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涙姫と薬学魔術師  その涙、万能薬でした。

作者: 有梨束
掲載日:2026/04/02

「クレア、君とは婚約破棄させていただく」

夜会の真っ最中、人もいない庭で静かにそう告げられた。


──ああ、この人も真実の愛というものに翻弄されたのね…。




「こんな時でも無表情なのだな。涙の一粒くらい見せたらいいものを」

「…」

「本当に可愛くない。ではな、二度と関わってくれるな」

一方的にそう言われて、元婚約者は去っていった。


はあ、私まで影響を受けることになるとは…。


私に告げるということは、裏工作はお済みなのでしょうね。

お父様も、お許しになったということかしら。


「涙の一粒くらい見せてみろ、か…」

私はさっき言われた言葉を繰り返すように呟いた。


それがあまりにも虚しくて、乾いた笑いが漏れる。


「それができたら、どんなによかったでしょうね」

そう言いながら、ポロッと涙が零れていった。


「う、ううっ…」

声を殺すように口元に手を当てたけれど、声も涙も止まらなかった。


婚約者もいなければ、誰にも見られていない。

今日ぐらい、泣いても許されるかしら…。





事の発端は、先日第二王子が妃教育の済んでいる婚約者に向かって、婚約破棄を告げたからだった。


問題はたくさんあったが、王子が横恋慕した相手が平民の聖女だったことが一番の問題だった。


王家としては、聖女を蔑ろにするわけにはいかなかった。

なんせ、今や国民のアイドルなのだ。

彼女を悪く言う平民はいないし、貴族の若い男性陣からの支持が異様に高い。

そして、この国で唯一使える聖魔法は、病気や怪我を治すことができる。

おまけに国全体に結界まで張れるのだから、聖女との婚姻関係は求心力になる。

みすみす逃すわけにはいかなかった。


だから、理不尽な婚約破棄は了承された。

それがまずかったのだ。


国のトップがそんなことをしたものだから、『我々だっていいはずだ!』というまだ未婚の若者が後を絶たなかった。

男性たちは、王子の手に入れた真実の愛とやらに浮かれて、自分たちもと言い始めた。

女性たちは、そんな理不尽が罷り通るなんて、幼い頃から淑女教育で扱かれている私たちへの冒涜だと言い始めた。


とにかく荒れに荒れて、親世代は頭を抱えているし、私たち世代は混乱の渦だ。


私の元婚約者もそれに乗じたのだろう。

最近はそんな話ばかり聞くので、私に限った話ではない。


あの人は、私のことを可愛げがないと呆れていたから、いいチャンスだったのでしょうね。

それに、聖女の可愛さをいつも羨ましがっていたし。


私は、流れ出る涙をそのままにしていた。

あとからあとから、溢れ出して止まらない。

こんなに感情のままに泣けたのは、いつぶりだろう。


いつもは、頑張って泣かないようにしているから。




元婚約者は、私のことを無表情だと言ったが、本来の私は真逆なのだ。

感情がすぐに顔に出てしまって、隠すのに精一杯なのだ。


特に、困ったのは涙だった。

何をするにも涙が出やすい体質のようで、感情が揺れればそれだけ涙に変わってしまうのだ。

嬉しくても泣くし、悲しくても泣く。

楽しくても涙は出るし、寂しくても涙が出る。

些細なことで涙に変換されるので、幼い頃は親や使用人をよく困らせたものだ。


そして、家庭教師にはひどく叱られた。

今すぐ涙を引っ込めなさい!と、常に言われていた。


『あなたは侮られて、足をすくわれたいのか。高位貴族の令嬢が、そんな簡単に涙を見せるなんて』と呪文のように言われてきた。


その怒りが怖くて泣いてしまうと、扇子で叩かれる。

それが痛くて、さらに泣く。

そんなこども時代を過ごした私が、涙をどうにかする術として唯一手に入れたのが、『口を一文字に結ぶ』ことだった。


笑いそうになっても、口を結ぶ。

泣きそうになっても、口を結ぶ。

感情が溢れそうになったら、口を固く閉じて、やり過ごす。

それ以外に方法がなかった。


そうしているうちに、表情の抜け落ちた何を考えているかわからない令嬢だと思われるようになっていった。


それでも、侮られないように。

