Chain88 醜い感情を忘れられる仕事
伊織とこうして同じ学び舎で過ごせる事は、俺にとってとても嬉しいニュースだった
「芳賀サン! これって本当に?」
大学生活もだいぶ慣れてきた頃、学生とは別の顔を持つモデルの仕事にも新たなニュースが俺の元に届いた。
「ああ、本当ですよ?」
デスクでパソコンを見ていた芳賀サンは、俺に視線を移さずに答える。その返事を聞いて、ある書類を手にしていた俺は笑みを浮かべた。
「やった! とうとう“sEVeN”の仕事が来たか!」
嬉しくて何度も見てしまうその書類には、大きく“sEVeN”の文字が書かれていた。
“sEVeN”とは、イタリアのトップブランドで俺の目標でもあった。昔から何度も目に付くその名前に、俺はいつかこの仕事をしたいと心から思っていたのだが……
「デザイナーであるヴァン直々のオファーだ。今までのお前の活躍を見て、大層気に入ったそうだよ」
芳賀サンのその言葉を聞いて、俺は芳賀サンの前でガッツポーズをする。
これまで色々な仕事をしてきたが、そんな俺の事をちゃんと見てくれてはこうして評価をしてくれる人もいると知って、更に喜びも増してくるしヤル気も出てくる。
「もうヴァン直々のご指名なら、どこでも行っちゃうよ! それで、撮影場所は……日本?」
それじゃあ、ヴァンがこっちに来るのか?
「しかも、これを撮影するのって暁生さんじゃないか!」
すると、芳賀サンはさらにもう一枚の書類を俺に渡してくる。それに目を通すと、そこに書かれているのは……
「“K2”……?」
赤いペンで大きく“K2”と書かれたその書類。それもまた俺へのオファーだけど、“sEVeN”の後だと誰かさんの事も含めて霞んでしまう。
そう思っていると、その“誰かさん”のウザイ笑顔が頭の中を占めはじめた。琉依〜琉依〜と呼ぶあの野郎の声までも聞こえてくる気がしたそんな時だった。
「琉依〜!」
バンッという音と共に入ってきてはすぐに俺の元へ走って抱きついてくるのは……
「け、K2!?」
「そうだよ〜、我が息子よ!」
ロンドンに行った時以来の再会で喜ぶK2と、とてもウザイと感じている俺。それぞれの想いを胸に抱いたまま、こうしてしばらく親子の抱擁が芳賀サンの前で行われた。
「ところで、もしかして“K2”の撮影もこっちでするの?」
やっと落ち着いた時、俺は向かいのソファに座ってコーヒーを飲んでいるK2に尋ねる。すると、K2はカップをテーブルに置くと
「そうだよ〜。琉依には“sEVeN”の仕事も入っているんだってね? それで、ヴァンと相談して日本で撮影をしようって事になったんだよ〜」
ヴァンとって……こういう所はさすがK2と言っていいのか、あのヴァンとも付き合いはあるんだな。K2(バカ)のクセに……
「時期的にもまあ同じ時だし、両方ともカメラマンは槻岡氏だからね。彼にとっても、同じ場所でするのはいいんじゃないかな」
「そう! 俺は結構、親友思いなんだよ!」
芳賀サンの説明に、K2が偉そうに親友思いを自慢する。こういう所は、ロンドンに行こうが変わらないんだな。
「先に“sEVeN”で、その後に“K2”……だからアンタ別にもう少し後に来ても良かったんじゃない?」
書類を読んで、冷めた視線と言葉をK2に送る。そんな俺に、芳賀サンも頷くもんだからK2がまたショックを受ける。
「いいじゃないか! 久しぶりの日本だから、ゆっくり滞在したいの! ナオトにも会いたいんだから」
「あっ、きっと兄貴は会いたくないと思うよ」
間を空けずに答える俺の言葉に、更に顔を蒼ざめているK2。我が父ながら、ホントからかい甲斐があって楽しいわ。
「いや〜、それにしても琉依がまさか“sEVeN”の仕事が取れるようになったなんて……成長したね〜」
「は・な・れ・ろ!」
長い海外生活の所為なのか、さっきから事あるごとに俺に抱きついてくるK2。そして、それを懸命に拒む俺だから、またK2の顔が歪んでくる。
モデルを始めて十年、やっと俺の目標にたどり着いた。大きな仕事を手にした時の俺の心の中には、微塵も醜い心は入っていなかった。君への歪んだ感情や束縛したい欲望……これらは仕事をしている時の俺の前では完全に無力なものだった……
この時は、そう思っていたんだ……
またまた出ました、K2です。この撮影が始まる頃、琉依の中で何かが起こります。