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Happy Valentine

作者: 碧尉翼

 二月十四日。夜のしじまに包まれる横浜郊外。

 霜蒔ロイが経営する会員制のバー〈イスティエ〉は、今日も静かに営業していた。

〈イスティエ〉はロシアバロック様式を取り入れ、マスターであるロイの趣味を反映させた華美すぎず地味すぎない装飾で飾られており、会員制というものもあり自然と客を選んでいた。

 いつもは大企業の年老いた役員や礼儀をわきまえる良家の息子などで埋まる席に、今日ばかりは女性の姿も見受けられた。

 男性の若い常連客が、恋人を連れてきたのだ。

 毎年の光景だが、その度にロイは不思議に思う。

 何故、日本人はバレンタインを恋人と過ごし、女性が男性に贈り物をするのか。


 ロイの故郷ロシアでは、バレンタインは男性が女性に花束などを贈ったり、お世話になった人にメッセージカードを送るのが普通だ。それは欧米各国全てに共通するもので、間違っても女性が男性に贈り物をする、なんてことはない。

 ロイの店は欧米の慣習に則って、女性限定でワイン入りキューブチョコをプレゼントした。受け取った女性はみな、喜んでくれた。

 チョコレート。愛を伝えるのには確かにいいものだとは思う。欧米でも恋人やお世話になった人にチョコレートを贈ることはあるが、決してチョコレートに限定されているわけではなく、またバレンタインに限ったことでもない。

 だが、やはり何故日本のバレンタインは欧米とは違うのか。

 過去にロイはそれが本当に不思議で不思議で、身近で一番博識な翼に聞いてみたところ、


『大半はお菓子メーカーの策略です。二月って言う特に目立ったイベントが無くお菓子の売れ行きが芳しくないときにその欧米の習慣を知って、占めたとばかりに日本に広げたんです。でも欧米のをそのまま伝えても花やカードが売れるだけで自社の利益には成らないので、“好きな男性にチョコレートを贈ろう”とちゃっかりフレーズを付けたんです。ちなみに、女性が男性に贈り物をしたり、ホワイトデーがあるのは日本と韓国だけなんですよ。更に韓国にはブラックデーというものがあって、モテない男女が四月十四日に集まって皆で黒いジャージャー麺を食べるんだそうです。なんにしても、ロイさんや僕にとっては驚きの連続ですけどね』


 とのこと。

 カルチャーショックとはまさにこのことである。


 さて、バレンタインに悪いけど今日は早く店じまい。会計を済ませたその足で看板を『close』に掛けかえて、鍵は閉めずに店内に戻る。

 本日最後のスペシャルゲストをお迎えするため、準備にいそしむ。

 本日招くゲストは二人。バレンタインらしくホットチョコレートを作ることにした。

 午後十時半。そろそろかな、と思った矢先、控えめにノックの音がした。どうぞと声をかけると、これまた控えめに男の子が顔をのぞかせた。

 ロイと交流がある高校生、碧尉翼だ。


「こんばんは、おじゃまします」

「こんばんは」


 寒い場所から暖かい場所に来たことによって一気に曇ったメガネを拭きながら、翼は一人で入ってきた。

 あれ、もう一人はどこに行ったのか。


「翼君、もう一人の子はどこに行ったかな?」

「あ、奏ですか。奏はもう少しで来るかと思います」


 彼の言葉どおり、しばらく経ったら『こんばんはー』と京極奏が店内に入ってきた。

 

「遅れてすみません」

「いいえ、気にしてないから大丈夫だよ」

「ロイさんやさしーい。翼もこれくらいオレに対して優しくなんなきゃ、いけないぞ❤」

「・・・・・・」

 

