34 モニカの隠れ家へ①
ユリシーズと別れたヴァイオレットは、モニカの屋敷に向かうため、王宮の廊下を歩いていた。
その時、甲高い子供の声が聞こえた。
「あっ、モニカねえさまだぁー!」
パタパタと軽い足音と共に、ヴァイオレットの腰に後ろからぎゅっと抱きつかれた。驚いて振り返ると、小さな子供が細い腕を回していた。
「……あれれ?」
その子供はすぐにヴァイオレットから手を離してきょとんと見上げてくる。抱きついた途端、モニカではないと気が付いたらしい。
「セシル! 違いますよ!」
そんな声と共に走ってきたのは、乳母らしき女性と、国王陛下の妾妃アンジェラである。
「まあ、セシル様でしたか」
ヴァイオレットは幼い第三王子セシルを見下ろした。国王陛下の妾妃アンジェラの子で、ヒューバードやエイドリアンの腹違いの弟である。確か六歳前後のはずだ。
最初の世界での婚約披露パーティーではセシルにひどく泣かれた苦い記憶しかないが、こうして見ると可愛らしい普通の子供だ。
「も、申し訳ありません。セシルがとんだ失礼を」
息を切らせながら謝罪をするアンジェラに、ヴァイオレットは微笑む。
「アンジェラ様、お久しぶりです。シアーズ公爵家のヴァイオレットにございます。セシル様も大きくなられましたね」
「まあヴァイオレット様、髪を短くされたのですね。一瞬気付きませんでしたわ。セシルがいきなり抱きついてご無礼をいたしました。最近とてもやんちゃになってしまって、わたくしや乳母では追いつけないこともしばしばですの」
「元気で健康な証ですよ」
「セシルは最近、王太子妃のモニカ様と会えないからか、寂しがってモニカ様と背格好が似た女性に抱きついてしまうのです」
ヴァイオレットはモニカと髪の色も髪型も違うし、特に似ているとは思わないのだが、幼いセシルからすれば、使用人ではない若い女性は同じように見えてしまうのかもしれない。
「ほら、セシル、ヴァイオレット様に謝罪をなさい」
「あの、ごめんなさい。ヴァイオレットねえさま……」
もじもじしている様子は子供らしくてとても可愛らしい。
「セシル様はモニカ様に懐いているのですね」
「ええ、そうなのです。何度か遊んでいただいて。モニカ様はわたくしから見ても素敵な女性ですから、気持ちはわかるのですけれどね。最近、モニカ様は王宮にいらっしゃらないので、セシルが会いたがって仕方ないのですわ」
「そ、そうですね、モニカ様はお忙しい方ですし」
「……もしかして、妊娠なされたのかしら。最近そんな噂を伺いまして。いえ、おめでたいことならいいのですけれど、ご病気という噂もあるから、わたくしも心配で。ご実家の方にも居られないようですから、どこかで療養なさっているのではと……」
「母様、モニカねえさまはご病気なのですか……?」
セシルは目をうるうるさせてアンジェラとヴァイオレットを見上げてくる。その可愛らしさには胸がきゅうっとしてしまうほどだ。
以前、ユリシーズにお花をあげたいと言っていた女の子を思い出す。あの子もとても可愛らしかったし、ヴァイオレットは最近気が付いたのだが、小さな子が好きなようだ。
「ボク、モニカねえさまに会いたい……お病気ならお見舞いしたいですぅ……」
「セシル、わがままを言ってはいけませんよ」
「でも、でもぉ……」
とうとう泣き出してしまったセシルは、再度ヴァイオレットに抱きついた。
「えーん、モニカねえさまぁー! ボク、モニカねえさまに会いたいのー!」
「あらまあ……」
泣くセシルを見ていると、妙に可哀想でたまらなくなってくる。セシルはとても可愛らしい。泣いて可哀想。可愛い──可哀想──。頭がじんわりと痺れた気がした。
「……あ、あの。私、これからモニカ様のお屋敷に向かうのですが、セシル様を連れて行っても構いませんか?」
気がつけばそんなことを口走っていた。
(いくらなんでも勝手に連れていくわけには)
そう思って断ろうとしたヴァイオレットだったが、次の瞬間には、何がおかしかったのかわからなくなっていた。
(──あら? 私、今何を考えていたのかしら……?)
「モニカねえさまに会えるの!? 嬉しい! ヴァイオレットねえさま大好きー!」
「ご迷惑をおかけしますが、モニカ様にお会いすれば落ち着くでしょうし、お願い出来ますか?」
「は……はい。ただ、色々事情がありまして、セシル様だけをお預かりするのでよければ……」
「ええ、もちろん。パロウ筆頭魔術師との縁談の件も伺っていますし、ヴァイオレット様なら安心してセシルをお任せ出来ますわ!」
「ヴァイオレットねえさま、よろしくお願いしまぁす!」
あれよあれよという内に、セシルを預かることになってしまった。
自分から言い出したのは間違いないのだが、ヴァイオレットは何故そんなことを言ってしまったのかよくわからない。何かが引っかかる気もするのだが、疑問に感じたことはふわっと消えてしまった。
「……でも、セシル様だけなら大丈夫よね。こんなに幼いのだもの。行き方も覚えられないはず……」
「ヴァイオレットねえさま?」
「い、いえ、行きましょうか」
「はぁい!」
ヴァイオレットはセシルの小さな手を握り、王宮の廊下を歩き出した。
ユリシーズに言われた通り、馬車を乗り変えて、腕輪が指示するモニカのいる隠れ家に向かった。何度か後ろを確認したが、尾行されていることもないようだ。遠回りしたので時間がかかってしまった。しかしセシルはさっきまでの幼い言動はなりをひそめ、大人しくしている。
それにしても、セシルを見ていると妙に胸がざわつく。何かを思い出しかけては消えてしまう。
じっと見ていたからだろうか。セシルが首を傾げて笑う。
「ヴァイオレットねえさま、ボクの顔に何かついていますか?」
「い、いえ……。そろそろ着くわ」
ちょうどモニカとヒューバードのいるはずの隠れ家が見えた頃合いだった。一見すると、ごく普通の商人が住むような屋敷に見える。しかしこれは幻影なのだ。
馬車を降り、セシルと手を繋いで数歩の距離を歩く。腕輪の力で結界を抜けると大きな白亜の屋敷が現れた。
セシルはそれを見て笑う。その笑みは屈託ない子供の微笑みとどことなく違う、大人がするような笑い方に見えた。
何故だかヴァイオレットの背筋に冷たい汗が流れる。
「──震えているね、ヴァイオレット」
「えっ……?」
セシルの手を握るヴァイオレットの手がふるふると震えていた。
「ど、どうして手が……」
「なんだか様子もおかしいし。キミ、精神魔術のかかりが悪いみたいだ。それとも、その腕輪のせいもあるのかな?」
「セ、セシル様……?」
セシルは六歳の子供とは思えない、背筋が寒くなるような微笑みを浮かべていた。




