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姫を推す文化

王都から長い街道を進んだ先、リュミエール王国の東側に位置する王国第二の都市グラヴェル。

空は広く、通りは直線的に伸びている。朝になれば商店の扉がいっせいに開き、活気が溢れ出す。麦の袋、豆の樽、干し芋の箱、乾燥肉の荷、油の樽。荷馬車が列を作って行き交い、積み上げた荷の隙間から穀物の匂いが流れてくる。


土埃が舞うのは、町が寂れているからではない。晴天の日が多く、風が乾いているためだ。市場の鐘が鳴れば人々が動き出し、夕方には別の荷が入り、夜には翌朝の積み替えが始まる。グラヴェルは、王国東側の農業地帯と王都を繋ぐ流通の要衝であった。


その目抜き通りに、今日も看板が出ている。

《よろず屋:グラヴェル商会》

薬草からドラゴンの鱗まで、だいたい揃う(たぶん)


店主の名はアルノー。細身で、どこか頼りなさそうな顔立ちをしている。

だが、アルノーの腰のベルトには投げナイフが何本も差さり、小さな革袋がいくつも揺れている。アルノーは目が良く、耳も鋭い。あまり知られていないが、腕っぷしも強い。客の足音で靴底の減り方を当て、荷馬車の軋み方で積み荷の重さを読む。商会の社長は父親で、今は奥の帳場で荷の相談をしている。表に立ち、客と話し、品を見せ、値をまとめる実務は、主にアルノーが担っていた。


店先には薬草の束が吊るされ、細い紐でまとめられた小袋が並ぶ。瓶の中には粉末や種が入り、工具、縄、針金、荷馬車の車輪に塗る油、罠の金具まで揃っている。旅人が買い求める品と、町の住人が日常的に使う品が、同じ棚に並んでいた。


その隣には武器と防具も置かれている。王国兵団や王国親衛隊に納める基準を満たしたものだけを仕入れているため、見た目だけが派手な粗悪品は置かない。刃の反りと重心が揃った剣、握り革の厚みが均一な短剣、羽根の角度が揃った矢束。革鎧は当て布の縫い目が細かく、金具の噛み合わせも正確だ。武器を手に取る客は、すぐにこの店の質の高さを知ることになる。


魔導の品も目立つ棚に置かれている。リュミエール王国は魔導力国家であり、魔導士は決して珍しい職業ではない。影穴を使って移動する旅人もいれば、現場で魔法を扱う役人や兵もいる。

棚には影札が束で並ぶ。影札は、木札に黒結晶の粉を塗り、設定された魔法を一回だけ発動させる使い切りの道具だ。影穴用の札が最も売れるが、火や氷の魔法を仕込んだ物もある。


その横には「マジカルエナジー」と書かれた小瓶が並ぶ。魔導士が前線で飲む魔導力の補給剤で、王国兵団の魔導士たちは「魔剤」と呼んでいる。アルノーは小瓶の前に注意書きを置いていた。『飲みすぎるな。空腹で飲むな』。効力があるからといって、大量に服用してよい品ではない。


そんなよろず屋の店主であるアルノーは、内にとんでもない熱量を秘めていた。

アルノーはグラヴェル商会の看板の下で、手作りの旗をもう一度広げる。布の端の縫い目を指で撫で、文字がにじんでいないか確かめる。持ち手の棒が緩んでいないか確認する。こうした細かな作業をアルノーは面倒だとは思わない。自身で修正しなければ落ち着かないだけだ。

そこまで入念に準備を行い、ようやく息をつく。


「……よし。今から王都に行くぞ。セレスティア王女殿下が春の収穫祭に出るからな!」


アルノーは店番を後輩に任せると、ありったけの応援グッズを抱えて走り出す。

グラヴェルの住人はその姿を見慣れていた。

「また姫推しかよ、アルノー!」

「店長、今度こそ捕まるぞー!」

「捕まりません! 僕は、法に触れない範囲で推し活をしていますから!」


この国、リュミエール王国では、王女を推すのは伝統的な文化である。

特に第一王女セレスティア殿下は、王家に受け継がれるティアラの現在の保持者であり、王国の魔導運用を背負う象徴でもある。セレスティア殿下は強く、美しく、立ち姿に乱れがない。リュミエール王国の国民だけでなく、遠くの国の人間までもが、その名を知っている。