『いけないぞ』の言い方がキャバ嬢の誘い文句のようなイントネーションだった。実際語尾にはハートマークが付いている。

 返事をしなかった翼に奏が飛びつくと、腹を蹴られて弾かれた。

 碧尉翼と京極奏、彼らは十年来の親友である。

 中学校まで同じ学校に通っていて、高校生になり通う学校が変わっても、お互い生徒会長という役職に就き、交流も続いている。

 黒いピーコートに黒フチメガネ、チェックのマフラーにスクールバッグといかにも学生な翼と、音符をあしらった赤いダウンジャケットに同じく音符がアクセントのショルダー型のドラムバッグ、さらにはトレードマークの金髪を横で音符型のヘアピンで留めている音楽大好きな奏。

 大きくも女々しくない黒目に、ストレートの黒髪。落ち着いた服装を好み、線が細くインテリ系な翼と、赤いメッシュを入れている真ん中分けの金髪に、赤い瞳の三白眼。原色ではじけた服装を好み、バンドもやっているイマドキ男子な奏。

 落ち着いていてあまり感情をむき出しにしない翼と、ぴょんぴょん跳ねて翼にぺったりくっつく奏。

 見た目も性格も正反対なこの二人の取り合わせは珍しく、面白い。


「今日は二人、別々に来たの?」


 一度拒まれたのに性懲りもなく翼に抱きつく奏を、ほほえましく思いながら質問する。


「いえ、途中までは一緒でしたけど、こいつが道行くカップルに対抗して腕組んできたりチョコレートの販促するミニスカのお姉さんに萌えてたので恥ずかしくて置いて行ったんです。ったく、俺は絶対領域以外の生足に興味はないっつーの」

「いやだってさ、あんなに見せ付けられたらオレたちの仲の良さも見せ付けたくなんね?」

「ならないし見せ付けてるわけじゃないだろアレは。純粋に恋人との時間楽しんでるだけ」

「うん。だからオレも翼との蜜蜜蜜月甘い時間を見せ付けようと―――」

「ない」


 ばっさり一刀両断した翼はコートを脱ぎ、手前のスツールにかける。奏もそれにならってコートを脱いだ。

 学校帰りに寄ったのか、二人は制服姿だった。

 翼は横浜が誇る歴史ある名門私立校、桐生学園の黒い制服。

 奏もこちらも名門だが、前衛的な校舎や自由主義な校風が特徴の和泉学園の茶色い制服。

 翼と奏両者の手には、大きな紙袋が握られていた。中はピンク色でキレイにラッピングされた小箱が詰まっている。


「翼君、その紙袋はどうしたの? 奏君も」

「これですか? 学園で頂いたチョコレートです。自分だけじゃ持ちきれなかったので奏にも手伝ってもらったんです」


 ドサリと重そうに、でも丁寧にチョコが入った紙袋を床に下ろす。相当重たかったのか、肩に手を当て、回している。


「毎年の光景だね。でも、年々紙袋が大きくなっているような気がするね」

「そう思いますよねロイさん! 翼ったらちょっとチョコもらいすぎですよね!」


 奏が力説する。


「だいたい翼はずるいんですよ。メガネかけることによってそのテの男が好きな女子の気を惹くし、たまにメガネはずすから素顔でズッキューンして女子のハート掴むし。生徒会長やってるし成績いいし運動も出来るし性格も表向きいいしなによりルックスアンドプロポーション最高だし! 男の敵なんですよ!」

