Chain69 君は俺の寵姫のままでいたのに
君を放したこの手……今でも彷徨っているよ……
あの手を放してしまってから数日後……
「太陽が眩しいなぁ……まるで校長の頭みたい」
いつものように屋上のコンクリートに寝転んで太陽を見上げる。この眩しさはまさにクソ長い話を好む校長の頭と一緒だ。
今日は昼休みからこうしてずっと居る訳だが、眠る事無くただずっと空を眺めていた。何だか授業を受ける気も起こらずこうしてずるずると居た。
誰も居ない屋上で何の騒音も無い静かな場所。此処はとても心地よくて、余計な事を考えなくて済むから……
「お〜っ! やっぱり此処に居たか!」
とても好きだ……と思っていたが、その空間をたった今コイツによって邪魔される事となった。
「五限目にお前が教室に居なかったと夏海から聞いていたからまさかとは思っていたけど、お前まだここに居たのか?」
時計を見るともう六限が始まっていた。って事は、渉もサボりにきたのか……。
「何だよ。ただ単にお前も便乗しに来ているだけじゃないか」
「だってさ〜六限は俺の嫌いな数学だし? 頭が痛くなるから嫌いなんだよね」
頭を動かす事より体を動かす方が好きな渉は、教科書に書かれている数字を見るだけでもう頭を抱えたくなるくらい勉強が嫌いだった。しかし、それでも成績はそんなに悪くない……というよりも上の方だからなぁ。
「まぁまぁ、ジュースと菓子も持ってきたから仲良くしましょうよ」
そう言って持っていた袋を俺の前に差し出すと、中が見えるよう少しその位置を下げてくる。それを受け取って中からジュースを取り出すと、上半身を起こしてから飲み始める。
「いやぁ、ここはホントいいねぇ。ドアからも死角になっているし、ホント見つかりにくい場所だわ」
だから教師にも見つからないと改めてここの良さに感心する渉。俺もそう思っていたけれど、やかましいお前が中途半端な時にこうやって来ると、いつ担任に見つかるかってこっちはヒヤヒヤモンだよ。
「夏海、怒ってたよ〜」
「知っているよ。さっきからメールが何回も来てるし」
そう言うと、傍にあった携帯を渉に見せた。最初の方は来るたびに内容を確認していたけれど、こう何回も送られてきてはどうせ内容は同じだろうと未読のままにしていた。そんな携帯を渉は俺の手から取ると、勝手に内容をチェックし始めた。
“屋上に引きこもってないで、早く帰って来い!”
“あんたがいなくなって注意されるのは決まって私なんだからね!”
“今度こそ留年してしまえ!”
「……だってさ。すごいね、まだまだあるよ」
わざわざ送られてきたメールを声に出して俺に聞かせる。て言うか、本当に内容が一緒だし……うんざりしている俺の横では、渉が笑いながら君からのメールを読み続ける。
「やっぱり長い付き合いだけあって、夏海は琉依の母親的存在になりつつあるなぁ」
一通り読み終わると、煙草に火をつけて渉は話し始めた。
「あいつが母親? 俺の母親はあそこまでしつこくねぇぞ。監視役のようなもんだな、あれは」
しつこくないというよりも、俺の両親はほとんど海外にいるから構う事も出来やしない。たまにメールや電話で様子を伺ってくるが、それに対しても上手く流している。ただ、君がたまにチクっていたりもしているそうだが。
「あれだな。母親的な存在だったら、もう女としては見れないか?」
「はっ?」
女? 夏海が? そんな風に見たことはあの時から一度も無かった。初めて出会ったまだ幼かった頃の、変に大人びいていた時のほんの僅かな恋心……。それからすぐにそんな感情を消し去ってしまい、今までこうして兄妹のような親子のような変な関係でいる。
「ありえないね。夏海が彼女になったら、今まで以上に俺追いかけれちゃうよ」
煙草をコンクリートに押しつぶし、新しいのをまた取り出して吸いながら笑って答えた。
「そんなものかねぇ。俺、お前等は似合いだと思うけどなぁ」
「はっ、カンベンしてくださいよ」
そう言って、寝転んで呟く渉を軽く叩く。どこをどう見たら俺たちがお似合いだと思うのか。それに、俺はこの間綾子サンと別れたばかりだというのに……
「でも、まぁあれだな。そんな風に自覚無いままでいると、そのうち横から誰かに持っていかれてしまいますヨ?」
「あぁ、そうだね。その方がいいんじゃない? 俺も救われるわ」
「ふ〜ん。ホントに自覚が無いんだな。それとも、まだ元カノの事を理由にしているだけなのかな?」
急に立ち上がった渉に対して適当に返したが、渉は軽く笑いながらそう言ってその場を後にした。いつ俺が渉の前で君に対して恋愛感情があるような誤解を招く事したのか……。
君は姉のような、妹のような存在。それ以上の感情は持ち合わせていない。セックスはするが、そんなもの恋愛感情が無くても本能に任せて出来る事だ。それは、俺たちがそういう関係を始める前にお互いが思っていた事だ。
俺たちには恋愛感情は必要ないと……
そう思っていると、六限の終了を知らせるチャイムが聞こえて来た。そして、さらに十数分程過ぎてから、吸っていたタバコを消して吸殻を缶の中に入れると渉が置いていった袋を持って屋上の出入り口へと歩き始めた。
恐らく大抵の生徒が帰っているにも拘らず、君は戻ってきた俺を怒鳴るために待っているのだろうな……そう思っていながら階段を降りていると、誰かの話し声が聞こえて来た。
「槻岡って、あの槻岡の事か?」
「そうに決まっているだろ」
……って、何だよ。ここでも君の話題で盛り上がっているのか? 誰だか分からないが、そこを通らないと俺も下に行けないから早く去って欲しいのですが。
場所や声の小ささから内緒話をしているようで、当然君と知り合いの俺が通るとまずいと思い、なかなか一歩を踏み出せないでただその場で待っているしか出来なかった。
「槻岡っていったら、あの宇佐美琉依の寵姫って噂になっているじゃないか! 手を出しても無駄に決まっているだろ!」
何だって……?
「ば〜か! そんなのビビってたらモノに出来るのも出来ないぞ? 俺は彼女に決めたんだからな」
モノ? 彼女?
「寵姫と言っても宇佐美もただのダチに過ぎないだろうし、大したことじゃねぇよ」
誰だ? この声の主は誰だ?
今すぐにでも駆け降りてその男の素性を見たかったが、思っていたよりも動揺していてその場でただ聞いているしか出来なかった。
「大丈夫だって、あいつよりも俺の方が彼女とあっているよ」
自信満々に笑いながら話す男たちはその場から去っていったのか、その声も徐々に聞こえなくなっていった。
そして、再び静かになった階段で一人残って立ち尽くしていた俺はまだそこから動かず、真っ白になっていた頭の中でどこから整理したらいいのかと必死に彷徨っていた。
しかし、結局何も答えなど見つからなかった俺は天井を見上げてため息をつく。
「参ったな……」
思わぬ出来事に、思わずそのまま壁にもたれて座り込んでしまった。そしてその時、さっきの渉のあの一言が頭の中で響いていた。
“そのうち、横から誰かに持って行かれてしまいますヨ”
結局……俺はそれで救われる事は無かった……
この声の主は、皆様ももうご存知かと思います“あの男”です。本当に大切なのは、失いかけてから気付き始めるのですよね……