31 エイドリアン①
ユリシーズからのプロポーズを受けた後のこと。
両親は帰宅したがヴァイオレットだけは別室に案内されていた。
「すまないが、またしばらくヴァイオレットを帰宅させるわけにはいかなくなってしまった。……実は、エイドリアンの件でまだあるのだ」
「まだ……とは?」
ユリシーズの言葉にヴァイオレットは首を傾げた。
「エイドリアンが使った違法魔術具や薬物の入手手段が謎のままだ。あれほどの威力がある違法魔術具は一国の王子であろうと簡単に手に入れられる物ではない。おそらく、名のある魔術師のオーダーメイド品だろう」
マイエール侯爵夫人のパーティーでの惨劇は今もヴァイオレットの目に焼き付いている。エイドリアン本来の力であれば、焚き火程度の威力しかない。それを、術者本人の手が焼け焦げるほどの強さでホール中の人に火傷を負わせたのだ。
「それから、フリージア・モースがヴァイオレットの名前を騙った茶葉の店の件だ。あの時、ブライアンという店員に精神系の魔術がかけられていただろう」
「ええ……ユリシーズが止めてくれなければあの人は……」
己の首を刺して死んでいた。実際にヴァイオレットはそれを目撃し、やり直したのだから。
「その精神魔術を使える人がまだ野放しということですね」
「ああ。ヴァイオレットも証人な上、エイドリアンたちの恨みを買っている可能性がある。だからしばらく安全な場所にいてほしいのだ。それに能力を考えれば、エイドリアンに使われているというより、もしかすると黒幕である可能性が高い。そして、それほどの精神魔術が使える人間には心当たりがない……いや、実際には一人だけいたのだが、故人だ。六年前に死んでいる」
「六年……じゃあその人は関係ないですね」
「そのはずだ。……だが同等のレベルの精神魔術の使い手としか思えない。エイドリアンとフリージアについても、何らかの精神魔術がかけられているかもしれない。取り調べで暴れる可能性があるため、先に解除をする必要があるのだが……」
「そ、それでしたら私も連れて行ってください! 少しですがお役に立てるかもしれません!」
ヴァイオレットは己の胸に手を当てた。前回のやり直しから一日経ち、ほんの少しだが魔力が回復している。何かあっても数十秒くらいは戻れるはずだ。
「……ヴァイオレットの加護はもしや……いや、すまない。何も言わなくていい。君の加護を当てにしてしまってすまないが、もし以前のように何かあれば教えてほしい」
「はい!」
ヴァイオレットは頷いた。もういっそ、ユリシーズには加護について話してしまおうかとも思ったのだが、今は時間が惜しい。それにユリシーズは明かさなくてもヴァイオレットを信じてくれるのだ。ヴァイオレットもユリシーズの役に立ちたかった。
ユリシーズと向かったのは王宮の客室だった。エイドリアンの部屋は捜査中だし、王宮内に牢もあるそうだが、廃嫡が決まっているとはいえ、第二王子を牢に入れるわけにはいかないのだろう。
ユリシーズの後についてヴァイオレットは客室に入る。
客室と言っても、ベッドと椅子一脚以外の調度品は全て取り払われていた。エイドリアンは殺風景な部屋の中央にある椅子に座った状態で縛られていた。縄以外にも、魔術的な拘束もかけられており、口元と両手に薄く光る輪っかが見えた。
エイドリアンの左手は真っ黒に焦げている。ユリシーズ曰く、治癒魔法も効かないらしく、もうまともに動かせることは出来ないらしい。それほど恐ろしい魔術具をエイドリアンは軽々しく使ってしまったのだ。
エイドリアンはユリシーズとヴァイオレットを憎々しげに睨む。ユリシーズは特に表情も変えず、エイドリアンの口元の魔術拘束を解いた。
エイドリアンは待ち構えていたようにキャンキャン吠え出した。
「お、おいっ! 僕は第二王子だぞ! この僕にこんな仕打ちをして許されると思っているのかっ!? 化け物のくせに、見た目だけ誤魔化したつもりか?」
そしてヴァイオレットに目を向けて、吐き捨てるように言った。
「おいヴァイオレット、この拘束を解けよ! 僕はお前の婚約者だよなぁ? 早く言うことを聞けっ、このウスノロ!」
「……そんなこと、絶対にしません。それに貴方はもう私の婚約者じゃありません。今の私の婚約者はもうユリシーズですから!」
ヴァイオレットは、未だに王子という地位にしがみつくエイドリアンに眉を寄せ、キッパリと言った。
「な、なんだと。そ……そんなこと誰が……」
「国王陛下が決めたことだ。それよりも、違法魔術具や薬物の出どころはどこだ? フリージア・モース以外にも協力者がいるはずだ。その者の名は?」
ユリシーズは直球に尋ねる。ブライアンの時と同じであれば、情報を探ろうとするのがトリガーとなり、操られた状態になるはずだ。しかし、エイドリアンの態度は一向に変わらなかった。
「はっ、誰が言うもんか! それよりフリージアはどうしてるんだ!? 彼女に何かあったらただじゃすまないからな!」
一度は醜い罵り合いをしていたが、それでもエイドリアンからすればフリージアは大切な存在なのだろう。その瞳に彼女を心配する色があった。少なくとも、フリージアへの気持ちだけは本物だったのだろう。
