15 殺人という禁忌
朝がやってきた。
闇の神レナーツァが支配する時はすぎ、光の神ウェズラムが支配する時だ。
夏というのもあり、夜と朝はそれほど寒くならない。
森の中で湿度が高いというのも影響しているのだろう。
ナツキとアルヴェナは、アイノが作ってくれたパンと魚の塩焼きを異空間から取り出して、朝食にする。
「おいしかったな。これくらいの食事は庶民でもできるのか?」
「はい。スラムに住む貧民でなければ」
「やはり、スラムがあるのだな。先代伯爵はやり手だそうだが、貧富の差はどうしても存在するか」
「森に近い側の最外縁がスラムになっています。魔物が押し寄せてきた時、スラムが最初にやられるでしょう」
「もっとも危険な場所をスラムにするのは為政者として当然だろうな。やはり、スラムに住まう貧民は不平不満を抱いているのか?」
「深く接触した訳ではありませんが、そういうことは聞きました」
「今はまだ街の情勢を動かすだけの力を、我々は持っていない。しかし、後に備えて情報だけは集めておこう。スラムについても、ゆるゆると調べておいてくれ」
「かしこまりました」
「では行くか。時は有限だ」
「はっ」
ナツキとアルヴェナは再び、冒険者を避けて東へと行く。
蹂躙だ。
二人の通り道にいた魔物全てが、生命をナツキに吸われて、死体を献上していく。
哀れな犠牲者は声を発せない。
鳥の鳴き声、風によって木の葉がさざめく音。
それらばかりが時折聞こえる。
血生臭さも一切ない。
傷がつかず、血も流れないがゆえに。
樹木から発せられるさわやかな香りだけが森を包んでいた。
一見、全く異常はない。
連続した殺戮など、気づかせる痕跡は何もなかった。
そんな中、ナツキの蹂躙は続く。
森の東端に至るまで。
このまま森を抜けると、草原から街道へと出る。
ダンジョン最寄の街カイマトリから、北にある街ドノソへと至る街道だ。
カイマトリとドノソは直線距離でおよそ約七〇km。
だが、森と湿地を迂回するため、この街道を使えば一七〇km以上はある。
ゆえに、カイマトリ-ドノソ間は陸路よりも海路での移動が主流であった。
だからといって、この街道が使われていないわけではない。
街道沿いには街、村、集落が点在している。
それらからカイマトリやドノソに行くため、この街道は利用されているのだ。
カイマトリを治めるアドルノ伯爵家、ドノソを治めるカンディロ伯爵家共に、この街道のメンテナンスや騎士による巡回を怠っていない。
街道の重要さを知るがゆえに。
とはいっても、カイマトリ、ドノソ周辺はまめに巡回しているが、離れれば離れるほど巡回頻度は低下していく。
最辺境となる両伯爵領の境近くまでいけば、かなり少なくなる。
両伯爵に仕える騎士、兵士の数は無限ではない。
魔族の勢いは衰えても、山や森などにはびこる魔物は未だに健在だ。
全戦力を巡回に出して、本拠地など重要拠点の守備をゼロにするわけにもいかなかった。
ゆえに治安はカイマトリやドノソから離れるにつれ悪くなり、領地の境近くが最悪だった。
他国との国境であれば、砦を築いて大規模な哨戒部隊を駐屯させる必要があるが、両伯爵家の仲は代々良好だ。
限りある軍事費、戦力を有効に利用するためにも、この方面は関所を守る部隊しかおかず、他にまわしていた。
後百mも歩けば、森を抜けられるところでナツキはアルヴェナに話しかける。
「ここで別れるとしようか。魔物、人間の気配、魔力のパターンはおおむねつかめた。もうお前の知識との整合性を確認する必要もないし、お前には他の仕事があるしな」
「ならば、略図を渡します」
アルヴェナは内心ほっとしながら、ナツキへ略図を渡し、説明していく。
この二日間は落ち着けなかった。
ナツキは自分の主人であって味方だというのに。
まるで、凶器を隠し持った社長と共に出張する平社員のような気持ちであった。
「ここから、デラフェンテ侯爵領最大の街ナジーダまで東へ約七〇kmです。ナジーダから南へゆくボルイェ街道を約八〇kmも歩けば、シャンタリ河にいたります。そこから右手、西へ二kmも歩けば、廃棄された砦が見えるでしょう」