「そう僻まないの。僻んだところで利益は皆無」

「でも僻みたくなるし! だって・・・・・・だって! オレの翼がこんなにモテてるんだって知ると、どっかの女に盗られそうで怖いんだもん! そうですよねロイさん!?」


 同意を求められるが、曖昧にうなずくことしか出来なかった。

 奏の、翼への愛は、感情の乏しい日本人で珍しいほどだ。


「あんまり露緯さんのこと困らせないでよ。あと俺ら付き合ってるわけじゃないだろ」

「どっかのコント並みにチョコもらってる男にこの気持ちは一生分かんねーよ。紙袋無駄に消費しやがって。もう・・・・・・奏クン悲しい!」


 スツールに座り、奏はカウンターに突っ伏した。拗ねているらしい。

 だが、翼はそんな奏など見えないのか、上機嫌でホットチョコレートの完成を待っている。

 スツールに座った翼からは、ふわりと、バラの香りがした。


「お、嬉しそうだね。やっぱりチョコは嬉しい?」

「はい、もちろん」


 えへ、と頬を緩ませて翼は笑った。彼は男にしては珍しく甘いものが大好きなのだ。


「これからしばらくチョコに困らないって思うと、何だか嬉しいです。それに、日本でチョコを頂くって言うのは、すごく好意を持って頂いているってことなので、ありがたいです」

「日本でってことは、海外では違うの?」


 いつの間にか拗ねモードから脱出した奏が、肩肘をテーブルについて話に混ざる。


「あ、翼はスウェーデンか」

「うん。スウェーデンに限らず欧米各国では、女性が男性に贈り物をすることは珍しいからね。しかも日本は贈る目的が明確だし。そうですよね露緯さん?」

「そうだね。欧米ではレディーファーストの心が息づいているから、男性が女性にプレゼントを贈るのが普通だね。あとは親しい人にカードを送ったりするくらいかな」

「ロイさんは、女の人に贈り物したんですか?」

「いや、お店でワインチョコを女性のみなさんに配ったくらいかな」

「じゃあ、女性から頂いたりはしたんですか?」


 このくらいの年齢の男子は、恋の話に興味があるんだな。奏の問いに『そうだね・・・・・・』ともったいぶってみる。


「そういう奏君は、もらったのかな? チョコレート」

「ニ、三個、もらいました。でもでもでもでもちょっと聞いてくださいよー。渡してくれたのはいいんですよ。だがしかし、その女の子、渡した直後に『義理だから勘違いしないでね』って笑顔で言ったんですよ!」

「おや、それはそれは」


 それは男の矜持がすたるだろう。

 と、何かに気づいたように奏が翼を振り向いた。


「なぁ翼。翼の学校って生徒数三百人くらいだろ? で、共学だから女子はその半分の百五十人だよな。なのになんでそんなたくさんチョコもらってんの? 紙袋結構でかいし八つくらいあるから、ぜってー三百は超えてるだろ」

「ん? 初等部とか中等部とかの生徒からも頂くから。あと、大学部からも先輩方がわざわざ届けに来てくださってるし、幼稚舎からも届くし・・・・・・」

「幼稚園児がチョコ作ってんの?」

「いや、お母様方から」

「はぁ!?」


 奏同様、ロイも驚いた。


「なに、翼お母様キラーなの? 甘いルックスでメロメロ~みたいな?」

「よく幼稚舎に行って園児達と遊んでるからかな。そこでお母様方ともよくお話しするし。でも、普通に中等部とか高等部のお母様方からも生徒経由で頂くから、一概にそうとは言えないな」


 涼しい顔でケロッと武勇伝を話される。

 

「他校からは? 他校からはもらってんの?」

「まぁ、いくつか」

「なに、わざわざ届けにくんの?」

「届けに来る人もいるし、でも大多数は郵便屋さん経由かな」

「はへ~。んで、全部食うの?」

「日持ちしなさそうなのからね。良かったら一緒に食べる?」

「うわぁ、手馴れてる。けど・・・・・・翼、オレのこと気遣ってくれてる? オレのこと心配してチョコを半分こにして食べようって言ってくれてる! 翼に気を使ってもらえるほど大切に思われてるとか奏クンマジハピ――――ぃだっ!!」