しかも、セレスティア殿下は自分に向けられる視線を自覚している。人前では完璧な王女を演じるが、拍手が起きた瞬間だけ、肩の力が少し抜ける。たまに目元がほんの少しだけ緩む。その一瞬を見たら、推し活をやめられるはずがない。アルノーにとって、セレスティア殿下はただ遠いだけの偶像ではなかった。実際に息をして、疲れを抱え、それでも民の前に立つ人だ。それだけで、アルノーはもう駄目だった。


そしてアルノーは魔導士ではないにもかかわらず、推し活のために移動魔法「影穴」の練習を重ねている。

練習場所は、グラヴェル商会の裏手にある倉庫の壁際だ。夜、アルノーは移動先の座標を書いた紙を握り、地面に印を付け、呼吸を整える。影穴は座標がずれれば命に関わる。出口が岩などで埋まっていれば、そこで人生が終わる。だからアルノーは無茶な穴の広げ方はしない。自分一人が通れれば十分だった。


懸命に魔導力を出して、どうにかアルノー一人が通れる幅の穴がようやく開いた。向こう側から弱い風が吹く。これは影穴が貫通している証拠だ。距離はわずか一キロメートル。だが、セレスティア殿下に会うまでの道が一キロメートル短くなる。その事実だけでアルノーは嬉しくて仕方がない。


アルノーは現状の影穴で満足しているわけではない。今も移動距離を延ばす練習を続けている。商人として影札の出費を減らしたいという実務的な理由もあるが、どうしても捨てられない気持ちがもう一つある。王国の魔導運用を背負うセレスティア殿下に、少しでも近づきたいという願いだ。


ただし、王都とグラヴェルは五百キロメートルも離れている。影札を併用しても、片道だけで一日程度の所要時間がかかる。今のアルノーに、王都までの道のりすべてを自力の影穴で進むことはできない。無理をして途中で力尽きれば、推し活自体が続けられなくなる。そのため、長距離の移動には影札を使用する。五キロメートル仕様の影札は、友人の魔導士に魔法を設定してもらったものだ。自力の一キロメートルと、影札の五キロメートル。それらを繋ぎ合わせ、アルノーは王女殿下との距離を縮めていく。


王城前広場のイベント会場に一番乗りしたのは、今日もアルノーだった。

貴族、騎士、商人、旅人、冒険者。剣士、魔導士、修道士、役人、格闘家。ありとあらゆる人々でごった返す中、最前列に陣取る細身の青年が一人いる。

アルノーの両手には手作りの旗があり、「姫様最高」と大きく書かれている。

頭には王女が付けているものとよく似たティアラ型のカチューシャを装着している。手を抜くという選択肢はアルノーにはない。


「セレスティア殿下ー! 本日もお美しいです!」


王国兵が会場を警戒している。列の端で観客同士の口論が起きそうになるが、すぐに静止される。兵たちの尽力により治安は保たれていた。

万が一にもセレスティア殿下の前で揉め事を起こせば、イベントへの出入りは禁止され、最悪の場合は投獄される。それでは推し活どころではない。観衆はそのリスクを理解しているため、熱気はあっても越えてはならない一線を守っていた。


やがて壇上の奥が開き、国王リュミエール16世と王妃が姿を見せる。どちらも人目を引く高貴な姿であり、立つだけでその場を支配する風格がある。王城前広場の空気が少し引き締まる。


その脇に、王姉殿下レオノーラが立つ。王国親衛隊の司令官であり、王国最高峰の魔導士。このイベントにおける安全確保の責任者だ。レオノーラの視線は客席をなぞるように動き、不審な影穴の気配がないか、魔導反応が不自然に揺れていないかを厳しく監視している。


レオノーラ王姉殿下の隣には、侍女が一人控えている。その侍女もまた美しい。背筋が伸び、手は美しく揃えられ、表情が崩れることはない。動かずに控えているだけなのに、その場に深く馴染んでいる。王城には美しい女性が多いと、アルノーは常々感じている。あの侍女も、その一人だ。静かではあるが、強く目を引く存在感があった。


そして、セレスティア殿下が現れた。

衣装は華美ではない。だが、セレスティア殿下が立った瞬間に周囲の空気が一変した。

姿勢はまっすぐで、首の角度もぶれない。歩幅は一定で、衣装の裾が乱れることもない。見ている側が無意識に息を揃えてしまうような、圧倒的な気品。

セレスティア殿下の目線は高い位置にあるが、決して冷たくはない。最前列の人間だけでなく、広場の奥にいる者まで公平に見ている。特定の個人に向ける顔ではなく、この場にいる全員を受け入れる象徴としての顔だ。完成された美しさなのに、決して人形には見えない。人としてそこに立っているのに、現実離れした美しさがあった。それが、アルノーにとっての世界が輝く瞬間である。


