White whale (16)
周永白を始末してご機嫌だった安東たちが組合の生活可能ビルの崩壊を聞いたのは、帰り道につこうかというときだった。
じゃあついでに組合も潰しとくか、なんて思い、意気揚々と向かって。なぜだかわからないが水道局の制服を着ているが水道局らしくもない妙な連中と戦闘になった。
面倒なので適当なところで切り上げ、構成員の損耗を指折り数えながら、安東たちは笹倉組の事務所に戻り《四天王》で顔を突き合わせていた。
「なんだったんだろね、ありゃ」
ローテーブルを囲むソファにどっかと腰かけ煙草に火をつけながら安東が言えば、はす向かいで同じく煙草をくわえるところだった南が火を寄越せと左手を出してきた。マッチ箱を投げてやる。
「どういう奴らかはわからない。私もプライアらしき能力を見たが、奴らは同時に機構も扱っていた」
南が端的に言って、片手で器用に火をつけてからマッチ箱をローテーブルに投げ出す。ガラス張りの上を滑っていった箱は、ごつい灰皿(これで五人死んでいる)に当たって止まった。
すでに煙草の半分ほどを灰にしていた中川が、その灰皿に先端を落としてくわえ直し、鼻掛けの老眼鏡を外すとポケットのハンカチで拭きながらぼやいた。陰気な顔であった。
「奴らがプライアを扱っていたのではなく、プライアの術者は別に居たと考えるのがもっとも筋が通ると思いますがね。西園寺、ビル内にはそれらしき者はいなかったのですか」
中川が問えば、安東の隣のソファの肘置きに尻を載せていた(巨体のため座面に座ると尻が抜けなくなるのだ)西園寺が首を横に振る。
組合襲撃のあのとき、彼の持つ「閉所を破るプライア」が有用だろうと判じて安東たちは西園寺のみビル内に行くよう仕向けていた。しかし彼がビル内で見たのはすでに死んだ連中ばかり。
屋上まで行ってみたそうだが、戦闘の痕跡だけがありとくに見るものはなかったようだ。とりあえず火事場泥棒で組合のカネとデータベースの一部は、鍵のかかった金庫から持ってきたようだが。
「《七ツ道具》もずいぶん減ったみてぇだな。西園寺、上で見た死体は二番と六番だったんだよな」
寡黙な男なので、西園寺はこくりとうなずくだけだった。安東はローテーブル上に広げていた組合虎の子のカネである免税券をベッベッと指先で数えつつ、あの現場で転がっていた人間のことを思い返す。
四番・才原織架はだれが見ても死んだとわかる心臓串刺しの状態だった。他、あの場から逃げ延びたのは三番・円藤理逸とその相棒のスミレ、五番・紀田海苔子。となると七番・百々塚朝嶺亜と一番・十鱒、組合長の鱶見深々が行方不明ということか。
組合のブレーンである織架と十鱒と深々がいないのは朗報だが、銃口を逸らされて始末できなかったスミレのことが思われる。ち、と軽く、また上機嫌に安東は舌打ちした。
「モーヴに関わるガキだし、あそこで殺っとけたらそれもそれでよかったんだがなー」
「あの子どもにご執心だな、安東」
「おいおいヘンな言い方よしてくれよ南さん。あの船の生き残りだからってだけだよ」
潜水して、部下の電子奏縦師も失ったあのときを思い出す。
個別の密室のなかで水死して浮かんでいた子ども。部屋のなかには『瑛国格言集』のみ。
落ちていた大量の薄板型演算機構と、それの回収に関わっていたのであろう沟の反応。
独立機構であるモノリスのなかのデータと、小部屋のなかで浮かんでいた子どもの死体はおそらく繋がっている。
あの子どもたちこそが、『データの中身そのもの』。
……安東の脳裏には、海で沈められたときの考えが再現される。
大昔の某国に「なんの反応も教育も与えず育てた子どもが最初に何を語るのか」を調べようとした王が居たという。
あの死体が浮かんでいた『独房じみた個室』のなかはモノリスと同じ。外からの入力を極端に制限された部屋。
経験値の付与を、意図的に絞り込まれている。