婚約してからは、あの人の隣に立っていられるように。

頑張って頑張って頑張って、泣かないようにしていた。

それでは、ダメだったみたいだけど…。


「…ふ、ううっ」

ポタポタと涙がドレスも濡らすし、庭の地面にまで落ちていく。

今まで我慢していたものが、全部ひっくり返ってしまったようだった。

悲しいのか、悔しいのか、どんな気持ちで涙になっているのかわからないくらい、ぐちゃぐちゃだった。


このまま泣き疲れて、眠ってしまいたい。


──そう思った時だった。



「あああああっ、涙!魔力の涙っ!」

男の人の怒鳴り声に近い大きな声がして、ビクッと肩が跳ねた。

その叫んだ人はズカズカとこちらにくると、私の前で止まった。


…涙、見られた!


慌てて、口をぎゅっとしたけれど、そんなことではもう止まらなかった。


「本当にあったんだ、魔力の涙…」

その人はうわごとのようにそう言うと、グッと顔を近づけてきた。


鼻先同士がくっつきそうなほど近くて、それでいて私の瞳を血走った目で見ていた。


ち、近い、こわい…!


さらに涙が出た時、ガシッと肩を掴まれた。


「涙!あんたの涙、俺にくれっ!」

「…え」

「そのまま泣いててくれっ!今、採取すっから!」

その人は慌てたように、ポケットに手を突っ込んで何かを探し出した。

私は少しだけ後ずさって、その人をぼんやり見ていた。


泣いていていいって、はじめて言われた…。


スンと鼻を啜って、目をパチパチさせている間も、その人はローブの裏にも表にも手を入れて、ドタバタしている。


国家魔術師のローブだわ…、魔術師様なのね。


そんなことを思っている間に、その男の人が「あーーーっ!」と頭を抱えた。

表情豊かどころか、身振り手振りまで自由だった。


「こんな時に限って何も持ってねえ!くっそ、せっかく涙が手に入るっていうのにっ!」

ガシガシ髪を掻き乱している姿が珍しくて、私は再度瞬きをした。


貴族でこんなふうに取り乱す人は見たことがない。

びっくりしすぎたのか、涙が止まっていた。

頬に風が当たって、涙の跡がひんやりしてきた。


涙がこんなに自然と止まったのも、はじめてだわ。


目尻を触って確かめていると、またもや目の前の人が叫んだ。


「あああああっ、涙止まっちまったじゃねえか!」

「え、あ、はい」

「お嬢ちゃん、もう一回泣いてくれ!頼む!」

「あの、あなたは…」

「てか、あれ、あんた『鉄仮面姫』じゃねえか」

「…その異名で呼ばないでください。王家の人間でもないのに、姫呼びは不敬にあたりますので」


私は距離の近いその人に離れながら、そっと釘をさす。


感情を表に出さない努力の末、私についたあだ名は『鉄仮面姫』だった。


そんな不名誉な名前で呼ばれたくないし、注意しないのはもってのほかだ。

『姫』呼びされているのは、私が王族に一番近い女性というだけだ。

この国に王女は生まれていない。

王弟を父にもつ王族の血を引く未婚の女性が、私しかいないというだけの理由だ。

まあ、つまりは、色々やらかしてくれた元凶である第二王子は、私の従兄弟だ。


「無表情無感情のお人形ってのは、デマだったんだな」

私の顔をジロジロと覗き込んで、不思議そうに首を傾げた。


だからっ、近い!


「…私、失礼致します」

「ああっ、ちょっと待ってくれ、鉄仮面姫!」

「ですから」

「ええっと、じゃあ、名前教えてくれ。あんたの名前、知らないんだ」

「…知らない殿方には、名乗れません」

「おお、お貴族様のお姉ちゃんって感じ〜!」

その人はニヤニヤ笑いながら、頭の後ろで手を組んだ。


…なんだか、軽薄ね。


「俺は国家魔術師のリンデルという者にございますよ、お嬢ちゃん」

「…私は、『鉄仮面姫』と呼ばれるただの娘にございます」

「え」

「では、失礼致します」

そう言って去ろうとしたら、魔術師様は吹き出して腹を抱えて大笑いした。


「あはははっ、めちゃくちゃ面白えお嬢ちゃんじゃねえか!誰だよ、あんたのこと鉄仮面なんてあだ名つけたの。センスねえな!」

「…私が無表情なのは、本当ですし」

「ええぇ?こんなに不機嫌そうな顔もできるのに?」

そう指摘されて、思わず頬を両手で覆った。


私、今、顔に出してしまった…?


