01 異世界召喚
ある青年が中古のノートパソコンで黙々とネット小説を読んでいた。
彼の眼が爛々と輝いている。
主人公に感情移入しているのだ。
いや、彼は主人公になりきっていた。
今の彼は日本から異世界に召喚された主人公ロドリオだ。
難敵を苦戦しながらも撃破して、ヒロインであるエミリーといちゃいちゃしている。
彼の心の中ではそれが真実なのだ。
二時間ほどかけて、掲載されている最後まで読み終える。
その瞬間、彼はロドリオではなくなった。
面白い小説だと思った彼は、その小説をブックマークに登録し更新通知も設定した。
彼の名は枯草夏樹、二十七歳。
中小企業に勤めている彼の趣味は、小説投稿サイト「物語創生記」でネット小説を読むことだ。
この趣味の利点はお金がかからないことである。
自由になる金がほとんどない彼にとって、最高の趣味だった。
ただ、気に入った小説が書籍化されたら、ある程度は購入するようにしていた。
お金が全くおちなくなったら、無料投稿サイトなんていつ閉鎖されてもおかしくないだろうから。
楽しませてもらっている時間の長さに比べたら、安いお布施だと彼は思う。
彼が読んだ作品数は二千を超えているだろう。
いわゆる異世界ものと呼ばれる作品だけ、彼は読んでいた。
理由は簡単。
安月給でこき使われている現状を忘れるのに適しているから。
最強チート、ハーレムものも、最初は弱くて成長する主人公ものも、差別せずに読んでいる。
転生、トリップ、貴族、魔族、ドラゴン、悪役令嬢、なんでもこいだ。
面白ければ、それでよかった。
彼が時計を見ると、月曜日の午前一時。
哀しいことにシンデレラタイムは終わった。
これ以上起きていると、仕事に差し支えるだろう。
夏樹は憂鬱そうにノートパソコンの電源を落とした。
(目覚めたら異世界に行きたい。神様に呼ばれる形でも、いきなりとばされるハードモードでもいい。どうか異世界へ……)
ここ数ヶ月、彼はずっとそう祈りながら、眠りに入っていた。
◇ ◇
夏樹が目覚めると、そこは見知らぬ部屋だった。
布団がベッドになっていたし、見慣れた本棚や机など、一切なかった。
白い壁しかない。
自分の部屋だった六畳間よりはやや広いだろうか。
(もしや、これって!?)
そこまで確認したところで、ついに彼は異世界に召喚されたのかと推測する。
「目が覚めたようですね」
可憐な声だった。
いつの間にか、中学生くらいに見える少女が椅子に座っていた。
漆黒の瞳、突き抜けるような白い肌、背中まで伸ばされた艶やかな黒髪。
それよりも何よりも、夏樹が生きてきた二十七年間で初めて見る美貌だ。
「はい……ここは、もしかして異世界?」
夏樹は起き上がり、ベッドに腰掛けた。
その少女に見とれることなく、夏樹は質問する。
日本で見たのであれば、間違いなく魅了されていただろう。
そこらのアイドルや女優など比べ物にならない本物の美なのだから。
しかし、異世界に来れたかもしれないという推測、いや激情が彼女の魅了をかき消したのだ。
「……ええ、ここはもうあなたが知る地球でありません。私の世界に来ていただくべく召喚させていただきました」
少女は万人を魅了するであろう微笑を浮かべた。
「よぉっーーしっーー!!」
だが、その微笑を無視して、夏樹は両こぶしを握り締め、咆哮する。
(ついに異世界へこれたぞ!! 念じ続けてきた甲斐があった!!)
