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Chain63 さようなら愛しい人


 こんなにも愛しいと思えた人は彼女が初めてで、大切に関係を続けたいと思ったのも彼女が初めてだった。俺が何よりも好きだった貴女の笑顔を守りたいから……だから、俺と……別れてください





 綾子サンの問いに何も答えないまま、俺たちはしばらく向き合って立ち尽くしていた。しかし、それだと何も始まらないと言う事で場所をリビングへと移すと、先に座った俺の隣に綾子サンが座ってきたと思えばすぐに俺に抱きついてきた。


 「綾子サン……?」

 「どうして? 私がこの間あんな所で琉依クンの名前を呼んだからいけなかったの?」

 決して俺の顔を見る事無く問いかける綾子サンを、俺はゆっくりとその腕を解いていく。そして涙がつたう頬に触れては、その涙を一滴一滴拭っていた。

 「それは違うよ。それに俺は綾子サンの事を嫌いになった訳じゃないんだ」

 「それなら、どうして? どうして私達は別れなければならないの?」

 一度俺の胸元を軽く叩くと、綾子サンは声を少し荒げて訴えてくる。そして再び溢れてきた涙を拭った後の頬に伝わせる。

 「俺はね、綾子サンにはいつも笑っていて欲しいんだ」

 「……えっ?」

 学校ですれ違った時や偶然見かけた時、マンションに行った時や電話している時……いつでも綾子サンの素敵な笑みを俺に見せて欲しい……そう思っていた。

 「俺ね、綾子サンの事が好きになったのは初めて出会った沖縄のビーチからなんだ」

 「琉依クン?」

 そう、初めて出会ったあの時……


 『ごめ〜ん、待った?』


 女性たちに囲まれた時に声を掛けてくれたあの笑顔は、その時既に俺の心の中に印象付けていた。それから会話をして行くうちに本当に興味を抱いて、自分から初めてもう一度逢いたいと思えた女性だった。

 そして、もう逢えないと思っていたはずのあなたがこうして目の前に現れて再会した時、貴女は始めは戸惑っていたがやがて俺の好きな笑顔を見せてくれるようになった。

 付き合い始めてからその笑みを見れる回数はだんだん増えていった。それは貴女が幸せだといってくれる証明であり、俺もまたとても幸せだった。それなのに……


 「でもね、一緒にいればいる程、笑顔は悲しみの表情に変えさせてしまっていたんだ……」

 俺の仕事で会えない回数が増えていくし、会えると思えば貴女の仕事が忙しくなっている。すれ違いが生じてしまい、お互いに寂しさが募っていた。俺は仕事で紛らわせる事が出来るし家には兄貴や君もいた。けれど、綾子サンは? 彼女は仕事といっても寂しさを紛らわせるような仕事じゃないし、帰宅してもそこには誰も居ない……俺に電話してもほとんど出れない状態だった。

 そんな俺達が会う事が出来る数少ない場所が放課後の保健室だった。けれど、あの時を境にして俺はそこへも行く事が無くなった。そして、周りの事を考えてしばらく会うのを避けていた事で、綾子サンの寂しさは俺が感じる寂しさよりもはるかに超えていた。


 学校で見かける度にそれが表情にも出ていた綾子サンに、俺の中では一つの考えしか残されていなかった。

 “彼女を……解放してあげないと……”

 俺の都合に振り回されてしまった所為で笑顔が魅力的だった貴女は、どこへ行ってもそれは見る事が出来なかった。

 他の生徒や先生と話している時や仕事をしている時も、そして……俺と居る時も……


 貴女が見せるそれは、作り物の“笑み”だった。そんな風にしてしまったのは、全て俺の所為……。

 「それでもね、俺はそんな事くらいすぐに乗り越える事が出来るって思っていたんだ」

 「で、出来るわ! 琉依クンと一緒に居られるなら、私……」


 「無理だよ……」


 綾子サンの前向きな言葉もすぐに打ち消してしまった。そんな綾子サンは俺を愕然とした瞳で見上げる。

 「俺は……例え彼女が寂しいと訴えても、今の自分を変える事が出来ないんだ」

 それは仕事の事も含めて……会えなくて寂しいと思っても、思われても俺はその仕事を辞める気は全く無い。自分がこれまで積み重ね来たものを、簡単に捨てる事が出来ないから。

 「自己中心だと思われても仕方が無いと思っている。けれど、それが“俺”なんだ……」

 俺の決意が固いのを知ったのか、綾子サンはついに両手で顔を覆って泣き出してしまった。あんなに素敵な笑みを見せてくれた貴女だったのに、今はこんな風に泣かせてばかりいる。

 でも、ごめんね。それでも俺はもう貴女を抱きしめて支えてあげる事も出来ないんだ。もう、そんな資格すら俺には微塵も残されていなかったから。だって……


 貴女と付き合う前から、俺は既に貴女を裏切り続けていたから……


 こんなにも貴女は俺を見てくれているのに、俺は貴女と一緒じゃない時は他の女を求めていたから。心地よい快楽に任せて、俺は今までずっと君にも身を委ねていた。

 何度か君との関係を解消しなければと思っていたのに、それでも俺は綾子サンを裏切る行為を続けていた。

 「傍に居れば居るほど、俺はこれからも綾子サンを苦しめてしまう。俺は、綾子サンの笑顔が本当に好きなんだ」

 俺の言葉に、覆っていた手を除ける綾子サン。けれど、それでもまだ涙は止まる事を知らずに次々と溢れていた。

 「綾子サンの不安に気付けなくて……ごめんね」

 「琉依クン……」

 それ以上何も言わずにいる綾子サンに、俺は持っていた鍵をその手のひらに乗せる。俺と綾子サンを結んでいた……恋人の証。それを握り締める綾子サンは、俺の方を見ると

 「どうして……もっとお互いを分かり合えることが出来なかったのかな……。好きなのに、ずっと傍にいたいのに…」

 溢れる涙を堪えながら何とか自分の気持ちを話す綾子サン。空いていた片方の手は俺のシャツを握っていた。


 「こんなにも……傍に居るのに……何でこんなにも遠くなってしまったのかな」


 震える唇から発せられるその言葉一つ一つは、確実に俺の心を突き刺していた。そして俺は再び顔を覆う綾子サンを、そっと包んだ。

 「ゴメン……こんな形で離れてしまう俺を、どうか……憎んで」

 俺のシャツを掴んだまま声を出して泣く綾子サンを包む俺の目からも涙が流れていた。


 さようなら、本当に愛しい貴女……

 俺の事を憎んで、憎んでそして……また笑顔を取り戻してください……



 短いようで長かった琉依と綾子の恋愛も、とうとう終わりを迎えてしまいました。お互いを大切に思いやる気持ちはあるのに、それが何故か上手く伝わらずにすれ違ってしまうという結果になりましたが、それでも琉依にとっては一生忘れる事が出来ない恋愛になったという事には変わりないと思います。

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