13 呪われた髪
「あの……どういうことでしょう」
ヴァイオレットはユリシーズの態度に目を瞬かせた。
触るなとばかりに弾き飛ばすくせに、過剰なほどヴァイオレットの心配しているユリシーズ。ヴァイオレットには不可解過ぎる行動だった。
そもそも怪我も何も、ヴァイオレットはただ揉み合って地面に倒れただけである。突き飛ばされ、床に打ち付けた痛みはあるが、ふかふかの絨毯のおかげで擦り傷一つない。むしろユリシーズがいなければ、ターニャに突き飛ばされた時に壁に激突して、怪我をしていた可能性すらあった。
「いや、だから怪我を見せてくれ! モニカ、怪我の確認を頼む」
「ええ。ヴァイオレット、痛むのはどこ!?」
「ええと……別に……どこも怪我はしていませんが……」
ヴァイオレットは詰め寄るユリシーズとモニカにそう言った。
「なんですって!? そんなはずないわ。貴方、ユリシーズに顔をぶつけていなかった?」
モニカはヴァイオレットの髪を掻き上げ、頬を撫でた。
「え……?」
ヴァイオレットはモニカの意図がわからず、きょとんとして二人を見る。
「肌はなんともないわ。火傷はしてないわね。ギリギリでユリシーズに触れなかったのかしら」
「いや、そんなはずはない。確実に触れたはずだ。だから悪化しないよう咄嗟に突き飛ばしてしまったのだが……」
ヴァイオレットは二人の会話についていけず、目を瞬かせた。少なくとも、ヴァイオレットの心配をするユリシーズは、ヴァイオレットを嫌って突き飛ばしたのではなさそうだ。
「あ、あの、悪化しないようにって、どういう意味ですか?」
「……もしかして、ヴァイオレットは知らないのかしら。ユリシーズの呪いを……」
呪い──ヴァイオレットには初耳だった。ヴァイオレットは首を傾げる。
「呪いって、なんのことでしょう」
「あれよあれ! まさか本当に知らないの?」
モニカが指し示したのはぐるぐる巻きで縛られて倒れているブライアンだ。彼の肌には火傷が浮かんでいる。
「火傷……ですか?」
てっきり、動きを封じて火傷を負わせるという魔術なのだとヴァイオレット思っていたが、違うのだろうか。
「ああ。俺は生まれつき魔力が多すぎる異常体質なのだ。そのために全身に強すぎる魔力を帯びている。俺の体に触れると、ああいう火傷のような魔傷痕になってしまう。例え服越しであっても」
「わ、私はなんともないですが……」
事実、ヴァイオレットの肌には何の痛みもない。
「彼は捕縛魔術のせいで火傷を負ったのではない。捕縛に使った俺の髪の毛のせいなのだ。魔力が多く、特別な魔術耐性を持っている人間でもなければ、本来なら髪の毛一本ですら一瞬でああなってしまう。……そうか、ヴァイオレットは公爵家の出身だったな。魔力が多い体質のせいか、もしくは魔力の相性がいいのかもしれない。なんにせよ、君に怪我がなくてよかった」
「な……なんなのよそれ。そんなの……本当の化け物じゃないっ!」
すっかり蚊帳の外になっていたターニャは、青い顔をしてそう怒鳴った。
「よくも……あたしのブライアンに、こんなことをして……!」
まだ言うのかと、ヴァイオレットが睨み付けた瞬間、モーリスが割って入った。ずっとその場でオタオタしていたが、ようやく娘の不始末に乗り出したのだ。
「いい加減にしないか、馬鹿者!」
モーリスはターニャの髪を鷲掴み、その頬を平手で打った。ヴァイオレットが叩いた時より、ずっと痛そうな音がした。
「痛いっ! な、何よ、父さんまで!」
「お前は、いつまで勘違いをしているんだ!」
モーリスは彼女の膝を力尽くで折らせ、その場に無理矢理跪かせた。己もその横に土下座をして、娘同様に額を地面に擦り付けた。
ターニャは父親の手で強く床に押し付けられ、滑稽な仕草でもがいていた。
「痛いっ、痛いってば!」
「モニカ様……申し訳ございません! 愚かな娘の教育を怠った私の不徳と致すところです!」
「ああ……モーリス。もういいわ。そんなに謝ることないのよ」
モニカはニッコリ微笑んだ。
「で、では許していただけ──」
「だって、お前の娘はクビだもの」
モニカは微笑んだままその言葉を投げかけた。それを聞いたターニャは勢いよく顔を上げる。青い顔をして呆然とモニカを見つめた。
「ま、待ってください! どうか、お許しください、モニカ様! あ、あたし、恋人がこんなことになって、混乱してしまっただけなんです!」
