上昔の魔族が開発したものだ。
他種族を人間との戦争に動員する手段として用いられた。
しかし、大規模に用いられたこの首輪の技術を隠蔽するのは難しく、人間にも首輪の技術が伝達する。
その結果が、人間が治める国々における奴隷制の発展であった。
それ以前からもあった奴隷制が、あまりにも便利な隷属の首輪が出現したことにより、さらに普及していった。
今は魔物退治の依頼を果たすべく、コルンバノやオドレイ達は森の奥を目指している。
横を歩くコルンバノに対して、オドレイはたまに視線をやるが、目の奥には殺気がちらついていた。
Bクラス冒険者のコルンバノは浮かれていた。
年はちょうど三〇才。
ウェーブがかかったブロンド、釣り目の碧眼、野外にもかかわらずひげはきれいにそっている。
鍛え抜かれた長身で、腰にはブロードソードとマンゴーシュ。
ググリベイアの強靭な革で造られた鎧を身にまとっている。
熊のような魔物をこの世界ではベイアと呼び、真っ赤な毛を生やしたググリベイアは強敵として知られている。
ご機嫌な理由は、新しく手に入れたエルフの姉妹がかわいいからだ。
姉のオドレイは屈辱に我慢がならないのだろう。
常に険しい目を向けてくる。
しかし、隷属の首輪がつけられている以上、抵抗できない。
嫌々ながらも従う姿を見る度、コルンバノに興奮と快感をもたらす。
コルンバノは周辺の様子を探るも、魔物らしき気配はない。
先頭にいる猫の獣人であるダリダに声をかける。
「近くに魔物らしき気配はあるか?」
ダリダは首を振って、明るめの金髪を風でなびかせながら、周りを見やった。
「いや、ないですね」
気功が使える武闘家のダリダは気配察知だけならば、コルンバノよりも優れている。
革鎧に身を包んだスタイル抜群な彼女を足から上へと眺めていくと、艶やかな首には隷属の首輪がはめられていた。
つまり、彼女もまた奴隷であった。
「そうか。オドレイ、どうだ?」
「……変わった魔力の反応はありません」
嫌々そうに、オドレイはこたえる。
この一団ではエルフのオドレイが魔力察知に長けていた。
「ならば、休憩するか。全員止まれ」
コルンバノ、ダリダ、オドレイ、リージェと全員足を止める。
「オドレイ、こちらへ来い」
にやつきながら、コルンバノがそう言うとオドレイはしぶしぶ近づく。
コルンバノは左腕でオドレイを抱き寄せ、オドレイに口付ける。
舌と唇をねちっこく使って、オドレイの唇と口内をさんざん蹂躙する。
オドレイは目をつぶって、顔をゆがませながらも耐えていた。
ダリダは丸っこい金瞳をきらめかせた後、皮肉げな表情を浮かべる。
心を犯される苦悶でオドレイは身もだえ、着ている濃緑のローブが揺れ動く。
その様を妹であるリージェは無表情で見つめていた。
時折、リージェは右手に持っている杖をぎゅっと握っては力を抜くのを繰り返す。
ようやく、コルンバノはオドレイから顔を離す。
「主人からの褒美だ。ありがたく思えよ」
と、コルンバノが言うと、オドレイは顔をしかませて、
「……あ、ありがとうございます」
と、こたえた。いや、こたえさせられた。
誰でもオドレイの目を見れば、心中が怒りで煮えたぎっているのがわかる。
それでも、逆らえないのだ。
コルンバノはオドレイの心中を考えると、身が震えそうなくらいぞくぞくする。
「次はお前の番だ」
コルンバノはリージェに近づき、オドレイと同様のことをする。
リージェは目をつぶり表情を消したまま、従容として受け入れた。
(私ばかりではなくて、リージェまで。絶対に許さん!)