「……フリージア・モースも貴方と同様の処遇だ。後ほど同じ審問をしにいく。もう一度聞くが口を割る気はないだろうか。その左手は治療をしても、もう使い物にならない。そんな危険な魔術具をどこで入手した? 高度な精神魔術の使い手を知っているのではないか?」
ユリシーズは淡々と質問するが、エイドリアンは変わらず不貞腐れたようにそっぽを向くだけだった。
「……精神魔術はかけられていないのでしょうか」
ヴァイオレットがそう言った時、客室の扉が開き、兵士が飛び込んできた。
「大変です! フリージア・モースが逃げました!」
「なんだと……!」
エイドリアンは再度兵士に任せ、ユリシーズはフリージアが入れられていた客室へ向かう。ヴァイオレットも着いて行った。
「フリージア・モースが逃げただと?」
「は、はい。魔傷痕治療のために客室を訪れたところ、既にもぬけの殻でした」
そう言ったのは、ユリシーズの同僚である王宮魔術師だ。
「警備は一切変わらず……特に物音もなかったとのことです」
「そうか……」
「も、申し訳ございません……!」
「逃げてしまったものは仕方がない。わずかだが魔術痕跡がある。なんらかの魔術具を隠し持っていたか、手引きされたのだろう。今から言う痕跡を調べてくれ。逆にアジトを割り出すことが出来るかもしれない」
ユリシーズは王宮魔術師にいくつか指示を出した。ヴァイオレットはフリージアがいた部屋を見渡す。椅子やベッドをそっと触れるが、既にフリージアの体温はない。逃げたのは何時間も前なのかもしれない。
ヴァイオレットの今の魔力では何時間も遡るのは不可能だ。ヴァイオレットはやり直しを諦めた。
ユリシーズとヴァイオレットは再びエイドリアンのいる部屋に戻る。エイドリアンは先程までの反抗期な態度が嘘のようにおとなしくなっていた。むしろ呆然としているかのようだ。
「……フリージアは逃げたのか。僕を置いて……自分だけ……」
エイドリアンは左手を犠牲にしてでもフリージアを連れて逃げようとしたのに、フリージアはエイドリアンを連れて逃げなかったのだ。青い顔で俯くエイドリアンの心中には、おそらく裏切られたという思いがあるのだろう。
「……知っていることを話す。だが、僕も協力者に会ったことはない」
最後の砦が崩れたエイドリアンは、ぽつりぽつりと話し始めた。
「そいつに会ったことがあるのはフリージアだけだ。協力者はメイナードと名乗っていた。違法の魔術具や薬品、魔石の類はフリージアがそいつから渡されて、僕のところに持ってきたんだ」
「メイナード……メイナード・クロスリーか!」
「本人かどうかなんて知らない。ただ僕は……協力すれば王太子になれて、フリージアと結婚出来るって聞いて、それだけで頭がいっぱいになってしまったんだ。こんなことになるなんて……」
聞き覚えがない名前に首を傾げたヴァイオレットに、ユリシーズは言った。
「メイナード・クロスリーは俺の前の筆頭魔術師だが……六年前に死んだはずだ」
「あっ、もしかして、さっき言っていた、すごい精神魔術の使い手って……」
「ああ。彼には精神魔術系の加護があった。他人の精神を操り、死を選ばせるのすら可能なほどの実力を持っていた。しかし……間違いなく死んだはずなのだが」
「──死んだ、だって?」
エイドリアンは嘲笑を浮かべる。
「ふん、正しく言えよ。お前が殺したんだろう! 六年前に僕は直接見たわけじゃないけど、元筆頭魔術師メイナードを、新たに筆頭魔術師になったお前が殺したんだってみんなが言っていた。化け物って呼び方は見た目だけのことだけじゃない。その存在が恐ろしいから、お前は化け物って呼ばれていたんだからな!」
「……殺した……?」
ヴァイオレットはユリシーズを見上げる。月のような瞳が揺らめいたと思うとユリシーズは苦しげに目を閉じた。
「ああ……俺が殺した。メイナードは長らく禁忌魔術の研究をしていたのが発覚した。それも、悍ましい人体実験をして……。そのことで王宮魔術師としての地位を剥奪され、黒鐘の塔に投獄されたのだ。だがやつは逃げ出して国王陛下の命を狙った。追い詰められ、最後には故意に魔術暴走を起こし、周囲の人々諸共自爆しようとしたのだ。手加減して勝てる相手ではなかった」
「なあ、ヴァイオレット、そいつは人殺しだ。そんなやつじゃなくて僕をもう一度選んでくれよ。僕は間違っていた。フリージアじゃなく、ヴァイオレットこそ僕の運命の人だったんだ。シアーズ公爵家の力添えがあれば、父上もきっと許してくれる。廃嫡の件だって、なかったことになるはずだ!」
「……なんですって」
エイドリアンの言葉にヴァイオレットは耳を疑った。
今までヴァイオレットを散々冷遇しておいて、フリージアに逃げられた途端、こうして擦り寄るエイドリアンのことをだれが信じると言うのだ。
そして、エイドリアンの罪はそれほど軽くもない。危険な違法魔術具を使い、炎魔法で多くの人を傷つけたのだ。ユリシーズがいなければ、人が死んでいたかもしれない。
それだけのことをしでかしたくせに理解すらしていない愚かさは、ヴァイオレットからすれば信じられないものだった。
しかし、ユリシーズは切ない目をして静かに言った。
「……ヴァイオレット、君が人殺しと結婚したくないと言えば、少なくとも婚約の件はなかったことになる」
「そんなの……私は望みません!」
ヴァイオレットはキッパリと否定した。




