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18 お化けさんの家

「お化けさーん」


 女の子は、固く閉じられた門扉の格子の隙間からするっと入り込んだ。


「入っちゃだめっ!」


 ユリシーズは悪い人ではない。しかし、最近知った彼の体質は周囲の人間を寄せ付けない呪いのようなものなのだ。

 無邪気な幼い子供が触れただけだとしても、あのブライアンの時のような魔傷痕になってしまう。しかも、やり直しをしたばかりでヴァイオレットに魔力が残っていない。ほんの数秒のやり直しすら出来ないのだ。


「私が連れ戻すから待っていてください!」


 ぽっちゃりしていて、もう息を切らしている母親よりヴァイオレットの方がまだ足が早い。ヴァイオレットは全速力で走り、門扉を開けた。

 女の子が玄関の呼び鈴に、一生懸命に手を伸ばしているところでようやく捕まえた。


「あ、おねえちゃん」

「待った! お母さんが入っちゃダメって言っていたでしょう! 痛いところはない?」

「ないよー?」

「よかった……」


 ホッと安堵の息を吐いたところで、玄関扉がゆっくり開かれた。わずかに開いた隙間から聞き覚えのある声がした。


「──その声、まさかヴァイオレットか」

「ユリシーズ……」


 ユリシーズは在宅していたらしい。扉が開き、相変わらず白モジャな髪とボロボロのローブ姿が現れた。

 女の子は、白モジャ髪のユリシーズを見てポカンと口を開けた。


「わあ、本当にお化けさんだあ」


 ユリシーズはヴァイオレットが抱き上げた女の子に視線を落とす。


「その子供は……ま、まさか、ヴァイオレットの子か!?」

「もうっ、そんなわけないでしょう!」


 とんでもないユリシーズのボケっぷりに、ヴァイオレットは全力でツッコミを入れる。


「近隣の子供です。ユリシーズの屋敷に入ろうとしていたので止めにきただけです。お騒がせしてすみません」

「そ、そうか。失礼した。それから、感謝する。屋敷内は魔力濃度が濃い。子供ならなおさら早く離れた方がいいだろう」


 ヴァイオレットは頷き、門扉のところで待っていた母親に女の子を返した。

 ユリシーズは離れた位置から母親に言った。


「気をつけなさい。この敷地内には魔術の防犯装置のようなものがあるから、とても危険なのだ。痛い思いをさせたいわけではない」

「は、はい……申し訳ありません! こ、今後は絶対に近寄らせません! で、ですから命ばかりはお許しを……」


 母親は真っ青になって震え上がった。慣れない人にはあの得体の知れない姿が恐ろしく感じるのは、ヴァイオレットにもわかっている。しかしヴァイオレットには、どうしてもそれがモヤモヤしてしまうのだ。

 ユリシーズは優しくて、こんなにも素敵な人なのに。


 少しでも怖くないのだと思ってほしい。ヴァイオレットはことさら明るい声を出して言った。


「あの、ユリシーズって今日はお休みなのでしょうか。もしお邪魔でなければ、私を招いていただけませんか? せっかくお会いしたのですから、もっとお話出来たらと思って」


 ヴァイオレットがそう言うと、ユリシーズは石のように固まった。

 未婚の女性が異性の屋敷に上がるのはあまり褒められたことではないとわかっている。どっちにしろエイドリアンとの婚約はなくなるだろうし、変な噂が流れたとしても、ヴァイオレットにはもう傷が付いて困ることはないのだ。

 しかしユリシーズからの反応がない。やはり迷惑だっただろうか。

 ヴァイオレットは小首を傾けてユリシーズを見上げた。


「……ダメでしょうか」

「ダ、ダメではない、が……その」

「私はユリシーズに触れても平気でしたから、屋敷に入っても問題ないと思いますけど。それに、馬車が故障してしまって。修理にあと一、二時間はかかりそうなのです。私の無聊に付き合っていただけませんか?」

「……それくらいなら構わないが」

「わあ、嬉しい!」


 母親は娘を強く抱いたまま、目を見開いてヴァイオレットとユリシーズを交互に見つめている。

 ヴァイオレットはニッコリ微笑んで母親に言った。


「馬車が直った頃、またそちらの家に伺います。それまで私の侍女を休憩させてもらえますか?」

「は、はい。それは構いませんが……でも、あの……」

「大丈夫。彼はとても紳士的な方です。ただ、とても強い魔術師なので、魔力が高い人でないとそばにいるのが危ないというだけなんです。取って食うなんてしませんよ。むしろ領民に危険が迫ればきっと助けてくれる優しい方ですよ」

「そ、そうですか……」

「ええ、私もあの方ともっと仲良くなりたいのです」


 ユリシーズは怖い人ではないのだと、アピールする。


「ねえ、おねえちゃん、お化けさんにお花渡してくれる?」


 ヴァイオレットは女の子が小さな手で差し出した白い花を受け取った。

 女の子がここに来た理由は、さっき摘んだ花をユリシーズにあげたかったのだと気が付いて、ヴァイオレットは微笑んだ。


「きっと喜んでくれますよ」




 ヴァイオレットは目の前に開かれた扉をくぐり、ユリシーズの屋敷に入った。


「この屋敷に使用人はいない。だからあまりもてなしは出来ないのだが」

「いいえ、お構いなく」


 使用人はいないそうだが、部屋は汚いということもない。筆頭魔術師だというのに、飾り気の少ない簡素な部屋だ。それでもテーブルやソファはヴァイオレットが普段使っているものと大差ないほど上質なものだった。