「直接まっすぐいけば早いが、迷うかもしれないな。それに、今回は行かないが、いずれはナジーダに行く必要もでてくるだろう。ナジーダ近くの森まで足を運んで、転移魔術で移動できるようにするか」
「それが無難だと思われます」
「なら、最後に念話で話せる距離を確認しておくか。私は人が近づいてこない限り、ここにいる。アルヴェナはカイマトリの方へ歩き、念話が途絶えたら、話ができる距離まで戻ってくれ」
ダンジョンの中だと念話し放題で、念話可能な最大距離はわからなかった。
「かしこまりました」
アルヴェナはナツキから離れていき、念話が可能な距離を調べる。
その結果、約二kmまで念話が可能であった。
(アルヴェナと念話できるのは約二kmまでのようだな)
(はい、これ以上離れるとナツキ様の声が聞こえません)
(わかった。事ある時は使うことにしよう)
(かしこまりました)
(機会ある時に他の奴らがどこまで念話できるかテストするか。ではまた会おう。無理はするなよ)
(ナツキ様こそお気をつけて)
念話がきれて、アルヴェナは背伸びをした。
解放感が身を包む。
だが、アルヴェナはあることを思い出してしまった。
念話可能距離は主人の能力や眷族の忠誠心に比例する。
つまり、念話可能距離で自分の忠誠心がばれてしまうのだ。
……実にまずかった。
お世辞にも、ナツキへの忠誠心が高いとはいえないだろう。
忠誠心をあげる魔術などはない。
自己催眠でもかけるしかないが、自分はそんなことできないし、する気にもなれない。
アイノはなんだかんだでナツキにつくしている。
セナドゥスもまじめそうだ。
フィオという者とは話をしていないが、アイノいわくナツキ様一筋らしい。
理解しがたいが。
こうなったら、カミーロに期待するしかない。
あいつなら、自分より忠誠心が低いだろう。
ビリじゃなければ、まだましだ。
カミーロの忠誠心が低いことを、レナーツァに祈るアルヴェナであった。
◇ ◇
ナツキは付近の魔物を狩りながら、夜になるのを待っていた。
いったんは街道を横切る必要があるが、さすがにこの姿では目につきやすいだろう。
草原や街道をつっきるのは夜になってからだ。
魔族になってから手に入れた暗視能力があれば、問題なかった。
やがて、夕暮れの後、闇の帳が降りる。
ナツキは草原、街道まで気配、熱源、魔力を調べていく。
さすがに夜を徹して移動する隊商、旅人、兵士などはなく、ごく微弱な野犬程度の反応しかなかった。
ナツキは全速力で森を出る。
足元の草が踏み倒される。
瞬く間に草原を走破し、街道へとたどりついた。
街道は車道と歩道からなる。
車道は石畳でしっかり舗装され、幅は約五m。
荷車などを円滑に運ぶためだ。
歩道は車道の両脇にあり、三mずつの幅で舗装はされず、茶色い土が見えている。
街道を見やった後、ナツキは街道を西から東へと横切り、東の森へ入った。
二百mほど森の中を進んで、ナツキは止まる。
これまでいた森と生えている樹木や草はほとんど同じだ。
さらに進めば、植生がかわるのだろうとナツキは思う。
ナツキはひとまず休み、睡眠をとることにする。
結界をはって、他者が近づいても問題ないよう配慮する。
行動する人が少ないであろう夜の間に寝るのが望ましかった。
ここらの浅い森で最強の敵は魔物ではなく、人間であるがゆえに。
夜明けが始まった頃に、ナツキは行動を開始する。
まずはナジーダ近郊に近づくため、さらに東へ向かう。
蹂躙の再開だ。
弱き魔物達は命も身体もナツキに捧げる。
作業を淡々と続けていく。
ごくわずかでも自分が強くなるために、少しでもダンジョンの戦力を高めるために。
つまるところ、全ては忠誠を捧げるレナーツァのためだ。
レナーツァへの信仰心なき者が死んでいこうが、ナツキは全く痛痒を感じなかった。
この森の南にはダンジョン最寄の街カイマトリと、目的地であるナジーダをつなげるスロペ河がある。
河沿いには街道も整備され、スロペ街道と呼ばれていた。
この街道は、カイマトリ-ドノソ間の街道よりも遥かに重要視されている。