「んで、その可愛い顔が曇るくらい、なんで泣いていたんだ?」

「それ、は…」

「うーん、なんか訳ありか?じゃあ、訊かんどくわ」

「…へ」

その返答に、拍子抜けしてしまう。

こういう時って、弱みを握られるものだと思っていたけど、興味なさそう…。

なんか、変な人だわ。


「てか、お嬢ちゃん、なんで魔力の涙が出せるんだ!?生まれつきか?」

「な、なんのことですか」

「お嬢ちゃんの涙だよ!ああ、せめてもう一回見たい!なあ、今から泣いたりしない?」

「も、もう泣きませんっ!」

「じゃあ、今度お嬢ちゃんの涙、俺にくれないか?」

「なっ」


なんですか、この人!

変態といわれる人ですか!?

こ、怖い、逃げなきゃっ!


「あ、そこの騎士様っ、この魔術師様、迷われたそうですよ!」

「はあ?」

「では、私は失礼します…!」

「ああ、ちょっとお嬢ちゃん!」

ちょうど庭を巡回中の騎士に任せて、私は急いで家に帰ったのだった。





私の婚約破棄の件は、お父様がお許しを出していた。


「真実の愛だのなんだの言って、貴族のやるべきことを見失っている人間に嫁がせるわけにはいかない」とのことだった。

こんなにあっさり許可が出るとは、お父様は今回の件かなりのお怒りらしい…。

だったら、私はおとなしくしておきましょう。

どうせ噂になっていて、今外出しても後ろ指をさされるだけだわ。


…そう、思っていたのだけれど。



「こないだはどーも、クレア・オースティン嬢」

「…魔術師様、どうして我が家に」

「あんた有名人だからね、人に聞いたら名前はすぐにわかったよ」

「そうではなくて、ですね」

「魔術の研究のためだと言ったら、当主様が通してくれたぜ」

「研究のため…?」

私はリンデルと名乗っていた魔術師様の向かいに座って、首を傾げた。


「そう!俺は薬学魔術の専門でね、ずっと完成させたかった薬があるんだよ!」

「お薬?」

「そんで、よ〜〜〜〜うやく、その原料を見つけられたから、採取に来たってわけ!」

「それが、私とどんな関係が」

「大アリだよ!だって、クレアの涙が欲しいんだからっ!」

リンデル様は、嬉々としてそう言った。


私の涙が、欲しい…?


…やっぱり、変態の類なのかしら。

お父様、この人信用のおける人物なのですか。

というか、いきなり名前呼びって。


そんなことはお構いなしにリンデル様は、鞄から古い書物を取り出した。


「ほれ、ここ見てくれ」

「すごく古い魔術書ですね…」

「そーう、いまだに解読できてねえところもあるんだけどっ。俺が作りたいのは、この万能薬なんだ!」

「万能薬…?」

「なーんでも治せちゃう古代魔法の叡智だよ!」

リンデル様は満面の笑みで、材料が記されているところを指でさした。


なんでも治せちゃうって、そんな聖女の使える聖魔法みたいなこと、ありえるの…?