 無言で、翼は奏のつま先を踏みつけた。

 くぅ・・・・・・と下あごに富士山を作り、観念したように、涙目の奏は差し出されたホットチョコレートを煽った。

 ほこ、と白い息を吐く。


「うまーい。身体あったまるー」


 マグカップに手の平をあて、温めている。


「外、寒かったしね」

「雪とか降るって、あの脚がキレイで露出が激しいお天気お姉さんが言ってたしな。もしかしたら降ってるかもなー」

「雪が降るバレンタインか。White ChristmasならぬWhite Valentineと言ったところかな。・・・・・・なんか、懐かしくなりますね」

「そうだね。北欧とロシアのバレンタインは必ずといっていいほど雪が降るからね」


 故郷を思い出す翼につられ、ロイもロシアのバレンタインを思い出す。

 家族で、メッセージカードの渡し合いをして、妹や弟と遊んだっけな。


「あ、さっきロイさんも翼も欧米と日本じゃバレンタインの習慣が違うみたいなこと言ってましたよね? どう違うんですか?」


 程よく温まってきた手を翼のそれにそれとなく絡めながら、奏が質問してきた。


「そうだねぇ、ロシアのバレンタインといえば、面白いことがあってね。なんと、ロシアのベルゴロド州が、学校や公共機関に対して『バレンタインを自粛するように』っていう通達を送ったんだよ」

「え! なんでですか!?」

「なんだか、『心の安全を守るために』らしくてね。ハロウィンも自粛するように呼びかけているんだ。祖国ではあるけれど、全くロシアは不思議な国だね」


 心の安全を守るためにバレンタイン自粛。うっすらとだが分かる気がする。


「確か、カトリックであるロシアの正教会の主教さんも認めたんですよね」

「そうだね。さすが翼君。情報が早いね」

「変なバレンタインもあるもんだなー。じゃあさじゃあさ、スウェーデンのバレンタインは?」

「ん」


 一口ホットチョコレートを含んでから、翼が話し始める。


「スウェーデンではまずバレンタインをほぼ世界共通語の『St.Valentine’s Day』と言わなくて、『Alla(アァラ) hjärtans(ハラスジャンタス) dag(ドォッグ)』って言うんだ。これは英語に訳すと『All Hearts' Day』、つまり、『全てのハートの日』なんだ」


 本場顔負けの流暢な英語とスウェーデン語を、彼はさらっと使う。


「日本みたいな盛り上がりは無いんだけど、恋人同士でまったりロマンチックに過ごすのが普通かな。あとは、男性が女性に赤い薔薇の花を贈るのが一般的。最近はEU主催でチューリップなんかも贈られ始めてるんだ」

「ぁあ、だから翼、バラの花束持ってたんだ」


 奏がなにやら得心している。ロイにも心当たりがあった。


「今年も、バラの花をプレゼントしているのかい?」

「えぇ、もちろん」


 彼の身体から漂うバラの香りの意味が、分かった。


「鞠亞さんや楓煉さんなど、本当にお世話になって、勘違いされない人限定でですけどね。生徒会役員の方々にも配って廻ったら、皆さん喜んでくれました。まぁでも、伊織の喜び具合は予想以上でしたけど・・・・・・」


 楓煉と鞠亞は、翼の義理の姉妹だ。伊織は、同じクラスの風紀委員長だという。

 予想以上過ぎたのだろう。普段はあまり歪むことのない翼の顔が苦笑に歪んでいた。


「翼君は、ずっとそれを続けるつもりかい?」

「もちろんです。スウェーデンの習慣は忘れたくないですし、自分の中の季節感覚と薄れそうな記憶を思い出すための良いリハビリですから。あ、それで、露緯さんにもプレゼントです」


 ゴソゴソと鞄を探り、翼はモノクロでシンプルにラッピングされた、バラの花が添えてある箱を取り出して、キレイに揃えられた両手でロイに差し出した。


「alla hjärtans dag。お世話になった露緯さんにハートのプレゼントです」

「わぁ、ありがとう」


 ロイもきちんと両手を出して、それを受け取る。

 バラの花を脇に置いて、欧米風に本人の目の前で箱を空けた。

 中には、ココナッツがまぶしてあるボール型の小さいチョコレートが、きゅっと詰まっていた。


「チョコレートボールかい?」

「そうです。スウェーデンの代表的なお菓子、chokladbollフォックラッドボッルです。モカ風味でスウェーデンのお菓子にしては甘さが抑えられているので、誰の口にも合うんですよ。おまけに手軽に作れるので文句なしです」

