26 惨劇②
「一国の王子ともあろう人間が、むごいことをする! 傷ついた民を見て、なんとも思わないのか!?」
騎士と共に囲んだライオネルにそう言われ、エイドリアンは再び左手を構えた。
「うるさいうるさいうるさい! ウザいんだよ! 貴様らなど全部燃えてしまえ!」
「……また、炎が!」
ヴァイオレットはゾッとして口を押さえた。
しかし、先程のように炎が噴き出すことはなかった。左手の炎は消え、黒い煙だけがもうもうと立ち上る。
エイドリアンは焦ったように、手を握ったり開いたりしたが、炎は出ない。
「な、なんでっ! クソッ! もう一度っ、焼き尽くせ! 出ないっ!? どうして──」
「エイドリアン……その結界は魔術封印だ。もう炎は使えない」
ユリシーズは重々しくそう言った。
「クソッたれ!」
エイドリアンは一際激しく拳を魔法陣に叩きつけ、ズルズルとその場にしゃがみ込んだ。左手は焦げたように真っ黒くなっている。
「……この炎魔術の威力……禁制の魔術具を使ったのだな。だが威力を上げ過ぎだ。そう何度も使えるものじゃない。その左手は、もうまともに動かないだろう」
ユリシーズは、エイドリアンを一瞥すると、ヴァイオレットに手を差し出した。
「ヴァイオレット、無事か。煙を吸ったのか? 火傷はしていないか?」
「い、いえ……大丈夫です。少し恐ろしくなってしまって……」
ヴァイオレットはユリシーズの手を掴み、やっとのことで立ち上がる。
「すみません。私はなんともないのに……足を引っ張るようなことを」
「何を言う。君に怪我がなくてよかった。それにこの光景を見て平静でいられるのは、そうあれるよう特訓をした者くらいだ。恥じる必要はない」
ユリシーズはヴァイオレットを安心させるように、優しく微笑む。
ヴァイオレットはもう大丈夫だと頷いた。
「下がっていなさい。捕縛を始める」
「はい……」
ヴァイオレットは、前に出ていくユリシーズの背中を広間の端で見守った。ヴァイオレットが切り揃えた白銀の髪がシャンデリアの灯りに煌めいていた。
「捕縛用意! 念のため、エイドリアンには魔術封印の魔術具もつけます。パロウ殿、合図したら一瞬だけ封印の結界を解いてください」
「承知した」
ライオネルと騎士たち、そしてユリシーズのコンビネーションで、エイドリアンとフリージアは今度こそ捕縛された。エイドリアンには手枷のような魔術具を後ろ手にした手首に付けられていた。
「ああ、怖かった……わたしは逃げるつもりなんてありません。騎士様、どうぞお願いします」
フリージアは何も抵抗せず自ら両手を差し出し、エイドリアンと同じく後ろ手に手枷を付けられた。ふるふると可憐に震え、目には涙が浮かんでいる。
「わたし、エイドリアン様に無理矢理手を掴まれて、連れていかれるところだったんです。エイドリアン様に逆らったら殺されると思って……。ずっと逆らえずにいたんです。これまでも命令されて仕方なく……全てエイドリアン様に脅されて、犯罪行為を強要されたのです」
フリージアの目線は、ユリシーズに真っ直ぐに向かっていた。
「な、何を言う、フリージア……。ぼ、僕はお前を逃すために、この左手を犠牲にしてまで……!」
エイドリアンは呆然とフリージアを見ているが、フリージアは決してエイドリアンに視線を向けようとはしなかった。
「全部、エイドリアン様の指示です。何でも証言いたします。わたしはろくな魔術も使えない、ただの男爵家の小娘に過ぎませんもの……」
フリージアの頬を真珠のような涙が一粒だけ転がる。後ろ手に枷を付けられ、拭うことも出来ない。しかし、そのあまりの美しさに、ヴァイオレットの目すら自然と引き寄せられていた。
「わたしを助けてくださって、感謝いたします。……パロウ様……」
甘ったるい声でフリージアはそう囁いた。
髪やドレスをまだら模様に汚しながらも、ユリシーズを見上げるフリージアは、儚く風に揺れる一輪の花のように可憐で美しい。
同性であるヴァイオレットでもそう思ってしまった。勝手なことをしているフリージアのことを、周囲の騎士ですら止められず、ほう、と息を吐き、フリージアをただぼんやりと見つめている。
「あん、足がもつれて……パロウ様ぁ……」
フリージアは両手を拘束されたまま、ユリシーズに向かって数歩歩き、ヨタつきながら近寄っていく。
何をする気なのか気付いたヴァイオレットは声を上げた。
「──フリージア! やめなさい!」
ヴァイオレットが静止するが間に合わない。フリージアはヴァイオレットの方を一瞬見て、ニヤッと笑う。己の美しさを理解し、武器にしている女の顔だった。
「ああっ、ごめんなさい、足がぁ。パロウ様、お願い、どうか受け止めて──」
そのまま勢いをつけてユリシーズにもたれかかりながら、白桃のような頬と胸元をぎゅうっとユリシーズに押し付けた。
──当然、何が起こったかと言えば。
「ぎゃああああッ! 痛いッ!」
次の瞬間には、フリージアはユリシーズに触れたことで魔傷痕が浮かび、床に転がって痛い痛いと叫んでいた。
「いやっ、なに!? 何が起きたのよっ!!」
特に、わざと押しつけた顔と胸元ははっきり変色して赤黒くなっている。
「いやぁああ! わたしの顔がぁ!」
「お、おい、拘束しろ!」
その叫び声にようやく我に返った騎士たちが、再度フリージアを拘束した。フリージアは痛みにうめいて、大人しく捕まった。
「……ったく人騒がせな女だ。でも、何か使っていますね。魅了の魔術具の類かな。あの顔で魅了まで使ったら、男なんて動けなくなってしまいますよ」
ヴァイオレットはそれを聞いて眉を寄せた。ユリシーズを見上げる。
「ユリシーズもそうなのですか……?」
「い、いや……事故ならともかく、自分から俺に近寄ろうとする人間など滅多にいないので驚いただけだ。それに、俺は魔術具程度の魔術など効かない」
そしてヴァイオレットの手を取る。
「ただ、ヴァイオレットが突き飛ばされて倒れかかってきた時のことを思い出していた。ヴァイオレットがああならなくて、本当によかったと思っている。ヴァイオレットに傷を負わせていたら、俺は悔やんでも悔やみきれなかった」
「……ユリシーズ」
胸が高鳴る。
ヴァイオレットはユリシーズの月の色をした瞳を見上げた。
「あのー、捕縛は済みましたから、そろそろ負傷者の救護をしたいのですが、いいですかねぇ!?」
ヴァイオレットは割って入ったライオネルの言葉に頬を赤く染めて俯いた。
「あ、ああ、すまない。すぐに治癒魔術をかけよう。さっき広間ごと治癒魔術をしたから、命に関わる者は少ないはずだが」
「はい、ただ、負傷者自体の人数が多いですね。騎士もまだ動けない者がいます。火傷のひどい人から順番に──」
「あ、あの!」
ヴァイオレットは声を上げる。
「どうか私にもお手伝いをさせてください!」
「公爵家のお嬢様がまた気分悪くなっても知りませんよ。でも、人手は多い方がいいですからね、パロウ殿の手伝いをお願いします」
「はい!」
ヴァイオレットは頷いた。




