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38 幸せになるために

 ガクンと体が重くなった気がしてヴァイオレットは目を開く。


「……ここは……?」


 どこまで戻れたのだろう。

 真っ先に確認したのは左手首だった。そこに腕輪も魔傷痕もない。ということは成功したのだ。


「ヴァイオレット! 陛下の前で何だ、その態度は!」


 父親の声にハッとする。改めて辺りを見回すと、さっきも見た謁見の間だった。しかし、そこに血の匂いはなかった。

 玉座にはユリシーズに似た瞳の国王陛下がいて、ヴァイオレットを心配そうに見つめていた。


「どうかしたのかね。急に呼び付けてしまったから体調を崩したか……椅子を用意させよう」


 戻ったのは、エイドリアンとの婚約を白紙に戻す件で王宮に呼び出された時のようだ。ユリシーズと似ている国王陛下の優しい言葉が身に沁みるかのようだ。

 今ならまだ間に合う。ヴァイオレットが口を開こうとした瞬間、父親はヴァイオレットの頭を無理矢理下げさせようとしてきたのだった。


「いえ、大丈夫ですとも! こらヴァイオレット、しっかりしなさい! 陛下に失礼なことをするんじゃない!」


 しかしヴァイオレットはそんな茶番をしている場合ではない。父親の手を払い、国王陛下に跪いた。


「──国王陛下、おそれながら申し上げます! 火急の用件がございます。どうか、ユリシーズを……パロウ筆頭魔術師を今すぐに呼んでいただけませんか?」

「な、何を言うんだヴァイオレット!」


 父親の顔は怒りで真っ赤になっていた。国王陛下はそんな父親を手で制する。


「ふむ……ユリシーズが待機していることを知っていたのか」

「……私の加護によるものです。詳しくは言えませんが、私はユリシーズに助けを求めるため、ここに参りました!」

「わかった。ユリシーズを呼べばよいのだな」

「はい。危機を救える唯一の人がユリシーズなのです」


 キッパリそう言ったヴァイオレットに、国王陛下は鷹揚に頷いた。


「恋する乙女の目だな。ユリシーズとの婚約を打診するつもりだったが……そなたに意思を確認する必要はなさそうだ。そなたの両親とは婚約の話をつけておこう。誰か、彼女をパロウ筆頭魔術師のいる待機室に彼女を連れていってやりなさい」

「……ありがとうございます。国王陛下!」


 ポカンとした顔の両親を尻目に、ヴァイオレットは謁見の間を後にした。


「ユリシーズ!」


 部屋に飛び込み、驚いた顔をしているユリシーズの姿にヴァイオレットは涙が込み上げる。


 ──ああ、生きている。それが嬉しくてたまらない。

 今ならまだモニカやヒューバードも生きているのだ。早く何とかしなければ。


「ど、どうした……ヴァイオレット。泣いているのか。何があった。け、怪我か? それとも誰かに泣かされたのか」


 秀麗な顔に汗を浮かべて焦るユリシーズに、ヴァイオレットは笑いが込み上げてクスッと笑う。おかげで落ち着いた。


「いえ、ユリシーズ。大事な話があるの」


 ヴァイオレットは声を潜めた。もしかしたらメイナードに聞かれているかもしれない。


「──メイナードの正体の話よ。ねえ、外から話を聞かれないようにすることって出来る?」

「ああ。少し待て」


 ユリシーズは部屋の四隅に魔法陣を描く。キィンと音がして部屋の外の音が聞こえなくなった。外からも中の声が聞こえないのだろう。


「遮断魔法をかけた。だがどうしてヴァイオレットがメイナードのことを知っているのだ」

「メイナードはまだ生きているわ。モニカ様の暗殺未遂事件で、ブライアンに精神魔術をかけたのも、エイドリアンやフリージアを唆したのも、全部メイナードの仕業なの。そして、メイナードは恐ろしい企みをしている。私がそれを知っている理由は、一度見てきたからよ。──それが私の加護『やり直し』の力なの」


 ユリシーズは目を見開いた。


「やり直し……時間遡行か!? まさかそんな力を扱える存在が本当に……」

「でも魔力をうんと使うから、そう何度も戻れない。失敗を繰り返すわけにはいかないの。長くなるけど、聞いてくれる?」


 ヴァイオレットはこれまで見てきたことを急いで話した。


「──そして、メイナードの正体は、第三王子のセシルよ。メイナードは、セシルがアンジェラ様のお腹にいるときに、メイナードの魂の一部を融合させたと言っていたわ」

「……六年前、メイナードが研究していた禁忌魔術があった。胎児の状態から手を加えて魔術的才能を引き伸ばすという実験だ。既に何度か試したような形跡は確かにあった。しかし、全て失敗したものとばかり……それどころか、自分の死を悟り、赤子の肉体に魂を融合させて生き延びようとするとは……」


 何と恐ろしく、残酷な所業なのだろう。


「今話したこと、信じてくれる?」


 ヴァイオレットはユリシーズの月の色をした瞳を見上げる。


「もちろん、信じる。むしろこれまでのことに合点がいった。ヴァイオレットが落ちる魔石を受け止めたときから、不思議に思っていた」

「よかった。信じてくれないのなら、国王陛下に呼ばれてきたユリシーズが私に求婚してくれたことや、紫色の魔石の腕輪をプレゼントしてくれたことを話さなきゃって思っていたの。腕輪は櫛にもなるのよって言えば、さすがに信じてくれるかしらって」

「そうか、未来の俺はこの腕輪を渡せていたのだな……」


 ユリシーズは白い箱を取り出す。


「君にとっては二度目だろうが、もう一度受け取ってくれるだろうか」


 中には魔石の腕輪が入っていることを、ヴァイオレットはもう知っている。


「愛している──ヴァイオレット。その証を君に」


 もう一度、左手首に腕輪をつけてもらう。ヴァイオレットを何度も助けてくれた腕輪が再び帰ってきたのだ。ヴァイオレットはそっと腕輪を撫でる。それからユリシーズを見上げた。


「ユリシーズ……私も愛しているわ。私、貴方と幸せになるために、やり直したの!」


 おそるおそる伸ばされたユリシーズの腕に抱き締められる。目を閉じると、ヴァイオレットの唇に柔らかなものが触れた。

 血の味のしないキス。何度も何度も押し当てられるユリシーズの唇に、ヴァイオレットは眩暈がしそうだった。

 薄く目を開けると、愛しい月の色の瞳が間近に見えた。

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