ターニャは顔を歪め、唾を飛ばして叫んだ。
しかし、モニカは一歩下がり、にこやかな表情のまま言う。
「まあ、汚いわね。私の友人のユリシーズにひどい暴言を吐いて、私の命の恩人であるヴァイオレットに暴力を振るうような侍女、どんな謝罪があったとしても許されるはずないでしょう。身の程を弁えて」
「そんな……あたしはモニカ様のためを思ってぇ……」
「嫌だわ。命令していないことを勝手にしてもいい立場だと思っているの? むしろ、どうして許されると思っていたのかしら。信じられないわ。まさか、次期国王の可能性を持つ赤子の面倒を見られるとでも思って、変な勘違いでもしたのかしら。お前の娘は頭が悪くて嫌ね、モーリス」
「お、おっしゃる通りでございます」
モーリスは平伏したまま絞り出すようにそう言った。額から垂れて、床に水溜りが出来るほど汗をかいている。
「それから、今使っている茶葉の店との取引は今後一切止めるわ。私だけじゃなく、リングフェロー家と関連の屋敷の全てでね。だって、昨日のハーブティーは、贈ったのがヴァイオレットを騙る偽者だとしても、私のアレルギーや妊娠中の禁忌をチェックしなかったのはそっちの問題でしょう。そんな店、ありえないじゃない。信用は地に落ちたわ。ああ、貴方もよ、モーリス。ダブルチェックが出来てないからこんなことが起きるのよ。しかも使用人の監督すらまともに出来ない貴方は管理者の任から解いて、仕事のランクを下げます。この屋敷も不快だから、他に移るわ。安定期に入るまでいようと思っていたけれど、こんな場所じゃ胎教に悪いもの」
「は、はい……申し訳ありませんでした……」
「はい、じゃあおしまい」
モニカはにこやかなまま、手をパチンと鳴らした。
ターニャはモニカに向かい、泣いて頭を地面に擦り付けた。とんでもないことをしたと、今更悟ったようだ。
「モニカ様、申し訳ありません。どうか、お許しを……」
「あら、貴方まだいたの? 引き継ぎもしなくて結構よ、早く荷物をまとめて出て行って」
モニカは本気で言っている。ターニャはわあっと泣き崩れた。
モニカはターニャの激しく泣き喚く声にも気にした様子はなく、ヴァイオレットの手を取った。
「ヴァイオレット、ごめんなさいね。長く時間を取らせてしまって。もしかして、この屋敷で嫌がらせを受けていなかった? 関わった使用人は全員しっかりと調べ上げて相応の処分をするから、それで許してちょうだいね」
「は、はあ……」
目の前の彼女は優しい微笑みだが、その瞳の奥に空恐ろしいものを感じる。
これまでの彼女の言動も、弛みきった屋敷の使用人たちを一掃するための演技であり、ヴァイオレットはそれに巻き込まれてしまった気がしていたのだった。
ふっ、とユリシーズが白モジャの髪に隠れて笑った気がした。
「モニカは王太子妃だからな。優しいだけではない。責任について、とても重く受け止めている。ヒューバードにお似合いの食わせ者だ」
「まあ、ユリシーズったら。褒め言葉として受け取るわよ?」
「ああ、是非そうしてくれ」
ユリシーズに向かってニコッと笑うモニカはとても綺麗で、そしてとてつもなく恐ろしかった。
「それより、そろそろヒューバードが迎えに来ると思うわ。私が安全に過ごせる屋敷を用意してくれているの。それとブライアンという男の拘束を解いて目撃情報を吐かせないといけないけど……そっちはヒューバードの部下に任せましょうか。まあ、誰がやったか知ったらタダじゃ済まさないわ。……察しは付いているけれど」
「ああ、魔傷痕の治療もしないといけないな」
「そんなの後でいいわよ。痛いだけで死ぬわけじゃないわ。ねえ、ヴァイオレット。この件については、証拠固めが必要だから、もう少しだけ待っていてちょうだいね。私とお腹の子に手を出したことを……たっぷり、後悔させてやるわ」
モニカはいつも通りの鮮やかな笑みを浮かべた。
ヴァイオレットはモニカを見誤っていたようだ。彼女は守られるだけの存在ではない。
モニカはヴァイオレットが思っていたよりずっと強い女性だ。その分、敵に回したら恐ろしいことになるのだろう。
しかし、そんな彼女がヴァイオレットの味方についてくれたのは心強く、より一層モニカのことを好きになったのだった。




