12 四度目のやり直し
眩い光がヴァイオレットを呑み込んでいった。
ハッと我に返ると、少し前に戻って同じやりとりを繰り返していた。
「えっと、外見……は……」
モニカから、令嬢の外見について問いかけられたブライアンの動きがぴたりと止まる。全く同じ行動。無事に彼が生きている時間まで戻れたのだ。
動きを止めたブライアンの虚ろな目は尋常ではない。おそらく、魔術で操られていると直感した。
ヴァイオレットの名前を騙って茶葉を注文した相手について聞かれると、隠し持っていたナイフで自殺をするように操られているのだ。それだけのことをするのだから、ブライアンは重要な目撃者に違いない。もう一度死なせるわけにはいかない。
ヴァイオレットは傍らに立つユリシーズを呼んだ。
「ユリシーズ!」
「……ヴァイオレット?」
「防壁じゃ駄目! ブライアンの動きを止めて! じゃないとあの人死んじゃう!」
ブライアンはナイフを取り出そうとポケットに手を入れたところだった。残り時間はわずか数秒しかない。ユリシーズがモニカを守る方を優先してしまえば、ブライアンは再び己の首を刺して死んでしまう。
「貴方を頼るしかないの。お願い、私を信じて!」
「……わかった」
ユリシーズからすればヴァイオレットは突然変なことを言い出したと思えるだろう。しかしユリシーズはそれ以上何も聞かなかった。即座に白モジャの己の髪を一本抜き、ナイフを取り出したブライアンに向けて「捕縛」と告げた。
次の瞬間、長い髪が光を放つロープ状になる。ロープは蛇のような動きでブライアンに向かっていくと、彼の体を捕らえてぐるぐる巻きにした。
「ぎゃあっ!」
ブライアンは手からナイフを取り落とし、芋虫のようにその場に転がった。
ヴァイオレットはナイフが落ちた場所に駆け寄り、サッと拾い上げた。凶器も確保した。
ヴァイオレットの心臓がバクバクと音をたてている。
なんとか死なせずに出来たのだ。
「な、なに……何が起きたの……」
モニカは驚いたのか、その場に尻餅を搗いて呆然と呟いた。
ブライアンは光るロープに縛られて気絶しているようだ。
ユリシーズはヴァイオレットが拾い上げたナイフに視線を向けた。
「なるほど、ナイフを持っていたのか。危ないところだった。しかし何故防壁では駄目だったのだ。いや、その前にどうして俺が防壁を張るとわかった?」
ヴァイオレットはそれには答えず、矢継ぎ早に捲し立てた。
「ユリシーズ……いきなりなのに私を信じてくれてありがとうございます。このナイフはモニカ様を狙うためではなく、自殺をするのに使うものだったのです。多分、ヴァイオレット・シアーズの名前を騙った人物について聞かれると、自ら死を選ぶように操られていたのだと思うわ」
今更ながらヴァイオレットの手は震えていた。
手の中のナイフはよく研がれていてズッシリ重い。これで首を──ヴァイオレットはあの惨状を思い出して背筋を震わせた。
今回もなんとか間に合った。
これで四度目のやり直しだった。
度々やり直しをしているので中々魔力が溜まらない。一日、二日程度ではせいぜいほんの数十秒から数分くらいしかやり直し出来ないのだ。ヴァイオレットが慌てたり躊躇ったりすればその分、無駄な時間が経ってしまう。命がかかっている場合は、やり直すかどうかの判断は早めにしなければ。
「い、今、問いかけをしたら急に様子がおかしくなったのは、なんらかの魔術をかけられていたということかしら。ねえユリシーズ、人を操る魔術はある?」
モニカは呆気に取られていたが、我に返ってユリシーズに質問をした。
彼女の聡明さはどんな時でも変わらないようだ。
「……ある。ただ、使えるのは精神系魔術が得意な魔術師だけだ。それでも、自ら死を選ばせるのはかなり難しい。人は本能的に死を忌避するからだ。おそらく、精神系魔術の能力をブーストする加護を持っている魔術師だろう。相当な実力の持ち主だ」
「では、モニカ様を狙ったのは魔術師ということ?」
ヴァイオレットがそう聞くと、ユリシーズは頷いた。
「そうなる。だが、そんなことが可能な魔術師は、今はもういないはず──」
