16 新たな作戦①
一方その頃──
ヴァイオレットはようやく自宅に戻ることが出来た。
モニカの屋敷にいたのは一晩だけのはずだが、随分久しぶりに感じてしまう。しかしホッとするのではなく、気が重かった。
「ヴァイオレット! モニカ王太子妃と仲良くなったのね。喜ばしいことだわ!」
「あ、お母様……」
出迎えてくれたヴァイオレットの母は、にこやかに娘の手を握った。
「貴方には王室の一員になる自覚が必要だと常々思っていましたよ。髪を短くした時は一体何のつもりかと思いましたが。モニカ様ともっと仲良くなって、良いところはどんどん真似していかないとね」
「は、はあ……」
ヴァイオレットは曖昧に頷いた。
「そうだわ、貴方のドレスをまた新調しましょうか。もっとうんと着飾って、エイドリアン様のお心をしっかり繋ぎ止めないと」
「いえ……今はドレスに困っていませんから」
ヴァイオレットは首を横に振る。やり直し前の世界では、母に勧められるまま、豪華なだけのドレスや宝石を集めて満足していた。今考えると、自分の雰囲気に似合わないものも多かった。とにかく派手に着飾ればエイドリアンが喜ぶと勘違いしていたのだ。
「まあ、そうなの? じゃあ、アクセサリーは? こないだ、デネット家のコーネリアさんと宝石店に行ったのでしょう。良いものはあって? なんでも欲しい宝石を買ってあげますからね」
「大丈夫です、お母様。それより、お父様に帰宅の挨拶をしますので失礼します」
ヴァイオレットは母の手を振り切った。
やり直して以来、ヴァイオレットは家族に苦手意識を持っていた。
特に父母は、普段はこうしてベタベタに甘やかし、何でも買ってあげると言う。しかし、やり直し前の世界ではエイドリアンから婚約破棄された途端、ヴァイオレットを捨てるように遠方の屋敷に追いやったのだ。そのことを忘れられるはずがない。ヴァイオレットは最初から愛されていなかったのだ。
気が重いが、帰宅の挨拶をすると言った手前、行かないわけにはいかない。ヴァイオレットは父親の部屋に向かった。ノックをして部屋に入る。金をふんだんにかけた悪趣味な部屋だ。
「お父様……あの、帰りました」
「ああ、おかえり。モニカ様はお元気そうにしていたかね」
「は、はい。とてもお元気そうでした」
「そろそろモニカ様には子供が出来てもおかしくはないが……このまま彼女に子供が出来なければ、ヒューバード様ではなくエイドリアン様が王位を継いで、ヴァイオレットが王妃にということもありえるかもしれない。それを忘れずにね」
「そんな……お父様」
ヴァイオレットは冷や水をかけられた心地になった。モニカの身に何かあればいいと思う人間が、身内にもいるというのは非常に堪え難い。
「ああ、まさか何かしようとは、絶対に考えてはいけないよ。第二王子妃だって、とても良い立場なんだからね。モニカ様とも仲良くするんだよ」
「……はい」
父のわざとらしい笑顔が鼻につく。
さっさと自室に戻ろうと思ったヴァイオレットだったが、ふと思いついたことがあった。
一度目の世界で、ヴァイオレットが幽閉されていた屋敷に火事が起きた。あの時、やり直しの加護が発現しなければ、ヴァイオレットは死んでいた可能性が高い。古い建物なため、あっという間に火が回ったし、閉じ込められて逃げ場がなかったからだ。
それに、やり直したとはいえヴァイオレットは未だエイドリアンの婚約者のままなのだ。再び婚約破棄をされて、あの屋敷に幽閉される可能性も残っている。
あの屋敷の管理をしていた老夫婦はどうなったのだろう。彼らにいい思い出はないが、死ぬかもしれない人を見過ごしたくはなかった。
──それに、二度も火事で死ぬのはごめんだわ。
今のうちに対策を練っておいた方がいいのではないだろうか。
「あの、お父様……」
「どうしたね、ヴァイオレット」
「お父様の領地には、我が家所有の古い屋敷がありますよね」
「ああ、たくさんあるよ。昔、一族の者が住んでいた屋敷や別荘が何軒もね。だが管理人だけ置いて使ってない屋敷も多い。無駄な金が出て行くから困っているよ」