(教化型機構……経験値の付与をそれで成していたなら説明はつきやがる)
かつて旧時代には存在した、装備型とも投与型とも異なる型式。
使用者に経験値を付与し、たとえば格闘能力であればそこらの子どもを二秒で超人・達人に変容せしめる。そういう機構。
脳に移植することで『与えられた経験値を効率的に己の肉体に付与できるよう』脳自体を作り替えていく機構。
凄まじい機能だがそれゆえに旧時代でも使用が禁止されたシロモノだ。なにせ経験の上書きとは、自己のアイデンティティの喪失を意味する。
他者の経験を打ち込まれたなら、そこからはその経験に影響されて己の行動が決まる。無論生きていればだれしも常に他者からの影響を避けられないわけだが、受け止めて・自分のなかに溶かし込む、という過程が存在するため自己の連続性はある程度保たれる。変化は急すぎないレベルとなる。
しかし教化型は違う。
武術であればプリセットのダウンロードだけで達人の動きができるようになるが、そこには痛み・不快といった本来経るべき蓄積がない。動きだけできても戦いではなんの役にも立たない、痛みへの慣れや不快の排除に向かう闘争心、ならびに相手の動きに対応する「思考せず動く思考」が必要だ。
だからそれすらダウンロードパックに詰め込んで、かつその不快で心労を抱えないように感覚封印で薄める。これが先に述べた二秒でおこなわれる。変化は性急であり、唐突に「平気で人を殴れるように」なった人間というのは、二秒前までとはまったく異なると言える。
また本であれば読むだけで内容を取り込める。それも、頭のなかへ単に内容をコピーして録音機のように喋ることが可能となるだけではない。文脈や構成や頻出ワードを軸に筆者の性向までも蓄積していく。思想書を読んだ場合などは、頭のなかに別人格をこしらえることに近い。
(まあ小説や物語本の読解にゃ、向かねえんだけどな)
物語が情緒発達や情操教育に用いられるのは、寓意読み取りやその解釈には共感力と想像力が必要とされるからだ。ゆえに教化型で『仕込む』のならそれらを取り込むことは回避が推奨される。
……そう、仕込みだ。
安東はあの船、あの部屋の連なりを巨大な仕込みだと感じていた。
密室で制限された入力のみを与えられる実験。旧時代のことをあれから調べ、安東なりにリーチしている情報があった。
人間の思考傾向操作。
『特定条件下ではこのように動く』という人間の製造。旧時代、そんな面白いアイデアがあったらしい。
教化型は入力を与えれば即座に読み込むため、「どのような順番でどのような入力を与えればどのような条件付けができるか」が簡単に試せたという。この際の入力のゆらぎを排除するため、ほかの書籍や情報の取り込みができないよう密室に囲う。他者との接触も極限まで禁じ、当人だけで思考を繰り返すよう仕向ける。
……こうして時間をかけずに「文化」や「思想」を打ち込むことの危険性は、のちのち判明した。
経験を伴わないそれらは思考の軸になるものがなく、様式や禁忌を理解はしてもその文化圏に生きることはできない。
いくら文化を頭に入れていたところで、その文化に暮らす人々との関わりで紐付けられていない以上尊重や敬意は生まれ得ずそれはいつまでも知識でしかなかった。思想にしても同じである。また、「打ち込まれた経験がそうさせた」と、己の起こした問題の責任を外部に押し付けようとする者も出たという。
次第に教化型は疎まれ消えていった。
とくに先の「経験がそうさせた」は、研究の結果否定できない事実となった。特定の思想を特定の手順と特定の間隔と速度で与えていくと、回答無数のはずの質問への答えが全員同じになるという不気味な事態も起きたためだ。
だが、それができるのなら。
あの船では、狙ってそれをやっていたのなら。
(こう考えれば、あのガキの異様な頭の冴えや思考形態の特殊さもわかってくる。ありゃモーヴ号を使った実験の結果だ)
