大人という壁
森に入るのは、土曜の早朝。
それが四人の決定だった。
理由は単純。
人が少ない。親の目も緩い。
そして何より――準備する時間が必要だった。
だが。
小学生が本気で森に入るというのは、
思っている以上に“隠すこと”が多い。
高梨家の場合
「なんでそんなリュック大きいの?」
夕飯時。
母の一言で、迅の箸が止まった。
「え? いや、えっと……」
味噌汁の湯気が妙に熱い。
「土曜、友達と雪遊び行くんだよ」
「どこで?」
「円山……あたり?」
「森の方?」
「まぁちょっと?」
母の目が細くなる。
「最近、クラスの子が行方不明なんでしょ」
迅の心臓が一瞬止まる。
ニュースはまだ大きくなっていない。
だが保護者間では広まっている。
「危ないことしないでよ?」
「しないしない」
即答。
だが視線が泳いだ。
母は立ち上がり、リュックを持ち上げる。
「……重くない?」
バットの存在が脳裏をよぎる。
「雪固いからさ! ソリ持つかもだし!」
「ソリ?」
「いや、持たないかもだけど!」
苦しい。
母はジッと見る。
数秒。
そして小さくため息をつく。
「携帯は充電しときなさい」
「……うん」
一応、通った。
だが完全に信用されたわけじゃない。
迅は理解していた。
“何かあれば即バレる”。
相沢家の場合
「地下水路?」
翔太の父は新聞から目を上げた。
静かな声だった。
「学校の自由研究で、札幌の地形を調べようと思って」
翔太は一切の動揺なく答える。
嘘をつくときほど、論理で固める。
「許可は?」
「立入禁止区域には入らない」
「友達は?」
「高梨と宮坂と白石」
父は少し考える。
「白石……行方不明の子の妹か」
沈黙。
翔太は視線を落とさない。
「無茶はしない」
父はゆっくり頷く。
「GPSは持っていけ」
腕時計型のデバイスを差し出す。
「一定時間動かなければ通知が来る」
翔太は受け取る。
「ありがとう」
部屋に戻った後、拳を強く握る。
一番危険なのは、自分が冷静でいられなくなることだ。
それを、誰よりも分かっている。
宮坂家の場合
「熊?」
圭の母は目を丸くした。
「なんで熊スプレー持ってくの!?」
「森行くなら普通でしょ!」
「普通じゃないよ!」
圭は言い返しかけて、止まる。
躊躇。
いつもの癖だ。
父が口を挟む。
「どこ行くんだ」
「円山の方」
父は少し考え、
「スプレーは俺が預かる」
圭の顔が青くなる。
「え」
「小学生が持つもんじゃない」
「でも!」
言い返したい。
でも言葉が詰まる。
圭はうつむく。
その夜。
父が風呂に入っている隙に、
圭は棚からスプレーを戻した。
手が震えている。
「……ごめん」
小さくつぶやいた。
これは初めての“親への裏切り”だった。
白石家の場合
一番難しいのは、美咲だった。
母は疲れきっている。
健太が消えてから、ほとんど眠れていない。
「土曜……友達と勉強会行っていい?」
「……誰の家?」
「相沢くん」
母はゆっくり頷く。
「早く帰ってきてね」
それだけだった。
信じている。
疑う余裕もない。
美咲の胸が痛む。
部屋に戻り、赤い眼鏡を外す。
鏡の中の自分は、少し大人びて見えた。
「絶対、連れて帰る」




