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コテージ・ミキ

作者: 鬼火

 遠くの南の海で台風が発生したらしい。そのせいか、朝から絶好の波が来ていた。胸から肩の高さで、時には頭の越えるほどのサイズもあるという。

 サーフィン仲間の四人は、昨日の夜中に出発して夜通し車を走らせ、明け方には、このお気に入りのポイントに着いていた。すでに何人か入水していた。地元のサーファーのようだった。

「よおし、いけそうだな」一人の男が浜辺に立って叫んだ。もう一人の男は、言葉にならないような奇声をあげた。女二人は笑っていた。四人は、それぞれのボードを持ち、渚に向かって突進した。

 雲一つない空である。気温はどんどん上がっていく。さすがに朝の最初のラウンドを終わると、三人とも体がぐったりと疲れ、近くの木陰で眠った。昼近くになり、車に乗ってそのポイントを発った。海岸ルートをさらに下り、途中でスーパーを見つけて弁当を買い込み、車中で食べ、ちょっとだけ昼寝した後、第二ラウンドのポイントを探した。結局は、駐車スペースが十分にある、比較的有名なビーチに落ち着いた。

 朝ほどではなかったが、十分に楽しめるサイズの波であった。旧知のサーファーとも偶然再会し、話し込んだ。彼らに誘われてボディボードを試してみたり、近くのリーフを見に行ったりした。

 あっという間に一日が終わった。予定では、このままオートキャンプ場へ行き、ぐっすり寝て、翌朝からまたサーフィンをするはずだった。だが、予定していたキャンプ場は満車であった。

「近くに別のキャンプ場とかないのかなあ」

「可能性は低いね」

「どうしよう?」

 こんな夏の夜に、無料駐車場や路肩で一晩を過ごすのは、ちょっと気が引けた。男だけならまだしも、若い女性が二人もいる。かといって、ホテルや民宿に泊まるだけのお金も持っていない。

「そうだ、最初のポイントの道沿いにコテージなんとかという古ぼけた看板が出ていたよ。一部屋一泊で三千円とか書いてあったな」

「へー、何人でも?」

「何人でも同じ値段だと思う。あの書き方じゃね」

 ともかく行ってみようということになった。車を二十分ほど走らせて、その看板のあった辺りをうろうろした。すでに夕方で、周囲は暗くなりかけている。ようやく見つけた看板には『コテージ・ミキ』とあり、料金と矢印が描かれていたが、その板は、ひどく色あせており、板の端が欠けている。看板を支えている家の塀もぼろぼろである。「大丈夫かなあ」一人が言った。「でも、行くだけ行ってみましょうよ。ダメだったら別のことを考えればいいんだし」と女が言った。

 矢印に書かれてあった道は、海から遠ざかるにつれてどんどん細くなり、民家の少ない畑道になる。大丈夫かな。コテージらしいところ見えた? いや、普通の民家しかないけどね。コテージと言ったって民宿みたいなところだろ、きっと……

「あれ、そうじゃない」女が指さした。

通過したばかりの生け垣で囲まれた赤屋根の家だ。その横壁に横文字が書かれている。しかし、ペンキが剥げかかっており、文字はよく読めない。

「ともかく、行ってみましょうよ」車をその場所までバックさせた。男と女一人ずつ下車して、その家の敷地に入っていった。生け垣の中は砂利が敷き詰められていた。そこに大型の四輪駆動が停まっている。

「やっぱりそうよ、ここだわ。コテージ・ミ…ミ…ええと」女は上を向いたまま言った。男は自動車の横を通り、玄関の近くまで行った。玄関の門灯は消えたままであったが、カラス扉を通して、奥の電気がついていることが確認できる。ブザーやインターホンのようなものが見あたらなかったので、男は玄関を軽く叩いて「すみません」と声を上げた。

 どこからか、低い声が響いた。よく通る、張りのある声だ。しかし、それは、家の奥からではなかった。周囲を見回したが、誰もいない。

 もう一度、「すみません」と声を出す。

 少しの間をおいて、離れの物置小屋から人影が現れた。

 大柄の男だ。ここの主人らしい。

 麦わら帽子をとると、伸ばした髪が日焼けした額に垂れ、鼻から下は髭に覆われていた。前髪も髭も、かなり白い。その中間にある目は、ガラス玉のように大きかった。

 男はタオルで顔を拭きながら二人に近寄ってきた。薄い作業着の上下が汗で濡れている。

「何か用かね?」二人の姿を軽く視線で舐めた後、男はつぶやくように言った。仕事を中断されて怒っている風でもなく、かといって闖入者の四人に興味を示している様子もない。無関心が染みついている、そんな風情だ。

「すみません。コテージに泊まりたいんですけど」と言うと、その男はタオルで髭面をしごき、ぼそりと言った。

「コテージ?」

「ええ、看板があったから」

「もう、やっていないんだよね」

「そうなんですか」

「三年くらい前まではやっていたんだがね。残念だったな」

「どこか、民宿とか近くにありませんか? 一人が体調を崩しちゃったので、休める場所が必要なんです」女が訴えた。

「二人?」

「いえ、四人です」

「そうか……」主人はもう一度顔の汗を拭った。それから振り返り、いまさっき出てきたばかりの小屋を指さした。「あそこにはいろんなものが置きっぱなしになっているが、あれでよければ勝手に使ってもらっていい。ただし、冷房は壊れているし風呂もない」

「結構です」男が言った。「お金は?」

「いらんよ」

 主人は、二人に背を向けて母屋に向かって歩いていった。


 四人は、小屋の中に入った。電灯をつけた。女が歓声を上げた。段ボールが積み上げられてはいるものの、六畳と四畳半の半分は使える状態だ。流しの水道も出る。その横にトイレもある。