そんなガキを数十人こさえて、おそらくは同じ思考傾向の人間を揃えて。まさか、それで単なる思い通りの兵隊をつくるだとか、そんなつまらない話ではあるまい。
欣怡のところの児童売買に水道局が絡んでいたのだから、船の児童売買にも絡んでいる可能性は高い。
新市街の腐敗に、指が一本引っ掛かっているような気がした。煙草を灰皿に投げ入れ、紫煙を吹きつつ安東は言う。
「俺よ、宅島んトコいってみようと考えてんだ」
「宅島氏ですか。外の旧家にこのタイミングで押しかけるのですから、なにか方策があるのですね?」
「まぁな。今回の一件で組合と沟はもう、立ち直れねえだろ。だから組長にも話通した上で、新市街の連中に『今後はうちの組を通すコト』ってのをあらゆる面でオネガイしようってことさ」
「南古野の実権を握るということか」
薄緑の眼鏡を長ドスの先端でかけなおしながら、南が言った。声音には、楽しそうな色がある。それが伝染したように、安東も手を打ち鳴らした。
「そう! シノギの拡大だ。今回の妙な連中がなんだったのか探り入れつつ、そろそろ局とも癒着を図れねえかなと」
「我々が取り込まれはしないでしょうね」
「おいおい中川さん、なんのために奴らに恩売ってきたと思ってんだよ? 水泥棒戦を穏便に済ますためなんかじゃねぇだろ?」
前回の水泥棒でさほど損害を出さず終えたのもそうだが、笹倉組は部分的に水道局と癒着を進めている。
『どちらも損害を出すのはいやだ』というところに付け込んで小規模レベルでの戦闘をうやむやにするところから入り込み、いまは北遮壁の詰め所にいる人間のなかでも話のわかる奴らと手を組んでいるのだ。
なにせあそこに飛ばされてくるのは新市街での地位が微妙で暮らしに不満のある層か、そういうやつらを監督する立場のエリート層か、もう閑職しか居場所のない高齢層ばかり。しかもこのごろ、目障りだったまとめ役のエリートがなんらかのミスをしたらしく管理官に射殺されていたそうなのでますますやりやすくなっていた。
賄賂と便益で組織を溶かし込みつつある。
これで新市街に手をかければ、笹倉組は盤石の地位を得る。
「楽しくなってきたな」
安東は獰猛に笑った。
#
「拇指は一時的な機構停止。示指は右足の血管損傷で全治一週間。中指と末指はダメージ無し。薬指は殉職。目標、《七ツ道具》の二番・無天蔵人、四番・才原織架、六番・阿字野譲二、殺害。中途接敵の一番・十鱒は腹部に拇指の隔併機の攻撃を加え戦闘不能にせしめたが消息不明。組合長・鱶見深々もビル七階より気絶の上で落下させたはずだが消息不明。ただ落下した体は心肺停止状態だったことを伍支全員が拡張によって確認済み。中途接敵の三番・円藤理逸と五番・紀田海苔子とマル被・サンプルNo.1は2nADの児童一名を伴って逃走。排水処理施設で紀田海苔子の血痕発見。伴っていた2nADの児童の遺体も発見。三名、そこで痕跡不明」
拠点に戻ってきたあと、ブリーフィングに移った筧は書面にまとめた今回の任務内容を読み上げた。
もともとの目標は達成した。最終焉収斂機構を持つサンプルNo.1はよりどころを失くしている。しかし、逆に言えばよりどころを失くしてなおもあのように逃亡する程度の能力はあるということだ。
宅島は、あの笹倉組の乱入までを読んでいた少女と接敵した経験がある……らしい。あいにくとデバイスに干渉されて記憶がないが。
しかしあの、圧倒的な微機放出量。
轟による対策をしていなければ、あの場で全員が機構停止に追い込まれていた。そうなればあのヤクザどもに押し込まれ、さらに人数を減らしていた可能性もある。
その想像に、ぞっとした。
「担い手。よろしいですか」
「末指、許可する」
「あの局面までが、マル被の狙いだった、と。そう思いますか?」
