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24 救いの手

 ──フリージアに勝ったのだ。


 これくらいでは一度目の世界でしてやられた分を返すにはほど遠い。

 しかし、ヒューバードとモニカが、いずれフリージアとエイドリアンを告発してくれる。今は惨めな姿のフリージアを見て溜飲を下げるだけにしておこう。そう思った瞬間、エイドリアンの声が聞こえた。


「フリージア!」


 周囲の人々はどよめいて数歩下がる。

 大股で歩み寄ってきたのはエイドリアンだった。最初からヴァイオレットを逆上させる作戦のため、ほんの少し離れていただけだったのだろう。


「ああ……エイドリアン様」


 フリージアは顔を上げ、儚い様子で涙をハラハラと零した。

 まさか実際に涙まで流せるとは。ヴァイオレットはフリージアの演技力を見誤っていたようだ。


「フリージア……なんてひどい姿だ……」

「ごめんなさい。わたし、せっかくエイドリアン様にいただいたドレスを汚してしまいました」

「やったのは貴様だな、ヴァイオレット!」


 エイドリアンは大声でそう言い、ヴァイオレットに指を突きつけた。

 さっきまでヴァイオレットの味方だった周囲の客人たちは、第二王子の登場に顔を見合わせ、少しずつ距離を取っていく。王族に逆らいヴァイオレットを庇うメリットなどないからだ。

 一気に逆境に追いやられ、ヴァイオレットは唇を噛んだ。


「聞いているのか! 貴様がやったのだろう。か弱いフリージアに暴力を振るうとは、見損なったぞ! おい、なんとか言えっ!」

「いえ、私ではありません。フリージアさんがワインをかけてこようとしたから避けただけで──」

「黙れ! ワインをかけ、衆目の中でフリージアを辱めようとは!」

「だから逆ですってば! なんとか言えとおっしゃったり、黙れとおっしゃったり、どちらなのですか!」


 ヴァイオレットはエイドリアンに反論した。

 婚約破棄されるパーティーにはまだ余裕があるから大丈夫だと思っていたが、やり直し前よりも事態は悪化している。しかし腹立たしさに、口をつぐむことは出来ない。そしてやり直し前を含め、エイドリアンに逆らったのもこれが初めてだった。


「な、なんだとっ!」


 エイドリアンは怒りに顔を赤く染めた。王族を怒らせたせいで周囲も騒ついている。

 それでもヴァイオレットは言いたいことを口にするのをやめなかった。ヴァイオレットは本当に何もしていないのだ。しっかり顔を上げ、エイドリアンを真っ直ぐに見つめた。


「私は誓ってフリージアさんに嫌がらせなどしていません。フリージアさんはご自分で零したワインに足を滑らせただけです。大体、婚約者がありながら、不義を働いたのはお二人の方でしょう!」

「な、なんだと、貴様! 誰に口を利いている!」


 エイドリアンはヴァイオレットの胸ぐらを掴み、拳を振り上げた。


 ──殴られる。


 そう思った瞬間、光る魔法陣がヴァイオレットとエイドリアンの間に出現した。


 魔法陣がバチッと音をたて、エイドリアンの体を弾く。


「ギャッ!」


 エイドリアンはその場に尻から倒れ込んだ。よりにもよって、フリージアが零した赤ワインの上に尻餅をついたのだ。ビチャッと音がして、エイドリアンの履いていた純白のズボンが赤ワインを吸い上げ、真っ赤に染まった。