オドレイが心中で怒るも、現実では何もできなかった。
(村ではあれだけ楽しそうに過ごしていたのに、リージェは全然笑わなくなった。いや、表情そのものが乏しくなってしまった。私は姉なのに、妹に何もしてやれないなんて……)
オドレイはコルンバノとリージェから視線をはずしてうつむく。
コルンバノはリージェから離れ、表情をうかがうも無表情なままだった。
それはコルンバノにとって唯一の不満だ。
容姿は姉妹共に極上。
勝気そうなオドレイに比べて、おとなしげなリージェ。
二人ともエルフの特徴であるシルバーブロンドと翠瞳が、神秘的に思える美しさを放っていた。
しかし容姿がいくら優れていても、リージェは何をされてもほとんど無表情無反応だった。
それが、コルンバノの興をそいだ。
本来、Bクラスの冒険者がエルフの奴隷を二人も購入するのは難しい。
コルンバノはナジーダから約三〇kmほど東にある樹海の迷宮で、宝箱から貴重な宝具を手に入れることができた。
それを売りさばいて、オドレイとリージェを購入する資金にあてることができたのだ。
エルフの奴隷を手に入れるのは、コルンバノの目標の一つだった。
細身ではあるが、群を抜いた美貌とエルフの絹のような肌はコルンバノを夢中にさせる。
オドレイは自分の素肌にコルンバノの手がふれられた時、鳥肌がたったが、コルンバノにとってはご褒美のようなものだ。
宝具を手に入れた際、それまで使っていた獣人の奴隷二人が死んでいた。
しかし、代わりにエルフ二人が手に入ったのだ。
コルンバノにとっては収支が大きくプラスということになる。
現在、コルンバノはオドレイとリージェに、それ以前から奴隷として使っていた猫の獣人ダリダをあわせて四人でパーティを組んでいる。
三人とも、実力的にはBクラスに届かず、Cクラスの上といった程度だが、コルンバノにとっては使い勝手がよかった。
いくら奴隷といっても、自分より強すぎれば足元をすくわれるかもしれないからだ。
各種魔術、精霊術が使えるオドレイ、リージェ、気功が使える武闘家ダリダと、どんな魔物が相手でもそれなりに戦え、コルンバノを満足させていた。
(俺は本当についてるぜ。それで、これからも幸運が続くってわけだ)
有頂天のコルンバノは指示をとばす。
「よく休めたな。では、歩くのを再開する……」
ここまで言った瞬間、暗黒の雲が瞬く間に接近する。
視界に入っていたダリダのみが接近を察知し、かろうじて飛び込んで前転しながら避けることができた。
オドレイやリージェは魔力の接近に気づくも、身体が反応しきれなかった。
コルンバノは視界外からの接近で回避しそこなう。
三人にまとわりついた闇の雲は瞬時に消えうせる。
「大丈夫か!?」
ダリダが叫ぶも、三人は返事しなかった。
やがて立てなくなって、三人ともうずくまる。
「あが……」
コルンバノはよだれをたらし、ろくに声も発せなかった。
木陰から音なく、黒いベールをかぶった黒の神官衣を着た男、つまりナツキが四人の前に姿を現す。
(Bクラスの冒険者といえども奇襲にはもろいか。問題はこれからだがな)
ナツキは心中そうつぶやく。
「安心するがいい。三人とも三十分ほど麻痺しているだけで命に別状はない」
声を風の魔術で普段より低く重く変化させていた。
「安心などできるわけがない。うさんくさすぎる!」
ダリダは神官姿の男をにらみつける。
「ならば、エルフ二人を癒して、私が害意なきことを示そう」
ナツキは杖を二人に向けて、闇の雲をとばす。
治癒魔術には三系統ある。
光属性、無属性、闇属性と。
ナツキはレナーツァからもらった無属性、そして、信仰によって得られる闇属性と二種類の治癒魔術を用いることができる。
闇の雲がひいた時、オドレイとリージェは身体の自由を取り戻し、立ち上がる。
「あなたは一体!?」
オドレイはナツキに詰問する。
リージェは無表情なまま、緩慢にもがくコルンバノを見つめていた。
「私は闇の神レナーツァ様に仕える神官ヴァレンス。レナーツァ様の神託を受けて、悪しき人間に苦しめられる全ての生き物を助けるべく働く者」
ナツキは偽名を使う。
これからデラフェンテ侯爵領では、悪しき人間に虐げられる全ての生物を解放する神官ヴァレンスとして活動するつもりだ。
ダンジョンがあるアドルノ伯爵領では活動しない。
神官ヴァレンスとダンジョンのつながりに気づかれるのを避けるためだ。
もっとも、現時点では神力収入放棄に見合うだけのメリットがなければ、外出はできないが。
「ならば、あなたは魔族ね!」
オドレイのまなじりはつり上がる。
リージェもナツキの方を向き、ダリダの目線もきつくなった。