「いくつかあるプランのうちのひとつだった可能性は高い。個人としての好悪程度はあるだろうが、あれは己を何があろうと生き残るように仕向ける。単身で船から逃れ生き残り、2nADの中へ入り込み周囲を懐柔し、制水式戦に紛れ込むことで己を組合幹部に見初めさせ、組合の中で頭角を現し立場を確立し、組織同士をぶつけ合わせることも厭わない」
「それこそが最終焉収斂機構の執行者」
筧の言葉を継いで、壁際に立ち尽くしていた大曾根が言う。さすがに筧も、指揮系統に組み込んでいないこの男については「発言に許可を」などとは言わないようだ。
慈雨の会南古野地区教祖であるこの男も求生総研の加担者――否。慈雨の会そのものが求生総研の計画に加担すべく求生に生み出された宗教である以上、加担者というよりは共犯者。最初から共に在った者と言える。
大曾根はわずかたりとも表情を緩めないまま、両腕を左右に広げた。
「先の戦いの動きはまさしくそれを体現していたな? モーヴ号が沈み消息不明となった際は仕掛けが正常作動していなかったのではないかと焦ったが、あの娘は疑う余地もなく成功例だった。そうだろう? 自身の生存に於いて最適の解を打ちつづける自動機構。無駄な命を助けることはせず己の存命に用立てる。素晴らしきかな。C計画はあれを確保すれば段階を進めること間違いない」
表情を変えないままに口調に興奮が現れており、いささか気味が悪い男だった。教化型を埋め込んだ弊害ではないのか、と宅島は彼の頭部に残る傷跡を見て思う。
大曾根は腕を閉じ己を抱くような姿勢をとりながらつづける。
「思考傾向の操作。最終焉を持つ者が勝手に死んでは困るからな? 自己保持を最優先する思考の植え付けは成功している。あとはあれを回収して組み込めばC計画も最終段階に入ることができよう」
大詰めを迎えている、との考えからか大曾根の興奮はやまない。
とはいえ、それも無理からぬことなのか。筧も大曾根も、求生総研が先を見越して南古野に投じていた駒だ。つい先日ここに加わることとなった宅島はもとより、六年前の静かなる争乱からずっとここにいるはずの新庄、照岡よりも長きにわたり「任務」というそれだけでこの土地に縛り付けられている。
すべてはただ計画の成功のため。
ほかのすべてを切り捨てて、この二名は求生に仕えている。
とはいえ温度差はあり、筧は大曾根のような熱狂はなく淡々と書類をまとめ次のオペレーションに向けて話をつづけた。
「薬指のことは残念だった」
形式的にではなく、彼なりに悼む様子で、筧は短く目を閉じた。
「その上で、我々は次へ進む。まず状況確認だが、拇指が笹倉組の安東より奪取したモノリスは、中身をすり替えた上で沟を通じて水道局に渡った」
轟がひらひらと片手を振る。宅島が来る直前にあった任務らしく、潜水してモーヴ号より物品を漁っていた笹倉組の人間を倒して奪い取ったそうだ。というかその笹倉の人間は、さっき戦った相手らしいのだが。
「水道局がモーヴ号より奪い去ったNo.2以降の被検体はこれでセットとなるデバイスを揃えた――と連中は思い込んでいる。実際のところ被検体のみでも肩代わり程度の運用は可能である故、局では《陸衛兵》の先を見据えたプランを進行中だ。外部および南古野からの防衛のための強兵プランと言える。凪葉良内道水社上層部、社屋の頂点の匣へ籠った者たちが外部入力された計算結果から導いた将来プランだ」
ここで区切り、筧は額に垂れ落ちた数条の前髪を後ろへ撫でつけながら、机に両肘をついた。
「しかしそれは求生総研からの成果奪取による所業であり許容できるものではなく、かつ他の統治区のデータも備える我々の見解としては――南古野にもはや将来性はない」
断言に、宅島は腕組みする。
……上層部への外部入力装置である宅島の一族たる彼には、納得できてしまう話だった。
純人口増加率。流氓の流入率と定着率。プラントの生産性。機構研究による効率化。どれもが低迷しており、南古野は衰退をはじめている。
