4 友人との再会
友人である侯爵令嬢のコーネリア・デネットの顔を見て、ヴァイオレットはぐっと胸が詰まる気持ちになった。
ヴァイオレットが最後に見た彼女は困ったように眉を下げながらため息をついていた。やり直す前、ヴァイオレットがフリージアへの嫉妬心に囚われ、フリージアにくだらない嫌がらせをしていた頃のことだ。コーネリアは何度も忠告してくれたが、ヴァイオレットは聞き入れずにいた。最終的に彼女はそんな諦めの顔をして、その後は二度とヴァイオレットに話しかけることはなかった。
幽閉された屋敷でそのことを何度も後悔したが、謝罪の機会もないままだったのだ。
コーネリアはヴァイオレットの姿を見て微笑んだ。
「ヴァイオレット! 髪を切ったのね。とっても可愛いわ!」
「……コーネリア、久しぶりね」
ヴァイオレットは思わずそう言っていた。
「久しぶりって、先週も会ったばかりじゃないの」
コーネリアはクスクスと笑う。その屈託ない笑い方にホッとした。
しかし一年前に誰とどこに行ったかをこと細かに覚えていないので、下手なことを言うとおかしく思われてしまうだろう。
「え、ええと……なんだかそんな気がしたというか。疲れているからかしら、先週がずっと前のことのように感じるのよ」
ヴァイオレットはそう誤魔化す。やり直しの加護については、友人であろうとも簡単に話さない方がいいだろう。コーネリアを信じていないわけではないが、まだヴァイオレット自身もやり直しという加護を全て理解していないのだ。
「ふふ、おかしなヴァイオレット。でも顔色もいいし、髪型を変えたってことは、少しは元気が出たの? ほら、あのこと……気にしていたでしょう」
「あっ……!」
ヴァイオレットは目を見開く。コーネリアの言うあのこととは、おそらくエイドリアンとフリージアのことだ。
「そ、その件なんだけど……」
「エイドリアン様が浮気だなんて、ショックよね。でも、あまり気に病まないでね」
コーネリアは眉を下げ、慰めるようにヴァイオレットの手を握った。今ならコーネリアがヴァイオレットを心から心配してくれているとわかっているが、一度目の時にはコーネリアもフリージアの味方なのかと思い込み、彼女を詰ってしまったのだった。
「え、ええ……。そうね、落ち込んだけれど今は平気よ」
「よかったわ」
そして、一年前からやり直し出来たが、エイドリアンは既にフリージアと恋に落ちているようだ。先週、コーネリアと共にいる時に、エイドリアンとフリージアが仲睦まじくしているのを目撃したのだろう。コーネリアの言葉に触発され、うっすらとそんな記憶が蘇る。
しかし、婚約破棄をされたあのパーティーまで、あと一年もあるのだ。エイドリアンとフリージアのことはひとまず置いておくことにした。今のうちに家を出る準備を進めるなりすればいいだろう。
それよりも今はコーネリアという大切な友人との絆が壊れずにいてくれたことに安心した。それにコーネリアは外交に強いデネット侯爵家の令嬢で、世間の噂話にも詳しい。エイドリアンたちの動向を聞くことも出来るかもしれない。
せっかくやり直したのだから、同じ後悔はしたくない。少なくとも今はコーネリアと楽しく過ごせるのが嬉しかった。
「そうそう、私ね、宝石店に行きたいの。最近話題の店なのよ。きっとヴァイオレットにもいい気分転換になると思うわ」
「いいわね、行きましょう」
ヴァイオレットはコーネリアのおすすめである宝石店に向かった。
前回は一緒に行った覚えがない。きっとそんな気分じゃないと断ってしまったのだろう。ヴァイオレットも初めての店である。
「この店よ。品揃えが良くて、珍しい宝石でも注文すれば原石から取り寄せてくれるの。宝石だけじゃなく、魔石もあるのですって」
「へえー」
宝石店のフロアは円形をしており、一階には魔石や、宝石の原石がショーケースに入れられ、ぐるりと飾られている。
魔石とは魔力を帯びた石で、特殊な回路を通すことでエネルギーとして使えるほか、魔術師にとっては多数の使い道がある。お守り効果がある装飾品や貴重な薬の材料にもなるという。
小さくても相当の値段がするのだが、この店にある魔石の原石はどれも大きくて、宝石に引けを取らないくらい美しい。コーネリアも同様のようで、目が輝いている。
「キラキラしていて綺麗! 見ているだけでも楽しいわ」
「そうね。装飾品は上の階だけれど、もう少し原石を眺めてからにしましょうか」
「どうぞ、ごゆっくりご覧くださいませ。よろしければご説明もいたしますよ」
店員も愛想よく、ヴァイオレットとコーネリアに魔石の説明を始めた。
「魔石は、一般的には属性の色を持っています。炎なら赤、水なら青などですね。しかし複数属性が混ざり合うと色彩も複雑化します。例えば、こちらの紫の魔石も複数の属性を持つ非常に珍しい魔石です。しかもこれほどの大きさは、この国のどこを探しても他にはありません」
ショーケースに飾られた魔石は人の頭くらいのサイズがある。
チラッと見えた値札は、まさに桁違いだ。公爵令嬢のヴァイオレットどころか、父である公爵本人だろうと簡単に買える価格ではない。
「大変壊れやすいので、お手に取るのはご容赦くださいませ」
「わかったわ。ねえ、この魔石、ヴァイオレットの瞳の色と同じ色よ」
「本当ね」
「綺麗ねえ」
ヴァイオレットという名前の由来でもある紫色の瞳で、同じ色の魔石をじっと見つめた。一見するとただの宝石だが、石の中に閉じ込められた魔力が陽炎のようにゆらめいているのが見える。
