Chain103 新たな波乱の予兆
君はとうとう自由になった……
戻っておいで……俺の小鳥……
ねぇ……君は悲しみに沈んでいたあの時、俺がどれだけ喜んでいたか分かっていた?
最愛の人に振られて悲しんでいるのに、それでも君がまた自由になって俺の所へ帰って来てくれるのを本当に嬉しく思っていたんだ。それがたとえあと僅かな時間の間でも……。
しかし、そんな俺の思いとは裏腹に君にはまた新たな影が現れていた。
講義に出ようと教室の中へ入ろうとした時……
「昨夜の忘れ物だよ、槻岡夏海サン」
「……えっ?」
聞き覚えの無い男の声の後に聞こえてきた、君の動揺を隠せない声。ちらっと覗いた時、何かを置いてこちらへやって来る“男”とすれ違う。残された君は呆然としていて、君の代わりに蓮子が袋に入れてはそのまま取り出したその手には……
「パンスト……?」
パンスト……?
蓮子の声と同時に頭の中に出てきた四文字の単語。あぁ、なるほど……さっきの彼の言葉とその中身からして、今朝いたホテルには高月じゃなくて、さっきの“男”が一緒だった訳だ。
どういった理由で? 君が高月に振られた後に、その“男”が慰めてくれたって事? 高月の次は、その“男”って訳なんだ……
「どうしようも無い、オンナだね」
バカバカしくて、俺は講義にも出る気を失くしてそのまま元来た道を戻り始める。
―――――
「ねぇ、夏海は?」
ちょっと目を離したスキに梓と帰ったと聞いた俺は、伊織と一緒にいる梓に尋ねる。
「あ、あのね、夏海ちゃん一人で帰っちゃったの……」
何だか言いにくそうにしている梓の様子を見て、高月と遭遇したなとすぐに状況を把握できた。アイツとは大学も同じだから、いくら学部が違っても敷地内で鉢合わせする可能性だって無くは無い。しかし、こうもすぐに会ってしまうなんて……君も気の毒に。
「そ、ならいいや。伊織、三人で遊びに行かねぇ?」
「いいわよ。でも、夏海はどうするの?」
それは別にいいよ。どうせショックな事だったから、一人でいたいに決まっている。それに俺は今は君に構ってやりたい気持ちにはなれないんだ。むしろ、しばらくの間はもっと傷付いていて欲しいとさえ思っているから。これまでの無神経な君の振る舞いに耐えてきた俺への償いとして……ね? そして、その傷が癒えた頃にまたこちらに戻っておいで。そうしたら以前のように抱いてあげるから。
「夏海なら大丈夫だよ。後で家に行くから」
そう言って伊織と梓を車に乗せて、アクセルを踏んで発車させた。もし、この時“N・R・N”に向かっていたら、俺はまだ救われていたのだろうか? この時……いや、昨日の時点で俺に新たな波乱を予感させる出来事があったなど知る由も無く。
〜♪〜♪
梓や伊織とビリヤードをしていた時、無造作に置いていた携帯の着信音が鳴り響く。
「琉依〜! ナオトからよ」
サブディスプレイを見た伊織が携帯を渡してくれる。まだ勤務時間中なのに、珍しいと思いながらそのまま電話に出る。
「琉依だよ〜」
『琉依か? 悪いけど店まで来てくれないかな?』
なんでまた……客寄せですか? 今はゲームも面白い所まできていてとてもそっちへ行ける状態じゃ無いのですが。けれど、そんな気持ちも次の兄貴の一言でまた状況が変わってしまう。
『なっちゃんが、また酔いつぶれて常連さんに迷惑掛けてしまってるんだよ』
ん? また……? そう思っていた時だった。
『……それ以上飲まない方がいいよ、槻岡サン』
一瞬だが頭の中が真っ白になっていた。高月のものでは無い別の男の声。君の事を知っているらしい口ぶり。電話の向こうで繰り広げられる君と誰か分からない男の会話。それだけで、ゲームどころではないと即座に判断できるには十分だった。
「悪い! 俺帰るわ」
「えっ? ちょっと、勝ち逃げする気?」
伊織の嫌味にも答える事無く、俺はジャケットを片手に店を出て車に乗り込んだ。
せっかく高月と別れてくれたのに、再び君に俺ではない男が近づこうとしている……。今度こそは、それを阻止しなければ……
嫌な不安に駆られながら“NRN”の扉を開いた時、俺の目に映ったのはカウンターにいる二人の男女の姿。
ムキになって何かを言っている君の隣に居るのは……
“昨夜の忘れ物だよ、槻岡夏海サン”
今朝、教室で君にそう言ってはパンストを置いていった男!
なぜ、お前がまた君と一緒に居るんだ?
彼が……ここの常連?
そこへ近づくごとに聞こえてくるのは君とその男の会話の内容。
「だからと言って、酒に頼るのは……」
「わかったような事言わないでよ! 何よ、1回ヤッたくらいで彼氏ヅラしないで!」
あぁ、高月との事をこの男に指摘されて怒っているのか……。まったく、君はどこまで愚かなオンナなんだ。
「好きだった……愛してた。いっぱい、いっぱい愛してた!」
そうだね。君は本当に高月を愛していたね。それは俺も痛いほど解かっていたよ。その度に俺の中で狂気が強くなっていたから……。
そう解かっていた筈なのに、それでも君の口からそんな言葉を聞くともっと何かが壊れてしまう感じがする。
それ以上聞きたくなくて、俺はとうとう君の傍へ近づいてそっと君の頭に触れる。すると、すぐに俺だと察したのか、君は振り返ってはそのまま抱きついてきた。
「琉依ぃ……」
抱きついてきた君を軽く抱きしめると、君は安心してしまったのかそのまま目を閉じて眠ってしまった。
俺を見て安心してしまうなんて……早く俺も安心したいよ。
「悪かったな、兄貴。それと……こちらは?」
今朝に一度見た事があっても、名前までは知らないのでとりあえず兄貴に尋ねる。
「あぁ、常連の浅井尚弥君。お前らと同じ大学だぞ。ちなみに、昨夜も酔いつぶれたなっちゃんの被害にあいました」
兄貴がそう言った後、その浅井クンは俺の方を見て軽く頭を下げた。そんな彼に俺もまた軽く頭を下げる。
「宇佐美琉依です。夏海とは幼馴染みで、保護者代わりです。度々ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございません」
そんな事、心の中ではまったく思っていないが“礼儀”として言葉を並べた。その証拠にほら……
「……!」
彼も気付いているのだろう、そんな言葉とは裏腹の俺の表情に。決して感謝の意とは程遠い、彼に向けた敵意とも取れるその表情。
兄貴からは見えない俺の表情を、今夜初めて言葉を交わした男にされた彼はそう捉えていたのだろうか……。
そんな事を思いながら、俺は君の荷物を手にしてから君を抱き上げるとそのまま店を後にした。
俺がある決意をしていたこんな時に……君はどうしてこんなにも俺を困らせるの?
こんにちは、山口維音です。この作品を読んで下さり、ありがとうございます! とうとうメンバー最後の一人である尚弥を出す事が出来ました。そして、このシーンも今回で三回目となる執筆ですが、同じシーンでも琉依の心の中は夏海が思っていたのとまったく違うものでした。