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39 今度こそ

 ヴァイオレットはユリシーズと別れ、王宮の廊下を一人で進む。時刻はやり直し前とほぼ同じ頃。


「モニカねえさま!」


 ──かかった。


 抱きついてくるセシル──いやメイナード。ヴァイオレットが餌とも知らず、食いついたのだ。


「セシル、違いますよ! ヴァイオレット様、失礼をいたしました……」


 後から追いかけてくるアンジェラは、己がお腹を痛めて産んだ子がメイナードであるとは知らないのだろう。不自然な様子はない。彼女もまた被害者なのだ。

 

 一度は可愛らしいと思ったセシルのことが今は恐ろしい。いや、メイナードはヴァイオレットの父親とそう変わらない年頃の男なのだ。幼児のふりをしている中年男と考えれば、気持ち悪さの方が大きい。


「あーん、モニカねえさまに会いたいのー!」

「アンジェラ様、モニカ様の屋敷にセシル様を連れて行っても構いませんか?」

 

 ヴァイオレットは生理的嫌悪を隠してセシルへ対応した。

 

「ええ、そうしていただけると助かりますわ。そういえば、ヴァイオレット様はパロウ筆頭魔術師とご婚約をするそうですね」

「ええ、そうです。あの方、見た目によらず情熱家なんです。プロポーズした時の私の反応を誰にも見せたくないからと、さっきも二人きりで愛を囁かれて。婚約の証にと腕輪をいただきましたの。あっ、セシル様がいらっしゃるのに、こんな話をしてしまって申し訳ありません!」


 さっきの遮断魔術をメイナードに訝しく思われているかもしれないので、ヴァイオレットはそう誤魔化した。実際にいちゃつきもしたので、思い出して頬が熱くなる。恥ずかしさはあるが、メイナードが惚気話を信じてくれれば御の字だ。


「ふふ、お若い方の惚気を聞くのは楽しいですわ。今度、ゆっくり聞かせてくださいましね」

「ええ、是非!」


 アンジェラと別れ、セシルと手を繋ぐ。正直、気持ち悪いが、なるべくやり直し前と同じ行動がいいだろう。


「さあ、セシル様。モニカ様のいる屋敷に行きましょう。ちょっと遠いけれど、着くまでいい子にしていてね」


 自分でも言っていて鳥肌が立ちそうだ。しかしその甲斐あってセシルもおかしいと思わなかったようだ。子供のフリをして返事をしていた。


 やり直し前と同じく、馬車を乗り換え、遠回りをしてモニカとヒューバードのいる隠れ家に着き、結界を越える。


「セシル様、到着しましたよ」


 しかしセシルは訝しげに白亜の屋敷を睨んだ。


「いない? どういうことだ。キミ、ボクの精神魔術にかかっていたんじゃ……!?」

「そう。お二人はとっくに避難済みよ。その代わりに──」

「メイナード!」


 隠密魔術を解いたユリシーズが現れる。ユリシーズは屋敷に先回りしていたのだ。

 もちろん、ヴァイオレットの挙動は全て、魔石の腕輪を通してユリシーズに伝わっていた。


 ヴァイオレットはユリシーズに駆け寄る。途端、屋敷の周囲に張り巡らされていた結界が光を強めた。結界はさらに強固なものになったのだ。外から入れないだけではなく、外に逃がさないための結界。メイナードはもう逃げることも出来なくなっていた。


「メイナード、もう逃げ場はない」

「クソッ!」


 メイナードはセシルのふりを止め、ユリシーズを睨んだ。


「メイナード・クロスリー。貴様の悪行は全て白日の下に晒されている。貴様の血を引く娘、フリージアも既に確保した」

「なんだと……始末したはずだ!」


 ヴァイオレットのやり直しの力で、黒幕がメイナードだとわかった以上、ユリシーズがエイドリアンを審問する必要はなくなった。その時間を使い、逃げたフリージアの行方を追ったのだ。

 やり直し前、ライオネルがフリージアの死体をガーゴイル通りの隠れ家で見つけたと言っていた。その情報のおかげで隠れ家の場所をすぐに特定し、彼女がメイナードに始末される前に生きた状態で確保出来たのだ。フリージアはメイナードの正体を知る唯一の存在だ。貴重な証人となる。


「彼女は証言したよ。セシルこそがメイナードであり、実の父親なのだとね。モース男爵からの裏も取れている。モース男爵は若い頃、魔術師見習いとしてメイナードの下で魔術を学んでいたのだな。メイナードに脅され、渡された赤ん坊のフリージアを実子として育てたと言っていた」