「ここをコテージにしていたのね」女が言った。

「たぶん、そうだろうな。七八人でも使える広さだ」

「それほど古くないわよ、ここ」奥から女が振り向いて言った。「どうしてやめちゃったのかしら?」

「さあね」

 女は、積み上げられている段ボールをこっそり開けて、小声を出した。「女物のコートよ」

 男がそばで強く制止した。「やめろよ。あんまり失礼だろ、ただで泊めてくれるのに」

 そのとき、外で砂利を踏みしめる音がした。扉が開いて、主人が入ってきた。両腕で山ほどのタオルケットを抱えていた。

「すまんが、布団はない。これで寝てくれ」

「ありがとうございます。十分です」

「風呂はないが、裏に水道シャワーがある。囲いがしてあるから、女性でも浴びることができるはずだ」

「ありがとうございます」

「明日の朝、俺は早くから出ていくから、そっちも勝手に出ていってくれ。タオルケットはここに積み重ねておいてくれればいい」

 四人は順番に水シャワーを浴び、ウェアを洗い、非常食を四人で分けあって夕食にした。十時を過ぎていたが、まだ寝られそうになかった。昼間の熱気が去って、近くの山から冷気が流れ込んでいる。さわやかな風が小屋の周囲を過ぎていく。しかも、見事な満月が明るく照らしている。

 四人は外に出て、近くの小道を散歩した。コテージまで戻ってきたとき、月光が、尖塔のような不思議な突起のある母屋を照らしていた。屋根や壁の色が青く浮き立って見えた。

「コテージ…ミキ」男が壁の文字を読んだ。「コテージ・ミキって名前だったんだ」

「へえ、でも入口の表札は池尻になっていたけどな。三木って誰だろう? 土地の名前でもなさそうだし」

「きっと、その人が経営者だったのよ」

「じゃあ、さっきのご主人は?」

「さあ」

「コテージなんか経営するタイプには見えないわ。無口で愛想がないもの。すごく親切だけど」女が小声で言った。

「あのご主人、独り者なのかなあ」

「どうして?」

「だって、人の声とかぜんぜん聞こえないし、電気が点いているのも一部屋だけだし」

「もったいないわね、こんな広い家に一人だけで住むなんて」

 四人は、足音を立てないように、ゆっくりと砂利を踏みながら小屋に戻った。


 翌朝、四人は六時に起き、急いで身支度して、その小屋を出た。一言お礼を言おうと、母屋の玄関を開けて呼びかけたが、返事はなかった。昨日の言葉通り、朝早く仕事に出かけたのだろう。玄関の鍵をかけることもなく。

 四人は、昨日と同じポイントで朝の波に乗った。風はなく、波は高く、水温はやさしく、このまま永遠に水面で遊んでいたいと思わせるようなコンディションだ。ボードを持つのも重いと感じるくらい、へとへとになるまで波乗りを楽しんだ。時刻は昼に近かった。

 帰り支度を整え、車で近くのルートレストランへ行く。ポケットの残った全部のお金を出し合って、チキン南蛮だのトンカツだのを注文し、特盛りの白米と一緒にむさぼり食った。満腹になってレストランを出た時、四人の一番後ろにいた女が頓狂な声を出した。

「どうしたの?」

「見て、あの人。昨日のコテージのご主人じゃない?」

 女は、数十メートル先の防波堤を指さした。そこには、コンクリートの上であぐらをかき、タバコを吸いながら海を見ている男の後ろ姿があった。

「似ているような気はするけど、後ろ姿じゃよくわからないな」

「でも手前に停めてある車は、昨日のとそっくりだわ。あの帽子も」

「行ってお礼をしてこようか?」

「別にいいんじゃないかな、タオルケットの上にお礼のメッセージは残してきたから。せっかくの休憩時間を邪魔するのも悪いし」

 残りの三人は、無言で同意した。というのも、その後ろ姿には、何か近寄りがたいものがあったからだ。

 結局、四人はそのまま自動車に乗り込んだ。十分ほど走って、知り合いのサーフショップに寄り、缶コーヒーを飲みながらオーナーと談笑した。

 帰途についたのは二時過ぎだ。これなら、多少道が混雑していても九時前には確実に帰宅できる。一晩ぐっすり寝て、明日からはまた仕事である。四人とも別々の職業を持っている。

 背の高い椰子の木が路肩に植えられた、気持ちのよい自動車道を走っていった。遠くに防砂林が見える。その向こうの海では、まだ多くのサーファーがサイズの大きな波を楽しんでいることだろう。カーラジオでは、地元局のアナウンサーが今年一番の暑さになりそうだと話している。

「あのさ……」運転している男が口を開いた。「ちょっと思ったんだけど、あのコテージのご主人、むかしサーフィンやっていたんじゃないか?」

「なんだよ、いきなり」助手席の男が笑う。「変なことを思いつくなあ」

「急にそんな気がしたんだ。すごく上手でさ、サブロクターンとかひょいひょいやりそうな……」後部座席の二人の女がぷっと吹き出した。

「言われてみれば、そうかもね」

「すごく日焼けしていたしね」

「でもさ」と運転している男が言う。「もしそうだったら、どうしてサーフィンを止めちゃったんだろう?」

「さあ……」

「いろいろあるのよ、人生には」

「俺たちも、いつかサーフィンをやめるのかな?」

「……」

 四人は再び無言になった。路肩の椰子の木はまだ続いていた。遠くの空に、離陸した飛行機が高度をぐんぐん上げていくのが見える。その向こうには、底抜けの青空。ラジオから流れてくる緩いテンポの音楽。車内のエアコンはようやく効き始めた。

 心地よい疲労に、海の余韻が残っている。四人には、この道が、このまま永遠に続いていくように思えた。(了)


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