そこには、竜の粉、新月の夜にだけ咲くリンドウ、ペパーミント、シナモン、水魔石、と最初の行を読むだけで、種類の多い材料を揃えないといけないのがわかる。


これは、集めるだけでも一苦労だろう。


「色々めちゃくちゃな材料なんだけど、これがずーーっと手に入らなかったわけ!」

「『乙女の魔力の涙』…?」

「そんなもん存在するのかよって長年思っていたんだけど、あったんだよっ!!」

相変わらず顔が近くて、私の方が顔を引っ込めた。


たしか、前にも「涙が」って言っていたような。


ニッコニコのリンデル様は、カバンから大量の小瓶を、何かの調合器具を取り出すと机の上に並べた。


「あの、魔術師様…?」

「というわけで、クレアの涙をいただきます!」

「い、嫌ですっ!」

「頼むよ〜〜〜!!俺の長年の夢が叶うんだよ〜〜〜!!!」

「そもそも、魔力の涙ってなんですか!」

「その名の通り、魔力を含んで流す涙のことだよ」

「ま、魔力って、私、魔法は使えませんよ?」


大体この国で、魔法を使える人間はごく僅かで貴重な存在だ。

だからこそ、国家魔術師という王家が認めた機関が存在しているし、魔術師はほぼ貴族と同等かそれ以上の存在だと言ってもいい。

聖魔法が使える聖女が、王家が無視できないほど特別なのも同様だ。


「魔法が使えなくても、魔力を体に溜め込んでいる奴は稀にいる」

真剣な目で見られて、少しだけドキッとした。

今まで見せられた表情と違って、ふざけた様子が一切なかったから。


「その上で、涙に魔力を含ませられる奴なんて、一度たりとも見たことがなかったから、この魔術書に騙されているんじゃねえかと思ってきた」

「…」

「でも、この前クレアが流していた涙には、間違いなく魔力が入っていた」

「私の、涙に…」

「クレアにしか頼めないんだ!頼む、俺に涙を分けてくれないか…!」


ずっと忌避され、我慢し続けてきた涙が、役に立つというの…?


「あああっ、待ってクレア!それもったいないから、ちょうだいっ!」

「…え、あ」

気づいたら、一粒涙が零れていた。


「そのままね、そのままだからね!?」

リンデル様は急いで小瓶の蓋を開けると、顎から落ちそうになっていた涙一雫をそこに収めた。


そして、大事そうに蓋が閉められた。


「すごい…、本物の『乙女の魔力の涙』だ…」

小瓶に入った涙を掲げながら、感嘆の声を漏らしている。


…その、私から見ると、あんまりいい光景ではないのだけれど。

そんなに喜ばれると、なんとも言えない気持ちがしてくる。

私の涙に、価値があったなんて…。


「ほら見て、光に当てるとアメジストのような色味になるよ!これが魔力だよ、魔力っ!」

少年のようにはしゃぐリンデル様に、笑ってしまいそうになる。


そこにはたしかに、透けるようなアメジスト色の涙があった。

いつも隠して泣いていたし、すぐに拭き取ってなかったことにしていたから、知らなかった。


「まじですごい…。生きている間に手に入るとは…、ありがとうねクレア!」

「あ、いえ…」

「何かの条件付きじゃなくて、普段の涙から魔力があるみたいだね、こりゃあ」

「そう、なのですか?」

「うん。ちなみに、今はなんで泣いたかわかる?」

「今は…、ずっと泣かないように言われてきたので、この涙が必要だと言われて、びっくりして…」

「泣いちゃいけないの?」

「はい、だから普段は我慢できるのですが。申し訳ありません、急に泣いたりして…」

「えっ?!なに、いつもは泣かないようにしているの!?」

「はい、人前では特に…」

「それ、今すぐやめな。危険だよ」

リンデル様は、低い声でピシリと言い切った。


空気が凍るようで、怖くて、また泣きそうになった。

何か、怒らせるようなことを言ってしまっただろうか。


「クレアは魔法が使えないんだよね?」

「は、はい」

「じゃあ、泣くのは我慢しちゃいけないよ」

「ど、どうして」

「体から魔力を循環させる方法が、魔法じゃなくて涙だってことだよ。我慢して溜め込んだら、魔力暴走を引き起こしかねない。そうなったら、最悪死ぬことだってある」

「…えっ」

「だから、涙は流さないとダメだ。むしろ必要なことだから、ちゃんと泣くんだよ。いい?」

優しい声で諭すように言われて、心臓が速くなっていくようだった。


私、泣いていいの…?

ダメなんじゃなくて、泣かなくちゃいけなかったって、こと…?