その瞬間、少女はびくっとし、微笑を消した。
(もしかして、召喚する人間を間違えた? でも、やり直しはきかない。すでに神力は使ってしまったし。それに、私の魅了に抵抗できた初めての人間。思い通りには動かせないかもしれないけど、これまでの人間よりは能力が高いかもしれない)
少女は瞬時に考えをまとめた後、微笑を浮かべなおした。
「あ、ああ、どうもすみませんでした。つい浮かれてしまったもので。もうご存知かもしれませんが、私は枯草夏樹といいます」
夏樹は恥ずかしそうに、社会人モードで自己紹介する。
「これはご丁寧に。私は闇を司る神、レナーツァと申します」
「闇を司る神ですか。なるほど、それでは私は魔王として召喚されたのですね?」
夏樹は驚くことなく、瞬時に対応する。
伊達に二千以上の異世界小説を読んできたわけではないのだ。
闇を司る神が召喚するのなら、魔王の確率が一番高いだろう。
勇者とかの可能性もあるかもしれないが。
「……!? もう、そこまでお解りでしたか。もしかして、私の存在を知っていたのでしょうか?」
レナーツァは驚く。
過去に召喚された者達の全ては動転しており、魅了で落ち着かせると共に自分の手駒にしていた。
ここまで冷静沈着な者は初めてであった。
彼女は神眼で夏樹の能力を調べる。
もしかしたら、自分の思考を読み取るようなスキルを持っているかもしれないからだ。
「いえ、ただの推測です」
異世界に召喚された喜びを押し隠しながら、夏樹は淡々とこたえる。
さっきの叫び声はないだろう、と彼は自省していた。
「そうですか」
夏樹が読心のようなスキルを持っていないことを確認した彼女は軽くうなずく。
「レナーツァ様に召喚されたのは至上の喜び。魔王として絶対の忠誠を誓いましょう」
にやりと夏樹が笑う。
いや、ここにいるのは枯草夏樹ではない。
渇望していた異世界へのトリップをかなえてくれたレナーツァに仕えるナツキ=カレクサであった。
「……ありがとうございます」
微笑を絶やさずにレナーツァは受け答える。
(魅了をかけたわけでもないのに、絶対の忠誠だなんて。探知したけど、嘘をついているわけではない。でも……)
しかし、レナーツァの内心は疑心暗鬼であった。
実のところ、魔族は力を重視し、自己中心的な者がほとんどであった。
なので、闇の神であるレナーツァを強く信仰する者など皆無に等しい。
ダークプリーストの教団は極めて小規模だ。
やさぐれていたレナーツァが召喚した人間を魅了してから送り込んでいたのは、そういう悲しい背景があった。
魔王を魅了することによって、下界でも強固な信仰を保ってもらい、地道に信仰心を神力として回収していたのだ。
ダークプリーストの養成も歴代魔王の重要任務にしていた。
「ですが、私は地球において平凡な人間にすぎませんでした。魔王としてつとまりますでしょうか?」
ナツキにしてみれば、現状からしてハードモードではなさそうなので、ほぼ義理できいた質問だ。
日本人が異世界では強いのか、神からチートをもらえるのか、どちらであるのか知りたいだけであった。
「説明は難しくなりますが、魂には格があります。異世界にいくとあちらの一般人よりも強くなるのです」
「なるほど、わかりました」
魂の格スタイルか、と納得するナツキ。
いくつかの小説でよくある設定の一つだ。
彼はうんうんと頷く。
だが、レナーツァはナツキの理解力が高すぎて困惑を隠せない。
レナーツァが少しぎこちなく微笑むと、ナツキも笑顔で返した。
(この人間、何か怖い……)
これまで、レナーツァは魅了された人間に対して、一方的に指令を出していた。
しかし、ナツキに魅了は通じず、慣れない会話をして彼女は疲れを感じる。
気を取り直して、彼女は説明を続けた。
「こほん、それに私からも神力を提供し、強化いたします」
「どうもありがとうございます。うれしく思います」
「……それで重要な話があります」
レナーツァは表情を曇らせる。
「いただく力の種類についてでしょうか? どの魔術を選ぶか、武術などを選ぶか」
さらりとこたえるナツキ。
早くも彼は、どの魔術を使えるようにすべきか思案していた。
(治療魔術は必須だとして、空間も必要だな、それに……)
魔術に関するナツキの思考をレナーツァの一言が止める。
「申し訳ありませんが、過去の魔王ほど強化することはできません。そこで、あなたにはダンジョンマスターとして降臨していただきたいのです?」
「……どういうことでしょう、説明していただけませんか?」
初めてだった。
笑うかハイテンション状態だったナツキが深刻そうな表情になったのは。
「はい、説明いたします……」
レナーツァは説明を始める。
過去二千年で十回ほど、光の神は勇者をレナーツァは魔王を召喚していた。
結果は勇者の全勝。
世界には三つの大陸がある。
陸地全体の六割を占めるエレミニア大陸、二割を占めるシェロフィニア大陸、そして残り二割を占める魔大陸。
かつては、魔族、魔物の生息域は陸地全体の九割を占めていた。
だが今や、魔族は魔大陸にひきこもり、他の大陸は魔物こそいるもの、魔族はほとんど住んでいない。