「アイツら……つかえねぇなあ!」


 メイナードは幼い体に不釣り合いな舌打ちをする。しかし、すぐにニィッと不敵な笑いを浮かべた。


「それで、ボクをどうするつもりだい? また殺すのか? 化け物のユリシーズ……この体はオマエの大好きな国王陛下の子供のものなのにな。つまり、この肉体とは従兄弟だろ? しかもこんな幼い子供をさ」


 そしてヴァイオレットの方をチラッと見る。


「なあ、オマエの女の前で、こんな幼い子供を殺せるのかい。大事な女に一生モノのトラウマを与えてさ。考えてもみなよ。将来、オマエらは自分の子を抱いたとき、殺したボクのことを思い出すぜ……えーん、殺さないで……ヴァイオレットねえさま……ユリシーズにいさま……くくっ、ははははっ!」


 わざとらしい泣き声を上げた音、メイナードはぎゃはははと笑った。

 悍ましさに吐き気がする。


「……セシルを殺すとは言っていない」

「だよなあ! ああよかった。でも、ボクとセシルの魂を切り離すのは無理だ。そんなことをしたら、セシルの魂も無事じゃいられないんだから」

「そんな……!」

「じゃあ早いところ連行してくれよ。どうせボクには何も出来やしない。せいぜい黒鐘の塔にもう一度閉じ込めて終わりってとこだろう? 言っておくけど、たとえ拷問されても何も吐かないぜ。いいものを見せてやる」


 メイナードはそう言ったあと、突然、糸が切れたようにその場に倒れた。


「ん……あれ、ここ、どこ?」


 起き上がり、きょとんとユリシーズとヴァイオレットの方を見るメイナード。


「……様子がおかしいわ」

「あ、あの、母様はどこですか……」


 小さな手をキュッと握り、不安そうにきょときょと辺りを見回す。泣かないように堪えているが、少しずつ涙が溜まっていく様子はメイナードの演技にしては迫真すぎる。


「ううっ……母様ぁ──って、どうだ? 今のは演技じゃない。ボクはメイナードとしての意識をオフにすることだって自在に出来るんだ。拷問される時は意識をオフにしてセシルの意識を表に出すさ。こんな幼い子供の体と精神じゃ耐えられないだろうよ」


 セシルだった意識は一瞬でメイナードに変わり、嘲笑いを浮かべる。


「そうだな。だが、黒鐘の塔に閉じ込めても無駄なのはよく知っている。メイナードはまた別の方法でこの国に仇なすのだろう。──殺さない限り」

「やっぱり殺すのか。ほら、やってみろよ。今際の際に何の罪もないセシルに交代してやるからさあ!」

「いいや、死ぬのはお前だけだ。メイナード!」


 ユリシーズがそう叫んだ瞬間、メイナードは光る魔法陣にぐるりと囲まれた。


「なんだとっ、拘束魔術か、これは!」

「……お前が長々とおしゃべりしてくれたおかげだ」

「ふん、閉じ込めただけだろうが。それでどうするつもりだ」


 余裕そうに笑うメイナードだったが、ユリシーズが取り出したものを見て、驚愕に目を見開いた。


「それは──」

「ああ。魔石だ。しかもただの魔石ではない。希少な複合属性の魔石だ。この屋敷を取り巻く結界や幻術の魔術具にはこの魔石を使っていた。ヒューバードがハイスペックすぎる魔術具を望んだのが幸いしたな。いや、メイナードには災いか?」

「ユリシーズ! その魔石って……!」

「ああ。ヴァイオレットが守ってくれた魔石だよ」


 その魔石は、奇しくもヴァイオレットがユリシーズと初めて会ったあの宝石店で、ヴァイオレットが受け止めて割らずに済んだ、あの魔石なのだった。ヴァイオレットの腕輪も同じ魔石から作られたものである。

 まるで宝石のようにカッティングされ、ヴァイオレットが受け止めた時よりも一回り小さいが、その分魔石の煌めきはいっそう強くなっていた。


「ヴァイオレットがいなければ、どうにもならなかったことばかりだ。この魔石もな。きっと、そういう巡り合わせなのだろう」

「それをどうするのですか?」

「メイナードとセシルの魂は融合している。普通に切り離しては生命活動に支障が出てしまう。だから、メイナードの魂だけを吸い取り、この魔石に封じるのだ」

「何故っ、その方法を知って……!」


 メイナードは今や本気の焦りを見せている。ヴァイオレットの目にはそう写った。


「た、頼む。やめてくれ! 見逃してくれ! もう仇なすことはしない! 代わりにボクの隠し財産を教える! 魔術具や魔石がたくさん隠してあるんだ。この国の宝物庫なんて目じゃない。本物の宝が山ほど……だ、だから、助けてくれぇっ!」