そんなことって。


込み上げてきた涙を止めようと、口を結んだけれど、それもゆっくり解いた。

目頭が熱くなって、あっという間に涙が出てきた。

はらはらと落ちていく涙を、止めようとは思わなかった。


「…ずっと、涙が出やすい体質を、疎んでいたのですが」

「むしろ正常だよ。体の方がよくわかっている証拠だね」

「私、泣いてもよかったのですね…」

「いいに決まっているじゃない、それこそお人形じゃないんだからさぁ」

「ふふっ…。泣いていい、って、はじめて言われました」

「いっぱい泣きな。あとで、診断書も書いてあげるね。薬学専門の国家魔術師のお墨付きだから、効力バッチリだよ!」

リンデル様がパチンとウインクしてみせるので、私は泣き笑いをしてしまった。


何も考えずに泣けるなんて、こどもの頃でもなかったかもしれない。

それに、不思議だけれど、この人の前では自然と涙が流せた。

怒られないと、わかっているからかしら。


「んじゃ、その涙もいただけますかな、クレア嬢?」

「うふふ、欲しくてしょうがないって顔をされていますよ、リンデル様」

「そりゃあ、欲しいよ!喉から手が出るほどね!」

「もう採取しようとしているじゃありませんか」

「くれ!頼む!診断書以外に欲しいものがあったらなんでもあげるからっ!」


結局、私の涙はリンデル様の魔法によって空中に集められて、そのまま瓶の中へと入っていった。


私は今までより素直に泣けたし、体も軽くなるようだった。


リンデル様は目を輝かせて、小瓶をうっとり見ている。


「ちなみに、その万能薬はどう使うのですか?」

「ん?飲み薬になるよ」

「飲み…、えっ」

「一発で効くらしいよ、今から調合するのが楽しみぃ〜!」

ルンルンで鞄に小瓶をしまうリンデル様の腕を、思わず掴んでしまった。


今、なんと言いましたか。


「クレア、どうかした?」

「だ、ダメですっ!」

「何が」

「その涙、返してくださいっ!」

「ええええっ、嫌だよ!これはもう俺のものだよ!」

「飲み薬って、私の涙を飲まれる方がいるってことですよね!?そんなのダメです、怖いです!今すぐ返してください!」

「大丈夫だよ、体に害ないし」

「そこじゃないです!そんなの、恥ずかしすぎますっ…!」

赤面しているだろう顔から火が出そうで、泣きそうだった。


涙を飲まれるって、ええっ!?


