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9 疑惑

「厨房は騒ぎが起きてからそのままにさせています。だから、茶葉の置き場に封を切った茶葉がそのままになっています。調べればわかるはずです。その女がモニカ様を妬んでやったに違いありません!」


 使用人の言葉に、ヴァイオレットは慌てて首を横に振る。


「わ、私は知りません!」

「嘘だ! お前がやったんだ!」

「この女がモニカ様を……!」


 使用人たちはヴァイオレットを睨み、口々に罵り始めた。

 一度目の断罪を想起させる強い糾弾に、クラッと眩暈がする。助けを求めてモニカを見ると、不安に青ざめた顔をしてヴァイオレットから目を逸らした。ヒューバードも心なしか、硬い表情をしている。

 ヴァイオレットが疑われているのだ──


「ちが……違います……私では」


 ヴァイオレットは一歩下がる。血の気が引いてくらくらし、その場に崩れ落ちてしまいそうだった。呼吸をしても肺に酸素が入っていかない。苦しくてたまらなかった。


「──待ちなさい」


 その時、ユリシーズの静かな声が部屋に響いた。


「ヒューバード、モニカ、まずは落ち着いてくれ。ヴァイオレットも座りなさい。顔色が悪い」

「は、はい」


 倒れそうになっていたヴァイオレットはギリギリで踏みとどまり、手近な椅子に腰を下ろした。

 ユリシーズは冷静に部屋を見回し、使用人に問いかけた。


「贈り物の茶葉はヴァイオレットが直接持参したもので間違いないのか? 持参品の記録は?」

「い、いえ……茶葉の店から届けられたものです。リングフェロー家でお出しする茶葉を、いつも購入している真っ当な店です。ヴァイオレット・シアーズ公爵令嬢から頼まれた、特別なブレンドのハーブティーだと……」

「それならヴァイオレットの名前を騙った可能性もあるではないか。何故、彼女の仕業に違いないと思い込むのだ。今は糾弾の場ではない。いつもと違う手順や人間が介在していないかを聞くために呼んだのだ。余計なことは言わなくてよろしい」

「も、申し訳ございません……」


 ヴァイオレットの目眩がおさまり、少しずつ楽になっていく。

 ユリシーズは公平に話を聞いてくれる。たった一人でも話を聞いてくれる人がいることで、孤独だった一度目の世界で傷ついた心が癒されるような気がした。


 困惑した様子の使用人たちは口をつぐむ。使用人の中で一番年嵩の男だけが納得がいかないように口を開いた。


「お待ちください。確かにそうかもしれません。ですが、彼女は第二王子の婚約者なのでしょう。ヒューバード様に跡取りが生まれれば、ますます第二王子から王位は遠ざかります。それを婚約者がどうにかしようと思っても、おかしくはないことだと……」

「それなら余計に、ヴァイオレットが自分の名前をそのまま使うのは、あまりにも愚かすぎるではないか」

「そ、そうよね。ヴァイオレットは今日お茶会があることを知らなかったのだもの。お詫びで茶葉を贈るなんて出来ないわよね。なのに、私ったら。何だか妙に不安になってしまって……ごめんなさい」


 モニカはまだ青い顔をしているが、そう言ってくれる。一度は逸らした目で、ヴァイオレットをまっすぐに見つめていた。


「……ヴァイオレット、すまない。そんなはずはないと思っていたのに、私も雰囲気に呑まれてしまったようだ」


 王太子のヒューバードまでもがヴァイオレットに謝罪をしてくれた。


「それより、ヴァイオレットがお茶会があることを知らなかったとはどういうことか、聞かせてもらっていいだろうか」

「ええ。私はどうしても早急にモニカ様に相談したいことがあったので、友人の連れとして急に参加させていただいたのです」


 ヴァイオレットはようやく手の震えが止まり、心を落ち着かせて説明を始めた。


「モニカ様がエイドリアン様に渡したという私宛の招待状も受け取っていません。エイドリアン様がシアーズ家に招待状を転送した話も聞いていませんし、おそらく我が家に受領記録はないでしょう。それは調べていただければわかります。そして直接招待状を受け取ることもありません。ここしばらくエイドリアン様とお会いしていません。それどころか、先週にはモース男爵家の令嬢フリージアと仲良くされているのを目撃したくらい関係が良くないのです……」

