2年前の淡い記憶
6月17日。木田柚香と娘の花苗。布施浅美と娘の繭子は夢を見た。それは2年前の淡い記憶。当時28歳と10歳の美人母娘2組がカノン公国へ参戦した理由は忘れたが、花苗と繭子はナマイキ盛り。柚香と浅美は女流作家の夢破れてヤケ気味だった。たまたま参加した栄のイベントで事務員のハンナと意気投合。カノン公国はバロン制度を採用しており、当時の名古屋はナルシス制度の国が大半を占めた。だが母親たちは16歳の男の子よりも40歳のおじさんの方が与しやすいという思惑が働き、娘たちにも異存はなかった。当時の夏服は白のセーラーと紺のミニ。露出度が高くなく、女子高生並みにされた今よりも丈が10センチ程度長め。それでもなお娘たちと丈が統一された私たち母親組は短くされたなぁと感じたものだ。でもハンナによれば参戦に大義名分は必要ないという。だから私たちは勢いとノリで6月末に参戦した。すると7月から急に酷暑になり、参戦は避暑の色彩が強くなる。向こうは日本と季節のめぐりが全く同じだが、梅雨がなくてカラッとしているからだ。しかも西日本並みの気温だから名古屋ほど夏の日差しが強くないし、訓練も対戦も現地時間17時から行われた。私と花苗が[ビアンカ]。浅美と繭子が[ルミナス]というコンビ名を付与されて毎週土日に別れて訓練と対戦を交互に行うが、私たちが同じ日に同じ場所でやることはない。訓練も対戦も2人1組が原則だが、訓練相手や対戦相手は必ずしも固定ではない。スワッピングはふつうにあるが、必ず元のお相手に戻すという縛りがあった。7月の初戦から私たちはキツかったが2戦とも引き分けなのはバロンが私たちの感度をよくすることに重きが置かれたからだ。つまりは中年兵士も夏はしんどく、マトモにやればからだが持たない。彼らがイマージュ公国のお姫さまたちとの対戦を見送ったのは彼女たちの年齢が原因。アルノは36歳の女王ローザ。ザックは16歳の第2王女サリア。ピルロは18歳の第1王女インゲ。マテウスは14歳の第3王女ミランダを受け持つ予定だった。思春期の美少女3姉妹と円熟の域に達した女王はバロンからすればちょっぴり厄介なお相手。だからこそ彼らは私たちを選んだのだ。名古屋産の庶民だし下手に気を使う必要もない。しかもローザの夫ノエルはレスが長くても妻を深く愛し、女王は従順な女に過ぎない。このあたりの難しさもアルノたちを躊躇わせた。私たちはお盆前にアベック勝利を飾るもお盆休みでブランクが伸びた。そしてお盆明けの4戦目でバロンに惨敗。だがこの夢はそれ以降の秋の対戦。つまりは架空戦記であり、私たちは秋服の紺のセーラーと深緑のチェックのミニに身を包んだ。丈は夏服よりも5センチ長い。露出度が下がり私たちは戦いやすくなったが、立ち上がりから彼らに押しまくられた。でもマジカルキックは悪くないし地上戦でも生足が高く上がる。だが情事でバロンに主導権を握られた。私たちにはアルノたちをイカせるだけの技術がないが、彼らは地道にデータを集め、徐々に腕を上げてきていた。私たちはマジカルキックや地上戦でバロンを圧倒したが、口内戦を制圧され情事でジワジワ責め立てられた。かと言って私たちの戦い方は悪くないし、前半だから手を挙げるわけにもいかない。後半に入らないと降参が赦されないからだ。私はアルノ。花苗はザックに右胸を揉みしだかれた。気を抜けば左胸まで揉みしだかれ、私たちはよだれが溢れ出した。だが近くで浅美がピルロ。繭子がマテウスに背後からふくらみを揉みしだかれ、ああこれは夢なんだと確信した。私たちが同じ日に同じ場所で戦うなんてあり得ないからだ。このままされっぱなしならどうなるの?私たちは抵抗をやめ、バロンに身を委ねた。すると彼らはふくらみ責めをやめ、一斉にイチモツを引き出した。私たちは前から。浅美たちは後ろからイチモツをそっとショーツ越しにあてがわれた。久々に感じたお熱で今にもアソコが溶かされそう♥私たちはアルノたちに脚を絡ませ、からだを密着させた。すぐにはピストン運動が始まらず、私たちはじらされる悦びをしっかりと植え付けられた。そろそろかな?期待に違わずピストン運動が開始され、私たちは悦びに打ち震えた。な、なんて優しいリズムなのかしら。スリットラインがムスコ1本の摩擦だけで満たされきった♥クリトリスの皮が剥かれずとも私たちは尿道とアソコと後ろの穴を優しくこすり上げられるだけでよがり狂った。「くわああああっ♥」「んはああああっ♥」「くふわああああっ♥」「あひいいいいんっ♥」私たちは競い合うかのようにビクンとからだを震わせ、糸が切れた人形みたいに崩れ落ちた。目が覚めるや私たち全員が同じ夢を見ていたことに驚いた。久々にハンナにラインするとアルノたちはイマージュ公国のお姫さまたちと7月にやる予定。「マジ!?」「でも止める方法がひとつだけあるわ」