「お貴族様だねぇ〜」

「揶揄わないでくださいっ!」

「なんだ、恋人に涙くらい舐められたことないの?」

「あ、あるわけないじゃないですか!」

「ええ〜、かわいいねクレア。顔真っ赤」

「もう、いいからっ、返してください!」

涙目で訴えても、ひらりと躱されてしまう。


そして、またあの真剣な表情で見つめ返された。


「ごめんだけど、それは聞いてあげられない」

「なんでっ」

「この万能薬がもし本当に出来るんだとしたら、それは聖女の聖魔法に匹敵するってことだ」

「あ…」

「俺が作りたいのはもちろんだけど、国家魔術師として、クレアの意見は聞き入れられない。ごめんね」

心苦しそうに目を細めるリンデル様は、腕を伸ばしてきて、私の頭をそっと撫でた。


未婚の女性に気安く触ってはいけないのに、注意することも忘れてしまう。


そんな顔をされては、なんて返していいのかわからない。

それに、聖魔法と同等のものになるなら、国だって重宝するはずだ。

リンデル様だって、お仕事としても無視できない。


私はポスンとソファーに座り直して、俯いた。

お互いに黙ってしまって、部屋の中が静かになった。


「…成功するのでしょうか」

「そこは俺の腕の見せ所さ」

「では、研究がうまくいくよう、お祈りしておりますわ」


こんな泣き虫の私にだって、貴族の矜持がある。

国のためになるというのなら、この身を捧げる必要がある。

それが、予想外に涙だったという話だ。


私は、淑女らしく微笑んでみせた。

リンデル様の前で、はじめて貴族令嬢らしく振る舞えた気がする。


「出来たら、クレアに一番に見せるよ」

リンデル様が白い歯をこぼして笑うから、なぜだかまた泣きそうになった。





あれから半年経ち、貴族の間の婚約騒動は落ち着きつつあった。


その理由としては、立太子された第一王子の結婚相手に、第二王子が破談にしたご令嬢が選ばれたことだった。

妃教育も終わっていたし、王家の威信にもかかわる。

今まで慎重に吟味されていた第一王子の相手に収まることで、主に女性陣からの反感がだいぶマシになったと言っていい。


何せ、王妃陛下が怒りの筆頭だったからだ。

「真実の愛などしょうもない理由で振り回すな」と怒鳴っていたと、満足そうにしていた父から聞いた時には、背筋が凍るかと思ったほどだ。

この国で怒らせたら怖い人ナンバーワンは、叔母である王妃陛下だと私は知っている。

さぞ、王宮は恐ろしいことになっていたことだろう。



リンデル様は、あれから音沙汰はない。

そもそも、ただの研究対象だったし、それ以上でも以下でもなかった。

また涙を採取しに来るかと思っていたが、そんなことはなかった。

研究は、どうなっているのかしら。


私はというものの、婚約者はいまだにいないが、良いこともあった。

リンデル様が作成してくださった診断書によって、家族に謝られて、どれだけ泣いてもいい日々を過ごしている。

些細なことでも泣いていいのは、気が楽だし、何より今まで比べ物にならないほど体が軽いのだ。

心なしか顔色もいい。

魔力が溜まっていたのだと実感できて、もしものことになっていたかと思うと、ゾッとした。


リンデル様に感謝しなくてはね。

変態なお方かと思っていたけれど、命の恩人になってしまったわ。

今頃、あの涙を使って、魔術書に齧り付いているのかしら。


自分の涙が使われているかと思うと、だいぶ複雑な気持ちになるが、成功したらいいなと思っているのも本心だ。


未婚の女性が、ほいほい男性に会いにいくわけにもいかない。

何度も会いに行きそうになる気持ちを抑えては、家に引きこもっていた。

あの笑顔を見られたら、私はもっと元気になりそうなのにと思ってしまう自分がいて、戸惑う。


…この気持ちは何かしらね。


泣きたいのに泣けない気持ちは、はじめてだった。


──コンコン。

その時、窓から音がして、そちらを見た。


手紙が、浮いている…!?


窓の外に手紙が浮いていて、私は駆け寄ってそれを手に取った。

なんの確認もなく手にするなんて不用心だというのに、差出人があの人のような気がしてならなかった。

見てみると、走り書きのような文字で『クレア・オースティン嬢へ』と書いてあり、裏には『リンデル』と書かれていた。


「…!」

私はすぐに、手紙の封を切った。

だけど、中には何も入っていなかった。


どういうこと?


封筒の中を覗くと、そこには何かの紋様が書かれていた。


「封筒が、手紙…?」

どうしていいかわからなかったけど、紋様を確認するために封筒を開いてみることにした。


そこには、書かれていたのは。


「魔法陣…?」


精密に描かれているそれをなぞるように触れてみた。

リンデル様がお書きになったのかしら?


彼の顔を思い出した時、ピカッとその魔法陣が光って、どこかに連れていかれるような感覚がした。

あまりの眩しさに目を瞑って、次に開けた時には──。


「クレア、久しぶりだね!」

「リン、デル様…?」

「魔法陣、無事発動したみたいだね。よかったよかった!」

「よ、よくないです!えっ、ここどこですか?」

目の前にリンデル様がいて、腰を抜かしそうになる。


慌てて辺りを見回すと、知らない場所に来ていた。

見れば見るほど、本だらけの部屋だった。


「俺ん家」

「は…」

「そんなことより、クレア聞いてよ!」

「そ、そんなことじゃありませんっ!お、男の人の家なんて、未婚の女性にそのようにしてはなりません!というか、転移魔法陣を無闇に使わないでください!」

あたふたしながらも、今度ばかりはしっかり叱っておいた。


だ、だって、殿方の家って…!

それって、それって…。


「ああ、お貴族様ってそういうのダメだったっけ」

「ダメに決まっています!このことが知れたら…!」

「知れたら?」

「私、…お嫁に行けなくなって、しまいます」


不埒な娘だとレッテルを貼られて、嫁ぎ先がなくなる。

ただでさえ、鉄仮面姫で、婚約破棄された女なのだ。

どうしよう、お父様に迷惑をかけるどころか、勘当でもされたら…!


