Chain71 狂気への序曲
目の当たりにした君が俺以外の男とキスをしている光景……その時降っていた雨が、いつの間にか流れていた俺の涙を消してくれた……
降り続ける雨の中、俺はまだ何も考えられず座り込んでいた。
目の前が何かに邪魔されてしっかりと見えないまま、頭の中では色々な事が駆け巡っている。
失ってから気付くなんて……本当に最悪。やっと真剣に向けた視線の先は、もう他の男を見ている君の瞳。
「寒っ……」
冷えきった体と心に耐え切れなくなった俺は、ゆっくりと立ち上がるとそのまま自宅へと向かった。
無意識の内に君の家の前まで来るが、そこには既に君と高月の姿は無かった……。もしかすると、君以外は誰も居ない家に、彼を招待しているのかもしれない。
そんな思いを抱えながら、俺は更に強くなってきた雨の中を走る事無くゆっくりと歩いて行った。
「ち、ちょっと! 琉依! どうしたの、その格好は!」
「……」
玄関のドアを開けた瞬間に見えた君の怒鳴る姿に、俺は思わず目を開いて立ち尽くしていた。
「ちょっと待っててね! 今、タオル持ってくるから」
そう言って慌ててバスルームに走っていってタオルを取りに行くと、すぐに同じ様に走って戻ってきては俺の髪を拭いてくる。
「こんな雨の中を走って帰ってきたの?」
君の問いにただ頷いて、俺はそのまま靴を脱いでリビングへと向かう。
「こらっ、そんなに濡れたまま家に上がらないでよ〜。ちゃんと拭いてから上がって!」
慌てて追いかけてくる君の方を振り返る事無く、俺はカバンと首に掛かっていたタオルを放り投げるとシャツを脱いでバスルームへと移動した。
「琉っ……」
バサッ!
まだ俺を引きとめようとする君に向けてシャツを投げると、俺はそのままバスルームのドアを乱暴に閉めた。
冷水のシャワーに打たれながら、俺は自分の頭も更に冷やしていた。
「八つ当たり……?」
自分の気持ちに気付くのが遅かったせいで、本当に他の誰かに取られてしまった君への酷な八つ当たり。明らかに自分が悪いのに、それでも目の前で幸せそうにしていた君が憎くてたまらなかった。
「あっ、出てきた〜? ご飯出来てるから、食べよう」
バスルームから出てきた俺にキッチンから顔を出した君が声を掛けてくる。さっき自分がされた事など一切気にする事無く接してくる君に、俺は何だか拍子抜けしながらも言われた通りダイニングへと入る。
そして二人で夕食を食べるが、その間に俺が待っていても君からは一切さっきの出来事が語られる事は無かった。
語らなくても分かる君の幸せそうな表情。決して意識してのものでは無いかもしれないが、自然とそうやって笑みも浮かべているのだろう。
「あのね、琉……」
「夏海、しよっか?」
その事実が恐らく口から出るだろうという時を遮って、俺は君をベッドへと誘う。しかし、君はそんな俺の腕を掴んで
「あのね、聞いて欲しい事があるの……」
「終わってからなら、何でも聞いてあげる」
「琉……っ」
今すぐは聞きたくなかった俺は、躊躇う君の腕を強引に引っ張るとそのままベッドへと君を倒した。
まだ開こうとするその口をいつもよりもやや強引に塞いで、そのまま心地よい快楽へと身を委ねる。
俺の指と絡み合う君の指、俺の腕に触れる艶やかな髪に甘い吐息……どれも今まで俺だけの物だったのに。何度、体を重ねても感じなかったこの愛しさが、今になって溢れてくる。
誰にも……触れさせたくないのに……
――――
「ねぇ。私ね、高月先輩と付き合う事になったの」
情事の後、気だるい体を休ませていた俺の隣で君は背を向ける俺に話しかけた。
“何でも聞いてあげる”とは言ったが、やはり俺はこうして君と向き合おうとはしなかった。
「だから、これからは私の身体は貸せないから……違うコにセフレになって貰って?」
俺の返事など待たずに君は言い続けるが、その言葉を一つ一つ聞くたびに俺の心は悲鳴を上げていた。動揺を君にバレないよう隠すのが精一杯だった。
「ねぇ、聞いてるの?」
「余計なお世話だよ」
「だよね。あんたなら、いつでも見つけられるから」
言葉に詰まってしまった。そもそも俺と君は恋人同士ではない、ただの幼馴染みだからこうして恋人が出来るのも別に大した事ではないのだ。いつになったらこいつに彼氏が出来るのか……そう心配した時もあったのに、君への想いに気付いた途端に俺の中では別の感情が湧いている。
“そのうち、横から誰かがさらっていくぞ”
いつかそう話していた渉の一言が今になって理解できた。そうだ、俺はいつのまにか恋心を抱いてしまっていたんだ。自覚が無かったが、ただの幼馴染みから一人の女性として君を見ていたんだ。だからこんなにも苦しくなって、こんなにも狂ってしまいそうになってる。
俺の中で……君を束縛したいという欲望が渦巻いている。
それで? 何て言った? 高月賢一と付き合う? 誰が? 君……俺の夏海が?
許さない……
「じゃあ、これからはまたただの幼馴染みとして付き合おう!」
そう言うと君はベッドから抜け出して服を着ると、無反応な俺を振り返る事も無く部屋を後にした。
ご機嫌なのか、軽く歌いながら階段を降りていくのが聞こえてくる。
「……そんな事、絶対に許さない」
失ってから初めて気が付いたこの気持ちを、俺は消滅させたりするものか。俺が誰よりも君の傍にいて、誰よりも君の事を理解しているんだ。
「渡さない……他の男なんかに夏海は渡さない」
それから少しずつ、俺の中で何かが壊れ始めていた。
これで琉依と夏海の契約は終わった……訳では無いのです……