姉妹
傷はたとえ消えたとしても
傷跡として心に深く刻まれる。
君の深い傷が消えるのならば、俺は嘘を味方にしよう。
そして残った君の傷跡が消えるのならば、俺は悪にでもなってしまおう。
そうしてできた俺の傷も
君が消してくれると信じよう。
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「うっ…飲ませすぎだあんにゃろう…」
道端に吐くことは自分のプライドが許さず
結局帰宅後に吐くことにした。
友人に初の恋人ができたらしい。
それだけであんなにテンション上がるか?
「うるせーよ!」
頭に響くから叫ぶな不良。
そのあとに聞こえた女の声で頭に血が上った。
ここで殴り合えば何度目になるんだろう
顔に傷をつけてバイト先に行くと
「接客業なんだから顔はやめてね」と店長に毎回言われているが
幸い、高野が不良だという噂は外見上立っていない。
「何してんですか?」
バッと一斉にこっちを見る。
「いちにぃさん…5人か。
残念だけど俺の最高記録は8人だ。やり合うか?俺と」
「ハッ、上等じゃねぇか」
女を一番下っ端であろう男にあずけ
ボスっぽい雰囲気の男は関節をポキポキ鳴らしながら迫ってくる。
高野は間接鳴らない派なのでじっと見つめる。
ダッと一斉に駆け寄ってくる。
ちらっと女を見る、すがるように信じる目と目が合う。
一呼吸置くとあと5秒ほどで殴りかかる男がいた。
「黒帯なめんなー!」
空手教師の親父の勧めで空手は小さい頃からやっていた
そのおかげか、喧嘩だけはずっと強かった。
黒帯といっても7段の黒帯だ。
大抵の不良には負けない自信がある。
何分たったのだろう。
残ったのは女を捕まえながらも逃げ腰になってる男ただ一人。
「おい」と声をかけただけで逃げて行った。
「ありがとう、あなた強いのね」
不良に目をつけられただけあって、気の強そうな女だ。
「ありがとう、気を付けて帰れよ」
我ながらカッコいいセリフを残したつもりだ。
その後帰宅し、高野は玄関で盛大に吐いた。
*
なんとか二日酔いはしないで済んだ。
大学も終わり、図書館で好きな作家の作品を探していた。
あった…それだけでテンションが最高潮な高野は
例の友人に劣らない単純さを持っている。
時計を見ると、バイトまでかなり時間があった。
時間の許す限り読もうと椅子に座る。
そのとき視界に入った女。昨日のか?いや、違う。
高野は本を借りて外へ出た。
「ちょっと…」
驚いた顔をして振り返る女は
昨日の女と瓜二つだった。
「何ですか?」
怪訝な顔をして聞く、当たり前だ
知らない男に道中声をかけられたのだから。
「お姉さんとかいる?」
そう聞くと、女は困った顔をした。
「居ま…す」
昨日助けた女はこの子の姉だと確信がついた。
「じゃあさ、そのお姉さんに」
女は高野の後ろを見つめている。
「どうかした?」
「あ、私帰ります。すみません」
なにか急用でも思い出したのだろうか?
急に慌て始める。
「私、井上華那といいます。
お姉ちゃんに用がおありでしたらこちらへどうぞ
では失礼します。」
勝手に教えていいのかよ、と
手渡されたメモをポケットに入れる。
今晩電話してみるか?でも、心配なのは確かだ。
下心がないんだから別に違和感はないだろう。と
苦し紛れの言い訳をなんども唱え
高野はバイト先のCDショップへ向かった。
・
時刻は夜の10時。
ケータイとにらめっこしてる。
連絡するべきなのか、でもなんて言うんだ?
