20 そして髪を切る①
ユリシーズには椅子に座ってもらい、肩からシーツをかける。
ヴァイオレットは櫛を手に、ユリシーズの背後に立った。
「それじゃあまず梳かしていきますね」
ヴァイオレットはユリシーズの長い髪に触れる。
触り心地はいいが、長すぎるのと柔らかい髪質なため、あちこち絡まってしまっている。
ヴァイオレットは毛先から少しずつ櫛を通していった。癖毛でもあるようで、軽く梳かすと絡まりが解けて波打っていく。そして、櫛を当てることで髪に光沢が出る。毛先は伸びすぎて荒れているが、そこは切ってしまうから問題はない。
それにしても、髪を梳かすくらいは自分でしたらいいのにと思わないでもなかったが、こうしてユリシーズの屋敷を見ると、高位貴族と変わらない暮らしをしている。
筆頭魔術師だから爵位は得ているのだろうが、もしかしたら出身もそうなのかもしれない。
高位の貴族令嬢や令息は、基本的に体や髪の手入れは全て使用人任せだ。かつてのヴァイオレットはそうだった。ユリシーズも自分で髪を梳かすという思考にすら、思い至らなかったのかもしれない。
──つまりそれだけの高位貴族の出身なのかしら。
ヴァイオレットは手を止めて、ふうと息を吐いた。ユリシーズの髪は長いだけでなく量も多いから少し大変だった。
しかし、ざっと櫛をかけ終わり、艶々になったユリシーズの髪の毛は、目を見張るほどの美しさだった。白髪だと思っていたが、光沢が出ると白銀という方が合っている。
緩やかに波打つ髪のなめらかな質感は真珠のようで、うっとりするほどだ。
「ユリシーズ、見てください! ほら、櫛を通しただけで見違えるようになりました!」
「これが俺の髪なのか……?」
「ええ! こうして髪を整えて、服を体に合うものを着たらきっと見違えますよ。もしかしたら、切らなくてもいいかもしれません」
あまりに綺麗なので、ヴァイオレットは切るのが少し惜しいような気がしたのだ。
「いや、ヴァイオレットが嫌でなければ切ってほしい」
ヴァイオレットは頷く。
「ええ、じゃあ切りましょう。ただ、私は髪を切ったことは何度かありますが、特殊な技能があるわけじゃないのでヒューバード様のような短髪には出来ませんね。それに、髪に癖もありますから、あまり短いとかえって扱い難いかもしれません。胸下くらいに揃えてみましょうか」
「ああ、任せる」
「じゃあ、いきます!」
ヴァイオレットは鋏を手に取った。
鋏はよく手入れされており、切れ味がよさそうだ。ヴァイオレットはユリシーズの髪を掴む。既に二回、いや、やり直しを含めれば三回髪を切った経験があるのだ。注意して切り揃えればいいだろう。
ヴァイオレットが髪を掴むと、ユリシーズはわずかに震えていた。やはりずっと伸ばし続けていたのだ。きっと複雑な思いがあるのだろう。けれど、ユリシーズ自身が切ってほしいと望んだのだから。
ヴァイオレットは覚悟を決めて鋏を当てる。今のところ痛みはない。でももし痛かったとしても、この手を離さないだろう。
──ユリシーズの望みを叶えてあげたい。
シャキン。
微かな音が響いて、白銀の髪が一房、床に落ちる。切った瞬間、キラキラとした光の粒子がパッと散った。これが髪に溜め込んだ魔力なのだろうか。
「──切れたのか」
「はい。まだ、一房だけですけどね」
「痛みは……」
ヴァイオレットはクスッと笑う。
切った髪が光ったのに驚きはしたが、どこにも痛みはない。
「まったく! では、続けますね」
「ああ……」
そこからはスムーズに進んだ。よく切れる鋏はユリシーズの重い髪をあっさりと断ち切っていく。そのたびに、光が煌めいて、見たことないほど綺麗な光景だった。
「終わりました!」
ヴァイオレットはケープ代わりのシーツをユリシーズから外した。
胸元あたりまで緩やかに波打つ髪の美しいこと。前側は長いまま、左右に流した。邪魔になるなら耳にかけてしまえばいいだろう。そうすると今まで隠れていたユリシーズの顔が現れる。
ヴァイオレットはこれまで、白モジャの髪の隙間からチラチラとユリシーズの目元や鼻梁を幾度となく見たことがあった。だが、こうして全て露わになったユリシーズの顔を見て息を呑んだ。
──こんなに綺麗な顔をしていたのね。
想像していたより顔立ちはずっと整っていた。艶々になった白銀の髪と、月のような瞳の色は馴染み、精霊がいるとしたらこんな感じかもしれないと思ってしまう。
──でも、どことなく誰かに似ているような。
誰だったろうか。パッと思い出せる名前の中にはいない。親族や知人でないなら、見たことがある人に似ているのかしら。
「ヴァイオレット、どうかしたのか」
「い、いえ、なんでも。髪の毛、どうでしょう」
「……そうだな。まずは軽くなってスッキリしたように思える。それから、魔力が体内で安定している気がする。魔力を貯める髪だから、伸ばしすぎるのもよくなかったのだろうな」
ユリシーズは体内の魔力を探るように目を閉じた。すると今まで隠されていた長いまつ毛も白銀色をしていた。なんて綺麗なのだと見惚れてしまう。
ユリシーズに鏡を見せたかったが、この屋敷に鏡はなかった。身繕いする必要もないのなら、鏡は不必要なのだろう。
「あの、髪を切れなかった理由はわかりましたが、どうして顔も隠されていたのでしょう」
ユリシーズの顔立ちは非常に美しく、白モジャの髪やボロボロのローブのままでも顔を出していたら化け物とまでは呼ばれなかったはずだ。
「……十五、六になった頃までは顔を出していたのだが、どういうわけか令嬢やご婦人がフラフラ近づいてきたり、髪を触ろうとしてくるのだ。それで魔傷痕になった方がいて、何度かトラブルになってしまった。ヒューバードに相談したら、いっそ顔を隠した方がいいのではと言われてな。髪で顔を隠すようにしたら避けられるようになったのだ」
ヴァイオレットはなるほど、と心の中で頷いた。
これだけ美しいのだ。偶然を装ってユリシーズと仲良くなろうとした女性は後を絶たなかったのだろう。魔傷痕のことを知らなかったり、知っていても見くびっていたか。怪我をさせるより、避けられる方をユリシーズは選んだのだ。
そんな優しいユリシーズを安心させるように、私は笑ってみせた。