魔族は大公級、公爵級、侯爵級、伯爵級、子爵級、男爵級、無爵という尺度で強さが表される。
最盛期では、大公級が二十体、公爵級が五十体も存在していた。
しかし現在では、大公級一体、公爵級二体が魔大陸にいるのみである。
「……私の神力は下界にいる魔族の信仰心で補充されます。そのような現状では、せいぜい過去の魔王の半分ほどしか強化できないのです」
暗い顔をしてうつむくレナーツァ。
「現状はわかりました。ではなぜ、ダンジョンマスターを選ばれたのでしょう。ダンジョンについて教えていただきたく思います」
主人公最強ものにはできなさそうだ、とナツキは思っただけだ。
ダンジョンマスターものも大好物なので特に問題はなかった。
「はい」
ダンジョンが生まれたのは約千年前。
というか、ダンジョンをこの世界で作り始めたのはレナーツァだった。
親交のある異世界の神からダンジョンという存在を教えてもらい、不利な戦況を覆す切り札として導入したのだ。
ダンジョンの造り方は簡単である。
レナーツァが神力をこめたダンジョンコアを下界に投下する。
大地に埋め込まれたダンジョンコアは、込められた神力に比例した規模のダンジョンを作り上げる。
ダンジョンコアは魔物を創造し始め、宝箱を迷宮内部に配置する。
宝箱には神力で作られた貴重なアイテムがごくまれに存在し、えさとして人間をおびきよせるわけだ。
ダンジョンで死んだ人間は神力に変換され、ダンジョンコアに蓄えられて、一定期間ごとにレナーツァが回収する。
また、死ななくてもダンジョンに入るだけで体力や魔力がごくわずかだが、ダンジョンコアに吸収される。
「お陰で導入当初は投入した神力に対して、年利率三十%の割合で神力を回収できるようになりました。ですから、私はダンジョンコアを大量に投下していったのです」
ナツキはその言葉を聞いて、完全に社会人モードとなった。
おそらく結果は見えているが、質問せざるを得なかった。
「今の年利率はマイナスですか?」
「違いますっ!?」
「ではいくらですか?」
「……〇.〇〇二%はあります。決してマイナスではありません! そう、三〇〇年運用でなんとか……」
ナツキがレナーツァを見る視線に忠誠心だけではなく、生暖かいものが加わった。
レナーツァは頬を紅く染め、見る者が見たら、それだけで魅了されるだろう。
「途中で冒険者ギルド、名前は違うかもしれません。ダンジョン攻略組織が誕生し、ダンジョンの攻略速度も人間が持つ戦力も向上していったんですよね?」
「……どうして、そこまでわかるんですか!?」
「簡単にわかりますよ……」
異世界小説の超王道展開であって、ナツキにとっては当たり前であった。
「冒険者ギルドという名前もあってますよ。私が創設者のようなものですね。フフフ……」
レナーツァはやけくそのような力ない微笑を浮かべた。
「……話の続きをお願いします」
「はい。さらに時間がたつと、ダンジョンは育つんですけども、そうすると魔物の強さと共に宝箱の質が自動的に上がります」
「神具、ではないか。それに近いものが人間に供給されるようになったんですね?」
「……お見通し過ぎて参りました。その通りで五百年前くらいからです。宝剣の一つはウェズラミリオと名づけられ、魔王討伐に使われました」
あまりにも悲惨な状況に、ナツキはさすがにかける言葉を見つけられなかった。
レナーツァは死人のような目つきで語り続ける。
「ウェズラミリオって名前の由来ですけど、光の神である姉上の名前はウェズラムといいます。つまり、姉上の加護を受けた宝剣だと思われたわけです。魔王討伐に威力を発揮しましたから、そう思われても当たり前ですよね」
レナーツァはぎこちなく笑った。
「……光の神と姉妹関係だったんですね」
「そういえば、いうのを忘れてましたね。創造神である父が隠居して、私達姉妹や他の神々にこの世界の管理を任されたわけです」
「レナーツァ様達が最強の神なわけですか」
「……今は姉上が最強です。他の神々は私達二人に比べると大した力はありません。今のところ……」
その続きは聞かなくてもナツキには理解できた。
このまま負け続ければ、二大神ではなくて、一大神とその他の神々となるのだろう。
「ウェズラミリオで魔王が倒されたとき、姉上は宝剣に加護を授け、本物の神具としてしまいました」
「お疲れのようですし、少し休みましょうか」
レナーツァの悲壮な様相を、ナツキはもう見てられなかった。
「いいえ、大丈夫です! 最後まで話します! その後、姉上は私に対して六文字だけ送りつけました。『ぷーくすくす』と」
「……そうですか」
としか、ナツキにはいいようがなかった。
「あの時は悔しくて悔しくて悔しくて、くやしくてたまりませんでしたっ!!」
レナーツァの感情が激怒で彩られる。
「よくわかりますとも、レナーツァ様」
上司に対する部下の態度でナツキはなだめる。
「だから、私はあなたをダンジョンマスターとして派遣して、姉上を見返してやりたいんです!」
「全力でがんばります、レナーツァ様」
ナツキは一礼する。
余計な言葉は不要だろう、と彼は思う。
レナーツァの取り繕った態度は完全に崩壊した。
ナツキはその時初めて、彼女の可愛さに気づいたのだ。