セレスティア殿下は一度、軽く手を上げた。それだけで大きな歓声が沸き起こる。

指先の動きは小さいが、合図として十分に民衆へ伝わる。続けてセレスティア殿下は壇上の水差しから杯に水を注ぎ、一口だけ飲んだ。それは喉を保護するための動作であると見て取れる。無駄がなく、立ち振る舞いに見苦しい点は一切ない。


「本日はお集まりくださり、ありがとうございます」


声が広場によく通る。声を張り上げているわけではないのに、確実に届く。広場の端のざわめきが、少しずつ静まっていく。

セレスティア殿下は広場全体を見渡し、言葉を続けた。


「グラヴェルから届く穀物が、王国の食卓を支えています。日々の荷を運ぶ方、畑を守る方、倉庫を管理する方、その一人ひとりに感謝しています。遠方から来てくれた方も多いでしょう。どうか今日は、急ぐことなく、安心して楽しんでください」


言い方は優しいが、毅然としている。守るべき規範が伝わる言葉だ。

セレスティア殿下は、少しだけ表情を和らげた。


「影穴を使って移動する際は、決して焦らないでください。座標台の周囲は混雑します。無理をせず、必ず休息を取ってください。皆さんが無事に帰宅するまでが、今日の務めであると私は考えています」


その言葉により、広場の空気がさらに和らぐ。歓声だけでなく、深く頷く者の姿も見られた。

セレスティア殿下はさらに言葉を継ぐ。


「今日の催しは、皆さんの仕事と暮らしに感謝するためのものです。拍手でも、旗でも、あるいはただ見守ってくださるだけでも構いません。あなたがここにいること自体が、私には嬉しいのです」


その一言が、広場の緊張を完全に解きほぐした。空を揺るがすような拍手と、地鳴りのような歓声が重なり合う。

その時、セレスティア殿下の肩が、ほんの一瞬だけ緩んだ。本人は無意識のようであったが、アルノーはその瞬間を見逃さなかった。推し活を続けていると、そうした機微を捉える感覚が鋭くなる。


セレスティア殿下の視線が最前列をなぞる。

アルノーは背筋を正し、旗を強く握り直した。


目が合ったように感じた。

単なる錯覚かもしれない。だが、そう感じた瞬間にアルノーの胸は熱くなる。

アルノーはその一瞬の記憶だけで、一週間は確実に活力を保つことができる。調子が良ければ一か月は持続する。


グラヴェルに戻って荷を受け取り、客の顔を見て、また王都へ足を運ぶ。推し活の道のりは遠い。だからこそ、会えた時の一瞬が輝く。困難な道のりがあるからこそ、会えた時の一瞬が強烈な意味を持つ。


そんなアルノーの日常が、ある日、静かに揺れ動くことになった。


農業地帯の中心都市グラヴェル。その中央広場には、市役所の石壁を利用した大きな掲示板がある。普段は迷子犬の捜索や、隣国のカンドラ国からの隊商到着予定などが張り出される場所だ。しかし、その日の朝に張り出された一枚の王家の公式文書は、それら日常の雑記をすべて覆い隠すほどの衝撃を町にもたらした。


「おい、これを見ろ! 王家からの布告だぞ!」

「結婚相手の募集? セレスティア王女殿下の相手を、この街でも募るっていうのか」


群衆のざわめきは、朝の冷たい空気を一気に熱く変えた。


よろず屋「グラヴェル商会」の若き店主アルノーも、その騒ぎに引き寄せられた一人だった。彼は店番の準備を中断し、エプロンの汚れを拭うのも忘れて掲示板の前に立つ。白く上質な紙に、リュミエール王家の紋章である「昇り獅子と星」の刻印が鮮やかに押されている。


アルノーは、そこに記された文言を一つ一つ、噛みしめるように読み進めた。


《王家より全土に告ぐ。リュミエール王国第一王女セレスティア殿下の成婚にあたり、広く結婚相手の候補を募集する。王女の伴侶として相応しき資質と志を持つ者は、王都の事務局へ届け出よ》


そこまでは、一筋の希望を感じさせる文章だった。王室が民間に門戸を開くのは、稀な事態といえる。だが、その期待は続く一文によって叩き潰された。


《ただし、応募資格は公爵以上の爵位を有する貴族、あるいはそれに準ずる家格を持つ者に限る》


条件は端的なものであり、それゆえに残酷だった。

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