だから水道遮断の頻度も上げざるを得なかった。あれは生産性のない南古野の貧民を婉曲に間引くための措置でもあり、また外からの脅威によって内圧を高め内ゲバを起こさせることで新市街へ不満の矛先が向きにくくするためでもあった。こうした小規模・散発的なダメージコントロールに頼りがちになるほど南古野統治区は追い詰められている。
筧はつづけて、言った。
「よって求生総研は、凪葉良を母体とするここの企業連合を内外から解体する。ゆくゆくは大境統治区との併合による南古野の属州化に向け、水道局の弱体化を要する。その際奴らの反抗を削ぎ降伏を迫るためにも、またC計画――世界改変を次こそ成功させるためにも最終焉収斂機構は必須の存在だ」
一度目の失敗が招いた四大災害。知覚と認識によって取得した現実情報に想像を重ねてこれを恒常化することにより成す救世の目論見の破綻は、そのまま世界を壊しかけた。
だが研究を重ねたいまであれば、事象を制御できるはずだという。
筧はただ静かに、所属組織のため動くことを宅島たちに望んだ。
「諸君の今後の健闘を祈る」
#
#
#
南古野安全組合と沟、ふたつの組織が崩壊して半年が経過した。
《七ツ道具》で死亡が確認された二番四番六番を除いた組合上層部、および漂着者の少女・スミレは行方不明で、街中に水道局からの手配書が貼り巡らされている。罪状は「拾得物横領」という不可思議なものであったが、考えても仕方がないのでだれも気にしていなかった。形骸化した組合はもとの互助団体にまでスケールが戻り、稼ぎの無い弱者の寄り合いでしかなくなった。
《竜生九子》も《三把刀》のうち饕餮と贔屓のみが生存を確認されており、残りは死亡。龍頭とその右腕を含め盛大に葬儀が執り行われたが、その後に饕餮と贔屓だけでは組織を円滑に回すこともかなわず三か月ほどで笹倉組が港湾部の乗っ取りを画策。さまざまな力が働いていると見える動きで、あっという間に笹倉の色に染められた。こうして沟も、その存在は形骸化している。
笹倉組は《四天王》の全員が健在ということもあり、南古野全土を取り仕切る顔役となっている。
組長の笹倉鬱郎を頂点に支配体制が敷かれ、組合・沟どちらからも多くの人間が(とくに、稼ぎのある者は暴力や脅迫に遭い)圧力に負けてシマ抜けを使用、ケツ持ちを笹倉組に任せみかじめを納めるようになった。
……それでも全体としての街の雰囲気は、以前とたいして変わらない。
個人レベルで地獄を見る者があろうと、それが他人事なら気にならないのが人間だ。街の一区画が火事になる方がよほど全体の雰囲気を一変させる。地獄を見る百人が点在するより、苦境に立たされた二十人が固まっている方が物事は深刻に映る。
その意味で言うなら。
苦境に立たされた者たちが固まっているこのセーフハウスは、常に深刻で、ひどく雰囲気が悪かった。
今日も部屋の奥から、金切り声のうわごとが響く。この地下空間自体が拷問部屋だったようなので、扉を閉ざしてさえいれば外に届くことはないが。気は滅入る。
「……やっとられんわぁ」
朝嶺亜はぼやいて、目深に野球帽をかぶりなおす。かたわらに置いていた灰皿替わりの空き缶に、くわえていた千変艸製の安煙草を投げ入れる。
彼女らはここで、生き延びていた。
ただ、生きるので精いっぱいだった。
部屋からやつれた顔で男が出てくる。
ぼさぼさになった黒髪、薄墨色の目。もともと一切笑わない男だったが、以前よりも険のある貌になったと見える。
「鎮静剤が切れた。買ってくる」
円藤理逸は、そう言って朝嶺亜の前を横切った。
いってきや、と見送ってから彼の出てきた方へ視線を向けると、閉じゆくドアの向こうに。
ベッドの上で体を丸めている、銀髪の少女の小麦色の背中が見えた。
鉄の扉が重く、彼女を覆い隠した。
Chapter 8:
end.