その時、ユリシーズの言葉を遮り、侍女のターニャが動いた。
「ブライアン! しっかりしてブライアン!」
「こら、ターニャ! やめなさい! 触ってはいけない!」
ターニャは父親の静止も意に介せず、縛られて気絶したブライアンに駆け寄って悲鳴を上げた。
「いやあっ! ブライアンが火傷してる……こんな、ひどい……」
倒れているブライアンの肌が変色しているのがヴァイオレットにも見えた。ちょうど光るロープに接している部分のはだが赤黒く火傷のようになってしまっていた。恋人の痛々しい姿に、ターニャは涙を零す。
「……すまない。咄嗟に動きを封じるには、乱暴な手段しかなかった。だが……」
「ひどい……この化け物! よくもブライアンを!」
ターニャはユリシーズを睨んで罵った。
ヴァイオレットは、そんなターニャの言葉にカッと頭に血が上った。
手にしていたナイフをモニカに預けると、ターニャの前に立ちはだかる。
「待ちなさい! 貴方はブライアンが死ぬ方がよかったっていうの!? ユリシーズが防壁を張ってモニカ様を守護する方を優先していたら、ブライアンは自分の首をナイフで刺して死んでいたのよ!」
「うるさいわね! 化け物を化け物って呼んで何が悪いのよ! 見た目も能力も気味が悪い化け物だって、みんな言って──」
パシッと乾いた音が響いた。
ヴァイオレットはターニャの頬を叩いていた。
衝撃の残る手のひらをヴァイオレットは強く握る。
──やってしまった。
しかしそれ以上にターニャへの怒りがあった。
どうしてユリシーズに対してそんなひどいことが言えるのだろう。
彼女の主人であるモニカを守るために来てくれて、さらに恋人の命も助けてくれた人を相手に。
ヴァイオレットは肩で息をしながら、ターニャを睨み付けた。
ターニャは叩かれると想像もしていなかったのか、驚きに目を見開いて頬を押さえている。
「ヴァイオレット、俺は言われ慣れている。気にしていない」
「いいえ! 向けられる悪意に慣れる必要なんかないって、ユリシーズが私に言ったじゃないですか!」
ユリシーズが化け物と呼ばれても平然ととしているのは、それだけひどい言葉に晒され慣れてしまっているからだ。ヴァイオレットにはそれが耐えられなかった。
「……君と俺とでは違う」
「何も違わないです!」
「そ、そうよ……あんたたちなんて、化け物と犯罪者でお似合いだわっ!」
呆然としていたターニャは我に返り、眉を逆立ててヴァイオレットに掴みかかってきた。ヴァイオレットは胸ぐらを掴まれて揺さぶられる。
「よくもっ、あたしを叩いてくれたわねっ!」
「や、やめなさい!」
「ターニャ!」
モニカたちの制止する声が聞こえるが、ターニャは頭に血が上っているのか、ヴァイオレットに掴みかかる手を離さない。
揉み合い、とうとうヴァイオレットはターニャに強く突き飛ばされた。
「きゃあっ!」
よろめいたヴァイオレットは、たたらを踏むが耐えきれない。揉み合う二人から距離を取ろうとしていたユリシーズの胸元に倒れかかった。ユリシーズの逞しい胸元にヴァイオレットの顔がぶつかる。ユリシーズに受け止められたのかと思った瞬間──。
「──さ、触るな!」
ユリシーズはヴァイオレットの肩口を弾いた。バシッと響く音がする。
「あっ……!」
ヴァイオレットはターニャのみならず、ユリシーズからも突き飛ばされたのだ。まるで強風に翻弄される花弁のようにクルクルとよろめきながら倒れ込み、地面に手を突いた。
ヴァイオレットは血の気がざあっと引くのを感じる。
「ユリシーズ……、ご、めんなさ……」
ターニャに突き飛ばされた時より、そして倒れた痛みよりも、ユリシーズから強く拒絶されたこの時の方がずっと痛い。体ではなく、心が。
彼はいつも人から距離を取ろうとしていた。踏み込むヴァイオレットを馴れ馴れしいと、内心では嫌がっていたのだろうか。エイドリアンと同じように──。
そう思った瞬間、ユリシーズは血相を変えてヴァイオレットに駆け寄った。
「ヴァイオレット! 怪我は!?」
「──え?」
「見せてくれ。……俺はなんてことを!」
ユリシーズの取り乱しようを見て、ヴァイオレットは呆気に取られた。