「気を付けて」それだけだ。
「それだけ言うのになんでこんなに躊躇してるんだ俺は!」
開き直って高野は電話番号を無心で打ち込んだ。
*
「ただいまー」
もちろん、返事はない。あるはずない。
電気をつけて寝室に向かう。
原稿の締め切り日が近いため、きっと明日は
徹夜での作業になるだろう。
「雑誌も楽じゃないわねぇ…」
そもそも楽な仕事なんてない、と心で自分に言い聞かせる。
携帯のバイブ音が鳴る。
会社からの呼び出しじゃないことを祈って電話に出る。
「もしもし?」
「あ、えっと…」
聞き覚えがある。この声は…
「私を助けてくださった…」
「あ、はい!高野颯太と言います。」
「ありがとうね、わざわざ電話まで…
番号、誰から聞いたの?」
えっと…と言葉に詰まる…確か高野さん。
聞いた相手は誰だかわかってる。けど
焦ってるの可愛いなという理由でわざと聞く。
「えっと…あなたの妹です。」
ほら、やっぱりね。
「そう…私は井上彩花。よろしくね。
そう…華那が……今から会える?」
*
「お待たせしました。」
「大丈夫、待ってないわ。」
やっぱり似てる、確か…井上華那。
「話したいことがあるの、華那のこと。
そうして欲しいから、私の番号教えたんだろうしね。」
コーヒーを手渡される。
遠慮すると、私の方が年上なのよ。
それに、呼び出したのも私だから。
と、すんなりかわされた。
「…ドッペルゲンガーって流行ってるでしょ?」
確かに、「世界的に急激に増えている」と
ニュースで毎日のように取り上げられている。
そのため、ドッペルゲンガーを消すための特別機関である
「平和維持特設機関」が設けられるなど、ここ5年ですっかり
ドッペルゲンガーは定着してきている。
「あの子、ドッペルゲンガーなのよ。」
あまりにもさらっとし過ぎて聞き流すところだった。
「は?ドッペルゲンガーって人間との関わりを持たないんじゃ…」
「なぜか知らないけどね、華那は特別なのよ。」
突然変異…とでもいうのだろうか。
きっと触れれば温もりもあったはずだ。
感情も消えてはいない、傍から見たら普通の人間だ。
ともあれ、ドッペルゲンガーは本人がいてからのドッペルゲンガーだ。
「本人は…どこにいるんですか?」
「私よ。」
「えっ?」
本人以外のドッペルゲンガーになることも可能なのか?
でもドッペルゲンガーは霊とも違う、だから憑依もしない。
消すにはどこぞの神秘的な海だか山だかで取れる赤い石が必要だと
聞いたことがあるが、忘れた。確かその特別機関に所属している人だけが
所持しているとどこかで聞いたことがある。
「9年前事故にあったの。家族で私だけが生き残ってね。
しばらくしたら夢に華那がでてきて言ったの…
お姉ちゃんのドッペルゲンガーになる。って」
「で、井上さんはなんて?」
「私シスコンだから、また会えて嬉しかったし
断れなかった。それで華那が喜んでくれるならって
わたしはいいよって言ったの。」
缶コーヒーにやっと口をつける。
高野も、飲むなら今しかない、と乾いた喉を潤した。
「会いたいって思うけど、会ったら二人とも消えちゃうからね。
別に私はそれでもいいんだけど、あの子のことだから駄目って言うわ」
「当たり前じゃないですか。」
井上は驚いて高野を見る。
高野は思わず口から出てしまった言葉に続ける。
「大好きなお姉さんに、自分のせいで消えて欲しくないです。
それに、井上さんまで消えちゃだめです。」
井上はしばらく高野を見つめた後、ふふっと小さく笑う。
「あなた面白いわね。ありがとう、気持ちを改めるわ。
じゃあ、華那のことよろしくね。」
座っていたベンチから立ち上がり。
手を振りながら歩いていく。
「送りますよ。」
「いいわ、大丈夫。あの時は酔ってたからだけど
私合気道やってたのよ、黒帯のあなたにだって勝つ自信あるわ。」
またあっさりとかわされる。
合気道の全国大会で高校時代3連覇、卒業してからも連続で入賞していることを知るのは、もっと後だ。