おそらくそんな屋敷の一つに、やり直し前のヴァイオレットは追いやられたのだ。
「それがどうかしたかい?」
「その古い屋敷の修繕や改築をするのはどうでしょう!? ほら、火事が起きたら大変ですから!」
ヴァイオレットはいい案だと思ったのだが、父はフンッと鼻を鳴らした。
「使っていない建物に金をかけてどうする。それなら火事になってさっさと朽ちてくれた方がいいじゃないか」
「で、でも領民に危険が及ぶかも……」
「だからなんだ。取り壊すにも金がかかるんだからね」
まったく乗り気ではない。父は身の回りの品や自慢できるものに金をふんだんにかけるのは好きだが、自分にとって不必要なものには出し渋る。例え事故が起きて、領民や雇った管理人が危険に晒される可能性があっても、どうでもいいようだ。
守銭奴だと思っていたが、これほどとは。しかしヴァイオレットはどうにか父を動かしたかった。ヴァイオレットはお小遣いとしてそれなりに金銭をもらっているが、私財だけでは無数にある屋敷を改築するのは難しい。父の協力が不可欠なのだ。
「ええと……その、お父様。モニカ様のお屋敷に泊まって、気付いたことがあるんです」
ヴァイオレットは頭をフル回転させ、父が興味を持ちそうな言葉をひねり出した。
「ん、なんだね?」
「モニカ様は……使用人や領民からとても人気がありますよね。きっとそういうところが、王太子のヒューバード様に愛されているのだろうと思いまして……」
「ああ、まあそうだな。ただ美人なだけではなく社交的だし、気取らないし、気前もいいからね。ああいうタイプは領民からの受けはいい。次代の王妃になるなら、一般の人気はあった方がいいのは確かだ。ヒューバード様もそう思っているのだろうね」
父は、ヒューバードとモニカの間の愛を軽視している。自分がそうだから、他人も自分にとって有意義であることを重要視していると思っているのだ。
しかし今はそんなことを説いても無駄だろう。嫌だったが父に意見を合わせた。
「え、ええ。モニカ様がお茶会を頻繁に開くのは、領民への雇用にもなるからだそうなんです。屋敷の使用人をたくさん雇い、茶葉や菓子の仕入れにも領地内の店を使うことで経済の還元になりますものね。やはりそういう積み重ねが人気の元でしょう」
「そんなのは我が家でもやっているだろう」
「もちろん知っています。ですがそれをしているのはシアーズ公爵家であって、私、ヴァイオレットではありません。エイドリアン様のお気持ちをもっと強く繋ぎ止めるのには、私個人に名声が必要なのではと思うのです。私に人気があれば、エイドリアン様も見直して、大切にしてくださるでしょうし、ヒューバード様やモニカ様に何かあった時にも……きっとスムーズにいきますわ」
ヒューバードではなくエイドリアンが次代の国王になる可能性がまだある以上、ヴァイオレットが王妃になるなら人気はあった方がいい。そのために今から準備をしておきたいと匂わせたのだ。
「それは確かに思っていた。だが、ヴァイオレットは今まであまりそういう活動に興味を示さなかっただろう。やりたいと言うのなら考えるが……」
案の定、欲深い父は食いついた。
ヴァイオレットは心の中でガッツポーズをする。それを表に出さないよう、しおらしく頷いた。
「はい。それを今更ながら反省しております。なので、先程話に出した領地内にある古い屋敷の修繕や改築を私の名前でやらせてはいただけないかと。もちろん全額は無理ですが、私の財産からも少し出します。領民の雇用に繋がりますし、改築後の屋敷についても後の王子妃が手がけたということで、付加価値になるとは思いませんか?」
ふむ、と父は考え込む。
「ボロ屋のままではただの負債だが、綺麗に改築すれば売ることも出来るか……。わかった、やってみなさい」
「ありがとうございます!」
父親の許可を得て、ヴァイオレットは微笑んだ。
これで最悪でも火事で死ぬのは免れるはずだ。