「な、なんだよクソッ!」


 エイドリアンは赤く染まった服を見て、さらに怒りの声を上げた。

 しかしヴァイオレットはそんなエイドリアンなど、もうどうでもよくなっていた。エイドリアンを弾き飛ばした魔法陣に見覚えがあったからだ。


「……そこで何をしている」


 聞き覚えのある、低音の声。


 ──どうして……ここに。


 艶やかな白銀の髪を揺らし、初めて見る壮麗な衣装をきたユリシーズが現れ、ヴァイオレットは目を瞬かせた。


「なんだ貴様は! こ、この僕によくも! おいっ、衛兵を呼べ! それから騎士と王宮魔術師もだ! 第二王子である僕に暴力を振るったこと、後悔させてやるぅ!」


 エイドリアンは尻餅を突いたまま、弱い犬のようにキャンキャンと吠えた。

 そんなエイドリアンにユリシーズは眉を顰めた。


「何を言う。俺は防衛魔術を展開しただけだ。か弱い女性相手に暴力を振るおうとしていたのは貴方だ。それに、王宮魔術師ならここにいるではないか」

「はあ!? 誰だよ貴様ぁ!」

「誰だと……俺のことがわからないのか。……いやわからないのも無理はないか」

「……ユリシーズ」


 ヴァイオレットがその名前を呼ぶと、ユリシーズは淡い笑みを浮かべた。

 ヴァイオレットの胸がドクンと高鳴る。


「ヴァイオレット、怪我は?」

「ありません」

「良かった。怪我は治癒魔法で治せるが、恐怖や痛みを忘れられるわけではない」

「……ありがとうございます、ユリシーズ」


 ──助けに来てくれて。


 それは言葉にならない思い。


 一度目の世界では、ヴァイオレットに味方は誰一人いなかった。

 けれど、やり直した結果、こうして助けに来てくれて、ヴァイオレットの身を案じてくれる人が出来たのだ。ヴァイオレットは心の底からじわじわと込み上げる歓喜を感じていた。


「ちょ、ちょっと待て……ユリシーズって言ったのか? じゃあ、お前……パロウ筆頭魔術師……」


 エイドリアンは呆然とそう呟いた。遠巻きにしている客人たちも顔を見合わせ、信じられないものを見るように目を見張った。


「パロウって……あの化け物魔術師の!?」

「うそ……別人じゃないの?」


 ざわざわとそんな言葉がヴァイオレットのところまで漏れ聞こえていた。


「パ、パロウ筆頭魔術師だとしても、僕に暴力を振るったのは事実だっ! 父上に報告して、貴様なんか死刑にしてやるんだからな!」


 エイドリアンがユリシーズにそう捲し立てた時、バタバタと複数人が走り寄る音が聞こえた。


「すみません、道を開けてください」


 それは武装した騎士の集団だった。周囲で様子を窺っていた人々はギョッとして場所を開けた。

 エイドリアンは騎士の集団を見て目を輝かせた。


「ちょうどいいところに! おいっ、このパロウはこの僕を殺そうとしたんだ! 王族への殺人未遂だ。早く捕まえろ!」

「いいえ。それは無理な相談です。──だって捕まるのは貴方ですからね。エイドリアン様」


 騎士たちの背後にいるのは、ヒューバードの側近の青年だ。確かライオネルと言う名前だとヴァイオレットは記憶していた。


「な、なにを……」

「エイドリアン様の部屋から禁制の魔術薬、及び魔術具が発見されました。どちらも単純所持が禁止されているもの。そして、使用形跡も見つかっています。エイドリアン様、ご同行を願います」

「ラ、ライオネル、貴様ぁ! このヒューバードの太鼓持ちめ!」

「ヒューバード様が喜ぶなら、僕は太鼓でも槍でも持ちますよ。それよりも……」


 ライオネルはユリシーズに言った。


「パロウ殿、勝手にズンズン行かないでくださいよ。こっちは騎士を率いたり、マイエール侯爵夫人に話を通したりで時間がかかるのですから」

「すまない。だが、知り合いが暴力を振るわれそうになっていたものだから」

「……知り合いねえ。まあ、エイドリアン様を逃さなきゃ何でもいいですけど」


 ライオネルは肩をすくめる。騎士たちの少し後ろに、マイエール侯爵夫人が立っている。ヤキモキした様子で両の手を握っていた。


「せっかくの誕生日だというのに、マイエール侯爵夫人にはご迷惑をおかけして申し訳ないですが、緊急ですのでね」

「いいえ、構いません。ですが少しだけお待ちください。お客様方、第二王子も衆目の中、引き立てられたくはないでしょう。どうか本日はお帰りください」


 せめてもの情けなのか、マイエール侯爵夫人は周囲に向かってそう言い、使用人たちが広間から出るよう誘導を始める。もっと見ていたいとまるで見せ物のように言う声が聞こえる中、エイドリアンは拳が震えるほど強く握り締めていた。


「で、ではわたしも失礼しまぁす……」


 フリージアはそそくさと、自分だけこの場から逃げ出そうとして、ライオネルに止められた。


「そちらのモース男爵家令嬢。この件に関与している可能性がある貴方もです」


 フリージアは真っ青になりガタガタと震え出した。


「わ、わたしは関係ないわ」

「そういうのは取り調べで聞きますから」


 おそらく、証拠固めは既に済んでいるのだ。


 ──ああ、これでようやく終わる。


 加護でやり直した結果、破滅も早まった。ただし、私のではなく、エイドリアンの破滅ではあったけれど。ヴァイオレットは人生そのものをやり直せたのだ。


 ヴァイオレットはホッと胸を撫で下ろした。


 しかしふと、一つだけ疑問が残っていた。茶葉の店でブライアンに精神魔術をかけた者がいたはずなのだ。しかしフリージアの加護は予知のようだった。


 不思議に思いながら、エイドリアンたちが捕らえられる様子を眺めていた。

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