Chain50 噛み合わない俺の想いは
俺にとって綾子サンは大切な人……そして、君は……?
「口を開けて……」
「えっ、でも……」
俺がそう言っても君は照れているのか、なかなかその口を開こうとはしない。
「いいから、俺に任せて」
「そんな、ちょっと……」
じれったい君に、俺はその腕を掴んで引っ張ると
「すいませ〜ん! ちょっと、いいですか〜?」
「はい?」
声がした方を振り向くと、そこには少し顔を赤くした渉と梓が立っていた。
「お、お前……ドア全開でそんな大きな声出して、紛らわしい事を言うなよ」
そんな渉が言う紛らわしい事って、今俺が君の前に差し出している小さく切ったリンゴの事を言っているのか?
「だって、病人だから食べさせてあげようかなぁって思ったのですが……梓」
ふと、視線を梓に向けると赤くしていた顔を更に染めると、俺から視線を逸らしている。そんな梓の傍に近付いて下から顔を覗き込むと
「梓はどう思っていたのかなぁ?」
「いやあぁぁぁっ!」
そのまま抱き締めた俺の耳元で梓は叫ぶものだから、思わずすぐに解放してしまう。耳の中でまだキーンと何かが響いていて、変な感じがした。
そんな俺を放って、梓は持ってきた花と一緒に君の方へと行ってしまう。その後に続いた渉が俺に向かって
「バーカバーカ」
と、からかうように言っては同じく君の方へと行ってしまった。
「夏海ちゃん、大丈夫?」
「風邪をこじらせてしまったんだって?」
俺を無視して三人で話しているのを見て、俺は改めて君にしてしまった事を痛感していた。
あれから俺は、仕事がある以外はずっと病院に来ては君の傍にいた。君が意識を取り戻した時俺は真っ先にあの夜の事を詫びたが、君はそんな俺を責める事無く笑顔を見せていた。
そんな君を見て、俺はまだ責めてくれた方が良かったと心に微妙な気持ちを残したままこうして今に至っていた訳だが……
「大丈夫、大丈夫! もう退院させてくれたらいいのに、先生もナオトもダメだって煩いのよ!」
心配する二人に対しても決して笑顔を絶やさない君。俺は君から花を受け取ると、活ける為に病室を後にした。
本来ならば、この事をアメリカに居る暁生さんたちに言わなければならないのだが、君はそう主張する兄貴に対して頑なに拒否をしていた。
『大した事ではないんだから、そんな事言わなくてもいいよ!』
大した事ではない? そんな事は無いだろう、あれだけ苦しんでいた君なのに俺はそんな君を放っていたのだから……。暁生さんたちはもちろん、君にも何て言いか分からない。
―――――
「琉依クン。最近あまり来てくれなかったけど、仕事忙しいのね」
翌日、兄貴が休講だからと君の見舞いに行っているので俺は久しぶりに綾子サンがいる保健室へと足を向けた。そんな俺に、綾子サンは仕事だと思っていたのかコーヒーを差し出してそう話しかける。
「うん。ちょっと忙しくてね」
「そう、でもまぁそれだけ人気があるって事だからいい事よね」
少し寂しそうな目をしながら笑う綾子サンに対して、俺は胸がズキンと痛んでしまう。確かに仕事もあったけれど、ほとんどは君の元へ行っていたから……
「ねぇねぇ、見て」
「ん?」
少し沈黙していた俺に綾子サンが声を掛けてくる。そして言われたとおり彼女の方を見ると、左手を見せる綾子サンが笑顔で立っていた。その指には俺がプレゼントであげた指輪が輝いている。
「ずっとね、大切に身に付けているの。これがあれば、ずっと琉依クンと一緒に居てる様な感じがするから」
指輪を見て笑みを見せる綾子サンは、そのまま俺の方を見て笑いかける。そんな綾子サンに、俺は笑みを見せるが自分でも分かるくらいそれはぎこちなさを残していた。
――――
「それじゃあ、また来るね」
いつも通り帰り際に綾子サンにキスをして、俺は保健室を後にした。
しかし、今日はいつもと違って後味の悪さが鮮明に残り、足取りも気分もとても重くなっていた。それはきっと、綾子サンにも気付かれているに違い無い。
あの誕生日の夜から、俺は綾子サンの顔をまともに見ることが出来ていなかった。綾子サンは決して悪いわけじゃない、俺がただはっきりしないだけだから……。
「彼女を悲しませる訳にはいかないんだ……」
俯きながら呟いては自分に言い聞かせる。ただの幼馴染みよりも、俺が大切にしないといけないのは綾子サンなのだから。
翌日、日曜の朝から俺は君の病室へと向かった。
「琉依!」
長めの入院生活でいい加減飽きていたのか、君は俺の姿を見るなり笑みを見せて迎えてくれる。俺はそんな君に買ってきたリンゴを見せると、傍に座って器用に皮を剥いていく。
シャリ……シャリ……
何も喋らない、何も流れない沈黙したこの一室にはリンゴの皮を剥く音だけがしていた。皮を剥いて一口サイズに切っては君に渡す。いつもと同じような事なのに、今日はそれが何だかぎこちないものになっていた。
「あま〜い」
そんな俺をよそに、君はそう言ってはシャリっと音を立てながらリンゴを頬張っていく。会話もしないから、皿に乗っていたリンゴは、あっという間に無くなっていき君は空になった皿を棚に乗せた。
「琉依……」
しばらくの沈黙を破って、君の方から口を開き俺は君の方をゆっくりと見た。
「何? もう一個食べる?」
微かに笑みを見せながら俺は君に問いかけるが、そんな俺に君は笑みを浮かべながら首を横に振ると
「ううん、ありがとう。でも、要る時は渉や梓に頼むからいいよ」
「えっ?」
笑みを消す事無く話す君の言葉に、思わず俺は目を大きく開いては君の方を見直した。そして君はそんな俺からリンゴが入った袋を取ると
「せっかく今日は休みだし天気もいいから、琉依はこれから川島先生の所へ行ってきなよ」
「夏海……?」
決して笑顔を崩さずに俺の方を見てはそう言う君だが、それは君の本心と捉えていいのか疑ってしまう。君の事だから、俺の心情を察してそう言っているだけなのかもしれない。
「私ならもう大丈夫だから……。もうすぐしたら退院できるし、一人でも大丈夫」
一人でも大丈夫? 誰よりも寂しがり屋な君にそんな事を言わせてしまうなんて……しかし、俺が今日此処に来たのもそういった事を言うつもりでもあった。
「だから……帰って?」
笑顔を絶やさず話す君は、そう言ってはそのまま真っ直ぐな瞳で俺の顔を見ていた。
結果的に夏海よりも綾子を選んだのですが、自分の心情を常に理解している夏海に対して、琉依の中で何らかの感情が芽生えつつあります。