「これが手作りかい?! 驚いた。てっきり既製品かと思ったよ」


 それは相手を立てる言葉ではなく、本心からだった。

 形も、大きさも、完成度も、『手作りをモットーにしています』が謳い文句のお店で出されているそれと、見極めがつかないほどだ。

 そっと、申し訳程度に添えられているメッセージカードは、あとでゆっくり読ませてもらおう。


「ありがとう。じゃあ、お返しはホワイトデーまで待っててね」

「楽しみにしてます」


 翼たちとの話の邪魔にならない、けれどテーブルの上に、包装しなおしたプレゼントを置いた。

 と、その様子をじっと見ていた奏が挙手をする。


「はい。翼君に質問」

「どうぞ」

「オレの分の愛の贈り物は?」

「・・・・・・」


 奏は、いつも面白い言い回しをする。


「翼、翼、オレに随分とお世話になっただろ? だからほら、オレにも『愛のハートのプレゼント』を」


『愛のハートのプレゼント』の部分を誇張して言い。バッと、奏は翼に向けて両手を広げるが、翼はそれを丸無視し、倒れた紙袋を立て直している。

 しばらく奏はそのまま腕を広げていたが、翼がなんのアクションも起こさないことに焦れたようで、ぴょんと素っ気ない肩に抱きついた。


「オレにもー、オレにもラブラブラブリー愛のチョコー。翼のラブリー愛のチョコー」

「言い方何とかしろよ。うるさい奴にあげるチョコは無い」

「え、んじゃ、オレの分は一応あるってこと?」

「・・・・・・」


 目を眇めてめんどくさそうに奏を見て、翼はその額に手刀を振り下ろした。

 ついでに、落ち着いた色の箱も、カウンターに置いた。


「いでっ。あたー。もう、翼君、嫌なことあったらすぐ暴力るー・・・・・・って、あれ」


 その箱に気づいた奏は、わぁっと嬉しそうに持ち上げた。


「チョコだ! チョコだ! 翼のチョコだ! わっはーっ!!」


 本当に嬉しそうに、奏は箱に頬擦りをする。ちらっと見たところ、箱をくるむ包装紙には、音符が印刷されていた。


「あとほら。これも」


 彼は持ち帰り用にセロファンでくるまれたバラの花を、つい、と奏に差し出した。

 目をキラキラと輝かして奏は腕を――――花を通り越して翼に伸ばした。


「つばさぁーっ!」

「は? うわっ」


 翼は腕から逃れようと背を仰け反らせ、そのせいで固定されていないスツールがガタ、と傾く。


「のわっ!」

「つばさぁ!」


 グラリと傾く翼を引っ張りあげようと奏も身を乗り出し、当然のようにスツールが傾く。

 慣性の法則。一方向に二人とも、倒れた。


 ガッターン!!