「そしたら、俺のお嫁さんになる?」

「へっ」

「国家魔術師の嫁なら、そこそこ箔もついていいんじゃない?」

「ええぇ…!?」

「責任取るよ?」

リンデル様はこてんと首を傾げて、あの時みたいに私の顔を覗き込む。


ボンッと顔が赤くなって、キッとリンデル様を睨んだ。


なんですか、そのついでみたいな感じ…!

私にとっては、大事なことなのに!

そんな、なんでもないみたいな言い方…。


「クレア、見て!完成したんだよ、万能薬っ!」

リンデル様は眩しい笑顔で、嬉しそうに薬の小瓶を私に渡した。


そこには、綺麗な青紫色の液体が入っていた。

キラキラしていて、薬というより香水みたいだった。


「今、出来上がったとこ!クレアに一番に見せたくてさっ!」

「いま、ですか…?」

「そう〜〜!もう嬉しくってさ、クレアに早く報告したかったんだ〜!」

満足げにニコニコしているリンデル様を見たら、切なかった何かが引っ込んでしまった。


本当に、一番に見せてくださったんだ…。


そう思うと、やっぱり切なさに似た何かで泣きそうになった。


「おめでとうございます、リンデル様」

「クレアのおかげだよ!まじ凄いんだから、これっ!今、火傷してみてから飲んだらすーぐ治ったの!ほら、この腕見て、なんともな〜い!」

「えっ、火傷したのですか?」

「うん、怪我しないと治せないでしょ?」

「わざとやったのですか!?」

「そりゃあね、健康体で飲んでも効かないし」

「そ、そんなことしないでください!大事なお体なのにっ…!」

「にゃははっ、クレアは優しいね〜!」

本人は全く気にしていないようで、胸がヒリヒリしてくる。


「そんなこと、なさないでください」

言葉が詰まって、涙があふれていた。

静かに泣く私の涙を、リンデル様はそっと指で拭った。


「やっぱり、クレアの涙は綺麗だね」

柔らかい声が降ってきて、顔を上げると優しく微笑んでいた。


私の涙を綺麗なんて言うの、リンデル様くらいです…。


「自分で実験しないと気が済まないのが魔術師というものなのだよ〜!だから、怒らないでクレア」

「…怒ってません」

「ええ〜、口尖らせてかわいいねぇ〜」

「…」

ムスッとしている自覚があるけど、やめられなかった。

ポロポロ零れていく涙も、止めなかった。


「おかげでほら、最高の薬が出来上がったよ!」

本当に嬉しそうに笑うから、やっぱり何も言えなくなってしまう。


「…何にでも、効くのですか?」

「よくぞ聞いてくれた!今のところ、外傷は全部効いた。病気は試せてないけど、この分じゃ効くだろうね」

「すごい…」

「しかも何がすごいって、どこに効いて欲しいか暗示ながら飲むとそこに効くんだよ!画期的じゃない!?古代の叡智、最強すぎて、俺ら魔術師は職を失いそうだよ」

リンデル様は万能薬と同じほど目をキラキラさせて、興奮気味に言い募った。


本当に、聖魔法のような効果があるんだ…!

これは、ひょっとして国が揺らぐ代物なのでは…?


「なーに、難しい顔して」

「あ、いえ、…その、たとえば私が飲んだとして、魔力を溜める体が改善されたりはするのでしょうか?」

「あー、それは厳しいと思う。体質改善ではなくて、あくまでも治療特化型だから、聖魔法の薬版だと思ってもらえるといいかも。聖魔法も本人の性質を変えたり、死者を蘇生したりはできないからね」