「フリージア・モースか……」


 ヒューバードはその名前を呟いた。


「もし、このハーブティーをモニカが飲んでいたとして、誰に一番の利益が出るのか。弟のエイドリアン、並びにその愛人フリージアではないのか? 王太子の私に息子が出来れば、エイドリアンが王位を継ぐのは、ほぼ不可能になる。さらに、エイドリアンにとって気に入らない婚約者の名前を使うことで、目障りな両方を排除出来る。そう考えたとしてもおかしくはない」

「ええ……調べれば、ヴァイオレットから贈られたということはすぐわかるものね。もし、今日ヴァイオレットがお茶会に来ていなければ、本当にヴァイオレットからの贈り物だと、私も信じていたかもしれないわ」

「私は今日モニカ様にお会いするまで、アレルギーのことも妊娠のことも存じませんでした。知る機会もなかったことです。そしてお二方はお優しい方です。私の名前を騙って贈られた茶葉で体調を崩したとしても『ヴァイオレットは知らなかったのだから、ただ不運が重なったのだ』と、心の中に仕舞われてしまうことでしょう」

「だとしても、もしお腹の子に何かあれば、私はヴァイオレットを恨んでいたかもしれない……」


 モニカはポツリとそう呟いたのを聞きつけ、ヴァイオレットはハッとした。


 ──これが一度目の世界でのヴァイオレットの孤独に繋がったのだ。


 ヒューバードやモニカは、少し話しただけで真っ当な感覚を持っているとわかる。一度目の世界の時のように、エイドリアンが自分の浮気を棚上げして、婚約者を断罪することを、ただ黙って見ているような人たちではないはずだ。しかし、一度目のヴァイオレットに救いの手どころか同情の視線すらなかった。


 もしかすると、一度目の世界の婚約披露パーティーではモニカの体調が悪く、ヒューバード共々欠席していたか、そうでなければ──ヴァイオレットの仕業だと思われて恨まれていたのか。


 考えてみると、一度目の世界でヴァイオレットはフリージアに水をかけるなどのいじめをしていたのは事実だが、犯罪者として極悪人のように人々の前で断罪されるほどではない。そもそもの話として、婚約者がいるのに浮気をしたのはエイドリアンの方なのだ。しかもその相手を婚約披露パーティーに連れてきて見せつけるようなことまでして、決して褒められる行為ではない。

 しかし周囲はヴァイオレットを激しく責め立てていた。一度目の世界でも今日と同じ濡れ衣を着せられ、そのことにヴァイオレットだけが愚かにも気付いていなかったとしたら。

 そうであれば温厚な兄や真面目で潔癖な弟にまで見捨てられてしまったのも納得だ。


 しかし、やり直したことで冤罪を免れたのだ。

 偶然が重なったとはいえ、危ないところだった。これで一年後にあるはずの婚約披露パーティーでも、何か変わってくるかもしれない。


「ヴァイオレット、貴方は生まれてくる子の命の恩人よ。私とヒューバードは貴方の味方をすると決めたわ」

「ああ。自分の弟ながら、エイドリアンが恥ずかしいよ。浮気をするどころか、まさかこんな事件を起こすとは。ヴァイオレット、何か困ったことがあったら相談してほしい」

「あ……ありがとうございます!」


 二人の温かい言葉にヴァイオレットは目が潤み、取り出したハンカチでそっと目元を拭った。

 それからユリシーズに頭を下げた。


「ユリシーズも、ありがとうございます。貴方が公平でいてくれたから、私の潔白を示すことが出来ました」


 たった一人でも、ヴァイオレットを疑わない人がいてくれた。それが嬉しかった。


「いや、大したことはしていない。だが……最初からヴァイオレットは嘘を吐いていないと思っていた」

「もしかして、魔術で嘘を吐いているかどうか、わかるのですか?」

「いや、さすがに精神に関わる強い加護を持っているのでもなければ、心の中まではわからない。ただ……ヴァイオレットはそんな人ではないと思っただけだ」


 そう言われて、ヴァイオレットは頬を赤く染めた。不思議なほど胸がドキドキしてしまうのだった。





「まあ、すっかり遅くなってしまったわ。ヴァイオレット、今夜は泊まっていってね」


 モニカは時計を見て声を上げた。時刻は深夜になっていた。


「屋敷内を調べるのは明日にしよう。厨房、帳簿などには決して触れたりせぬよう」


 ヒューバードも使用人に指示している。

 深夜ということを実感し、ヴァイオレットも疲れが出てきた。妊娠しているモニカはなおさらだろう。


「……すまないが、俺はまた明朝に来よう。これ以上は差し障りがある」


 ユリシーズはそう言って去っていった。

 差し障りとは何だろうか。

 ヴァイオレットは少し名残惜しい気持ちでユリシーズを見送った。


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