内陸に位置していて、キトリニア南西部最大の街であるナジーダと海をつなげる最短の街道だからだ。
車道の幅は約十m、歩道の幅は五m×二とキトリニア国内では大きな街道の一つであった。
それゆえに交通量も多く、デラフェンテ侯爵領とアドルノ伯爵領の間では関所があり、通行料を支払わなければならない。
ナツキは当然、街道も関所も通らない。
街道沿いの森を潜り抜けていく。
途中、小ぶりな山になっていて、木々をかきわけ、坂を登っていく。
至った先は切り立った崖で、高さは数十mほどありそうだ。
向こう側まで十mほどもあり、常人であれば渡れそうにない。
ちなみにこの崖から南にいけば、関所がある。
関所を通らざるを得ないようにするためだ。
この崖を迂回するには森の深くまで入る必要があり、冒険者なら最低Bクラスでなければ生還は難しく、荷車などは通れない。
通行者全員から通行料をとるのは無理だが、ほとんどの人間に金を落としてもらうためにも関所の設置場所は選ばれていた。
しかし、飛翔の魔術が使えれば、渡るのは造作もない。
ナツキは近くに冒険者がいないのを確認してから、魔術で飛んで向こう岸へと渡った。
難所をなんなく通過したナツキは東へ進み、蹂躙を再開する。
やがて、冒険者五人の気配や魔力を確認した。
(ダンジョン最寄の街であるカイマトリから八〇km強。もうすでにアドルノ伯爵領ではなく、デラフェンテ侯爵領だ。ここまで離れたら問題ないか。いずれは試さないといけないことだ)
ナツキは殺人という禁忌を試みることにする。
今の自分は魔族だ。
しかし、かつては人間だった。
地球にいた頃、ナツキは人殺しなど考えもつかなかった。
どうやって、戦場での人殺しを慣れさせるのかについて書かれた本を読んだことがある。
同種である人殺しにふみきれる人間は数少ないからこそ、人殺しに慣れさせる方法などが生み出されるのだ。
この世界に下りた時から、覚悟はできていた。
できていたつもりだ。
だが、それが本当かどうかは試さないとわからないだろう。
いざという時にためらい、それが原因で敗北するわけにはいかないのだ。
気配をつかんだ冒険者五人の内、一人は未熟だが、四人はCクラスくらいの冒険者だろう。
他の冒険者の気配は遠い。
街道には隊商らしき集団が二つある。
しかし、護衛らしき冒険者もCクラス程度で、そもそも森にまで入ってくることはないだろう。
森から出てきた魔物には護衛として対処するだろうが。
ナツキが考えている間にも冒険者達は少しずつ近づいてくる。
(……試させてもらうか)
ナツキは気配や魔力を消して、静かに冒険者達へ近づいていった。
◇ ◇
三三歳のエスタバンは、Cクラス冒険者でリーダーをしている。
長剣を扱い、同クラスの者には負けないという自負を持っていた。
仲間は斧使いのディエゴ、スカウトのフェリクス、魔術使いのヘラルド。
皆、Cクラスで五年以上組んでいて、似たり寄ったりの年齢だ。
エスタバンは自分が凡人というのを自覚している。
四〇になるまでに、研鑽を積んでBクラスに上がれるかどうか、それが自分の器だ。
それ以上の年になれば、老いによる衰えが無視できなくなる。
老いを超えて強くなる者も確かにいる。
しかし、恐らく自分はそうではない。
それは寂しい現実だ。
だが、それをしっかりと見据えているから、無茶をせず傲慢にならずここまで生き延びてこれたのだ。
今は、駆け出しの魔術使いであるギードロを新たに加えている。
魔術使いは貴重だ。
熟練者はパーティの選択に困らない。
だから、まだ未熟だがギードロをパーティに加えたのだ。
一七歳と若くて経験も浅いが、育てたら貴重な戦力になるとエスタバンは確信していた。
Bクラスに上がるための布石だった。
ギードロを加えているので、いつもよりは安全を確保しなければならない。
そこで、大した魔物が出ないであろう街道近くの森で実戦経験を積むことにした。
エスタバンは傲慢でもなく、無理もしなかった。
細心な選択をした。
万全といっていいだろう。
しかし、エスタバン達は極めて不運だった。