 ユリシーズに、女の子からの花を渡す。彼はグラスに魔術で水を注ぎ、そこに花を生けた。


「花瓶はないんだ。とりあえずここに入れておこう。……花を飾るなんて初めてだ。それもこの俺が花を貰うとは……だが、なんとも嬉しいものだな」


 ユリシーズの声がどことなく弾んでいて、ヴァイオレットも胸が温かくなる。


 ユリシーズはソファを指し示した。


「ヴァイオレットはそこに座って待っていてくれ。お茶を淹れてくる。確か来客用のカップがあったはずだ。……新品のものがね」

「この屋敷には誰もいないのですか?」

「ああ。俺には家族がいない。それに、人によっては、屋敷内に滞在するだけで薄い魔傷痕が浮かぶ。呼吸器に影響が出ることもあるな。壁に触れただけで痛みが走ることもあるだろう。そんな家には誰も来ようとしない。ヒューバードは何か用事があれば呼びつけてくる。王宮とこの屋敷を往復出来る転移魔術の陣が敷いてあるからね。ここに屋敷を建てたのも、周囲に人が少ない環境が良かったからだ」

「お一人なのに綺麗にされているのですね」


 ヴァイオレットは部屋を見回したが、床には埃も落ちていないし、ソファやテーブルもピカピカだ。


「そうか? 洗浄魔術でなんとかはしているが、工房や魔術具置き場の方は物が多くて、どうにかしたいくらい散らかっているよ」


 ヴァイオレットの目の前にお茶が置かれる。


「人にお茶を淹れるのも初めてだ。口に合わなかったら遠慮なく残してくれ」

「いただきます」


 ユリシーズの淹れてくれたお茶を一口飲む。

 ヴァイオレットは目を見開いた。熟練の侍女が淹れるお茶と大差ないほど美味しい。


「とても美味しいですよ」

「それはよかった。使用人もそばにいられないからね。なんでも自分でやるしかない。全て自己流だから、これで合っているかもわからないことばかりなのだ」

「……確かにそれは不便なこともあるでしょうね」

「ああ。この通り髪やローブも見苦しいだろう。これが化け物といわれる所以でもあると理解しているが、どうにもならない。洗浄魔術で清潔にはしているんだが、布は劣化するし、髪も伸び続けてしまう」


 ヴァイオレットは目を瞬かせた。


「その……失礼ながら、髪や服はこだわりなのかと思っていました」

「いや……恥ずかしいことに俺は普通よりだいぶ大きいらしく、服のサイズがない。この体質では寸法が測れない。店の人間だって俺には近付きたくないだろう。髪の方はもっとひどい。切ろうとしても鋏越しですら魔傷痕が出てしまうそうだ。おそらく産まれてから一度も切っていない。俺を育ててくれた方ですら、髪に触れるだけならまだしも、鋏で切ろうとすると痛むので、切ることを諦めたのだ」

「育ててくれた方……ですか」


 その言い方的に両親ではないようだ。ユリシーズの体質的な問題なのかもしれない。


「ああ。……いつかこの髪を切ることが出来る人が現れると予言されていてね。それまでは自分でも切らない方がいいのではないかと、周囲からも言われている。髪には強い力が宿ると古くから伝わっている。おそらく特別魔力が強い部分なのだろう。例えば魔術の触媒に髪を使うことも出来るくらいに魔力が貯まるのだ。ひどい呪いにかけられた時も髪を切ると最悪の運命から逃れられたという伝承もある。それだけ魔力のある者にとって髪は重要なのだ」

「でも、不便でしょう……」

「まあ、不便だが生まれつきのことだし、仕方のないことだ」


 その声は、仕方ないと言いつつも、ヴァイオレットには寂しそうに聞こえた。

 何かしてあげたい。ヴァイオレットはそんな気持ちに突き動かされて口を開いた。


「あの! その髪を切るの、私に試させてもらえませんか!?」

「な、何を……」

「髪を切るのは素人ですが、経験があります。私のこの髪も自分で切りました。侍女の髪も切ったことがあります!」


 いつか髪を切ることが出来る人が現れるというのなら、試してみるべきだ。


 ヴァイオレットは手を伸ばしてユリシーズに触れた。手に、そして胸元に。それから髪にも触れる。

 思いがけないほど柔らかな髪質だ。指で梳くとふわふわの感触が通り抜けていく。こんなにも柔らかいから髪が絡まり合ってしまい、余計にモジャモジャして見えるのだ。なんと切り甲斐がありそうな髪だろうか。


「ほら、触ることが出来ました。試してみなければ、髪が切れるかどうかわからないじゃないですか。それに、少なくとも服の採寸ならお手伝い出来ます。ユリシーズは魔術師ですからローブを着るにしても、サイズが合っていた方が着心地もいいし、動きやすくて仕事の効率が上がるかもしれませんよ!」


 ヴァイオレットの言葉に、ユリシーズは黙りこくって答えない。

 ヴァイオレットはだんだんと不安になってくる。


「あ、あの……急に触って申し訳ありませんでした。はしたなかったですよね。失礼をいたしました!」

「い、いや……驚いただけだ。俺の髪に触れても本当に平気だとは。恥ずかしいが、採寸を頼んでもいいだろうか。それで問題がなければ……」

「ええ、採寸が終わったら髪を切ってみましょう!」


 白モジャの頭がゆっくりと上下に動く。

 頷いてくれたのだとわかって、ヴァイオレットは嬉しくなった。

 

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