 地響きがして、店が揺れた。

 しかしその揺れは、スツール二つ分の揺れだった。

 男二人分の揺れは、感じなかった。

 くだんの二人はというと。


「おい、ロイさんのお店でふざけたことするな。床に穴開けたら修理代に損害賠償載せて“か、な、で、あ、て、に”請求するからな」

「そしたら翼の部屋に奉公しに行くぜ。こき使ってーご主人様ー」

「キモッ。ぜんっぜん萌えない。Mメイド。禿げ」

「ハゲ関係なくね?」


 傷一つなく普通に立っていて、いつも通りの掛け合いをしていた。

 不思議に思うと同時に、感心した。

 もしかしたら二人とも、受身を心得ているのかもしれない。 

 翼が壁にかかっている時計を見て、『あ』と小さく声を上げた。


「もう二時間も経ってる。そろそろお暇するか」

「もう帰るのかい? 夜も遅いし、どう? 二人とも泊まっていく?」

「あ、ありがとうございます。でも自分は朝一でやりたいことがあるので、ありがたい申し出ですが、今日は遠慮させて頂きます」

「オレも。店で散々騒いだので、ロイさんにこれ以上迷惑なんかかけれません」

「そう? じゃあ、駅まで送っていこうか?」


 その申し出にも、二人は首を横に振った。

 そろそろ、自立したい年頃なのかもしれない。なるべく大人の手を借りないで、自分たちでやってみたいのかもしれない。

 翼と奏の心が今ロイが考えたようなものだったら、彼らの先程の断り方は大人もひれ伏すものだと思う。ロイに不快感を与えないように、きちんと言葉を選んでいるのだから。

 学校でも上の地位に就き、知識も良識も機転も利く二人のことだから、野放しにしても大丈夫だとは思うが、それでも彼らはまだ子供。大人の仕事は必ずある。


「そうか。それじゃあ、なんかあったらすぐ私に電話をすること。いいかい」

「「はい」」


 真面目に返事をして、二人はコートを着込む。その間、ロイはマグカップを片付けた。

 襟をきちんと合わせ、折り目にそってパリッと着込む翼と、ファスナーを半分ほど開けてとことんルーズに着る奏。こんなところまで正反対だ。


「ご馳走様でした露緯さん。素敵なバレンタインを過ごしてください」

「オレも、ごちそうさまでした。また、遊びに来ていいですか?」

「もちろんだよ。いつでも遊びにおいで。それじゃ、気をつけてね」


 二人は一揖して、店から出て行った。

 その背中を見送るため、ロイも外へ出る。


「・・・・・・雪だ」


 黒い空からはらはらと、白くふわりとしたものが、あとからあとから降ってくる。

 二人はもう遠くにいて、ロイに気づいてはいないようだ。雪にはしゃぐ奏の後姿だけが、こちらから見える。翼は着ているコートも髪の色も闇と同化していて、よく見えなかった。

 そんな翼も内心、雪に喜んでいるだろうか。

 ロイと同じく、雪の降る、懐かしいヴァレンタインに。


Белый(ビウリ) Валентина(ヴァレンチーナ)


 ホワイトバレンタイン。

 そして、


С(ィヌ) Днем(ノウズゥ) Святого(スレィ・ドゥーワ) Валентина(ヴァレンチーナ)


 ハッピーバレンタイン。

 来年は二人とも、素敵な恋人を連れておいで。

 とびきりおいしいチョコレートと、赤くてきれいなバラの花を、用意しておくから。



 ◆END◆

 ここまで読んでくださいありがとうございます。沖田リオです。

 本日は、ロシア人のマスター(男)が経営するバーのバレンタイン状況をお送りしました。いかがでしたでしょうか?


 今日はバレンタインですね。去年までは私も手作りして友達に配っていたのですが、今年からは放置することにしました。

 チョコレートって、作っているときは楽しいんですけど、後片付けがものすごく面倒ですよね。私不器用なので、キッチンのあっちこっちにチョコが飛び散ってしまうのでなおさらお掃除が大変。

 かといって既製品はお金がかかるので買わないんです。えぇ、ケチですとも。

 翼が作ったフォックラッドボッル、グーグルで検索してみたら、かなり美味しそうでした。日本人の口にも合うそうなので、スウェーデンのお土産にぴったりだそうです。

 誰か、友達、スウェーデンに転勤でもしないかな・・・・・・。


 ロシアのバレンタイン自粛は、本当です。興味のある人は検索してみてはいかがでしょうか?


 重ねて、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

 またあなた様のお目にかかれるよう、精進していきたいと思います。

 みなさんも、素敵なバレンタインをお過ごしください。



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