コーネリアとじっくり魔石を眺めていると、背後の扉が開く音がした。別の客が入ってきたらしい。
その途端、ヴァイオレットたちに説明をしてくれていた店員の目が驚愕に見開き、表情が引き攣るのが見えた。
「──そこの魔石をくれ」
ヴァイオレットのすぐ背後から低い男性の声が聞こえた。
その横のコーネリアまでもが小さく息を呑んだ。どうやらヴァイオレットたちが眺めていた紫の魔石を所望しているらしい。
そうであればショーケースに張り付くヴァイオレットたちは邪魔になるだろう。ヴァイオレットはこんな高額なものを即決する人がいると驚きながらも、場所を譲るために振り返った。
ヴァイオレットは目を見開く。
目の前にあるのは真っ白い毛の塊。しかも見上げるほど巨大な。それがぬらり、ぬらりと動く様はまるでお化けのようだ。
「ひっ──」
「ヴァイオレット、こっち!」
悲鳴を上げかけたヴァイオレットは、コーネリアに腕を掴まれ、引き摺られるように白い塊から距離を取った。
「あ、あの方は王宮魔術師のパロウ筆頭魔術師よ。お、お買い物の邪魔をしないようにしましょうね……」
コーネリアは震えながら、そうヴァイオレットの耳元で囁いた。
「この人が……」
パロウ筆頭魔術師──ヴァイオレットはその名前を思い出した。
王家を守護する王宮魔術師の中でも、最も実力がある者に与えられる立場。それが筆頭魔術師だ。実質、この国で一番魔術の力がある人なのだ。
数年前、筆頭魔術師が変わったとは聞いていた。あまり穏便な交代ではなかったらしく、前の筆頭魔術師との間に何か事件があったとも噂されている。噂は噂でしかないと思っていたが、それも納得してしまうような特異な外見をしていた。
真っ白な長い髪は伸びに伸びまくり、顔も背もモジャモジャと覆い尽くして、一見すると前後すらわからない。大柄で見上げるほど大きく、ローブもサイズが合ってないのか、パツンパツンになっている。おまけに袖や裾はあちこち裂けてボロボロだ。
「──化け物魔術師……」
それがパロウ筆頭魔術師の不名誉な二つ名だった。
今の言葉はヴァイオレットではない。店員の誰かがそう呟いたのだ。ごく小さな声にも拘らず、静まり返った店内にはよく響いた。
それはやり直す前の世界にて、嫉妬で醜く歪んだ顔を「お化けのようだ」と泣かれたことを想起させる。
チクリと胸に痛みが走った。
パロウ筆頭魔術師に応対している店員にもその声が聞こえたのか、いっそう真っ青になり震えていた。
「すまないが、今すぐこの魔石が欲しい。幾らでも構わない」
パロウ筆頭魔術師にも化け物という呟きが聞こえていただろう。しかし、怒るどころか気にした様子もなく淡々と同じ言葉を繰り返した。
彼にとっては慣れっこなのかもしれない。
「この魔石を出してもらえないだろうか。仕事で使用したいのだが」
「はいっ、あのっ……いま、今すぐ、お出し、しますっ!」
店員はガクガクと震えるように頷いた。真っ青を通り越し、血の気が引いた顔でショーケースを開ける。
ヴァイオレットには関係ないのだが、あまりにも緊張しているものだから、心配でつい見てしまう。他の店員も、パロウ筆頭魔術師の相手を一人に押し付け、離れた位置から固唾を呑んで見守っていた。
指の先まで血の気が引いた店員は、パロウ筆頭魔術師に言われた通り、巨大な魔石を取り出した。あまりの緊張に冷や汗をかいている。
震える手でケースの上のトレイに載せようとした瞬間、その手から巨大な魔石が滑ったのが見えた。魔石はそのまま落下していく──。
「あ──」
ガシャンッという激しい音と共に、地面に叩きつけられた魔石が粉々に砕け散った。
思わず、ヴァイオレットは口元を押さえた。
店員は声もなくその場に崩れ落ちる。
店内はシンとして、パロウ筆頭魔術師が小さい声で「なんてことだ」と呟くのまではっきり聞こえた。他の店員たちも真っ青になり震えている。
これはさすがにまずいのではないか。ヴァイオレットがそう思った時、店員の一人が、魔石を落とした店員を指差した。
「あ、あいつが割ったんだから、全部あいつの責任だ!」
その言葉に我に返った店員たちは魔石を落とした店員を責め始めた。
「そ、そうよ。壊れやすいのに気をつけなかったから!」
「何してるんだよ! お前が何とかしろよな!」
「幾らすると思ってるんだ!」
同じ店で働く同僚だというのに、助けるどころか一方的な糾弾をする。泣いている店員の姿にやり直す前の孤立無援になっていた自分が重なり、苦い気持ちになった。
「落ち着きなさい。今は一人を責めている場合では──」
パロウ筆頭魔術師は、店員たちをを落ち着かせようとしているが、興奮した彼らは聞く耳を持たない。
「ど、どうしましょう……まさか、こんなことになるなんて」
コーネリアも困り果てたようにそう呟いた。
あの値段の魔石──しかもかなり貴重で、これくらい大きいものは他にないと言っていた。それが粉々になってしまったのだ。いくらなんでも可哀想ではないか。
そして、今ここに居合わせたヴァイオレットだけが、なんとかしてやれる力を持っている。
それならば、やるしかない。
ヴァイオレットは目を閉じて、額に力を集めるように念じた。
『やり直しますか?』
そう文字が浮かぶ。
──ええ、やり直すわ!
ヴァイオレットがそう思った時、眩しくて目を開けていられないほど強い光に塗り潰された。