 そんな懇願に、ユリシーズは眉すら動かさない。月の色の瞳は湖のように凪いでいた。


「メイナード、お前は助けてくれと命乞いをした相手を一度でも助けてやったことはあるのか? 血の繋がった娘すら残酷に殺そうとしたお前が、何故助けてもらえると思っている」


 ユリシーズはメイナードに向かって魔石を掲げた。


「それに勘違いしているようだから教えてやるが、お前が散々人体実験をして失敗した理論など、俺は実験なしでとうに解き明かしている。メイナード、お前はその程度の魔術理論しか扱えない無能な三流魔術師だ!」

「な、なんだと! そんなはずはない! ボクは天才で──ぐああああっ!」


 魔石が光った瞬間、魔法陣の中のセシルの肉体に、二重写しのような影が見えた。


「それもただの拘束の魔法陣ではない。メイナードには拘束としか読み取れなかったようだが、複数の魔法陣の重なり合いで、既に貴様とセシルを切り離すための陣は完成しているのだ!」

「やめろおおおおお!」


 セシルの体から、濁った色のゆらゆらした影がゆっくり出ていく。全て出たのか、セシルがその場に糸が切れるように倒れた。少なくとも見える範囲に外傷はなく、顔色も悪くない。


「おおおお……やめ、ろおおお……もどせぇえええ」


 濁った色の影は鼓膜を震わせるような声を発するのが精一杯のようだ。


「切り離しは成功した。後はこの魔石にメイナードの魂を封印する、だけだ……」


 ぐらりと体が傾くユリシーズをヴァイオレットは支える。ユリシーズの顔は蒼白になっていた。


「しっかりして、ユリシーズ!」

「すまない。予想以上に魔力の流れが強い。……ヴァイオレット、手伝ってもらえるだろうか」

「ええ、私に出来ることならなんでも!」

「ありがとう……」


 そう言うヴァイオレットに、ユリシーズは薄く笑った。


「腕輪をしている左手でこの魔石に触れてくれ」

「こ、こう?」


ヴァイオレットはユリシーズの掲げた魔石に左手で触れる。魔石は熱を発している。触れた左手から、その熱さが入り込んでくるのを感じていた。

熱くても火傷をするほどではない。伝わった熱がヴァイオレットの体内で魔力に変換され、また魔石へ向かっていくのを感じていた。


「ああ。……やはりヴァイオレットと俺の魔力は相性がいい。それから、もっと近くに」


 ヴァイオレットは頷いて、ユリシーズにぎゅっと密着する。そんな場合ではないはずなのに、恥ずかしさに頬が熱くなり、胸が高鳴った。そして、いっそう魔力の流れが早くなり、魔石を通してユリシーズと繋がっているのがわかった。


「では、いくぞ」

「はい!」


 メイナードを取り囲む魔法陣と、ユリシーズの手にした魔石が光り合い、一筋の光の線が繋がった。

 セシルから出たメイナードの濁った影は、その光の線を通り、魔石にズルズルと引き込まれていく。同時にヴァイオレットの腕輪も強く光り、その都度メイナードは苦悶の表情を浮かべている。醜い、濁った魂だった。しかしヴァイオレットはメイナードの魂から目を逸らさずにいた。

 メイナードの声は、ユリシーズを罵るものから呻き声に変わり──全て魔石に吸い込まれて、とうとう何の言葉も発さなくなった。


「──成功だ」


 魔石はヴァイオレットの瞳と同じ紫色をしていたはずだが、メイナードの魂を取り込むと、彼の魂の色を表したようなどす黒い色に変わっていた。

 ヴァイオレットの腕輪は変色していないものの、ユリシーズの髪の魔力を取り込んだ時と同様に、ビシッとヒビが入り、そこから粉々に砕け落ちてしまった。


「……すまない。俺が贈ったというのに、強度が足りなかったのだろうか」

「いいえ、この腕輪はそれだけ頑張ってくれたのよ」


 今回もヴァイオレットを助けてくれたのだ。


「ありがとうね」


 ヴァイオレットはそっと腕輪の残骸を撫でるのだった。


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