「…聖魔法と同等で、争いになりませんか…?」

「ならないね」

「どうしてですか?」

「今のところ大量生産は難しい。どれだけ作れても、王家に献上するのが関の山かな」

「そう、なのですね…」

「本当は庶民にも配給できるくらいになりたいけど、まだまだ夢は遠いかな〜」

リンデル様は笑っているけれど、私は胸がザワザワした。


…悪用されたら、ひとたまりもないってことだ。


「だーいじょうぶだよ!」

いつかの時みたいに、リンデル様は私の頭を撫でた。


「俺は国家魔術師だよ?争いの種にさせないなんて、朝飯前だよ」

ニカっと笑って、こどもを宥めるみたいに頭をこねくり回された。


そんなことが簡単に出来てしまうのか。

リンデル様が言うと、本当にできてしまいそうな気がしてくる。

だって、万能薬を作れてしまう、天才魔術師なのだから。


「それでね、これ献上したらたぶん報奨がもらえるんだよ」

「そうでしょうね」

「聖女ブームも落ち着くかもね」

「そ、そうでしょうか?」

「ついでに、クレアは素材協力者だから、同じく報奨がもらえると思う」

「え!」

「聖女と同等の地位になっても、なんらおかしくないさ」

あっさりそう言われても、頭の中はパニックだった。


えっ、えっ!?

その可能性は全く考えていなかった。

ど、どうしましょう。

ありがたいお話ではあるけど、今よりも面倒なことになるのは確実だ。


「だからね、クレアは引く手数多になると思うよ。お嫁には行けるから、安心して」

「ええぇ…っ」

「でもさ、そうなっちゃう前に、やっぱり俺のところ来ない?」

真面目な顔をして、リンデル様はそう言った。


目が合ったはずなのに、視界が歪んでいって、すぐにお顔が見えなくなった。


「ああ、なんで泣いちゃうの、そんなに嫌だった?」

リンデル様の手が頬を伝っていくのを感じて、余計に涙が出てしまう。


「なんで、そんなことおっしゃるのですか」

「えええぇ、クレアがいいなって思ったからだよ。他になくない?」

「…?」

「俺、この薬作っている時、すっごい楽しかったんだ」

涙の向こうに見えたリンデル様は、目を細めていた。


その顔は、見たことないくらい蕩けてしまいそうだった。


「全然うまくいかない時もさ、万能薬が出来たらクレアに報告できるな〜とか、クレアなんて言ってくれるかな〜とか、考えてたらずっと楽しくってさ!」

「私、ですか…?」

「クレアに早く会いたいな〜って思って、俺結構頑張って急ピッチで作ったんだよ?」

肩を竦めてそう言うから、私は何度瞬きしたかわからなかった。


私に、会いたいと思ってくれていたのですか。

この半年、何の便りもなかったのに。

完成したら会えるって、思っていたのですか。

それって、あの、完成するまで会うって発想がなかったのですね…?


目の前にいる人が楽しそうにしているから、私の小さなモヤモヤがどうでもよくなっていく。


「ふふ…、ふっ、くふふ」

「クレア?」

「ふふっ、リンデル様って、やっぱり変です」

「ええええ、なんでよ!いたって真面目だよ、いつだって!」

「私も、お会いしたかったです」

今、淑女の笑みも脱ぎ捨てて、心から笑えている気がする。


これが真実の愛というものだとしたら、こんなにもあったかい気持ちだったんだ。


「会いたかったです、リンデル様」

「クレアは泣いてても、笑っててもかわいいね」

「…揶揄ってますか?」

「いたって真面目です」

「ふふっ」

可笑しくて、笑いながら涙が出ていってしまう。


でも、リンデル様に泣いているところを見られるのは、なんだか嬉しかった。


「クレア・オースティン嬢。俺と結婚していただけますか?」

「私でよければ、喜んで」

「クレアじゃなきゃ意味ないよ」

「あ、ありがとうございます」

「クレアの泣き顔は、俺に一番に見せてね。俺だけの涙姫」

そう言ってリンデル様は顔を近づけたかと思うと、頬を流れる私の涙をペロリと舐めた。


一瞬、思考が停止した。


「…っ!?」

「あ、やっぱり甘い。万能薬も甘いんだよね」

「な、リ、…え」

「あれ〜〜、そっかぁ」

「今度は、何っ…」

「この万能薬、クレアの涙が入っているのに他の奴らに飲ませるの、めちゃくちゃ嫌になってきた」

「え」

「これ献上するのやめよっか」

平然とそう言うリンデル様に、振り回される未来しか感じなかった。


「ダメです!お仕事はきちんとなさってください!」






お読みくださりありがとうございました!!  毎日投稿92日目。


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