「私は人間だ。疑うのならば、私の魔力を調べるがいい。エルフは魔力の察知に長けているらしいな」
ナツキは、はったりをかます。
まず気づかれないだろうが、気づかれれば別の行動をとるまでだ。
「……確かにそのようね」
魔力を調べた後、オドレイはやむなくといった風情でそう言った。
「私は魔物に襲われて大怪我をおったところ、レナーツァ様のご加護によって救われた。その際にご神託を受けたのだ。このベールはその際に受けた怪我を隠すためのもの」
嘘八百だが。
「私は先ほどまで様子をうかがっていた。お前達が奴隷となっているのは本意ではないだろう。私は悪しき人間に苦しめられているお前達を解放するためにここへ来た」
どこまでも嘘八百だった。
「なら、この首輪をとれるっていうのかい?」
ダリダが面白そうにそう言う。
「無論だ。まずはお前の首輪からはずさせてもらおう」
ナツキはダリダに近づく。
ダリダは身構えようとするが、力を抜く。
「ダメでもともとだ。体をゆだねるよ」
「ダリダさん、危ないですよ!」
オドレイがたしなめる。
「いや、こいつは私たちを殺そうと思えば、いつでも殺せるはずさ。どうも逃げられそうにないし、お前達も治してくれたしな」
「でも……」
オドレイの声は弱かった。
「じゃあ、お願いするよ」
「ああ、すぐに終わる」
ナツキはダリダにはまっている隷属の首輪に右手の人差し指をあて、首輪に魔力を流す。
隷属の首輪はそもそも魔族が開発したものだ。
人間が手を加えていても、レナーツァからインプットされた知識と高位魔族たるナツキの魔力があれば、解除は造作もなかった。
ナツキは首を絞めないよう気をつけながら、首輪の金具をはずしていく。
「あっ……」
ナツキの指が首に当たって、ダリダが細く声をあげる。
「すまない。乙女の柔肌に触れてしまったな。恋人だけが触れていいものだろうに」
「神官様は純粋なものだね」
ダリダはけらけらと笑った。
「笑うな。はずしにくい」
「おっと、すまないね」
ナツキはダリダの首輪をはずし終えた。
「まさか本当にはずせるなんてね」
ダリダは感心したようにそう言った。
「では次だな。お前達二人の番だ」
ナツキの言葉にオドレイはびくっとする。
「……お願いします」
しかし、オドレイが思い直してナツキの言葉を受け入れようとしたその時、
「ヴァレンス様、私の首輪を先にはずしてもらえないでしょうか? お姉さま、わがままでごめんなさい」
リージェがそう言っておじぎをする。
「いえ、いいのよ。私はあなたを守れなかったから。せめてそれくらいは……」
オドレイは申し訳なさそうにして、妹に順番を譲った。
「ありがとう、お姉さま。ヴァレンス様、お願いします」
「わかった」
ナツキはダリダ同様に、リージェの首輪をはずした。
首輪をはずされたリージェはうずくまるコルンバノの方へ下がった。
「最後はお前だな」
「……お願いします」
ナツキはオドレイに近づき、首輪をはずそうとする。
その時だった。
その瞬間をリージェは待っていた。
絶対的な強さを持つであろうヴァレンスであっても、その時は手がとられる。
リージェはその間にやらなければならないことがあった。
もう隷属の首輪はついていないのだ。
主人であったコルンバノに対して自由に振舞え、奴は麻痺して無様にあがいている。
リージェは杖を手放して、俊敏な動作でコルンバノに近づき、うずくまっていたコルンバノを蹴倒す。
コルンバノのマンゴーシュを抜き取り両手でつかみ、馬乗りになってコルンバノの腹部目がけてマンゴーシュを突き刺した。
「ひぃあ……」
コルンバノが呻く。
リージェが腹にめり込んだマンゴーシュを抜くと、血が流れる。
再度、リージェはマンゴーシュを突き刺す。
抜いては刺し、抜いては刺す。
何度も繰り返した。
血しぶきが顔や紺色のローブを汚していく。
幸運を使い果たしたコルンバノはすでに絶命していた。
しかし、なおもリージェの手は止まらない。
ナツキは珍しくあっけに取られ、首輪はずしを中断する。
自分に向けられていない殺気を察知できなかった。
実戦経験の必要性を今まで以上に感じる。
ダリダも目を丸くしていた。
「リージェ……」
オドレイはそういうのがやっとで、呆然としていた。
血まみれのリージェは、マンゴーシュを放り投げて立ち上がる。
息があがっていたが、落ち着いていく。
「これでせいせいしました」
オドレイの方を向いて、満足げな笑みを浮かべる。
清楚な顔立ちに浮かんだその笑みは、無垢で純真で穢れを感じさせないものだ。
その笑顔はコルンバノの奴隷となってから、初めて見せるものであった。
オドレイは心優しい妹が浮かべたその笑みを見て、激しい不安に襲われた。