Chain136 過去は皮肉にも繰り返される
俺だって綾子って呼ぶのを我慢している……
“我慢”って言葉……何故そんな言葉があの時出たのだろう……
二度目の再会が無ければいい……
リカルドの言葉は俺の頭から離れずにずっと漂っていた。
思わぬ場所での綾子サンとの再会は、君という大切な存在がいる俺を今までに無いくらい心を揺らしていた。
綾子サンと俺は、嫌いで別れた訳ではない……お互いの心がすれ違い始めて不安定になっていた彼女を解放してやろうと、俺から別れを切り出したのだ。
「やべ……思い出しちゃった」
あの時の俺を見る綾子サンの絶望の眼差し。つい最近の出来事のように、俺は鮮明にあの日の出来事を覚えていた。
しかし、いくらあの時と似ているからといっても、ここは日本ではなくロンドンという異国の地。この広いロンドンでお互い連絡先を教えていない中、二度目の再会などありえない。もしかしたら、旅行で来ていてもう帰っているのかも知れない。
それに、リカルドはああ言ってはいたが綾子サンは既に吹っ切れているかも知れないじゃないか。
「そうだよ……そうに違いない!」
一人でそう解決させて、俺は家を出た。
―――――
『これとこれと……あとこれも貰おうかな〜』
ロンドンに来て二年以上も経っているので、ロンドンの街を一人で出歩く事も当たり前のようになってきた俺は今日は仕事がオフで気分転換にこうして買い物へと繰り出していた。
リカルドに案内してもらっていた頃からの付き合いである店で、こうして買い物をしていると……
『あの、モデルのルイですか?』
そう控えめな声で尋ねてきたのは、俺よりもいくつか年下の女性だった。一人でやって来た彼女は、人違いだったらどうしよう……とでも思っているのか少々俯き加減で立っている。
そんな彼女を少しでも安心してやろうと、俺は深めに被っていた帽子を取る。
『はい、そうですよ』
『えっ! 本当に……?』
本当本当と笑いながら答える俺に対して彼女はまだ信じられないのか、手で口を覆ってはそのまま立ち尽くしていた。
それでもやっと目の前の現実を理解したのか、彼女は気を遣ってくれているのか声を出さずに顔を赤くして喜びを表している。
これが日本の女性なら……
「え〜! マジで! どうしよ〜、写メ撮ってもいい?」
「すっご〜い! 生の琉依だ〜!」
日本でこれまで言われた事を考えてみると、ロンドンの女性は本当に落ち着いているよな……。それとも、普段から見慣れているものなのかな。
とりあえず俺は、目の前で控えめに喜んでいる彼女と握手をして再び帽子を被ってから店を出た。
「え〜っと、次は何を買おうかな……っと」
道を歩きながら呟いていた俺の視線の先にあったもの……それは、“ベライラル・デ・コワ”の新作を身に着けた巨大な俺のパネルだった。
日本ではごく当たり前のように感じていたその光景も、こうして異国の地で見ると新鮮な気持ちになる。まるで、初めて日本で俺のポスターが飾られた時のような……
“あっ、あそこにもあったわよ”
「えっ……?」
思わず口から出てしまった言葉の後、その場で立ち尽くす俺。今……俺は誰の言葉を思い出していた?
君じゃない……他の女性。昔の事を思い返した後に頭の中で響いた台詞は、かつて俺と出掛けていた時に綾子サンが言っていたものだった。
新しく飾られたポスターや看板を見ては、俺よりも先に見つけてはそう言っていた。綾子サン自身それが嬉しくて、そして見つけてもらえた俺自身もとても嬉しかった。
見てくれている人はちゃんと見てくれる……ポスターに写る俺と自分の隣にいる俺を交互に見ては喜ぶ綾子サンを、俺は……
「また……新しいの出たのね」
―――!
背後から聞こえた声に俺の意識は、一瞬で現実へと引き戻される。
そして、ゆっくりと後ろを振り返るとそこにはやはり俺の聞き間違いではなく綾子サンが立っていてはパネルを見上げていた。
冬の寒い中、パネルの前で立ち止まっているのは俺と綾子サンの二人。そんな彼女は白い息を見せながらも、俺の方へと近付く。そして、昔のようにパネルの俺と現実の俺を交互に見ては笑顔を見せていた。
どうして貴女は、俺が思い返していた事をこうして目の前で再び見せるのか……。過去と現在が交互に俺の中で駆け巡る。
ポスターに写る俺と自分の隣にいる俺を交互に見ては喜ぶ綾子サンを、俺は……
「俺は……貴女を」
「ん?」
隣に立ってパネルを見ていた綾子サンは、自分の方を見る俺を怪訝そうな顔で見る。けれど、俺はそんな彼女の表情一つに構う余裕は無かった。
「宇佐美クン?」
綾子サンが俺の名前を呼ぶ。違う……そうじゃない……違わない……違う……様々な“俺”がお互いを否定しあう。
でも……
「違う……」
「宇佐……っ」
無意識に伸びた腕は、綾子サンの腕を掴むとそのまま自分の方へと引き寄せては彼女を抱きしめていた。
昔、ポスターに写る俺と隣にいる俺を交互に見ては喜んでいた綾子サン。あの時の俺も、そんな彼女を愛しい気持ちで抱きしめていたんだ……